第17話 始まりの地
始まりの地は、世界の果てにあった。
七日間、俺たちは旅を続けた。道中、各地で解き放たれた厄災と幾度も遭遇したが、そのたびに、羅睺の業火が、ヴァナの牙が、フレアの炎が、それを鎮めた。苦しみのまま暴れる同胞たちを、せめて安らかに送りながら、俺たちは進んだ。
そして、七日目の朝。
俺たちは、ついに、それを目にした。
世界の中心。大地が大きく抉れ、その底に、古代の遺跡が広がっていた。円形に並んだ、巨大な石柱。中央には、天を衝くような、巨大な祭壇。そのすべてに、見覚えのある呪――梵字に似た文字が、びっしりと刻まれ、禍々しく輝いていた。
そして、空を見上げると――。
世界中の綻びを繋いだ、巨大な円が、頭上に浮かんでいた。赤い光の輪。それが、ゆっくりと、閉じようとしている。あと、わずか。あの円が完全に閉じれば、封印陣が起動し、世界は終わる。
「……間に合った、のか」
「ええ。でも、ぎりぎりですわ」エルザが、闇御目を凝らした。「円が閉じるまで、あと、半日もありません。それまでに、アルカを止めなければ……!」
その時。
祭壇の上に、ゆらりと、黒衣の存在が現れた。
アルカ。世界の秩序の化身。俺の、もう一人の半身。
『……来たか、ミスト』アルカの声が、遺跡に響いた。『来てしまったか。来なければ、君だけは、最後まで、安らかでいられたものを』
※
「アルカ!」俺は、叫んだ。「やめろ! 世界を、終わらせるな!」
『止められるものなら、止めてみるといい』アルカは、静かに、両腕を広げた。『だが――ここまでだ。この始まりの地には、私が解き放った"綻び"が、すべて集っている。それらが、君を、阻むだろう』
その言葉と同時に、遺跡の各所から、無数の影が、湧き上がった。
解き放たれ、苦しみのまま、アルカに使役された厄災たち。溶け崩れた者、歪んだ者、暴れ狂う者。それらが、おびただしい数で、俺たちに襲いかかってきた。
「……数が、多すぎる」
見渡す限りの、厄災の群れ。これを突破しなければ、祭壇のアルカには、辿り着けない。
『縁の子』羅睺が、前に出た。『ここは、我らに任せよ』
「羅睺……!」
『お前は、アルカのもとへ。世界の秩序と決着をつけられるのは、その半身たる、お前だけだ』羅睺が、振り返り、笑った。『道は、我らが、切り拓く。――行け、縁の子!』
※
そこからは、総力戦だった。
羅睺が、忿怒の相を纏い、業火を撒き散らした。四本の腕が、炎の刃を振るうたびに、厄災の群れが、薙ぎ払われていく。
『来い! 我が同胞たちよ! せめて、この我が、お前たちを、安らかに送ってやろう!』
ヴァナが、巨狼の姿で、駆けた。家屋ほどの巨躯が、厄災の群れの中を疾走し、その牙が、爪が、次々と敵を切り裂いていく。
『邪魔をするな! 我が縁の子の、行く手を阻むこと、許さぬ!』
フレアが、空を舞った。カルラの金色の炎を纏い、火焔の鳥のように、厄災たちを焼き払っていく。
「あたしは、もう、出来損ないじゃない! みんなを守れる、炎だもん!」
エルザが、闇御目の力で、戦場のすべてを見通した。
「右から三体、来ますわ! ヴァナ、伏せて! フレア、頭上! 羅睺、左の塊が、核ですわ!」
万の目が、戦場を支配する。誰がどこから来るか、どこを討てば終わるか――エルザの導きが、仲間たちの動きを、完璧に噛み合わせた。
四体が、一つになって、戦っていた。
封じられ、忘れられ、捨てられた者たち。勝手に決められた価値を覆し合った、仲間たち。その絆が、今、世界の終わりに、抗っていた。
「みんな……!」
俺は、その姿に、胸が熱くなった。そして、駆け出した。仲間が切り拓いた道を。祭壇の、アルカのもとへ。
「ありがとう……! 後は、任せろ!」
※
祭壇への階段を、俺は駆け上がった。
背後で、仲間たちの戦う声が、響いている。羅睺の哄笑。ヴァナの咆哮。フレアの気合。エルザの指示。その一つひとつが、俺の背中を、押してくれる。
そして、俺は、祭壇の頂に、辿り着いた。
アルカが、静かに、俺を待っていた。
『……よく、ここまで来たね、ミスト』
「アルカ」俺は、息を整えた。「もう一度、言う。やめろ。世界を、終わらせるな」
『何度でも、答えよう。――できない』アルカは、首を振った。『この世界は、もう、限界だ。歪み、綻び、苦しみに満ちている。終わらせることが、唯一の、慈悲なのだ』
「違う」
俺は、首を振った。
「世界は、苦しみだけじゃない。確かに、理不尽もある。歪みもある。でも――その中でも、人は、生きてる。封じられた連中だって、もう一度、居場所を見つけて、生きようとしてる。それを、お前が、勝手に終わらせる権利は、ない」
『権利、か』アルカが、自嘲した。『私は、世界の秩序そのものだ。世界を律することこそ、私の役目。その私が、世界を終わらせると決めた。これ以上の、権利が、どこにある』
「役目なんて、知るか」
俺は、まっすぐ、アルカを見据えた。
「お前は、世界の秩序かもしれない。でも、お前だって――独りだったんだろ。封じる力として生まれて、ずっと、世界を律することだけを、背負わされて。誰にも、寄り添われることなく」
アルカの、フードの奥の虚無が、わずかに、揺れた。
「お前は、世界に絶望した。だから、終わらせようとしてる。でも、それは――お前自身が、救われたかったからじゃないのか」
『……黙れ』
初めて、アルカの声が、震えた。
「俺には、分かる。お前は、俺の半身だからだ」俺は、静かに言った。「お前の孤独も、絶望も、痛いほど、分かる。だから――俺は、お前を、倒すんじゃない。お前を、救いたい」
※
『……黙れ、と言っている!』
アルカが、咆哮した。
その瞬間、祭壇全体が、震えた。アルカの体から、凄まじい力が、溢れ出す。封じる力。世界の秩序そのもの。それが、純粋な圧力となって、俺を襲った。
「ぐ……っ!」
膝が、折れそうになる。空気が、重い。封印の呪が、俺の体を、押し潰そうとする。さすが、世界の秩序の化身。羅睺やヴァナが手も足も出なかった力が、今、俺一人に、向けられている。
『救う、だと? 笑わせるな!』アルカが、叫んだ。『私は、世界の秩序だ! 救われる必要など、ない! 私は、ただ、役目を、果たすだけだ! 世界を、終わらせ、すべてを、無に還す! それが、私の、存在意義なのだ!』
アルカの力が、さらに膨れ上がる。
俺は、押し潰されそうになりながら、必死で、立っていた。だが――このままでは、勝てない。アルカの力は、あまりに、大きすぎる。
(まだ、足りない……。アルカに対抗するには、俺の力が、まだ、目覚めきってない……!)
俺の中の、封じる力と、解き放つ力。それは、まだ、眠ったままだった。俺は、自分の力の、本当の使い方を、知らない。
そして――影の中の、イア。あの、最古の混沌。あれを、本当に、使いこなせれば。だが、俺は、まだ、あれの名すら――。
その時。
「ミスト――――!」
背後から、仲間たちの声が、響いた。
厄災の群れを、ほぼ片付けた羅睺、ヴァナ、フレア、エルザが、祭壇の下に、駆けつけていた。
「ミスト! 諦めないで!」フレアが、叫んだ。
「あなたなら、できますわ! あなたは、独りじゃ、ありませんもの!」エルザが、叫んだ。
『縁の子! お前の、本当の力を、思い出せ!』羅睺が、叫んだ。
『お前は、我らに、居場所をくれた! 今度は、我らが、お前を、支える番だ!』ヴァナが、咆哮した。
その声が――俺の中の、何かを、揺さぶった。
封じられ、忘れられ、捨てられた者たちの、声。俺が、居場所を与え、そして、俺に、居場所をくれた者たちの、声。
その絆が、俺の奥底で眠る、何かに、火を灯した。
俺の足元の影が、ぞわりと、蠢いた。
「……そうだ」俺は、呟いた。「俺は、独りじゃない。だから――思い出せる。お前の、名前を」
影の中の、最古の混沌が、応えるように、揺れた。
その名が、喉まで、出かかっていた。
決戦は、まだ、終わらない。
俺の、本当の力が――今、目覚めようとしていた。




