第1話 安物の触媒
「ミスト、お前はもうこのパーティに要らない」
勇者アレクのその一言を、俺はダンジョンの最深部で聞いた。
松明の火が、湿った石壁にゆらゆらと影を落としている。背後には討伐したばかりの魔物の死骸。本来なら勝利の余韻に浸る場面で、リーダーは俺に追放を告げた。
「召喚士のくせに、出てくるのは毎回ゴブリン以下の雑魚ばかり。荷物持ちにもなりゃしねえ。なあ、みんなもそう思うだろ?」
仲間たちは目をそらした。誰も庇わない。その中に、幼馴染の聖女ミラもいた。
「ミラ」
名を呼ぶと、彼女は一瞬だけこちらを見て、すぐに俯いた。
「……ごめんね、ミスト。でも、アレクの言う通りだと思う。あなたといても、私たち、先に進めないから」
ああ、と思った。怒りよりも先に、妙に乾いた納得が胸に落ちてくる。幼い頃、一緒に冒険者になろうと約束した相手の口から出たにしては、ずいぶん軽い言葉だった。けれど不思議と、未練は湧かなかった。
たぶん俺は、とっくに諦めていたのだ。このパーティに、自分の居場所があるなんてことを。
「分かった。出ていくよ」
「物分かりが良くて助かるぜ」アレクが鼻で笑う。「ああ、報酬は要らねえよな? お前、大して働いてねえし」
そうして俺は、ろくな路銀も持たされないまま、パーティを抜けた。
ダンジョンの外に出ると、夕暮れだった。茜色の空を見上げながら、俺はぼんやりと考える。
——本当に、俺の召喚はそんなに無能なんだろうか。
召喚士のスキルは、呼び出す存在の格がそのまま召喚士の格とされる。強い存在を呼べる者ほど評価される。だから雑魚しか呼べない俺は、ずっと「ハズレ召喚士」と蔑まれてきた。
けれど——心当たりが、ないわけじゃなかった。
召喚には触媒が要る。魔石や供物の質が、呼び出せる存在の質を左右する。そして俺がパーティで渡されていたのは、いつだって市場で一番安い、ひび割れた粗悪な魔石ばかりだった。
「良い触媒を使えば、何が呼べるんだろうな」
誰にともなく呟いて、俺は歩き出した。行く当てはない。ただ、中央から見捨てられた辺境の方角へ、足が向いていた。あそこなら、無能の召喚士でも食い扶持くらいは見つかるかもしれない。
そう思っていた。
——その辺境で、「呼んではいけないもの」に出会うなんて、知りもしないで。
※
辺境にたどり着くまで、三日かかった。
道中の小銭仕事でなんとか食いつなぎ、たどり着いたのは、地図の端にあるような寂れた町だった。だがその近くに、妙な遺跡があると聞いた。
「やめときな、兄ちゃん」宿の主人が顔をしかめた。「あそこは"呼んじゃいけない"祭壇があるって、昔から言い伝えられてる。封印された化け物が眠ってるってな。近づいた奴は、何人も帰ってこねえ」
普通の人間なら、引き返す話だ。
だが俺は、召喚士だった。「封印」「祭壇」——その単語に、抑えきれない好奇心が疼いた。封印されているということは、そこに"呼べる何か"がいるということだ。それも、町の人間が代々恐れるほどの格の存在が。
俺は翌朝、こっそり遺跡に向かった。
苔むした石段を下りた先、地下の最奥に、それはあった。
黒い石でできた祭壇。中央に、古びた数珠のようなものが安置されている。玉の一つひとつに、見たこともない文字——梵字のような、異国の呪が刻まれていた。西洋風のこの世界には、ありえない意匠だった。
近づくと、頭の奥で声がした気がした。
『……呼ぶか』
低い、面白がるような声。気のせいだと思った。
俺はその場にしゃがみ、懐から取り出した触媒を握りしめた。道中の稼ぎを全部はたいて、一つだけ買った上等な魔石だ。今まで一度も、まともな触媒で召喚したことがなかった。
「……試してやる」
魔石を祭壇に捧げ、俺は召喚の詠唱を唱えた。
いつもなら、安物の魔石は詠唱の途中で熱を持ち、ぱきりと割れて、せいぜいゴブリン一匹を吐き出して終わる。
だが今回は、違った。
魔石は割れなかった。代わりに、祭壇の数珠が一斉に光を放ち、地下空間が震えた。刻まれた梵字が宙に浮かび、渦を巻く。
『ほう』
声が、今度ははっきりと響いた。
光の中から、影が立ち上がる。背丈は俺の二倍。肌は夜空のような濃紺。額に第三の目を持ち、口元には牙。背には、燃えるような赤い光輪。腕は四本あり、それぞれが何かを掴むように虚空をなぞった。
人ではない。魔物でもない。この世界の理から外れた、まったく別の系統の存在。
それが、俺を見下ろして——笑った。
『何百年ぶりだろうな、我を"呼べた"者は』
「……お前は」
『羅睺、とでも呼ぶがいい。かつて人を喰らい、日月を喰らい、そうして封じられた夜叉よ』
俺は、息をするのも忘れて、そいつを見上げていた。
呼べた。封印されていた、町の人間が代々恐れた存在を、俺は本当に呼び出してしまった。
『面白い。安物の供物しか持たぬくせに、その器だけは本物だ』羅睺はゆっくりと俺の周りを歩いた。観察するように。『お前、自分が何者か、分かっておらぬな』
「……どういう、意味だ」
『お前の召喚は、格を選ばぬ。禁忌とされた我のような存在すら、引きずり出せる。——そんな召喚士は、千年に一人いるかどうかよ』
笑いを含んだその声が、地下に反響する。
『気に入った。これも縁か。しばし、お前についていってやろう。縁の子よ』
夕暮れに追放された俺が、辺境の闇の中で、最初の"呼んではいけないもの"を手に入れた瞬間だった。
——あいつらが俺を無能と笑ったことを、いずれ心の底から後悔させてやる。
そんな大それた気持ちは、まだ無かった。
ただ、初めて。
自分のスキルが、「無能」じゃないかもしれないと——そう思えた。




