第二十二話「ちゃんばら」
「風呂場を見てきたけど、浴槽がギリギリ二人で入れるスペースって感じだったわ」
「はは、そういうのも悪くないかと。たまには、女性同士で語ってみたらどうですか」
食事を終えてから、風呂場の様子を一度見て来た。二人同時に入るなら、多少窮屈な思いをせねばならない。片付けを終えた執事に言うが、理解してもらえなかった。私は椅子に腰掛け、溜め息を漏らす。風呂くらい、一人でゆっくりしたいのだが仕方あるまい。
風呂の悩みが頭の中から出ていき、今度は別の事が頭に浮かぶ。執事の体調は大丈夫なのだろうか。執事の顔を凝視すると、血色が幾分かは良くなっているようにも見える。視線に気付いたようで、首を傾げた執事が私に問いかけた。
「……どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないわ。ちょっと安心しただけよ」
「そうですか。なにかあったのかと思いました」
こちらの気も知らずに、彼はいつものように紅茶を注ぎながら軽口を叩く。こちらの気も知らない彼をほっといて、部屋に戻ろう。そう思って立ち上がると、足元で気配を感じた。そちらを見てみれば、チロが軍服のズボンに擦り寄っているではないか。
「あら?」
私がチロへ手を伸ばすと、さっと避けられて玄関まで行ってしまった。臭うのだろうかと自分の手を嗅いでいると、チロがこっちを見てひと鳴きする。もしかして、付いて来いという事なのか?
「チロが呼んでいますよ。すぐに入浴の準備が出来るとは思えませんし、構ってあげたらどうでしょうか」
「……そうね。軽く散歩でもしてくるわ」
「行ってらっしゃいませ」
執事に後押しされながらも、椅子から立ち上がってチロの方へ歩みを進める。玄関の扉を開けてやると、隙間からするりと抜けていく。私も外へと出ると、少し強い日差しに目を細めてしまう。手で日差しを遮り、チロを探す。ゆっくりと歩くチロの後ろ姿を見つけ、その後を追う。
「遠出にならないといいのだけれど」
その心配は杞憂だったようで、数分ほど歩くと立ち止まった。そこは知らない建物の前で、チロは威嚇している。どこにでもあるような廃家にしか見えないが、何かがあるのは間違いないようだ。
廃家の扉に触れると、鍵がかかっていなかったようで簡単に開いた。
開けた扉の隙間から、鼻を突く臭いが漂ってくる。埃臭さではなく、獣臭さだ。それに少しだけ血の匂いも。
「様子見てくるから待っててね」
威嚇を解かないチロにそう言って、足音を立てないように廃家へと侵入する。中は薄暗く、窓から入る日差しだけが頼りだ。慎重に、ゆっくりと進んで臭いを辿る。近付くにつれて血の臭いは強くなり、脳が危険信号を出していた。義手からサバイバルナイフを取り出して、強く握る。
何か食べているようで、粗食音が耳に響く。この位置からでは何者なのか見えず、場所を移動しようとした時だ。踏み出した足が何かを踏んでしまい、音が鳴った。それは相手にも聞こえてしまったらしく、粗食音が止む。
「……えへ。新しいご飯かな?」
「うわっ、危ないわね」
声が聞こえたのは真上からだ。咄嗟に体を動かして、その場から離れる。ついさっきまでいた場所に、何かが落ちてきた。
それは薄汚れた外套を羽織った者だ。暗がりで顔ははっきり見えないけれど、背は低い。窓からの日差しが、相手の武器を照らしてくれた。両手に持った鉈の刀身は赤く染まっている。手の肌は鱗状で、爬虫類の肌みたいだ。
「獣人族の子かしら」
「えへへ、そうだよー。お腹空いたから、ご飯食べに来たのー」
「都心部で人間を……か」
逃げ道を確認して、相手に気付かれないように後ろへ退く。けれど相手は簡単に逃してくれないようだ。鉈の切っ先をこちらに向け、暗がりでうっすら光る黄金色の何か。視線を逸らさないまま、ゆっくりとサバイバルナイフを逆手に持ち直す。
「お腹いっぱいだから遊びたーい」
「何して遊ぶのかしら?」
「ちゃんばら!」
眼光が軌跡を残して上へと飛び、こちらに迫ってくる。血と獣の臭い、そして眼光が近付く。半歩横に動いて、相手の一撃を軽く避ける。隙だらけの胴体に、執事に教えられた蹴りを浴びせてた。よろめいている間に、廃家を飛び出す。チロを探せば、家に帰る後ろ姿が見えた。きっとチロは無事に戻れるはずだと、安心して振り返る。
「靴は動きづらいなー。それに眩しいし」
「私は明るい場所が好きなのよ」
靴と外套を脱いだ相手は少年だった。靴を脱いだ彼の足は人間でも機械でもない、トカゲの足が現れる。デニムハーフパンツから覗く肌は爬虫類のそれだ。黒いポロシャツは鱗で覆われた腕を隠そうともしない。手足がそれなのにも関わらず、首から上は人の肌と顔を持っている。
「獣人族っていうよりも、なんか違う気がするわね……」
「僕はそういうのよく解らないや。でも、機械じゃないよー?」
「それは見れば解るわ」
「じゃあ、悩みは解決したよね。続きやろうよ!」
少年は鉈を下段に構え直す。赤い長髪の隙間から覗く、黄金の瞳を細めて私に狙いを定めるのが手に取るように解る。なんとなくだが分かってしまう、彼は真っ直ぐなのだろう。予想通り、小さな獣人族はフェイントも入れずに突撃して来た。




