小西行長に転生した件
1568年、永禄11年 織田信長が足利義昭を擁立して上洛した年、僕は元服した。
家は堺で薬種商を営んでいる。薬種というのは香辛料や漢方薬などであるが、清(中国)の絹織り物やヨーロッパのガラスや、最近では火薬の取り扱いも始めた。
父は堺の会合衆の一人である。会合衆というのは堺の自治会のようなもので、堺の豪商が構成員を勤める。これによって堺はどの戦国大名にも属することなく自治を行っていた。
永禄十一年――織田信長が足利義昭を奉じて上洛した年、僕は元服した。
名を小西行長という。もっとも、十日もすれば備前の豪商・魚屋九郎右衛門の家に入る身だ。向こうへ行けば「魚屋行長」と呼ばれるのだろう。
我が家は堺で薬種商を営んでいる。薬種といっても扱う品は幅広い。南蛮渡りの香辛料に清国の絹、ヨーロッパのガラス器、最近では火薬まで商いの品目に加わった。
父は堺の会合衆の一人で、堺の自治を支える豪商の一角だ。どの大名にも属さず、己らの力で町を守る――それが堺の誇りである。
「今日からお前は小西行長や。まあ、魚屋はんの家を継いだら“魚屋行長”になるんやけどな」
父はいつものようににこにこと笑い、私の肩を叩いた。
「向こうには洗礼名持っとる商人なんかおらへん。気ぃ楽にやりぃ」
堺の商人はキリシタンが多い。南蛮人との取引では、まず洗礼名を名乗ると話が早いのだ。
私の洗礼名はアウグスティヌス。十歳のとき、宣教師ガスパル様に名付けてもらった。
「サカイにキテ、ハジメテの名付けデース」
ガスパル様はそう言って笑った。堺南蛮寺に住む彼は、父の商人仲間の“ジャックおじさん”の家を改装してそこを拠点にしている。
だが、私は信仰に深い思い入れはない。
――前世の記憶があるからだ。
前世といっても二十一世紀の記憶で、どういう理屈かはわからない。
太平洋の沖で釣りをしていたとき、空から月が落ちてきたのが最後の記憶だった。
そしてこの世界でも、私が生まれた年に“月が落ちた”らしい。
そのせいか、この世界は前世とは少し違う。
空には大小さまざまな“浮かぶ石”が漂い、人々はそれを月の欠片と呼ぶ。
犬や猫は四、五年もすれば二本足で歩き、言葉を話す。獣人と呼ばれ、堺では衛兵として訓練された部隊まである。
海の魚は妙に大きく、網を食い破る化け物じみたものもいるらしい。だから堺では干物が主流で、ほとんどが備前産だ。
――備前は、どんな海なのだろう。
十日後には、私はその地へ向かう。
胸の奥が、不思議な期待でざわめいていた。




