第5章 『大蛇』ヤマタ(1)
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聖歴166年9月上旬――。
舞台はダイワコクへと戻る。
チュリと、ユーフェリアはヒイの街にいた。
山岳地帯の中、山肌に張り付くように巡らされたこの街には、温泉がある。
海岸線からはやや距離があるため、渡来してくる他国人たちはあまり訪れることのないこの街だが、ダイワコク内では知る人ぞ知る温泉郷であった。
山肌にはいくつもの旅籠が門を構えており、国中から集まってくる旅行客で賑わっている。
「ぷはぁ~。やっぱ、温泉はサイコーだねぇ」
「本当に気持ちいいですね。チュリ姐、見てください、まるで雲の上に浮かんでるみたいですよ?」
二人はいわゆる露天風呂に浸かっている。
この旅籠の露天風呂は、断崖に突き出すような形で設置されているため、湯船の向こうには本来は山並みが広がっているはずなのだが、今日は天気の加減で雲海が広がっていた。
「ちょっと宿代が張ったけど、この街一番って聞けば泊まらないわけにはいかないよねぇ~。この宿にしてよかったね、ユフィ」
「ですねぇ~。たぶん次に来るのはだいぶんと向こうになるでしょうから、泊っておいて正解ですよ」
ちなみに、チュリとユフィの資金元であるが、決して冒険者ギルドではない。
では誰か?
皆様はお忘れではないだろうか、チュリには心強い「パトロン」がいることを。
「でも、いいんですか? こんなに高い宿に泊まっちゃって?」
「ん? いいのいいの、先方にはここのお土産を届けるように手配しておいたから。あとは行った時にお話をすればいいだけ。そういう約束だからね~」
「その方、いったいどんな方なんですか? まさか、チュリ姐の『イイヒト』じゃないでしょうね?」
「ぶわ! な、なんだよ、『イイヒト』って!? そんな言葉、いつの間に覚えたんだい、ユフィは?」
「え? こういう使い方で合ってますよね? つまり――」
「あーーー! ないないない! それ以上は言わないでいいから!」
「あれ? 違うんですか?」
「ち、違います! ウチはアル一筋だからね!」
「ふうん、アルさんってそんなに男前でしょうか?」
「お、「男前」?? ったく、ダイワコクの冒険者どもめ、たった二カ月の間にユフィに世俗的な言葉ばかり教えやがって――。いいの! アルはアレで充分なの!」
「よくわかりませんね――」
「分からなくていいです! ユフィにもそのうちわかるよ!」
「そんなものですか?」
「そんなものなの!」
などと他愛もない会話をしているが、いつの間にか「パトロン」の話がどこかへ消えそうなので、忘れないうちに説明しておく。
答えは、ベイリス王国の豪商、オルトマン商会会頭リカルド・オルトマンである。
彼は、チュリがダイワコクで修行に入ったと聞き及んで、ならばと、経済的な支援を申し出た。つまり、チュリが必要だと思うならどこでもオルトマン商会の名で金策できるように手配してくれたのである。
とはいえ、ダイワコクのヤマトにいるときは、修行の傍ら、ギルドのクエストも行っていたし、ギルド宿舎があるため宿代の必要もなかったから、それほどお金を使うこともなかったため、これまでにオルトマン商会の名を使ったことはなかった。
まあ、折角だから、ここらでちょっとお世話になっておこうと思っただけである。
いずれにしても、ベイリールへ到着後はソードウェーブまでの船便を願い出るつもりでいたのだ。オルトマンには一度は会わなければならない。
それに、そう申し出てもらっておきながら、一度も利用しませんでしたってのも、礼を失するとも思う。ここは甘えておく方がよいところだと、チュリは考えたのだった。
「でも、未だにお金って――。人族世界はいろいろと面倒なものですね?」
「ユフィの世界にはお金はないの?」
「お金、というものはすでに太古の昔に消滅したと聞いています。そもそも、誰かと何かを交換したりするという文化すらありませんからね」
「――それの方が、よくわからないけどな……」
まったくだ。
精霊族の世界の文明の進歩はこの世界の何千年も先を行っているらしい。チュリのような食うや食わずの生活をしていたものから見れば、とても想像できる代物ではないだろう。
「ユフィはさ、お母さんとか、いないんだよね?」
「そうですね。でも、養父は優しい方でした。私を本当に大切に育ててくださいました。最後の最後、養父が活動停止を迎える前に、少しお話をしたんです。この世界ではない別の世界から、面白き人たちが尋ねてきた。お前にはその世界を見てほしい。われらが失った大事なものを、お前はそこで見つけるのだよ――と。それが私が養父から託された使命なんです」
「リュシュリオンさんは、優しそうな人だったね。それに、温かい人だった。ウチらのことを本当に親身になって受け入れてくれたんだ。これで、あの魔族どもと戦えるって希望を貰った。だから、頑張らないとって思うんだ」
「私はこの世界に来て、養父が見てほしいといった意味がわかるような気がします。確かにいろいろと面倒で、埃まみれで、騒々《そうぞう》しい世界ですが、私たちの世界にはないものがあると感じます。それが何なのか、たぶん、それこそが養父が見つけろと言ったものだと思うのです」
「――じゃあ、ユフィも頑張らないと、だね」
「はい! 私も頑張ります! チュリ姐には負けませんよ!」
露天風呂でのそんな一幕だった。




