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エピローグ

 謀反をおこした首謀者である蘇琴哲は死刑を免れたが、流刑罪となり都を追われる羽目になった。蘇琴哲に組していた者で、許しを請うた者は役職を降格、さらには一年間の減俸となったが、宮中に残ることを許された。

 最後まで皇帝に抗った者は官職を解かれ島流しにされた。そして、皇后は廃妃となり庶人に落とされ冷宮送りとなった。一生、暗い宮殿に閉じ込められ、そこから出ることもできず寂しく暮らすのだ。本当のカゴの中の鳥となったのだ。

 一方、凜嬪の姿をした一心は――。


 上等な衣装に身をつつみ、大勢が見守る中、皇帝の前でひざまずいていた。

 御膳太監の孫旺千が声を高くして聖旨を読み上げる。

「天命に従い詔が下された。李凜花は気立てが良く、真心を込めて皇帝に仕え配下には寛大で優しい。後宮の鑑として金印を下賜し貴妃に封ずる」

 貴妃といえば皇后につぐ位、寧貴妃と同じ地位となったのだ。

 嬪から一つ位を飛び越え貴妃になったことに、周りも驚きを隠せないでいた。

 重臣たちの中には凜嬪の昇格を快く思っていない者も多いだろう。だが、皇帝の危機を救った功績は大きく、今まで妃たちに心を砕くことのなかった燕鶯皇帝が、初めてお気に入りとして大切にしている妃だということで一目置かざるを得ない状況だ。


 後宮の片隅に誰からも相手にされず、ひっそりと暮らしていた凜花が、短い期間で貴妃にまで登り詰め、誰もが皇帝の寵妃として認められる存在となった。

 他国からは、凜貴妃は傾国の美女だと噂されるほどだ。

「陛下のご恩に感謝いたします」

 林杏から教わった礼をほどこし、一心は目の前の玉座に座る燕鶯に恭しく頭を下げる。

 だが、心の中では。


 冗談じゃない。冗談じゃない。冗談じゃないぞ!

 貴妃になってる場合じゃないだろ! そもそも、オレは元の世界に帰るつもりでいるんだ。こんなところで死ぬまで暮らすつもりはない。だいたい、あの燕鶯が夜ごと迫ってきたらどうする。ああっ!


「くそっ!」

 思わず汚い言葉が口からもれ、居並ぶ重臣たちがぎょっとした顔をする。

 一心はふふふと笑いごまかした。


「疲れた。腹減った!」

 貴妃としての冊封式を終えた一心は、月明宮に戻るなり重たい衣装や頭の飾りを一気に脱ぎ捨てた。身軽になりテーブルに置かれた饅頭を口いっぱいに頬張る。

 朝から式のための準備やらで、まともに食事をとっていなかったのだ。

「げほげほっ」

「大丈夫ですか、姉姉。お茶を飲んでください」

 詩夏がお茶を差し出した。一心は湯飲みを受け取り、一気に流し込む。


「ぷはっ」

「先程は肝が冷えました。凜貴妃さまの突拍子もない行動にはだいぶ耐性はついたと思っておりましたが、まさかお式の最中にあのような口汚い言葉を吐くなんて」

 林杏が心臓を押さえながら言う。

「うっかり、声にでちゃったんだ。それにしても貴妃なんて面倒くさいことになったよ」

「でも、とてもすごいことですよ。寧貴妃さまと同じ位ですよ」

 そこで、一心ははっとなる。


 以前、おまえのような身分の低い者と親しくしたくないと、寧貴妃に言われたことを思い出す。だが、今の自分なら寧貴妃と釣り合えるのでは?

 それって、つまり彼女に相手にしてもらえるってこと? 仲良くしてもらえる?

「こうしちゃいられない、今から明瑤のところに行く!」

「え? 今からですか?」

「何か贈り物はないかな。そうだ! 昨日作った薔薇の焼き菓子を持っていこう」

 身支度もそこそこに一心は月明宮を飛び出した。


 華南宮に駆けつけた一心だが、目当ての寧貴妃は宮にはおらず、花園を散策中と侍女から聞かされた。一心はすぐさま、花園へ走る。広大な庭園を歩き周り、ようやく寧貴妃の姿を見つけた一心は大きく手を振った。

「明瑤~!」

「凜貴妃さま、はしたのうございます」

 林杏が咎めるのもおかまいなしに、一心は駆け足で寧貴妃の元へと行く。

「やっと見つけた、明瑤」

 馴れ馴れしく名前で呼ばれた寧貴妃はものすごく不愉快な顔だ。

「いったい何の用なの」

 声も刺々しい。


「今回、明瑤にはいろいろ助けてもらっただろ。あの解毒剤がなければ私はこうして生きていなかったかもしれないし、慎刑司に連れられそうになった時も助けに来てくれた」

 一気にまくしたて、一心は寧貴妃の手を取る。だが、すぐに払いのけられた。

「小黒を保護してくれた礼よ。借りを返しただけ」

 寧貴妃はちらりと小茜に目で合図する。小茜は袖から何かを取り出し一心に手渡した。

「これは?」

「寧貴妃さまがお作りになった香り袋です、凜貴妃さま」

 一心の目がハート型になる。

「え、ええー、まじでオレのために作ってくれたのか!」

「作れと言ったのはおまえでしょう」

 香り袋を見て一心は口元を緩ませた。見ると、絹の生地に人参の刺繍まで刺してあった。そして、頼んだとおり一心という文字も。


 これはまじで嬉しい。


「でもなんで人参?」

「おまえが高麗人参が大好物だと聞いたからよ! とにかく、約束は果たしたわ。これで完全に借りは返したから」

「借りだなんて。それを言うならあの解毒剤でじゅうぶん借りは返したじゃないか」

「今後、私に付きまとうのはやめてって意味よ」

「冷たいなあ。でも、そういうところが好きだけど」

 凜貴妃と寧貴妃のやりとりを見ていた小茜がくすくすと笑う。


「凜貴妃さま、あの日、凜貴妃さまが慎刑司に連れて行かれると知った時、寧貴妃さまは必死の思いで陛下にお願いをしたんですよ。凜貴妃さまをお助けしたいと。それから、自分が凜貴妃の無実を証明すると言い、急いで月明宮に向かったんです」

「へえ、そうだったんだ。へえ~」

 一心の顔が嬉しさでデレデレになる。

「小茜、余計なことを言うと罰を与えるわよ!」

 小茜はふふふ、と笑った。


「罰だなんて心にもないことを仰って。寧貴妃さまはこんな私にもとても優しくしてくださるではないですか。私、これから先も寧貴妃さまにお仕えすることに決めました」

「故郷に帰らなくていいのか?」

 はい、と小茜は頷く。

「そうか。優しくしてもらえるんなら良かった。明瑤ありがとう。私は出会った時から明瑤が優しい女性だって知っていたぞ」

 褒め言葉を向けられ、寧貴妃は照れたように頬を赤らめる。

 毒婦と言われた寧貴妃の本当の姿は、心優しい照れ屋さんだったのだ。

 これまでの寧貴妃の悪い噂も、皇后の仕業だということも分かった。


「そうそう、菓子を作ったんだ。一緒に食べないか」

 一心は盆の蓋をあけ、薔薇菓子を見せる。

玫瑰饼(メイグゥィビン)だ」

 玫瑰饼とは、パイ生地を何層にもし、薔薇の花が開くように油で揚げたものだ。パイ生地の中身は薔薇の花びらを蜂蜜で煮詰めて餡にしたものである。

「いらないわ。だいたいおまえが作ったものなんて食べるわけがないでしょ。変な念がこもっていそうで嫌よ」

「だったら、一緒に散歩をしよう」

「本当にしつこいわね! 以前のおまえなら私の顔を見るだけで、下を向いてこそこそ逃げていったのに。とにかくあっちへいって」

 一心を振り切ろうとして寧貴妃は石畳の段差につまずき、すぐ側の池に落ちてしまう。


「きゃあー! 誰か! 寧貴妃さまが池に落ちたわ!」

 小茜は血相を変え、お付きの太監に助けを求める。

「わぷっ! 助けて……私……泳げない……」

 水面を掻くように腕をばたつかせる寧貴妃は、大声で助けを求める。

「待ってろ明瑤! 今助ける」

 溺れる寧貴妃を救うべく、一心は履いている靴を脱ぎためらうことなく池に飛び込んだ。

 寧貴妃の体を引き寄せ池の縁まで泳ぎ、手を伸ばしている太監に寧貴妃を預ける。

 無事寧貴妃が池の縁にあがったのを確認して、一心はほっと胸をなでおろす。


「よかった」

 と、安堵した瞬間、突如一心の体がざぷりと水中へ沈んだ。

 水面にぶくぶくと気泡が浮かび、やがて消えて行く。

「り、凜貴妃さま? 凜貴妃さま!」

「姉姉!」

 林杏と詩夏は大声で凜貴妃の名前を叫ぶ。しかし、一向に凜貴妃の姿は見えない。

 寧貴妃はぜえぜえと肩で息をしながら、水面を凝視する。

 待てども凜貴妃の体が浮いてくる気配がなく、寧貴妃は顔を青ざめさせた。

「そんな……やめてよ。私を助けて自分が溺れるなんて冗談じゃないわ! 誰か、凜貴妃を助けて……凜花、凜花!」

 寧貴妃は泣きながら凜花の名前を叫んだ。


 水の中が冷たい。息ができなくて苦しい。


 オレ、溺れたのか? てことは、元の世界に戻れるのか。


 まぶたを震わせ、一心は目を開けた。まだ意識がもうろうとしている。ぱちぱちと何度か目をしばたかせると、ようやく焦点が結び始めた。

 目に映ったのはどアップの燕鶯の顔。

「うわ! なんだよ。てか、顔近い!」

 ぐいっと相手の顔を手で押しのけ半身を起こす。そして、がくりと肩を落とした。

 失望感が半端ない。


 目覚めた場所は月明宮の寝所だった。やはり、元の世界に戻れなかった。

 池に落ち溺れている明瑤を助けた。まるで、現代からこの時代にやって来た時と似た状況だったから、もしかしたら元の世界に戻れるチャンスだったのかと期待したのだが。

「大丈夫か? 寒気はしないか? 熱は?」

 燕鶯の手がひたいにあてられた。

「なんともない……ふぇっくしょんっ!」

 盛大なくしゃみに、側にいた孫旺千と林杏、詩夏、他数十名の侍女や太監が揃って顔をしかめた。一心のくしゃみで顔にかかった唾を、燕鶯は袖口で拭う。一心は、たらりと垂れた鼻水を手の甲でこすった。

 元の世界に戻れず、風邪をひくとはまったくついてない。


「やはり、風邪をひいたようだな。侍医に薬湯を煎じさせた。飲むといい」

 薬湯の入った腕を手に、匙で薬湯をすくい、燕鶯自ら飲ませようとする。

「自分で飲める」

「遠慮するな。さあ」

 真剣な目で見つめられ、一心はしかたなく口元に運ばれた匙で薬を飲む。

「苦っ、何だよこれ。まっずっ」

「苦かったか。では、甘いみかんを食べさせてやろう」

 と、皇帝自らみかんの皮をむき始めた。


 陛下の凜貴妃に対する愛情の深さに、林杏と詩夏は感極まって涙ぐんでいる。

 さあ、と差し出しだされたみかんを一心は奪い取り、まるごと口の中に放り込む。

「甘いだろう。凜花のために取り寄せたのだ」

「んん……んっ!」

 みかんを頬張りすぎて喋られない。油断すると、今度はみかんの汁が口から飛び出しそうだ。

「ああ凜貴妃さま……こんな時にはしたないです」

 良い雰囲気なのに、何もかもぶち壊しだと、林杏が嘆きの声を発した。

 一心は丸ごと口の中に放り込んだみかんをようやく飲み込む。


「明瑤はどうした? 無事か。風邪はひいてないか?」

「ああ、彼女は無事だ。凜花が助けてくれたのだな。私からも礼を言おう」

「そうか、よかった。で、その……明瑤は私のことを、何か言ってなかったか?」

 助けてくれて感謝しているわ、とかあなたのことを見直したわ、とか惚れちゃったかも、とか。しかし、燕鶯は何も言っていなかったぞ、と首を横に振る。

 一心はがくりと首をうなだれた。

 明瑤を助けて、好感度がアップしたかと思ったのに。

「凜花」


 真面目な顔で燕鶯が見つめてくる。

「何だよ、変な目で見るな。キモい」

「本当に無事でよかった。このまま凜花が目を覚まさなければ私はどうしようかと不安でたまらなかった。もし、凜花を失うことになったら、私は生きていけなくなる」

「皇帝陛下が何言ってんだ。大袈裟だ。だいたいオレはそう簡単には……」

 一心の言葉が途切れた。突然燕鶯に抱きしめられたからだ。

「おい! どさくさにまぎれて何するんだ!」

 燕鶯の胸の中で一心はじたばたともがくが、きつく抱きしめられ動くことができない。

「苦しい、離せ!」

 顔をあげると目の前に燕鶯の顔。目と目が合う。


「凜花、私のものになれ」

「ちょ……」

「私に心配をかけるな」

 ゆっくりと燕鶯の唇が近づいてくる。


 げっ、冗談じゃないぞ! まじで洒落になんねえ!


 あとわずかで唇が触れそうになったその時、一心のお腹がぐうと派手になった。

 一気に緊張感が解けた。

「相変わらずだな。そういう飾らない凜花も好きだが」

 燕鶯は肩を揺らして笑っている。

 相手の腕が緩んだ隙に、一心は燕鶯から離れ立ち上がった。

「ずっと寝ていたせいで腹が減った。何かうまいもんでも作るか」

「凜花らしい。そうだ、この間言っていたピザとやらを食べてみたい」

 一心は目をきらりと輝かせる。

「そういえば、食わせてやる約束だったな。よし、じゃあ作ってやる!」

 一心は意気揚々と厨房に駆けて行った。

 その姿を燕鶯は微笑ましい目で見つめていた。


( 完 )

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