君の笑顔に花束を 第九部
そうして翌日。
私は笹峯さんを訪ねるのではなく、珍しく私から呼び出すことにした。
場所は、春日恭子さんの眠る――本当は天上へと送られ、その存在はもはや残滓もないのだが――、お墓の前へを選ぶことにした。
これから、私は笹峯さんと対決することになる。そのために、私の意思を伝えるためには、その場が一番のホームグラウンドになると思ったというのもあるし、私の知らない恭子さんの存在こそが、私の背中をそっと後押ししてくれるという確信じみた感情を抱いていた。
笹峯さんは、約束の時間をピッタリに、飄々とした足取りで、敷き詰められた砂利をサクサクとサンダルで踏みつけながらやってきて、右手を直角にシュタッと曲げてみせた。
「やあやあやあやあ、遊馬ちゃん、待たせたね。時間通りに来たと思ったんだが、レディを待たせるだなんて、僕も焼きが回ったかな? それで、こんなところに呼び出して、今日はどんな用なのかな?」
私はいつもと変わらない様子の笹峯さんに軽く会釈して、大きく息を吸い込んだ。
「――お話があります。とても、とても、大切な」
「それは、こんなところでしかできない話なのかな。前に言ったよね、ここには何もない、辛気臭いだけだって」
笹峯さんの眼光が鋭く光を放った。
私は、狼狽えることなく、キッと笹峯さんの瞳を見返した。
「ここには何もない――その認識が、私と笹峯さんの相違だと思ったからです。笹峯さん、笹峯さんは、私のことを『買ってくれている』とのことでしたが、今日はそれを裏切ることになるかもしれません。そのことを、先に謝罪させていただきます」
笹峯さんは、「ひゅう」と下手な口笛を吹くと、
「何かの覚悟をしてきたみたいだね。でも、僕はそうは思わないな。むしろ今日こそ、遊馬ちゃん、君は正真正銘の『一級エージェント』の道を歩き出す、記念すべき日となると思ってるよ」
そう言って、カラカラと笑った。
『一級エージェント』を何より嗜好し、望んできた私は、そんな笹峯さんの誘惑に少なからず気持ちが揺れるのを感じつつ、それでも、一つ一つ、今までこの実習で経験してきたことを反駁していくつもりだった。
「――笹峯さん、まず、私がこの実習先に来ることになって、初めて出会ったクライエントのことをお話します」
さあ、始まりだ。私は呼気とともに、私の『想い』を綴っていくことにした。
「女子高生だった彼女は、好きだった男の子と、親友の女の子との間に揺れ動く心を整理できずに苦しんでいました」
「うん、それで?」
笹峯さんは、唐突である話題でもあるのにもかかわらず、私の話を促すように、興味を持って耳を傾けてくれる。笹峯さんがどんなエージェントであるにせよ、その技量には、見習うべきものがあった。
私は続けた。
「彼女の未練は、思い人だった男の子のことでした。しかし、調査を進めていくと、それは決して男の子のことではなく、むしろ親友の女の子への嫉妬などという、暗い感情だとわかりました」
「おやおや」
笹峯さんは大仰そうにおどけてみせる。
「そうだね、人間は人を好きだって未練を残すより、負の感情――恨みつらみの方が、元来大きいものなんだと思うよ」
私は、そんな言葉に軽く頭を振った。
「――それが、違うんです」
「え?」
笹峯さんが、意外そうに問いかけてくる。
「彼女は――紫苑ちゃんは、最後の最後で、その『負の感情』を拭い去って、親友の女の子と男の子が幸せになれるように祈って、未練を晴らしました」
笹峯さんは、ふうん、と頷くと、
「それはまた、綺麗に行ったものだね。新藤の手際の良さには脱帽というところかな?」
私は、その言葉に、もう一度首を振ると、
「いえ、大事なのは、彼女が――紫苑ちゃんが、『最後の最後にほかの人を思いやって』天上へ送られたことだと思うんです。彼女の選んだ道は……決してその存在が『無』になるとしても、意味のあることだったのではないでしょうか?」
笹峯さんは肩をすくめた。
「遊馬ちゃん、それは詭弁だね。彼女――シオンちゃんは、『その状況では、そうしないと未練を晴らせなかった』だけだ。新藤の誘導によって大団円を迎えただけさ。他にも、『未練』を晴らす方法がなかったとでも言うのかい? それが、ただひとつの方法で、それが真理だと思ってるなら、まずはそこから直さなければ、君は道を外れてしまうよ」
そう言うと、笹峯さんは続けて言った。
「そもそも、その結論に至るのに、本当にその思い人の男の子と親友の女の子に対する調査が必要だったのかな? シオンちゃんに深く自分を洞察させて、未練を晴らす方法もあったはずだよ?」
「――そうかもしれません。でも……」
「君は美しいエンディングに心を奪われているだけだ。たまたま綺麗に事が運んだ。だから、そのシオンちゃんの『未練』も綺麗で、かけがえのないものであったのだと思いたいだけなんだ。人の未練が、そんなにきれいに片付くのは、希なことなんだよ」
そうなのだろうか? 私は、『綺麗に片付いた未練』を象徴として、種々様々の未練の代表格としてみたいだけなのだろうか?
「――続けますね、笹峯さん。私が関わった二人目のクライエントは、私の直情的な感情では、身勝手で、わがままで、自分のことしか考えていない――そんな風にしか受け止められない女性でした。私には到底受け入れられない――そう思いました。でも……」
私は一息ついて、続ける。
「その人は、本当は我が子のことを大事に、とても大切に思う、一人の『お母さん』だったんです。娘さんと、彼女の『何か』が繋がった時、彼女は天上へと行くことができました。もし、娘さんとの空白が埋まらなかったら、彼女が天上へ送られることはなかったでしょう。彼女と娘さんの『何か』を繋いだことは、無意味ですか?」
「無意味だね」
しかし、笹峯さんはバッサリと言った。
「そのクライエントとのことは新藤から少し聞いているよ。『生者』である娘さんに働きかけて、『本当の母親』の存在を知らしめたってね。娘さんが、どんなに苦しんだかわかるかい? これから、どういう人生を送ることになるか、少しでも留意したかい? もっとも、そんなことは僕に言わせれば『知ったことではない』んだけどね。でも、君の論理から行くと、それは致命的といってもいいほどの干渉だと思うけど、いかがかな?」
「――ッ」
私は、言葉を失った。笹峯さんに反駁する言葉が見つからなかったからだ。
弥生さんが救われたとして、それでよかったのだろうか? それは娘さん――明日香ちゃんの今後の人生を、本当に思いやったものになれていたのだろうか。答えは、神のみぞ知ることになってしまっている。
笹峯さんが一瞬で私の「想い」を覆していくのに、ある種の畏怖を覚えながら、話を続けた。
「三人目の『未練』は、残した家族を大切に思う、お爺さんのものでした――」
「――ストップ、その話は聞いているよ。君も、その件についてで、もう気づいたはずだ」
笹峯さんは、決して強い口調ではなく、慈愛に満ちたような優しさを持って、私の話を遮った。
「そのクライエントの『未練』を晴らすのに、一番いい方法は――効率的な方法は、なんだったと思う? そのお爺さんに『ご家族のことは大丈夫です。ご心配なさらずに』と説得すればいいだけの話だったんだよ。その後の家族がどうなったかのなんて、僕たちの分を超えていることじゃないか? あまりにも過干渉すぎる。覚えているかい? 人間は天上へ行ったら――」
笹峯さんは、両手を広げてみせた。
「『無』になるんだよ。――『嘘も方便』ってやつさ。そもそも、失敗していたら、どうやってそのお爺さんの未練を晴らすつもりだったんだい?」
私はその言葉に狼狽して、俯いた。
「それは――」
強く唇を噛む。
あの時は、うまく事が転んだだけだったのかもしれない。
確かに、あの家族が恢復しようがしまいが、――源十郎さんの『未練』を晴らすことはできただろう。「説得」すればいいだけのことだったのだ。そんなことにも気づかずに、私は、あの家族に干渉し、引っかき回してしまった。
「私は――」
違う、そんなんじゃない。私が本当に言いたいこと。笹峯さんに分かってほしいこと。伝えたかったことは――。
「……そんな、違う……私は……」
何度も何度も、いやいやをする幼子のようにかぶりを振る。
――ワタシハ。
崩れ落ちる。
そう、覚悟した時だった。
「やれやれ、思った通り手玉に取られて揺れているな、実習生。ところで笹峯、三流のニヒリズムの説得は、それで最後か?」
大きな花束と線香を手に、先輩が姿を現した。




