第十九話「執事」
執事のティーセットを使って、紅茶をカップに注ぐ。まだ目を覚まさない彼を横目に、思考を始める。
ブライと名乗った機人族は、頼まれたからオールの子守をしていたと言う。私の知ってる兄さんは余程の事がない限り、他人に物事を頼まない性格だ。何かあった可能性が高いけれど、今は動けない。オールに至っては執事の事も知っていたようだし、執事が目を覚ましたら、何か聞いてみなければならない。
そういえばと、執事の持っているナイフに視線を移す。オフシェ宅でも思ったのだが、このナイフにどこか見覚えがあるのだ。気になって仕方ない私は、彼の手から奪い取って眺める。すると、ナイフの柄に驚くべき物があった。
小さくではあるが、ヴァイス・ルーヴの名が彫られている。柄尻にはルーヴ家の紋章である、口を開いた狼の横顔の刻印があるのだ。
咄嗟に、執事の顔を凝視する。彼は何故、兄さんの持ち物を持っているのだろうか。ほんの一瞬、彼が探し人だったのだろうかと思ってしまうが、執事が同一人物には見えない。そもそも、兄さんは執事みたいに髪も瞳も黒ではない。私と同じ真紅の瞳で、銀の髪だ。
理解が追いつかず、名が刻まれたナイフ片手に頭を抱える。すると、執事の方から呻き声が聞こえた。どうやら彼が意識を取り戻したようだ。
「ずいぶんと遅いお目覚めね」
「……当たりどころが悪かったみたいです」
「そう。ところで、このナイフはどういう事かしら?」
ナイフを執事に手渡すと、彼は困った表情になる。紅茶で満たされたカップを、彼へと差し出して反応を待つ。執事はナイフをしまい、カップから視線を外さない。
「おやおや、これは想定外ですな……」
「貴方も何か知っているのね。洗いざらい吐いてもらうわ」
「それは構いませんが、全部知ってる訳ではないですよ」
執事は深い溜息を漏らし、カップを受け取った。私が返事をするまでの間、彼は紅茶を少しずつ飲み始める。けれども、視線だけはこちらへ向けたままだ。
「充分よ」
兄さんにまた会うまで、私は止まらない。執事はカップを適当な場所に置いて、問いかけてきた。
「伝える前に、ちょっと質問をしなければいけないですね。貴方は、機人族と獣人族がどうやって誕生したか知っていますか?」
「ええっと……。機人族は二種類あるわ。サイボーグやアンドロイドといった、どこかしら人為的な物を体に持つ、本来人間だったタイプ。もう一つは機械人形のような、機械に魂が宿ったようなタイプよ」
「獣人族の方は解りますか?」
覚えている限りの知識をひねり出して、執事の問いに答えた。彼はそれに満足し、直ぐに次の答えを求めてくる。私は必死で思い出し、言葉を続けた。
「獣人族は、たしか科学者達が生み出したんじゃなかったかしら。ちょっと自信ないけれど」
「だいたい合っていますよ。作り出した理由は、私も解りませんけどね」
「その事が何か繋がりがあるの?」
執事は紅茶を一口飲み、笑いかけてくる。何故だろうか、その笑みがどこか辛そうに見えた。彼は言葉を紡ぐ。
「新しい種を誕生させる技術がある国だと、理解している様でなによりです。その技術力で、また新しい事にも挑戦していたんですよ。公に出来る物ではありませんが」
「へぇ……。一体何かしら?」
「クローンですよ。秀でた者に限っての、ですけど」
その言葉に思考が止まる。執事とオールの顔が似ているのも、その類に関連しているという事か。
「貴方の想像通りですよ。私と彼は同じ人間からのクローンです。といっても、あの様子では彼も劣化のようですが」
「その戦闘力で劣化ねぇ……」
「本物は軍で最強と謳われた、ヴァイス・ルーヴがオリジナルですからね。容姿が似てないのは、見た目より性能を優先したからだそうです」
それでも目は似ていると、科学者が言っていたと執事は語る。兄さんのクローンという単語が反響して脳を揺さぶる錯覚を覚えた。彼の言葉は止まらない。
「結果的に言いますと、クローン計画は白紙に戻りました。完璧なクローンは生まれず、劣化してる部分がありましたので。私の場合は、薬を飲んでないと戦闘に耐えられないですし」
「紅茶に溶かして飲んでいたって事かしら」
「その通りです。あまりも酷くて、生まれたクローン達の廃棄処分が決まっていたくらいですよ? 幸運にも、本物と親しい方々の援助もあって地方へと逃げ延びる事が出来ましたが」
モルモットのような暮らしと比べたら、今の生活がいいと執事は笑う。伝える言葉が浮かばず、私は彼の微笑みを直視できない。視線を合わせない事に呆れたのか、咳払いする音が耳に届く。
「そうそう。あのナイフはオフシェから渡された物なんです」
「あの人も兄さんと関わりがあるの?」
「オフシェは元軍人で、彼女の上司がヴァイス本人だったそうで。私が北の区域から出て行く時に、護身用として渡すよう頼まれていたとか」
自分のクローンに手を差し伸べる優しさに、執事は驚きを隠せなかったと言う。確かに私が兄さんの立場だったら、嫌悪感を抑えきれずに殺してしまうかもしれない。彼は立ち上がって体を伸ばす。ティーセットを手にしたまま。
「私が知ってるのはそれくらいです。そろそろ行きましょう。時間が惜しいですから」
「そ、そうね……。まだ都心部に来たばかりだから、地理も把握していないし」
私もゆっくりと立ち上がり、義手を見た。ユルトの剣を溶かして作り上げた左腕の一撃を、簡単に受け止められた事を思い出す。次に会った時はブライとオールの二人に勝たねばならない。勝ち逃げされるのは気に入らないし、彼らから兄さんの事を聞き出さねば。
「負けたままは、性に合わないのよ……!」
力強く握り拳を作り、私達は建物から出る。空は黒く塗りつぶされており、月も雲で隠れてしまっていた。付かず離れずの距離を保つ執事を見れば、任せろと言わんばかりに頷く。
「着いて来てください。遅れたら置いて行きますからね?」
「はいはい。道案内よろしく」
この暗がりなら潜入も容易だろう。駆け出した執事を見失わないよう、私も走り出す。このまま駐屯地へと向かって。