私は央の支配者
番外3の4。
彼は、全てを喰らう存在だ。
彼は全てを喰らう。だが、其の口内に歯は無く、のっぺりとしたぬらりと滑る様な鮮やかな赤しかなかった。
赤は、血の色だ。
赤は、火の色だ。
故に、赤は蹂躙の色だ。
「だって、ソウだろう」
彼は良くそう云って、ぬらりとした赤を晒す様に大口を開けて哄笑した。
彼にとって、全ては喰らう存在だ。何しろ全ては余りにも脆く、彼が触れれば砕けるし、彼が喰らおうとすれば直ぐ様融けてしまう。故に彼の口内には歯が無く、故に彼は全ての存在を喰らうに苦労する事が無かった。
故に。
彼は此の地の実質的支配者と成り果てた。
央。
此の地を形成する中心。
其処は数多の有力種族が住い、貴種と目される存在達が住まう地。
其処に、彼は己が居城を建てた。
伸びやかに大らかに、天に聳える其の城は、世が闇に包まれると自ら拳程の輝きを無数に生じさせ、美しく己を照らすと云う。
当に、此の地一の実力者に相応しい居城だ。
彼は、其の城に己の眷属郎党を迎え入れ、良く遊んだ。其れは歌会であったり、其れは踊りであったり。酒を交わす事も食を饗する事もあった。華やかな宴は招かれた存在に強烈な印象を植え付け、そして、此の存在にはまるで勝てないのだと刷り込むのだった。
いっそ嫋やかと云っても良い容姿に、あどけなささえ感じる美貌。白い髪を華の様に美しく結い上げ、彼は天守から城下を一望していた。
「オイヌ」
「御傍に!!!」
そろり、と息を吐く様に彼が呼ぶと、直ぐ様気炎を吐く様な勢いで言葉が返る。勢いは苛烈であるのに、其の声音に宿る感情は何処迄も明るい。
スキ!
スキ!
スキスキ!!!
もう、声の響きは其れ一色だ。
或る意味、病染みている其の声に小さく笑い、彼はちろりと声の方を見遣った。
大きな男だ。
大きな大きな男が、其処に座している。
正座だ。其れが又可愛らしい。
大男にそんな形容なぞ、と思う向きはあれど、やはり、目に見える其の姿は酷く可愛らしかった。
彼の口の端に笑みを見つけ、大男は喜色を隠そうともせずに目を輝かせた。
「オイヌ」
再度、彼が呼べば、大男は再び御傍にと応えを返した。
莫迦である。
目に見えているのだから、此処で御傍にの応えは莫迦だ。だが、彼は幾分かそう思いつつも此の男の声に更に笑みを深くした。
やはり、眼前の大男は可愛いのだ。
大きな体躯に見合う、逞しい体つき。容貌は凛々しく瑞々しく、其れを些かも隠さない濡れた土色の髪は短く切り揃えられており、其の強さから幾分立ちあがっている。まるで束子の様、と彼が云った事があった。彼は目に見えた事を率直に表現してしまう向きがあり、其れが意外と悪い方向に云い得て妙であるが故に深い恨みを得る事が多かった。だが、大男は束子ですかと幼子の様な声音で返し、憮然として云ったのだ。
「束子の様、とは嫌です。白様が束子を見て、オイヌの様だと云って下さらなければ嫌です」
そんな言葉と声音に、彼は一瞬表情を無くし、そして――――――爆笑した。
いやはやいやはやと。彼は機嫌良く笑い続けた。
大男は、酷く昔から彼に付き従っていた。しかも最初から好意しかなかった。彼が如何様な事を成そうとも、彼は瞳の色を一度として変えた事が無かった。
故に。
彼は、此の大男を無条件に迎える。
例えば、彼が城の天守に上がる時は如何なる邪魔も許さぬ熟考を行いたい時であり、此の時天守に近づこうとするならば其の意思を持っただけで直ぐ様其の存在を喰らってしまうと……そんな暗黙の了解があったとしても。此の大男だけは、彼の傍に来る事が許されていた。
「オイヌ。森の竜女にアイたくはない?」
ゆうるりと問われ、大男は僅かに首を傾げた。視線は、外れない。まるで見ないのは罪だと云う様に、大男は大きな枯葉色の瞳を真っ直ぐに向けていた。そして、大男は、凛々しく引き結んでいた唇をふうと動かす。
「白様が御望みでしょうか? ならば、直ぐ様にお会いしてきますが」
ですが、と大男は続ける。
「遇え、と仰せであればかなり難しいかと。何方が御望みでしょうか」
会う
遇う
音が同じだが、意味が違う。
彼の言葉は独特で、何方を望むのか解からぬ様に喋って面白がる癖があった。だが、其れは単に面白がっているだけでは無く、相手を計る事にも謀る事にも使われており、其れが解らなければ突然命が摘まれる事もある。其れ故に彼と喋る事はかなり神経を使うのだが、此の大男は昔から、面白い様にするりするりと彼の言葉を意を簡単に解してしまう。
うふふ、と彼が笑った。
頑是ない、笑みだった。
「オイヌなら、アエルと思ったんだ」
「はあ、和える……ですか」
楽しげな彼の姿を嬉しそうに見つつ、大男はああと手を打った。
「中のと西洲の、あとは北の。あの辺が居ますからね! 引っ掻き回すのは得意ですよ!」
今すぐ行きましょうかとイイ笑顔で大男が云う。
間違いなく己の意思を汲み取り嬉々として従う大男に、彼は酷く楽しそうにくつくつと笑った。其の笑顔を大男はほんのりと頬すら染めてうっとりと見つめる。
或る意味、混沌だ。
大男に、以前、同位である存在が問うた事がある。
ぬしゃ、そんなに御上が好きか。
だが、大男は其の言葉に何も返さなかった。
理由は――――――遥か先に、己が心酔する彼の姿を見つけたので。雷も斯くやと云う迅さで去る大男の姿に、残された存在は最早紡ぐ言葉を見つける事が出来なかった。
「オイヌ」
彼が云う。
「御傍に!!!」
大男が返す。
彼は全てを喰らう存在で。
彼は此の地の実質的な支配者で。
だが、彼は、酷く白くて。
其れを知るのは、たった一つの存在しかいなくて。
「森の竜女は、ワタシが触れてもコワレナイ」
深い瞳が、ゆるりと色を変える。
「森の竜女は、ワタシが其の名を喰らえない」
枯葉色の瞳が、一度大きく見開かれ。
「森の竜女は、とても、とても――――――キョウが」
「白様」
些か遠くを見ていた彼の目が、眼前の大男を捉えた。
大男の顔には慈愛に満ち満ちた柔らかな笑みが。
「好き存在なのですね、森の竜女は」
興なのか。
饗なのか。
驚なのか。
凶なのか。
大男は、彼の白面を見上げ、嬉しげに満面の笑みを深める。
「今度、一緒に行きます! 白様と森へ行きます! 楽しみです!!!」
そんな明るく朗らかな言葉に、彼はふわりと笑みを浮かべた。
「うん。――――――行こう」
だが確かに、そう云ったのだった。
【全てを喰らう存在】
其の力の強さ故に、全ての存在を捕食対象とする。
配下には思考を持たずただただ喰らう事に特化している存在も在るが、反面、美しい容姿を持ち、高い教養を知識を有する存在も居る。
基本的に、害意や悪意を持たないが行動が極端であり、直截的。気に入った存在に執着する傾向が非常に強いが、相手が己の傾向を熟知していなければ何かの拍子に簡単に殺してしまう危うさがある。
其の危うさ故に多種の実力者を引き付ける事もあり、今の頭領は其の最たる存在。