君の笑顔に花束を 第八部
「……つまり、小早川さん、あなたは必要以上に自分を責める必要がないということです。紗奈さんとあなたは、車の両輪のように、ゆっくりと時間をかけて自分を見つめ直していけば良い、私はそう考えています」
面接室で、隣にいる先輩は小早川さんに柔らかい言葉をかけている。
私はといえば、半ば面接には上の空になっていた。
人間は天上に送られる。だが、その行く末が『無』であるのなら、その過程に何の意味があるのだろう?
「うーん、そう言われると、心当たりはあるんです。紗奈が悪いなんて、俺は決して言いません。でも、限度を超えて俺が責められている、追い詰められているという感じは確かにありました」
この人――小早川さん達『人間の未練』が、私たちを作った。
私たちの使命が『人間を天上に送ること』であるのは、人間がそう望んだからだ。だとしたら、私たちはとんだピエロなのではないだろうか?
――わからない。つまり私たちは『何者』なのだろうか?
「小早川さん、私は、ひとつ、引っかかるというか、気づいたことがあるんです」
先輩は、重大なことを話す前準備のように、声のトーンを落とした。
私の意識が、面接へと引き戻される。
先輩は、じっと小早川さんの目を覗き込むと、
「紗奈さんはあなたの死をひどく悼んでいました。ですが、小早川さん、『彼女がひとりでも生きていけるようになる』ことがあなたの未練でしたよね? しかし本当は――」
先輩は、ボリボリと頭を掻くと、しかし確固とした口調で、
「もしかしたら、『あなたが彼女から必要とされること』が本当の未練なのではありませんか?」
ゆっくりと諭すように言った。
小早川さんは俯いて、
「そう――ですね」
と、沈痛な面持ちで頷いた。
私は、そんな小早川さんを、複雑な思いで見つめていた。
――面接はそっちのけで、私は先輩の下で学んで経験してきたことと、笹峯さんの言う、『有能なエージェントの考えかた』と向き合わざるを得ないことを考えていた。
『……おそらく聴いたら、君は選択を迫られることになると思うよ? 新藤の、『異端』の側につくのか、それとも僕の元へと、まっとうなエージェントとして『戻って』くるのか?』
笹峯さんが前置きしたその言葉が、何度も頭の中でリフレインし、私を追い詰め、追い立てていた。
まだ答えが出るはずもない、その問い掛けを自分自身に投げかけつつ、ぼんやりと先輩と小早川さんのやり取りを傍観している間に、面接は終了した。
「――小早川さんは、自分と紗奈さんの境界を自覚できるようになってきてるよ。あとは、紗奈さんに、少しずつ自立を促すことだな」
「――」
「――実習生?」
「え? あ、はい! なんでしょう?」
笹峯さんに言われたことを、ぼーっと考えながら先輩の言葉を聞いていたので、不意に呼ばれた私は狼狽した声を出した。
「どうした、実習生? 面接の時から――いや、そのもっと前からか……心ここにあらずといった感じだが、何かあったのか?」
鋭い目つきで、私をじろりと睨む。
「あ、ええと……すみません、ちょっと……」
先輩は、そんな私をじっと覗き込むと、肩をすくめてみせた。
「まあ、お前にしては珍しいことではあるが――誰にだって……考え込んでしまうことはあるからな」
先輩が語尾を濁したのは、それは少し前までの自分を含めて、ということなのだろう。
その何気ない言葉に、先輩もまた自分自身と向き合っているのだと、そのうえで私を気遣ってくれているのだと、先輩の器の大きさを思い知らされる。
だから、私の口から自然と言葉が流れだしたのはそのせいだったかもしれない。
「――先輩……先輩は、人間が天上に送られたあと、どうなると考えていますか?」
先輩は、その言葉に一瞬眉をひそめると、私が狼狽えるくらい鋭く睨めつけたあと、大きくため息をついた。
「――なるほどね、笹峯か」
先輩は、ただ一言で見破ったようだ。
瞠目する私に、いつものようにボリボリと頭を掻いてみせると、
「わからんよ。それは、答えの出ない問題だ。少なくとも、俺たちにとってはな」
「――でも、笹峯さんは、人間は天上に送られたら『浄化されて無になる』と言っていました。それが、一級エージェントが考えていることだと……だとしたら、私たちが人間の『未練』を晴らすことに、何の意味が――」
「――ないというのか?」
先輩は、のんびりとした口調で、だがしっかりと機先を制した。
私は俯いて、
「――わかりません。……わからなくなっちゃったんです。何が正しいのか? 私たちは何者なのか、なんて考えこんじゃってます」
「それでいいさ」
と、先輩は、何でもないように、軽く言った。
「自分が何者なのか? 人間たちはどうなるのか? そう考え、迷い、問いかけ続けることが間違いだということを誰が言える? むしろ、そういう問い掛けができなくなったら、この仕事は続けてられない。俺はそう思ってるよ」
そう言うと、先輩は、ふっと遠くを見るような目つきをした。
私は直感的に、先輩は、私の問い掛けを自分自身への問い掛けへと置き換え、その先に恭子さんのことを見ているのだと感づいた。
先輩は、腕組をすると、
「――実習生」
「遊馬です」
「実習生、いろいろ考えるのは良い事だ。だが、人に何を言われようと、最後に信じられるのは、自分自身でしかないんだよ」
そういうと、先輩は緊張を解くかのように、疲れた息を吐いた。
「とりあえずはコーヒーを入れてくれないか。濃い目のやつが飲みたいな」
「――はい」
私も、それに同調するように、いつものルーティンワークへと取り掛かる。
キッチンで入れてきた濃い目のインスタントコーヒーを手渡すと、先輩は一口口に運び、「うまい、やはりコーヒーはインスタントに限る」と満足げに息を吐いた。
そしてそれから、
「……実習生、もうお前も実習期間が終わるな。やはり期間内には、小早川さんの未練が晴れることはないだろう。繰り返しになるが、お前は特にクライエントに感情移入しやすいから、クライエントとの別れがあることだけは覚悟しておけ」
と、カップの中のコーヒーを揺らしながら言った。
「――はい」
私は頷くと、先輩に、もうひとつだけ質問することにした。
「――先輩……人間の行き着く先が『無』だとしても……先輩は、こんなことを、人間の『未練』に向き合っていくことを、これからも続けていくつもりですか?」
先輩はもう一口コーヒーを口に含むと、
「――それが俺のやり方だ」
その質問が何でもないように答えた。
「……そう、ですか。そうですよね」
私は、先輩の言葉を咀嚼するように、何度も心の中でつぶやいた。
――先輩と笹峯さん、そして私。
やはり、それぞれが違うのだ。
それなら、やることは、私がこの実習でやらなければいけないことは、決まっている。
――自分の真実を探し出すことだ。
やるべきことが一つに絞られ、深く考えるきっかけが与えられるのと同時に、ある種の爽快感を心に覚える。
だから、私は笑顔で言った。
「先輩、最近、持ち場を外すことが多くて申し訳ないのですが――明日は、ちょっと出てきていいですか?」
そんな私に、先輩は、ふん、と鼻を鳴らすと、
「構わんよ。どうやら、お前の実習の最終試験が待っているようだからな」
すべてを見通しているかのようにそう言い、コーヒーカップを傾けた。




