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3話

 そもそも、だ。

 竜胆先輩が受けた勝負には、大事な前提が一つ欠けている。

 審判員選挙に当選すること。およそ神山先輩の当選が確実だとして、あの勝負では竜胆先輩の当選が最低条件となってくる。まず、この第一関門を抜けることから始めなければならないのだが、これが非常に難しい。方やアドバンテージ、方やハンデを背負った勝負と言っても過言ではない。この落差をどう埋めるか。神山先輩以外の立候補者も沢山いるのだ。まず、その人たちより票を集めなければならない。

 しかし、知っての通り竜胆先輩のイメージはほとんど最悪だと言っても過言じゃない。あのクラスでの宣伝を見ていれば嫌でもそう思わされる。イメージが全てとは言わないが、竜胆先輩が選挙において有利なものを持っているとすれば、七つというバッチしかない。だが、それは一般生徒にとっては「すげえなあの人」くらいの印象しか与えられず、逆に堅物なんじゃないかというマイナス要素すら生んでいる。つまり、どこを取っても絶望的だということだ。

 神山先輩と竜胆先輩は、同じ土俵に立ってすらいない。そのことを深く思い知らされたのは、昨日神山先輩が言っていた掲示板だった。

 登校すると、正面玄関を入ってすぐの掲示板のところに人が群がっていた。下駄箱は全校生徒のぶんが統一されている。教師用の下駄箱は別の入り口にあるが、それを除いても相当の数の生徒がごった返しになる。それが一同に集まっているのだから、アイドルグッズの限定販売かと勘違いしてしまうくらい人ごみが凄かった。

掲示板前の人ごみを見たとき、期待というよりは不安のほうが大きかった。正直に言って、このまま素通りしてしまおうかと考えた。人ごみを掻き分ければ、竜胆先輩の選挙における現状が見える。やはり、覚悟しておくべきなのだろうか。

「よう、コクハラ。凄い人ごみだな」

 下駄箱で右往左往していた僕の肩に、誰かの手が置かれた。振り返ると、イケメンスマイルを浮かべた翔悟くんの姿があった。

「何かやってんのか?」

「審判員選挙について、広報部がアンケートを取ったらしいよ。投票の途中経過みたいなものじゃないかな」

「へえ、じゃあ見に行こうぜ。樹先輩、どんくらい票入ってんのかな」

 翔悟くんは僕とは逆に、生徒の波に乗るように突撃していった。僕もそれに引っ張られるように続いていく。

 掲示板の前まで辿り着いてしまった。広報部の作った学内新聞は、『審判員選挙、気になる中間結果は?』という見出しで飾られ、一面に候補者の顔と一緒にアンケートの結果が載せられていた。アンケートは宣伝前のものらしい。僕のクラスにもその類のアンケートが回ってきたような気がするが、特に意識もせずに竜胆先輩に入れた気がする。

 棒グラフで纏められたアンケートは票数の多い順に並んでいる。一番左側が最も多い票を獲得した人物。見なくても分かる。一位は神山先輩だ。いつもの明るい先輩とは違う、選挙に真剣さを感じさせる写真が掲載されている。なるほど、こういう先輩も悪くない。

 と、そう間抜けに顔を緩ませたのも一瞬。僕はその下にある票数を見て凍りついた。

「六七〇票……」

 学園生徒数は何人だったか。急いで胸ポケットから生徒手帳を取り出し、生徒数推移と書かれている項目を見る。今年の分もきちんと書かれている。自慢じゃないが、生徒数のことが生徒手帳に載っていると知っているのは、重要役職の生徒じゃない限り僕くらいじゃないだろうか。

 全学園生徒数、九〇〇人強。思わず、生唾を飲み込む。

 二位以下の立候補者の中で、一〇〇票以上を獲得しているのはたった一人しかない。十人以上が立候補している中で、この結果は神山先輩のワンマンショーと言っても過言じゃない。

 こうなってくると、気になるのは竜胆先輩だ。僕は左から右に目を走らせていくが、中々その姿を目にすることが出来ない。四位でもない、五位でもない、六位でもない。そうして一人一人を追っていき、票数が減っていくのを目の当たりにしながら、最後の最後で彼女の名前を見つけた。

「七票……」

 立候補者中、唯一の一桁。

 ある程度予想はしていたことだが、あまりにも低い数字に頭がくらっとした。知名度は決して低くないはずの人物だ。二等生の時点でバッチ七つというのは異例の数で、優等生として彼女は名前を知られていてもおかしくない。だが、この数字が本当だとするならば、知名度とは真逆に、イメージは最底辺を走っているみたいだ。むしろ、七票という数字に喜ぶべきなんだろうか。僕以外の誰も支持していない。そんな状況では、流石にひっくり返す事は不可能のように思う。

「大変だな、お前」

 翔悟くんが気の毒そうに肩を叩いた。

「そのバッチ、竜胆先輩のサポーターになったらしいじゃんか」

「ああ……」

 そういえば、サポーターバッチ貰ったんだっけ。胸元に光るグレーのバッチが、とてつもなく重い存在に思えてきた。

「まあ気にすんなよ。まだ宣伝期間あるし、審判員になんのは何も一人じゃねえんだから、樹先輩の票数を超える必要はねえんだしさ」

 そう。単純に審判員になるだけなら、二位の人を超えれば可能性は出てくる。百票集める事が出来れば、神山先輩と大きい差こそ開けど、目的は達成出来る。

 だが、今回はそういうわけにはいかない。このおよそ一〇〇倍という眩暈のする票差をひっくり返さなければ、僕は神山先輩のサポーターとして四年間こき使われてしまうのだ。

「いや、大丈夫だよ」

 自分を鼓舞するように、僕はそう口にした。

「四〇〇票だ。それだけ神山先輩から奪うことが出来れば、僕らは勝つことが出来る」

「何言ってんだお前? どう考えても無理っしょ」

 翔悟くんが言うことは全面的に正しい。でも、だからといって、

「諦めたら、そこで試合終了だよ、翔悟くん」

「まあ、お前がそう言うならそれでいいけどさ」

 ネタは華麗にスルーされました。もしかして読んでないの? やばくない?

 とは言ったものの、二十二点差どころか六百点差以上つけられている試合に勝つのはあまりにも容易じゃない。どんなに綺麗な言葉を吐こうが、この試合、勝てると思っているのは誰もいないだろう。ぶっちゃけ僕も勝てるとは思っていない。昨日はどうにかしてやろうと勝負熱に浮かれていたが、こうして現実を目の当たりにすると冷水をかけられたごとく一気に熱は湯気になって空に消えていってしまった。

 神山先輩は、ぱんつさえ見えぬ高見台の上にいる。どれだけ雑種の布を積み重ねても恐らく届かない。唯我独尊、我が物顔で小さく小さく纏まってしまった竜胆先輩の土台では、彼女のぱんつを評価する事さえ出来ない。実に絶望的だった。

「それよりさ、俺のこと見て何か気づかないか?」

「ん? 髪の毛でも切ったのかい?」

 そうだとしたら男にそんなことを聞く翔悟くんは相変わらずイケメンながら残念な性格をしているものだと涙の一つでも流したものだが、どうやら髪の毛ではないらしい。耳につけている丸いピアスかと思ったがいつもの通りだし、普段と変わらないただのイケメンだった。嫉妬心に焼かれて死にそうになる事にはもう慣れました。

「これだよ、これ」

 胸元を指差した。見ると、若葉マークのバッチ以外に、「サ」と書かれた非常に見覚えのあるバッチが付いていた。サポーターバッチ。しかも、オレンジ色。

「神山先輩の、サポーターバッチ……?」

「そーなんだよ! 昨日な、神山先輩に呼ばれて、生徒会で貰ってきたんだ」

 自慢げにそれを見せ付けてくる。

 昨日ということは、あの一件があった後だろうか。先輩は翔悟くんのサポーター登録に行ったってことだ。翔悟くんとは微妙にすれ違っていたらしい。

「サポーターってどんなことするんだろうなっ。想像するだけでも興奮してくんぜ」

「いや、何か雑用とかそういうのばかりだったような気がするよ」

「雑用やらされんのか。うっひょー、それもいい感じだぜ。こう、高いところにあるものを取ろうとした先輩がふらっと俺に倒れてきて、俺がそれを見事に受け止めるんだ。そしたら、そしたら」

 僕はその光景を想像する。超イケメン男子と学園一の美少女の接触。それは、とても絵になる光景で――。

「胸が揉めるかもしれないっ!」

「超即物的だな君は!」

 指をいやらしく動かすんじゃない。

「ノーブラ、ありえるぜ」

「ないよ!」

「絆創膏派なのかコクハラは。まあ気持ちは分からないでもねえけど、俺はやっぱ生のほうが良いと思うんだ」

「何の話をしているんだよ! どんな漫画の世界だそれはっ!」

「やっぱりコクハラはブラジャーには興味ねえのか。女が選ぶのはパンツだけじゃねえぞ。そこんところは良いのかよ、コクハラ」

「ぬ――」

 確かに一理ある。ぱんつとはぱんつでしかないが、下着という一括りをすれば、ぱんつとブラは同一の存在と化す。同じ身を護りつつ、女性の魅力を引き出すアイテムだとするならば、確かに僕の数多のぱんつ理論はブラのほうに適応されてもおかしくはない。

 だが――。

 例えば僕の右隣で掲示板を呆けた顔で見ているボケていそうな童顔の女生徒。左肩にうっすらと浮き上がるブラジャーの線とその色を見る限り、駅で三つほど先にあるランジェリーショップで買った1780円の上下セットだろう。色は黒と赤のラインが引かれた中々に大胆なものだが、厚みがかなりあるものだ。見る限りバストサイズはD前後。多分バストに合っていない。かなり過ごしにくそうなブラジャーと言えるが、その実、ぱんつはどうだろうか。ヒップの形までは想像しがたいが、先ほどから彼女の動向を見ている限り、ふともも周辺に違和感を感じてはいないようだ。一見して適当に選んだような下着の選択だが、ぱんつはきちんと彼女の一部として機能を果たしている。では何故、ブラジャーには違和感を感じるのか。それは、人間が上より先に下をはいてしまうという習性があるからだ。つまり、ぱんつをはいた後にブラジャーをつける。ぱんつで着心地の悪くなかった今回の黒赤ストライプだが、そのセットで買ったブラジャーはなんとも言い難い。しかし、上と下の色を全く違うものにしてしまっては、折角のデザイン性が損なわれるだろう。ここで、ぱんつを脱いでほかにすればいいものを、彼女はそのままブラジャーをつけた。それは、単に面倒くさかったという一言で表してしまえば最後だが、彼女にとって「そういう気分だった」という解釈に辿り着かないだろうか彼女は、どうしてか黒赤ストライプのぱんつを脱げなかった。そう、今日という日は、黒赤ストライプの日だったのだ。

 このように、ブラジャーとぱんつでは似て非なる価値観が生まれる。やはり、僕の考えはぱんつでしか適応出来ないようだ。

 と、翔悟くんに話したら星でも降ってきたような輝いた瞳で「やっぱりお前は最高だ」と褒められた。

 ガン見していた隣の女生徒からはこの世の汚物でも見ているかのような視線を受けた挙句、僕が結論に達した瞬間悲鳴を上げられた。

 正直反省している。だが後悔はなかった。



 昼休み。午前中に先生から厳重注意を受けた僕は満身創痍で授業を受けきり、クラスメートの殺意にも似た視線と時折聞こえる毒物のようなささやきに耳を侵されながらようやくこの休息のときを迎えた。暴力よりも恐ろしいものはこの世に幾らでもあると思いました。

「モテモテだな、コクハラ」

「君にだけは言われたくないことだよ」

「モテモテだな、コクハラ」

「言われたくないって言ってんじゃん!?」

 繰り返しネタとかどこで覚えたんだよ翔悟くん! 僕は悲しいよ! 君だけは、君だけはまともな変人だと信じていたのに。

「これで僕にラブレターの一つでも届けば素直に受け取れるけれど、きっとくるのは殺害予告か呪いの手紙、迷惑目的のチェーンメールくらいだよ。脱ぎたてのぱんつなんて、誰も僕に送ってきやしない」

「脱ぎたてのパンツ貰うくらいだったら自分撮りのエロ写真のほうがいいわ俺」

「本当に現物主義だね君は!」

 出会い系サイトとかに登録してそうな人だった。

 昼ごはんの卵焼き丼を食べていると、ちまちまと教室に審判員選挙の宣伝に生徒が来る。宣伝は自由にやっていいので、何度でもクラスを回る事が出来るらしい。とは言え、二度来てもあまり効果は望めないと思うが。顔を覚えてもらう目的だろう。神山先輩も今日は来ない。一度回れば彼女の場合十分だからだ。

「やっぱり、このクラスも神山先輩一択なんだろうか」

「さぁな。でも、六七〇票だろ。全員アンケートで樹先輩を選んでてもおかしくはねえよ」

「だよね……」

 六七〇のうち四〇〇を奪う。その道のりで、このクラスの十人以上が竜胆先輩に投票するということがある程度必要になる。こうしてクラスの面々を見ていると、それが絶望的に思える。神山先輩が来たときの盛り上がり様。ひっくり返せるのだろうか。

 不安が首をもたげてきて、箸も止まりつつあったそんな時。

 スパーン! と叩くような音が鳴ったと思えば教室のドアが開いた音だった。デジャヴじゃない。前にも同じ事がありました。

「失礼します」

 眼鏡をくいっと上げた竜胆先輩が、教室中を射殺すような視線で見渡し始めた。今回は雰囲気の比喩でもなんでも無く、マジで殺されそうだった。黒い殺意のオーラが彼女の背中から伸びている。ターゲットを捕らえようと、一切の隙がないように蠢いていた。ていうかぶっちゃけ僕しかないだろ、このクラスに用とか。

 僕は死への恐怖という人間あるべき感情を持って視線を必死に逸らしていたが、ズドンッという太古恐竜という生き物が存在していた時代をテレビで特集していた時に聞いた効果音のような音で、つい後ろを振り返ってしまった。

 さようなら現世。こんにちはぱんつ。あれ、悪くないかもしれない。

「質問したいのだけど、いいかしら」

「ど、どうぞ」

「あなたは君島幸一くんの本物で間違いないのよね?」

「なんですか本物って!」

「いえ、もしも偽者だったら殴ってしまった時に申し訳ないから。で、本物で違いないの?」

 偽者がいる前提で話しているのは何故だろう。倒錯しているんだねきっと。というか、まるで僕が本物だと打ち明けたら殴るみたいな言い方だったんだけど、僕はどう答えたら良いんだろうか。

「ワ、ワタシキミシマコーイチジャナーイげふぅっ!」

 どてっぱらに強烈な一撃を叩き込まれました。外人じゃごまかせなかったか!

「君島くん。覚えておきなさい。嘘は死への階段よ」

「なにその残酷な常識! 生まれてくる世界間違えた!」

 今後一生嘘をつけなくなりそうだった。

「それで、君島くんはこんなところで何をしているのかしら」

「な、何って、普通に昼ごはんを食べていたんですけど……」

「そう。お昼を取っていたのね。それはおめでとう」

 全く祝福されていないのは丸分かりだった。僕が一体何をしたっていうんだ。竜胆先輩の危険が悪い原因を頭の中で探ってみたが、それらしき事は見当たらなかった。

「翔悟くん。僕、何か悪い事したっけ」

「昼飯に竜胆先輩のぱんつでも食ったんじゃねえの」

「そんなことしないよ! ぱんつは食べないって前に言ったじゃないか!」

 確かに、一生に一度くらいはぱんつをもぐもぐしてみたい。でもそれは、その行為が社会的に許されるユートピアが出来上がるか、ぱんつをもぐもぐさせてくれる誰かが僕の前に現れたその時にしか出来ない。悔しいが、世界とはそういうものだ。

「で、何を食べたの?」

 依然として威圧的な態度は変わらないまま、一見して普通の話題を振ってくる。しかし、彼女が纏うオーラには「君島くんがご飯を食べるだなんて身の程を知らなさ過ぎて思わず残飯と間違えて処理してしまいそうだわ」とでも言いたげなニュアンスを感じる。。

「た、卵焼きご飯です」

「卵かけご飯?」

「いいえ、卵焼きごはんです」

 なんですかその「うわぁ」って顔は。別に僕だって好きで卵焼きご飯を食べているわけじゃない。節約のためだ。

「はぁ……まあ良いわ。君島くん、あなた、私のサポーターだってこと、自覚ある?」

「勿論ありますよ。雑務でしたらなんなりと頼んでください」

 胸のバッチが、嫌でもそれを自覚させる。

「覚えていないようね……良いわ。場所を変えましょう。付いてきなさい」

 言うと、先輩は身を翻して僕を待たずに出て行ってしまった。このまま放置すると後が怖いので、急いで弁当をバッグに仕舞い、先輩の後を追いかける。

 一体何だって言うんだ。全く身に覚えが無い先輩の態度に困惑しつつも追っていくと、そのまま校舎を出て裏庭のほうまで連れて行かれた。入学してからあまり利用したことが無かったが、昼食時には結構な人だかりが出来ていた。外で弁当を食べたい人のための重要なスペースらしい。青い芝生が一面に生い茂っている。中央の大きな広葉樹の前で、先輩は足を止めた。周りには数名の生徒が和気藹々としながら昼食を取っていたが、先輩の登場に少なからず驚いているのか、皆箸を止めてこちらを盗み見ていた。視線が痛い。

「ここで良いわね」

 竜胆先輩はバッグから青いレジャーシートを取り出し、おもむろに芝生に敷いた。はて、ここで人体実験でもやるつもりなのだろうか。いや待て、そうだとしたら被研体は僕じゃないかこの場合。逃げるか? いやそれこそ止めよう。物理的に殺されかねない。

 先輩は靴を脱いで丁寧にスカートを膝の上で畳むと、綺麗な正座でレジャーシートの上に座り、僕を見上げてきた。

「どうしたの。座りなさいよ」

「は、はい」

 僕は言われたとおり、慎重にレジャーシートに座った。どうやらレジャーシートに罠は無いようだ。しかし、ここで油断してはならない。あのバッグの中から脇差が出てきて「これで切腹しなさい」とか言われるかもしれない。ヤバイ。本格的に自分で何を言っているのか分からなくなってきた。混乱しすぎだろ僕。素直にしていればいいんだ。命くらいは助かるかもしれない。

 予想通り、先輩は自分のバッグに手を掛けた。脇差か、日本刀か、物干し竿か。ダメだダメだ。ネガティブに考えるな。自分の都合の良いほうへ妄想しろ。ぱんつ、そう、ぱんつがいい。先輩が今日はくぱんつがどれか選べなくて、僕に相談したということにしよう。いや待てよ、それじゃあ先輩は今ぱんつをはいていないということにならないか。それはまずい。日本の女子たるもの、ノーパンで街を闊歩し、学園生活を謳歌していたなどということはあってはならない。だが、そこまでして自分のぱんつに悩んでしまうという乙女の姿もまた良いものがある。そんな悩みを抱えた彼女に対して、僕はノーパンであることを責めることが出来るだろうか。否、出来ない。迷える子羊を導くのも僕の役目だと思えばそれも許せよう。さぁ先輩、どんなぱんつで悩んでいたんですか。僕に見せて御覧なさい。

「はい、お弁当」

 出てきたのは重箱だった。しかも五段構え。間違ってもぱんつが出てくるなどとは思っていなかったが、お弁当という予想外なものに加え、この量。驚かずにはいられない。中がすっかすかで「てめえに弁当なんて作ってくるわけねえだろバーカ!」とか言われたら泣く。リアルに泣く。

「こ、これは?」

「昨日、一緒に昼食取るって、あなたが言ったんじゃない」

「はて、そんなこと言いました超言いました三回くらい言いました」

 重箱が凶器になる姿は見たくなかった。きちんと思い返してみれば、確かにそんなことを言ったような気がする。あの時は同じぼっちを見つけた喜びで錯乱していた節があるけど。

「ほ、本当に忘れていたみたいね。最低だわ。朝早くから準備した私が馬鹿みたいじゃない」

「えっ、僕のためにそこまで……」

 少し申し訳ない気持ちになる。一時のノリであんなことを言ってしまった自分を呪いたい。

「あなたのためじゃないわよ! なんで私がそんなことしなきゃならないの!」

「じゃあどうして僕の分まで。そこまでして貰わなくても……」

「そ、それは……」

 振り上げたままだった重箱を下ろし、急に先輩がしおらしくなる。なんだか内股気味で頬まで染めてしまっている。と、トイレだろうか。気を遣ったほうがいいのかな?

「だ、誰かとお弁当を食べるの久しぶりだから、気合が入っちゃっただけよ……」

「……」

 本格的にぼっちだった。

「先輩、重箱開けていいですか? どんなお弁当か気になります」

 世界の全てが先輩の敵に回っても、僕だけは彼女の味方になってやろうと、中二病っぽく妄想の中でキメた。

「そう? じゃあ、一番下から……」

 一段目をご開帳すると、真っ白な平原が広がっていた。なるほど、太陽に輝くその姿は始まりの地とでも言うべきか。何をその上に建てるにしても、整った土地がなければ何も始まらない。つまりはそういう意味を包含した白米地獄か。梅干すら無かった。

「二段目は……」

 マグマ。つまり、先ほどの白米地獄から数えて、八大地獄がこれから展開されていくのだろうか。大焦熱地獄。浮いているジャガイモらしきものは地獄に飲み込まれた犠牲者たちの残骸か。カレーだ。二段目はカレーで埋め尽くされていた。洗うの大変そう。

「もしものために……」

 極寒の地。マグマで焼き尽くされた肉体をいたぶるように、続く地獄は極寒地獄。ほのかに香る甘い匂いは食欲を駆り立てはするが、それこそが罠。マグマで耐え抜いたものをついに死の淵へ追いやる追撃。カレーに続いてシチューとは。具が入ってなかった。

「ちょっと失敗したんだけど……」

 炭。苦しみに耐えかねたものを自害させるための練炭か何かか。一種の優しさすら感じる。それとも、冷めたカレーとシチューを温めなおすために持ってきたものだろうか。なるほど、重箱にそれを詰めてくるとは、先輩も気が利く人だ。ところどころに食材だった頃の残滓が見えるのは幻覚だろう。

「最後にこれっ」

 とても、とても美しい弁当だった。左上からクリームコロッケ、スパゲッティー、から揚げ、ミックスベジタブル、ソーセージらしき形の炭、そして炭が入っていた。多分冷凍食品だと思います。後ろ二つはよく分かりません。

「これは……バリエーション豊かですね。とても前衛的です」

「カレーにしようと思ったのだけれど、君島くんの口に合うか分からなかったからシチューも入れてみたのよ。我ながら完璧な発想だと思ったわ」

「それで重箱をチョイスしたんですか」

「そうよ。普通のお弁当箱だと入り切らないもの」

 確かに、誰かと食べるために用意された弁当だった。ただし、もはやパーティ用クラスだが。四段目はどこに敷けば良いんですか? と聞こうとして止めた。怖いからじゃない。火を起こすものが無いからだ。仕方ない。彼女のミスを責めるつもりは無いんだ。炭に着火するためのライターを忘れるなんて、お茶目なところがあるもんだなってことにしておこう。

「オススメは、これとこれを混ぜて……」

「ちょ――!」

 竜胆先輩は、突然カレーの容器にシチューを流し込み始めた。

「先輩落ち着いてください! そんなことをしてもビックバンは起きませんよ!」

「な、何を言っているの?」

「新世界を創造したい気持ちは痛いほど分かりますが、そんなことをしても誰も幸せになんかなりません! 考え直してください!」

 僕は身の危機を感じて先輩からシチューを奪い取り、一気に喉に流し込んだ。固形が一切入っていない分飲みやすかったが、それが逆に悲しかった。

「凄く美味しいです先輩。まるでまろやかな牛乳みたいな味がします。ほんの少し酸味が利いているのは隠し味ですか? 流石ですね」

「あ、分かるの? 牛乳はほんの少し発酵させたほうが良いって聞いたのよ」

「なるほど。凄いことを言う人がいるもんですね」

 トイレよ、僕を待て。

「カレーはどんな感じですか? どれどれ、もぐもぐ、ふむ、これもまた竜胆先輩テイストですね。楽しい味がします。まるでカーニバルにいるようだ」

 カレー味のアレかなこれ。それともアレ味のカレーかな。

「ちょ、ちょっと。私の分を残しなさいよ」

「すいません。あまりにも凄い味で一気に食べてしまいました。今度パンか何か奢りますから、それで許してくれませんか?」

「し、仕方ないわね。そこまで言うなら」

 僕は誓ったんだ。世界が敵に回っても、僕は先輩の味方でいると。吐きそうです。

 謎の満腹感を得た僕は、レジャーシートの上に寝転がった。青い空は僕を天へ誘っているようで、伸ばしても届かない手を、僕はいつまでも空に掲げていた。あの雲に乗って、世界のどこかへ旅に出かけたい。どこか、ぱんつの見える場所へ……。

「君島くん。これはどうかしら?」

 竜胆先輩が青空を遮るように箸を持ってきた。その先には、炭が挟まれていた。

 はて、どうかしら、というのはどういう意味だろうか。どこかの特産品の炭で、それを僕に自慢したいのだろうか。しかし、いかんせん僕は炭には詳しくない。どう、と聞かれても困ってしまうのが現状だ。

 そうして僕が答えに窮していると、

「食べてみてくれないかしら」

「はぁ?」

 思わず、素になって聞き返してしまった。いや、僕の気持ちも理解して頂きたい。例えば友達間でキャンプをしていたとしよう。そこで飯ごうを行い、カレーを作った。わいわいと食事をし、ようやく皆満足して片付けようとしていた最中、「おい君島、お前炭食えよ」とか言われているのだ。虐め以外の何物でもない。幾ら竜胆先輩がサドっ気に溢れた人物だとしても、今の言葉には人格を疑いかねない。

「何よその反応。随分と嫌そうじゃない」

 むっとした表情で先輩がそう言った。もう僕には何が何だか分からない。もしかして、万が一の確率で、あの箸の先に挟まっているものが、炭ではないと、そう先輩は言いたいのか。カレーやシチューを温めるものではないと、そう言うのか?

「先輩。失礼を承知で聞きますが、それは何ですか?」

「タコさんウィンナー」

 メタモルフォーゼを終えたタコらしかった。

「先輩、何か幻覚に囚われているようなので僕が真実を伝えます。それはウィンナーでもタコでもありません。炭です」

「――」

 バキィッ、と炭が破砕する。レジャーシートの上に散らばった死骸が、食材の悲しみの涙にしか見えなかった。この世に生まれてきてくれてありがとう。君の悲しみは、先輩の暴力と共に僕がしっかりと受け止めるよ。願わくば、来世は可愛いぱんつをはいた女の子になることを、僕は望んでいる。

「――ふぅっ」

 てっきり新技が飛んでくると思って身構えていた僕だったが、竜胆先輩は溜めていた何かを吐き出すように息を吐くと、黙って粉々になった炭を重箱の中に戻し始めた。

「せ、先輩?」

「悪かったわ。正直に言って、私は現実逃避をしていた。自分の作ったものが全て炭化していくのを、私は見ていられなかった。まさか、ここまで料理の腕が無いとは思わなかったのよ。安心して、流石に自分でこれが炭だってことくらい分かるわ」

「そ、そうですか。分かってもらえて良かったです」

 でも、分かっていて僕に食べさせようとしていたってことになりませんかそれ。本格的に僕を殺そうとしているのだろうか。プロレス技だけじゃ物足りず、食べ物にまで手を出し始めた。敵は強大だった。

「とりあえず、食べられるものだけ食べてしまいましょう」

 言って、竜胆先輩は炭を四段目にすべて除けて、五段目の冷凍食品と一段目のご飯をレジャーシートの上に広げた。伏目がちで、ぽつん、と佇むようなさびしい声。端に除けられた四段目。竜胆先輩が朝早くから準備したという手作りのお弁当。これを、本当に「炭」などと呼んで良かったのだろうか。

 言うなれば、ぱんつ。

 初めての彼氏とのデートの日、今日は何かあるかもしれないと気合を入れて選んだ勝負ぱんつ。慣れないお洒落もこなし、その日のデートはとても良い雰囲気だった。しかし、なんとも無い一言が相手を傷つけ、結果的に険悪なムードのまま帰りの電車を迎えてしまう。その帰り道、涙で頬を濡らしたのは何も彼女だけではない。そう、はかれたぱんつも同様に涙を流すのだ。

 僕は、そんな彼女を見たくなかった。今ならまだ間に合う。一言謝れば、もしかしたら関係は修復出来るかも知れない。手遅れになる前に、僕は邪魔者が淘汰されるように除けられた重箱を手に取り、一気に掻きこんだ。

「ちょ、ちょっと! 何してるの!」

 竜胆先輩が僕を止めようと掴みかかってきたが、その時には全て腹の中に収め終わっていた。口内に残る炭の臭みが漏れないように必死に口を閉じ、なるべく噛まないように胃袋にぶち込んだ。

「――っは。先輩、正直に申し上げて良いでしょうか」

 嚥下する度に訪れる、痛み、吐き気、後悔。後悔。後悔。止めときゃよかった。信条とプライドのために特攻した僕をあざ笑うかのように炭が僕の胃袋の中で暴れ回った。

 ぱんつの神よ、今だけ僕をお許し下さい。

「とても、とても不味かったです」

「……どうして」

「先輩。ぱんつ道は一朝一夕にして成らず、という言葉を知っていますか」

「知らないわよっ。ていうか、早く吐き出しなさい。病気になるわよ!」

「もう胃袋の中なのでどうにも出来ません。あのですね、僕とてまだまだ未熟者です。失敗する事は何度もあります。それを呪いたくなったり、そのせいで気分が落ち込むこともあります。でも、何よりも辛いのはそれが咎められない事です。人は成長する生き物。僕が日々ぱんつを学び、失敗を犯し、そして成長するように、竜胆先輩もそうなっていただきたいと僕は思いました。だから言わせてください。これは、とても食えたもんじゃない」

 爪楊枝が欲しい。歯の隙間に挟まった炭が、喋るたびに舌に刺さって痛い。

「君島くん……。私――」

「本当に、とても食えたもんじゃない。不味いったらありゃしない。一体何を作ろうとしていたんですか。存外料理がヘタクソなんですね先輩」

「今すぐあなたを殺したい」

 あれ、一瞬僕の言うことに陶酔したかのようなか弱い声が聞こえたような気がしたんだが、とても狂気に満ち溢れた一言に変わっているぞ。

 瞬間。竜胆先輩の右腕が軽いスナップを利かせて上空へ。そのまま物凄いスピードで僕の頭の上に。脳天唐竹割り。ガードする余裕も無く、僕はただ目を閉じて衝撃に備え……。

 ぽすっ、と頭の上に手刀が乗った。片目を開いて伺うと、竜胆先輩はいつもの冷え切った表情で言った。

「次は上手く作るわ」

「そ、そうですか」

「ただし、そこまで言ったのだから次回もあなたが食べるのよ。どんなにヘタクソになってもね」

「……上手くなったら食べさせてください」

「どうかしらね。自分じゃ味の判断がつかないもの」

 竜胆先輩はクリームコロッケを口に運んで、「美味しい」と顔を綻ばせた。



 それから少しして。

「見てないわ」

 今朝見てきた掲示板の話題を振ると、竜胆先輩はあっけらかんとした顔でそう答えた。弁当を食べ終えたらしく、重箱を風呂敷に包んでバッグに戻している。

「み、見てないって、良いんですか?」

「良いも何も、結果が見え透いているものをわざわざ確認しなくても良いでしょう」

「そういうもんですか……」

「……一応聞いておくわ。何票差だった?」

 言うべきか迷ったが、結局僕はそれを口にすることにする。

「約六七〇票差、ですかね。流石神山先輩だと思いましたよ」

「全校生徒の六割以上、ね。別に驚きはしないけど。そして私はその分だと、相当低かったみたいね」

「はい……」

 頷くしかない。嘘のつきようがないのだから。掲示板で見た映像を思い出すたびに、やりきれない気持ちになる。

「仕方の無い事だわ。それが今の自分の評価だと受け止めるほかないのだから、いちいち落ち込んでもいられない。そんなことより、これからどうするべきかを考えるべきだわ」

「何か策はあるんですか?」

「三等生への宣伝がまだ残ってる。そこで少し挽回を図らなければならないわね」

「宣伝、ですか……」

 正直思わしくない策だった。何せ僕のクラスに来たときの事を思い出すと、到底イメージアップに繋がる方法とは思えない。竜胆先輩が心を入れ替えて優しく接する事を覚えてくれるならば良いが、まあ無理な話だろう。そもそも永結凍土の女豹という二つ名は上等生のほうが認識が大きいものだ。今更優しさの片鱗を見せたところで、選挙に対して媚びているようにしか取られないだろう。出来れば他の策を投じたいが、生憎と僕の発想力では新しく提案も出来そうになかった。

「一応、原稿があるわ。読む?」

「是非」

 竜胆先輩はバッグから一枚のレポート用紙を取り出し、僕に差し出した。

 それにざっと目を通す。別段おかしなところはない。少し堅苦しいが、審判員選挙に臨む姿勢や目的などが分かりやすく書かれており、むしろ好感が持てるほうだ。一番下まで読み終えると、最後の一文に「どうぞよろしくおねがいします」と書かれているのを見つけた。

「先輩、これはいつ作ったものですか?」

「選挙が始まった当日からよ。二週間前くらいかしら」

 二週間前というと、僕のクラスに来た時よりも随分と前の話だ。つまり、竜胆先輩はこの原稿を覚えた上で、僕のクラスへ宣伝に来たということになる。

 記憶を探ってみる。男子生徒に注意。女子生徒に注意。政治家真っ青な命令口調にパワーボム。ふむ、この文章と合致するところが何一つ無い。

 全然読めてなかった。

「縦読みすると……これは財宝の在り処ですか!」

「君島くん。それは横方向に読むものよ」

「普通に返された! ちきしょう、意地でも暗号を見つけてやる」

「君島くん。それはただの宣伝原稿よ」

「知ってますよ! 悪かったですね現実逃避して!」

 翔悟くんなら乗ってくれるのに……いや、冷静に考えて僕が空気を読めてなかったか。竜胆先輩に要求するものではなかった。

「これ、読めてませんよね」

「仕方ないでしょ。あなたたちが悪いのよ。私をイラつかせるから」

「我慢してくださいよ! 選挙でしょこれ!」

 パワーボムはともかく、何をどうしたらこの原稿から「投票しなさい」なんて言葉が飛び出てくるんだ。

「無理よ。私、そういうの許せない性質なの」

「先輩、気持ちは分かりますが、これは選挙ですよ。そのくらい我慢しないと本当に票が集まりませんよ」

「それは……分かってるわよ」

 少しは反省しているのか、表情に影を落とした。自覚はあるらしい。何か説教の一つでも垂れてやろうかと思ったが、意外にもしおらしくなった先輩に対して何も言えなくなった。

 とは言え、だ。

 このまま何もせずに宣伝日を迎えたところで、前回の二の舞になること間違いなしだろう。気持ちだけでは何も出来ない。やはり、行動に移さねば。

「はぁ……分かりました。僕が協力しましょう」

「協力、って言っても、どうするのよ」

「練習ですよ。先輩は全力で原稿を読み上げることだけに専念してください。僕は先輩の目の前で話を聞いている役、と言っても、先輩が我慢出来ないような失礼な態度を取りながら聞いてますから」

「つまり、私が我慢をしろと、そういうことね?」

「そうです。あと、出来るだけ愛想は良い感じで。……っと、いや、最初は無感情でも良いですから、とにかく原稿通りに読み上げてください」

「分かったわ」

 さて、どうしたものか。失礼な態度と言えばまず、人の話を聞かずに何かに没頭していることだろうか。僕のクラスでも弁当を食べていて注意された生徒がいたことを思い出す。あんな感じに、先輩の目の前で何かに没頭すればいい。

「私は、二等生の竜胆あかりです――」

 始まった。

 僕は二本の棒針と毛糸を取り出し、途中まで編んでいた毛糸のぱんつを編み始めた。初めての挑戦だが、これが中々難しい。ネットで調べてちまちまと進めているが、今年のクリスマスには間に合いそうにない。しかし、作るものが作るものなので母親に聞くわけにもいかない。独学で始めるにしては難易度の高い作り物だ。

 えっと、ここはどうするんだっけ。やばい、編み図を持って来ていないから全く分からない。あっ、なんだか良く分からない絡まり方をしたぞ。どうやって直すんだこれ。

「ああっ、僕のぱんつが! 初めてのぱんつがっ!」

 多少なりとも形になっていた編み物が、一気にアフロみたくごちゃごちゃに丸まっていく。なんて無残な姿。僕の力が足りなかったばかりに、また一つのぱんつが誕生を先延ばしにされてしまった。こんな、こんなことって……!

「――厳密化を図り……」

「ごめん、ごめんよ。僕が身の程を弁えていたなら、君はこんなことには……。無力だ、僕はなんて無力なんだっ。ぱんつ一つも作れないようで、何がぱんつラヴァーだ。くそっ、くそう!」

「――よって、私が今回審判員になって成し遂げたいことは……」

「ああ、慈悲深きぱんつの神よ。僕を許したまへ……この、罪深き僕を――」

「断罪してあげるわ」

 真剣が振り下ろされたかのような一閃が目の前に走った。二本の棒針は何故か四本になり、アフロは真っ二つになった。足元を見ると、先輩の踵が芝生にめり込んでいた。え、踵落とし? ぱんつ見えなかったよ?

「君島くんのことは私が覚えておいてあげる。だから……安心して逝って」

「感動の最終回みたいなこと言ってごまかさないでください!」

「パンツのことはお断りするわ。焼いて捨てれば?」

「なんてことを!」

 ぱんつが焼かれるくらいなら僕が火の中に飛び込むわ!

「……先輩、我慢してくださいって言ったじゃないですか。どんな相手がいても動じない心を手に入れないと、宣伝は厳しいですよ」

「君島くん。あなたの言うことは正しいけど、教室で毛糸のパンツを編んでいる生徒なんてどうやってもいないわ。そんな生徒がいたら抹殺する権利を与えられてもおかしくないと思うのだけど」

「先輩、安易に抹殺なんて言葉を使うから威圧的になるんです。もっと柔らかい言い方は無いんですか?」

「ぶち殺す権利を与えられてもおかしくないと思うのだけれど」

「生々しい表現になりましたね!」

「成るほど、中々優しい感じになったかもしれないわね」

「どこが!?」

「言葉一つでこんなにイメージが変わるのね。勉強になるわ」

「間違った方向に学習してませんか」

「さっきから文句ばかりね。じゃあ何ならいいのよ。言ってみなさい」

「えっ、うーん。そう言われると……ぷ、プチ殺すとか?」

 やべっ。明らかに滑った。

「成るほど。右腕一本くらいで済ませるということね。頭良いわね君島くん」

「そんな! 今のは冷たい目で見て欲しかった!」

「え……M、なの?」

「そんな冷たい目で見ないで!」

 恥ずかしいっ、でも感じちゃう! 意味分からない。

 と、こんなことをしている場合じゃない。目の前で編み物をしている生徒も許せないようでは、道の先は暗い。しかし、先輩の言うとおりかなり特異な状況であったことも否めないだろう。ここはもう少し一般的に行くべきか。

「先輩、もう一度やりましょう」

「今度ふざけたらあなたが単細胞生物のように分裂するけど構わないわよね?」

「前後からぱんつを同時に眺められると思えば嘘です何でもありません」

 首元に手が伸びてきたので即行で撤回した。

 先輩が原稿を手に読み上げようとしたのと同時に、僕は慣れないヤンキー座りをして言った。

「おいネーチャン、ちょっとぱんつ見せてみいや」

「ふんっ!」

「ぶげらっ!」

 つま先が頬にめり込み、首が変な方向に折れ曲がって視界が揺れたかと思うと、中央の芝生エリアからご退場を促され、アスファルトに肩とか足とか色んな部分を強打した挙句、振り上げた足によって捲れ上がったスカートの中身を見ることすらも叶わなかった。

「先輩! 我慢してくださいよ!」

「今のを我慢しろっていうのはおかしいわ。プチ殺す権利が私にはあったわ」

「プチじゃ済まされませんよ!?」

「頭蓋骨の一つくらい砕けても問題ないでしょう」

「先輩は人体構造を小学生から勉強し直すべきだ!」

「何を言ってるの? 理科だろうが科学だろうが、毎回百点だったわ」

「道徳とか倫理の時間に何か疎外感を覚えたことはありませんか」

「ど、どうしてそれを……!?」

 その素の表情で返すのは新しい先輩を見れたという喜びと同時に恐怖を覚えます。

「私が道徳の時間に手を上げるたびに教室がどうしてか静まり返ったわ。今まで理由は分からなかったのだけど、そう、人間の人体構造を理解出来ていなかったからなのね」

「話の脈絡的に僕が間違ったことは認めますが、その理解の仕方はおかしいです」

「左胸辺りを刺せば心臓に当たると思っていたのだけど、やっぱり少し中央付近なのね。だから私が左胸を刺せば人は死にますって言ったらみんな凍りついたわけか。私の回答が間違っていたから」

「どんな授業の時にその発言をしたんですか!?」

 人の死に方なんて授業でやらなかったよ僕は!

「……とにかく、心を仏のようにして俗世から意識を切り離すんです。原稿を読めばいいんです、ただそれだけのことじゃないですか」

「そうは言うけどね君島くん。あなただって自分の目の前で嫌っていることをされたら我慢なんて出来ないでしょう。例えば、えっと、し、下着をぞんざいに扱われてたりしたら」

「我慢出来るわけないじゃないですか」

「……即答ね」

「最近ぱんつを被って変態ぶってるクソガキが出没してましてね、もしも僕が見つけてしまったら命を取りかねない……」

 アニメなんかでぱんつを頭に被っている主人公を見るたびに殺意が沸く。あれは帽子なんかじゃないし、それを被ることによって自分の変態性を強調しようとしているのが苛立たしい。穿けよ! 穿いて精神を同調しろよ! 

 目の前から冷ややかな視線を感じたので現実に戻ってくると、竜胆先輩がドン引きしていた。でも構いはしない、いいじゃない男の子だもの。

「しかし、そう考えると確かに先輩に無理をさせるのは難しい気がしてきました」

「さらっと流したわね」

「気にしていたら身が持ちませんから」

「変に悟ってる……」

「とりあえず、我慢はするだけして、あとは僕がなんとかサポートしてみます。肉壁くらいにはなるでしょう」

「どういうことよ、それ?」

 不思議そうな顔をして先輩が聞いた。

「先輩の暴力は僕が食い止めるます」

「なっ、べ、別に殴らないわよ! やたら滅多ら殴るのは君島くんくらいだわ!」

「それはそれでなんか理不尽だ!」

「その、勘違いしないでね。君島くんを特別視してるわけじゃないの。ただなんというか、殴り心地が良くて……」

「酷くないですか!?」

「う、嘘はついてないわよ!」

「嘘であって下さいよ!? なんですか殴り心地が良いって。僕は低反発サンドバッグか何かですか!」

「…………それだわ」

「!?」

 突っ込む言葉すら失せた。いや発声はした。何か良く分からない絶望の欠片らしき言葉は出た。先輩にサンドバッグとしか思われていなかったということに対する悲しみと、蹴られる時にぱんつが見えるんじゃないかという期待と、そう思ってしまう自分への誇りが入り混じって「!?」という一語に落ち着いた。

「君島くん。とにかく宣伝の日は頼むわね。私何を言うか分からないから」

「!?」

「……何よ。何も言ってないじゃない」

「!?」

「殴るわよ」

「すいません」

 妙にはまりそうだった。



 



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