第29話 闇を纏いて王現る
(3rd person)
――リオネーラは、服が破れて曝け出された肩口に当たった冷たい感触と、両腕に走った突き刺さるような鋭い痛みに意識を覚醒させる。
ゆっくりと瞼を持ち上げ先には、暗い森が広がっていた。
時間の程はまだ遅くないが、空に広がる黒い雲の所為で辺りが暗いのだ。
ただ、あちらこちらに松明が置かれてあるため視界は然程悪くない。
そこまで認識したところで、リオネーラは今の状況に至る前の事を思い出す。
冒険者ギルドで受けた二つの依頼を終わらせ、いざ帰ろうとしたところを盗賊達に襲われた。リオネーラとカレンの二人に対し、盗賊の数はおよそ二〇。そしてそこには盗賊を統率している元第二級冒険者、エリア=スティールンもいた。
二人で切り抜けられるはずがなかった。
リオネーラは薄らと開いた瞼で周りにカレンがいない事を確認し、捉えられたのは自分だけだと仮定する。
ともすれば。
(一体何が目的? カレンさんを逃がし、私だけを捉える理由……)
「つぅっ」
そこまで考えたところで、両腕に感じていた鋭い痛みを思い出す。
視線だけで何が起きているのかを確認してみれば、どうやら左右から短剣で肩を切られているらしい。ツーと血が流れ、手の甲まで到達する。
(ああ……)
新しくできた傷を見て、リオネーラは心の中で呟く。
(傷を、作ってしまった)
――これ以上、無闇に傷を作らないようにしようと決めていたのに。
リオネーラの身体には無数の傷跡が残っている。
子供の頃、気がつけば出来た原因不明の傷だ。
一ヶ月程前まで、これを疎ましく思うことはなかった。
これがあったお陰で、性奴隷としての価値が下がり、今まで買われずに済んだのだから。
そしてそれが積もり積もって、ユウヤ=ヨイナカ……真名ヴァルウロア=ウェスペルに買ってもらえたのだから。
だけど、最近では時々無ければいいのにと思ってしまう事もある。
ユウヤが……主が悲しそうな顔をするから。
奴隷だった自分に優しくしてくれたユウヤ。暖かいシャワーと美味しいご飯を食べさせてくれたユウヤ。上手く術式を演算できない自分に何度も優しく教えてくれたユウヤ。
彼を悲しませる事が、リオネーラは悲しくて仕方なかった。
光属性の術式を覚えるのだって、ユウヤが出来ないなら自分が出来る様になって、彼や自分が怪我した時にそれを治せたらいいと思ったからだ。
でも、光属性の術式の難易度はそう低くなく。
まだ中位を扱える程度にしかなっていなかった。
(ごめんなさい、ユウヤ様)
きっとリオネーラはこれから殺される。
そして、それを知ったユウヤはきっとこの盗賊達を全滅させるだろう。
彼なら、例え元第二級冒険者や数十の盗賊がいたとしても、きっと殺されることはないだろう。
と、リオネーラの耳に声が届く。
「あー、起きたってんですね」
女の声。
ゆっくりと視線を上げたリオネーラは、視界に声の主――エリア=スティールンを収める。
二十代半ばの女だった。
焦げ茶色の髪を後ろで一つにまとめ、バンダナを付けている如何にもな格好。大工が着る作務衣の様な服を身に纏い、腰には先程投擲された短剣より刃渡りが長い二振りの短剣を差している。
「……エリア、スティールン」
「ほう、年上相手に呼び捨てとはいい度胸じゃねーですか。まあいいってんですけど」
手をひらひらと振って適当な感じでそう言うエリア。
「なあエリアの姉貴。本当にコイツこのまま殺しちまうのか?」
「あァん、なんでそんな事聞くってんですか」
「だってよぉ、コイツ、結構な上玉ですぜぇ?」
声を出したのはリオネーラの右隣に立っていた盗賊の男だった。深緑色のジャケットを着る男は、リオネーラの右腕に刺していた短剣の切っ先を引きながら続ける。
「どうせ殺すなら全員で一発ヤってからの方がいいんじゃねえですか?」
「はん、男ってのはこんなガキ相手にも欲情するんですか。ま、盗賊なんてのに身を落とすような奴らですから、なんらおかしくねえ事かもしんねえですけど」
普通なら頭にきそうな発言だったが、エリアの言葉に反発する者の姿は見えない。
それは挑んでも彼女には勝てないと誰もが理解しているからでもあるし、自分たちが所詮盗賊だという事を受け入れているからでもあった。
「まあアタシは別にどっちでも構わねえってんですけどねえ。でも予定ではガイヤが言ってたガキがここにくるんですよね?」
自分に対して向けらてる下卑た情欲の視線や言葉には一切反応しなかったリオネーラが、"ガキ"というワードを聞いてピクリと身じろぎした。
ガキ?
それは、まさか……っ!
「そうだってんですよ」
それに気が付いたエリアはリオネーラを見下ろしながら言う。
「そのガキとやらはアンタのご主人様のことだ」
「――ッ!?」
「アンタをそのガキを釣り上げる餌にするって算段だってんですよ。ガイヤの話によればアンタは奴隷だと聞いてたんですけど、どうやら今は違うようですね」
今はもう、リオネーラ手の甲に奴隷紋は存在しない。
「……まあ運がなかったと思ってくださいな。アタシ逹は別にアンタやその主人様に個人的な恨みがあるわけじゃないけど。恩人の頼まれ事だから断れない」
「……、」
囮。
ユウヤをここに呼び出すための、釣り餌。
カレンだけを逃がしたのは、彼女に自分がどうなったのかをユウヤに伝えさせるためだった事を理解する。
「じゃあ結局ヤラせてはくれないんですか姉貴」
「だからアタシは別にどっちでもいいっていってんでしょーが。ただ、アンタ等がパコパコ腰振ってる間にその標的が来たらどうするんだって話だ。それともなにか? アンタ等は直ぐに果てちまうような早漏さんなんですか?」
いい加減しつこく感じてきたのか、エリアの返答が雑なものになっていく。
男の方もそう言われてしまえば言い返せないらしく、渋々と言った様子で諦める。
そんな間、リオネーラの頭は全く別のことを考えていた。
(恩人? 頼まれ事? つまりこの現状は盗賊逹の本意によるものではない。ガイヤ……こうなるように依頼した依頼主の名前? 聞いたことが無い……)
そんな名前の人と関わり合いになった覚えがないリオネーラは、しかし諦めずに思考回路を働かせる。
それが無意味なことだと分かっていても、考えずにはいられなかった。
(ならユウヤ様の知り合い……? でも、私は殆どの時間をユウヤ様と一緒にいた。思い当たる節は……見当たら……ない……?)
いや。
あった。
思い当たる節どころじゃない、正解へとつながる直通の道を。
「エリア、予定通りあのメスガキは捕まえられたのか?」
暗闇の向こうから声が聞こえてくる。
それはリオネーラの記憶からは既に抜け落ちそうになっていて、しかし確実に聞いたことのある声だった。
「……やっぱり」
「あァ? ……よぉメスガキ。あの時はよくもやってくれたなァ」
ほとんど八つ当たりの言葉を吐き散らしながら暗闇から出てきたのは、いつしかの酔っ払い冒険者の姿だった。
リオネーラは無表情に怒気を加えて酔っ払い冒険者――ガイヤを睨みつける。
視線に気がついたガイヤはリオネーラを見下ろして舌打ちをすると、
「……おいテメェ、なに睨みつけてんだゴラ」
「ぐっ……」
ゴンッ! と鈍い音が炸裂する。
ガイヤがリオネーラの顔をブーツで蹴った音だ。
ツーと唇から血を垂らすリオネーラ。口の中を切ったのだろう。
「クソッタレが、テメェの、テメェ等の所為でよォ!!」
続けて二、三発と蹴りを入れながらガイヤは鳩尾の辺りを摩る。
「ここの痣も痛みも取れねえじゃねえかよ、あァ!?」
肩で息をしながらそう吐き捨てたガイヤは再び大きな舌打ちをすると、エリアの方に向き直って言った。
「予定変更だ、エリア」
「どうするってんですか?」
「本当はあのガキが来てから目の前でこいつを惨ったらしく殺してやろうと思っていたんだがなァ、気が変わった」
視線だけでリオネーラを見下ろし、憎悪に悦に浸った笑みを浮かべる。
「今ここでぶち殺す。で、奴が来た時にその死体を放り投げてやろォ」
ガイヤは腰に差した剣の柄に手をかけ、それをゆっくりと引き抜いた。松明の火を映す銀色の剣身が姿を現し、その切っ先がリオネーラの目の前に突き付けられる。
(ああ)
もう助からない、と自分に言い聞かせる。
リオネーラは今すぐにここで殺される。
折角、生きていく事に喜びを覚えられるようになったのに。
絶望に染まった地獄から引き摺り上げてくれたユウヤに、まだ何も返す事が出来ていないのに。
(出来ることなら)
振り上げられたガイヤの剣を見上げ、涙をこぼして悲しみの笑みを浮かべながら。
(もう少し、ユウヤ様と一緒に、いたかったな……)
直後だった。
「なにをしている」
声が聞こえたのと、ガイヤの顔面が弾けたのは同時であった。
剣を振り上げたガイヤの頭が合った位置に黒い魔法陣が浮かび、そこから黒い刃が突出している。血が飛び散り、リオネーラに掛かった。
目を見開く彼女の先で、次々とガイヤの身体に黒い刃が突き刺さっていき、八つ程の穴を開けたその肉塊はフラフラと揺れて真横に倒れた。
そして、見る。
彼女は、見た。
暗闇の奥に、その姿を。
「――何が起きたってんですか!?」
突然の訳が分からない展開に、一時的に硬直状態に陥っていたエリアが声を張り上げながら周囲を見渡す。
その声に反応した他の盗賊達も、武器を片手にエリアの元へと駆け寄っていく。
「チッ、一体なんだってんですか……」
エリアは今にも殺されそうになっていたリオネーラの方へと視線を向け、気がついた。
彼女の目が、ある一点を見つめていることに。
「……、」
背筋を走り回る嫌な予感を覚えながら、エリアはゆっくりとリオネーラの視線をたどっていく。
それに釣られ、周りの盗賊達もエリアが見る方を向く。
そこには、"闇"が佇んでいた。
深い漆黒を纏い、その存在を夜の暗闇から浮き彫りにさせる一人の姿。
黒いコート、彼はもうフードで顔を隠すなんて事はしていない。
黒い髪、黒い瞳、身長があまり高くないその黒い少年は、殺意に狂う闇器を従え、ホッとした表情で言う。
「ごめん、リオネーラ。助けにきたよ」
ガイヤの容姿等の特徴が全く描かれていないのは、無様に即死するからです。




