10 まだまだ自分は甘かった
寧貴妃の禁足を解くには、皇后に危害を加えたのは彼女ではない、むしろ皇后に嵌められたのだという動かない証拠が必要だ。そうでなければ皇帝は動かない。宮中では真実を突き止めることがすべてではないから。
厨房に立ち、一心は料理の下ごしらえをしていた。
「姉姉、今日の料理はなんですか?」
詩夏が手元を覗き込んできた。
「鴛鴦鍋ってことは、火鍋ですね!」
鴛鴦鍋とは、中央を太極の陰陽に見立てて仕切られた丸鍋のことである。
火鍋の味の決め手は、スープの味付けでもある鍋底だ。
一心は二日前に仕込んでいた鍋底を取り出す。
これは大量の唐辛子を熱湯に漬け、さらに菜種油に香辛料を漬ける。菜種油にナツメ、枸杞の実、松の実、蓮の実、陳皮、桂皮、ナツメグ、八角、花椒などの香辛料を漬ける。
一心はニンニクの塊を手に取る。それを砕き生姜を刻む。先程、湯に漬け込んでいた唐辛子をざるにあげ、二本の包丁を交互に叩いて細かく刻む。
鍋に油を熱して葱を入れる。香りがたってきたら、葱を取り出し牛脂をと大蒜、生姜を投入。さらに豆豉と刻んだ唐辛子、豆瓣醬も入れてしばらく炒める。
炒めたそれらに、氷砂糖、残りの香辛料、泡椒、さらに唐辛子、湯円を作った時に使った酒醸を入れゆっくりと炒めたものだ。鍋底を鴛鴦鍋に入れ、豚肉と牛骨でとった出汁をそそぐ。瞬く間にスープが赤色に染まった。
「出汁の色が赤くなってきましたね。辛そう~」
食欲を誘う色と香りに、詩夏はごっくんと唾を飲み込む。
火鍋は辛いだけの鍋と敬遠されがちだが、さまざまな薬膳素材を使っているため美容と健康にもよいのだ。
枸杞の実は滋養強壮、糖尿病予防。蓮の実には、精神を安定させる作用。松の実は美肌効果や眼精疲労などなど。どれも、健康に効果のある食材ばかり。
さらにもう片方のしきりに白湯スープをそそぐ。
後は鍋に入れたいお好みの具材を用意して、できあがりだ。
一心は腕を組みうん、と頷いた。
「薬膳たっぷりのこいつを食べれば、少しは気力体力を補えるだろう」
一心の言葉に詩夏はくすりと笑う。
「なんだかんだ言っても、やっぱり姉姉は陛下のことを気づかっているんですね」
「誰があいつのことを気づかうんだよ。少しでも寧貴妃に元気を出してもらおうと思って作ってんだ。昨日会ったけど、かなりやつれていたからな」
詩夏ははいはい、と相づちを打っている。
いくら一心が愛する寧貴妃のためと言っても信じようとしない。それどころか、燕鶯のためと正直に言えなくて、照れ隠しにそう言っていると思われている。
「皇后さまのおなり」
そこへ、皇后が月明宮にやって来たことを告げる声が響いた。
「皇后がなんでここに?」
一心は慌てて厨房から出て皇后を迎えた。
「皇后娘娘、ご挨拶いたします」
「楽にしてちょうだい」
「感謝いたします」
皇后は月明宮を見渡した。
「相変わらず、月明宮は賑やかね。陛下が毎日通いたくなるのも頷けるわ」
ここ最近燕鶯は凜嬪以外の妃のところへは通わず、それこそ毎日月明宮で食事をとるようになった。皇后に言わせれば、凜嬪が寵愛をいいことに我が儘を言い、陛下を独り占めしていると他の妃にも言いふらしているらしい。
独り占めするつもりは全くないからいい迷惑だ。むしろ、連れ返って欲しいくらいだ。
皇后はちらりと厨房を見やった。
「陛下の夕餉の膳を作っているのね。最近、陛下の顔色がよいのも、凜嬪が食事に気を遣ってくれているおかげね。少し厨房を見てもいいかしら」
嫌だとは言えない。
「もちろんです。どうぞ、こちらへ」
一心は皇后とお付きの侍女を厨房へと案内する。
「これは?」
皇后は竈でぐつぐつ煮えている鴛鴦鍋を見る。
「今日の夕餉に火鍋を作りました」
一心は火鍋の効果を説明する。しかし、皇后はろくに一心の話を聞かず、周りをさっと見て回っただけで、すぐに出て行ってしまう。
「もういいわ。凜嬪の作る料理が見てみたかっただけよ」
凜妃の料理を見たかったというわりには、あまり興味も示さず、皇后は月明宮から去って行く。
何しに来たんだ?
首を傾げながら再び厨房に戻る。
寧貴妃の分も先程届けたが、もう一度味見をしようと、おたまを手に、一心は鍋のスープをすくい味を確かめる。
「さすがオレ! やっぱうまいぜ」
腰に手をあて一心は満足そうに頷く。
さて、そろそろあいつが来る頃だ、来たらすぐ料理を出せるよう準備しておくか。
一心はいったん正殿に戻るため厨房を出る。外に出た途端、傾き駆けた陽がまぶたに刺さり一心は手で目元を覆った。
眩しいなあ。あれ? 目がぐるぐる回る。立っていられない。体に力が入らない。
うう……吐き気がする。気持ちが悪い。
一心は胸のあたりを押さえた。そこに小さな小袋の感触。
「姉姉!」
一心の様子がおかしいことに気づいた詩夏が、駆け寄ってきた。
「しっかりしてください姉姉! 誰か侍医を呼んで、早く!」
薄れていく意識の中で、まだまだ自分は甘かった。もっと警戒するべきだったと後悔するのであった。




