第一話
この作品は拙作『正しくあらんとする公爵令嬢が王子に説教をしていたら国を傾けてしまいました』(https://ncode.syosetu.com/n9245kv)と『追放された公爵令嬢が眼鏡をくいっとしたら世界が変わった件』(https://ncode.syosetu.com/n3859kz/)の続きです。こちらの内容を読まなくてもお楽しみ頂けるよう頑張りましたが、ご一読頂けると、より楽しいかもしれません。
春が過ぎ、太陽が本調子になると、薄いピンクの花が咲き始めた。
春の花は日射しに耐えきれず退場し、これからは暑さに強い花の季節になる。
いつもの私たちなら美しい花に心躍らせ、暑い季節への活力を得ていたところだろう。
だけど、今年に限ってはそうも言っていられない事情があった。
私ことセリーヌ・ド・ラヴェルは、わけあって住み慣れた王都を離れ、生まれ故郷のラヴェル公爵領へと下がった。
それから早一年。私は、現公爵であるお父様の補佐をして、日々を忙しく過ごしている。
兄弟姉妹がいない私は、いずれ公爵の位を継いで、この地を治めてゆかねばならないからだ。
しかし、全然足りない。毎日が学びで、たくさん経験を積んでいるけれど、お父様の背中は遠く、豆粒ほどにしか見えない。
周囲の優しいひと達に励まされ、なんとか前を向いているのが現状。
やらなければいけないのは分かっているけれど、なかなか厳しい毎日だった。
そんな初夏のある日。
執務室に届けられた一枚の報告書があった。家令からそれを受け取り、目を通したお父様の顔が、厳しく歪む。
これは、まずいことが起きたな。
お父様が表情を変えることはあまりない。みだりに表情を変え、声を荒げることは貴族、ましてや公爵のやることではないと常々言っている。
そんなお父様があんな風になるのだから相当なのだろう。
お父様が家令に報告書を渡し、それが私の侍女に渡り、私へ。
「え……」
最初の一枚目で、唖然とした。
一粒の麦が起こしたそよ風は、やがて大きな台風となって私を飲み込んでいくのであった――。
◇ ◇ ◇
「……こうなるから、最後まで蔵を開けてはならんのだ」
お父様がいらついた声を上げ、長いため息をついた。
でも、本当にその通りだから、私も頷いてしまった。教本に載せたいくらいにひどい話だった。
思い返せばそれは、三ヶ月ほど前。
全国的に、麦の相場がおかしなことになっていると報告を受けた。
確認すると、いつもよりは高くなっていることが分かった。
でも、もう少しすれば春を迎えるお祭りがある。炊き出しの材料確保のため、一時的に需要が高まったのだろう。
一応、領内の民には布告を出した。必要分まで売りすぎないようにと注意喚起を行った。
それからひと月が経ち、お祭りが終わってもやはり、麦の相場は留まらなかった。
上がってきた報告によると、麦一袋につき、銀貨五枚。
目を疑ってしまった。いつもの逆になっている。いつもは、銀貨一枚で麦が五袋だ。
さすがにおかしい。
調査をしようと具体的に考えていたところに、農業に関わっている文官から報告が上がってきた。
今年の麦は、不作。それもかなり悪い方だと。
予兆はあったらしい。
でも、多くの民は深く考えなかった。
麦の成長が少々悪いのは事実。でもそれは自分の畑、あるいはその地域だけの話だと軽く考えていた。
なにせ、外国から来た商人が予備の麦まで高く買い取ってくれたから、お金はたんまりとある。
いざ不作になったとしても、このお金で隣町まで買いに行けばいいのだ。
誰もがそう考え、のんびりと構えていた。
だが、私たちは違う。領地全体を見て、どの地方からも不作の気配を感じ取り、慌てて早馬を飛ばした。
全国的に不作の兆しあり。みだりに麦の売却を禁止する。
命令を出したけれど、もう遅かった。
麦は、不作どころか、凶作となった。
しかし、それでも人々はあまり動じなかった。なぜなら彼らの手元には金貨があったから。
金貨の重さを心強さと勘違いし、麦を求めて隣町へと足を運ぶ。
そして、呆然とした。だからどこにもないと言ったのに。
麦が、どこにもない。
彼らは軽く考えていた。本当に、全国的に凶作だなんて思いもしなかった。
この国の民は、金貨に踊らされ、明日の麦を失ってしまった。金貨はいくらあってもお腹は膨れない。
私たちは即刻、蔵を開いた。各地の領主にも指示をして、民に麦を分け与えさせた。
しかし、それも長くは持たない。どうにかして、麦を確保しなければならなかった。
王家に頼る必要がある。
代わりに差し出すものが必要となるけれど、支援を求めなければいけない。
そう、思っていたところにこれだった。
報告書には、全国の様子が記されている。
一枚目には王都の情報。ここも同じく凶作に見舞われていた。
どこにも売っていない。お金はあれど、麦がないのだから、パンを作れるはずがない。
「王国の貯蔵庫を、開いた……?」
眼鏡越しに目を細めてしまう。
それは、民のために分け与えたのではない。その前の段階だ。王太子殿下の進言で、多量の金貨に替えたのだと言う。
飢える民に、配るパンがない。
王宮では慌てふためき買い戻そうとするが、麦を高く買ってくれた外国の商人はきれいさっぱり姿を消していた。
国内の商人も、在庫をほぼ全て外国の商人に流している。
この後はどうなるか、簡単に予想がつく。
麦の売却を提言した殿下は大変だろうなと思った。
ここからどう盛り返すか。周囲の目は厳しいはず。
ルシアン王太子殿下。
助けになる配下はいるのだろうか。近くに相談できる者はいるのだろうか。
などと、いまだそんな事を考えていることに驚き、深くため息をつく。
そうだった。
私はもう、殿下のためにできることは、何ひとつないのだ。
じくり、と胸の奥が痛む。
幼い頃に引き合わされ、婚約を結んだ私たちは、いつしか心を通わせることを忘れてしまった。
学園を卒業し、私が悪役令嬢として王都から追放されることで、ただの他人同士に戻ったのだ。
眼鏡をくいと押し上げる。
私は、できることをするのみだと改めて決意した。
◇ ◇ ◇
大扉が開かれて、謁見の間から光があふれ出す。私は、目を細めながら少し混乱してしまった。
こんなことをやっている場合ではないのでは?
私たちは領民を助けるために手を尽くしている。そんなさなかに呼び出して、こんなものを見せつけるなんて……。
無数の炎が、謁見の間を昼間のように照らし出している。
長い机が奥に向かって連なり、その上に並べられたものは全てが高級品。
華美な装飾の器と、山海の珍味。公爵家に生まれた私でさえ、見たことも聞いたこともない食材があった。
楽団が音楽を奏で、雰囲気を盛り上げる。
それはまるで、おとぎ話の世界に足を踏み入れてしまったよう。
だからこそ、戸惑い、信じられない思いだった。
王都に入ってから見た光景と、このきらびやかな世界。どちらが本当なのだろうか、と。
道端に座り込んだまま動かない人がいた。
力尽き、横たわる人がいた。
食べ物を乞い、道端で得体のしれないものを食べ、吐いている人がいた。
美食に舌鼓を打ち、華やかな言葉を使って偽りの気持ちを述べるこの世界と、食べ物ひとつ手に入らず、倒れてゆくあの場所が地続きだなんて信じられなかった。
「夢の世界に生きておる」
お父様がふんと鼻を鳴らす。ルシアン殿下は派手な生活を好み、王太子として相応しい物に囲まれる生活を好むらしい。
国の倉庫を開くことを提案したのも、ご自身が贅沢な生活を続けるためのお金を欲したからだとか。
お父様のご機嫌伺いにきた方々がそう、口を揃えて嘆いていた。
そして皆が同情的な目で、遠慮がちに私へと声をかける。
遠巻きに私を見つめる目を合わせて考えると、どうやら悪役令嬢としての悪評は、薄まっているようだった。
いつもは荘厳な謁見の間が、これほど華美に飾り立てられているのは、本日の国を挙げての行事のため。
それが、ルシアン・ド・ヴァロア王太子殿下と、イサベル・モンターニュの結婚式。
ふたりは学園で運命的に出逢い、ひと目で恋に落ちた。
時には激しい風雨が吹き荒れた。
しかし、ふたりは芽生えた愛を大事に、ここまで守り育ててきたのだ。
そして今日、ふたりは結ばれる。
王太子殿下の結婚なのだから、多少は派手でもそこは理解できる。国中が暗い雰囲気に包まれている中、少しでも明るい話題を届けたいという気持ちもあるだろう。
ぜひにと招いておきながら、嫌味のような馴れ初めを聞かされても私は、我慢した。
でもこの披露宴。これは駄目だ。
これで、彼らはただ単に自分たちを派手に祝いたいだけで、国や民のことなどひとつも考えていないことを明かしてしまった。
まぁ、隠すつもりなんてないだろうけれど。
激しい風雨と揶揄された私なんかはそう思うわけで。
「――皆様、お待たせいたしました」
進行役の声でざわめきがすっと収まり、視線が奥へと集まった。
ゆっくりとした音楽とともに、ルシアン殿下とイサベル王太子妃が姿を現す。
その、真紅のドレスは蝋燭の火を受けて妖しくきらめき、その上には大小数え切れないほどの宝石が夜空の星々のようにきらめいていた。
ルシアン殿下も負けず劣らず、目が眩みそうな儀礼用の装束に身を包み、堂々とした佇まいだ。
殿下が何かを囁くと、イサベルはうつむき、はにかむ。その笑顔は純朴で、とても可憐だった。私も思わずため息が出てしまう。
だからこそ、その、裏側を考えずにはいられない。
二年前のことを。
彼女は私に、自身のことを隣国の工作員だと告げた。
彼女は私が邪魔だったらしい。
だから学園での三年間を使って殿下の心を盗み、私の名声を地に落としたのだ。
彼女は、工作員と言うだけあって見事なものだった。
ルシアン殿下を始めとして学友たちは皆、彼女の味方となり、いつしか私は、彼女を虐げる悪役令嬢となった。
そして学園を卒業する日。私は、婚約者であったルシアン殿下から婚約を破棄された。命令ではないが、王都から離れることも望まれた。
失意の帰り道で、私を追いかけてきた彼女が全てを明かしたのだ。
彼女の言葉について、真偽を確かめようはないし、例え告発したとしても誰が悪役令嬢の話を聞くものか。
だから、安心して私に教えたのだろう。あの時の勝ち誇った笑みは今でも忘れない。
私は打ちのめされ、すごすごとラヴェル領へと下がることしかできなかった。
その時のことを思い出すと、未だに身震いがする。
今回は王家直々の招待だから出席したけれど、輝くふたりを見ると、胸が痛くなる。
なのに、イサベルはあの時と同じく純朴な田舎娘を装い、ずかずかと人の領域に踏み込んできて、満面の笑顔を見せる。
「セリーヌ様、来てくださってありがとうございます。とても嬉しいです」
それはあたかも旧交を温めるかのように。
かつて、あれだけ“ひどい扱い”をしたセリーヌに対しても、彼女は穏やかな笑みを向けるのだと、周囲へ知らしめるために。
「……このたびは、おめでとうございます」
すっと足を引き、頭を下げる。
この国の状況は厳しい。
すぐにでも、領地に帰らなければならないと思った。




