12 華南宮へ
「凜貴人さま、あまり時間はありませんので、お話は手短にお願いいたします」
黒幕をあぶり出すために開いた女子会の翌日。一心はどうしても気になることがあり、とある場所を訪ねた。
「分かってるって、ちょっと話をするだけだからさ」
林杏に釘を刺された一心は、何度も頷く。
訪れた場所は寧貴妃が住まう華南宮であった。門の前に立つ侍衛に袖の下を渡し、一心は華南宮に足を踏み入れた。
陛下の一番の寵妃だった頃の賑わいは今はなく、宮殿内はしんとしていた。
ここへ来たばかりの頃の月明宮を思い出す。
以前は取り巻きの苑嬪も編殿で暮らしていたが、寧貴妃の禁足処分により他の宮に移ったため、華南宮は現在、寧貴妃と最低限の侍女と太監しかいない。
一心はまっすぐ正殿に向かった。正殿の前には取り次ぎをする侍女もいない。
仕方なく扉を叩いて呼びかける。
「寧貴妃さま、開けてください。李凜花です」
扉をノックし、自分が来たことを告げる。扉は開かない。けれど、中で人の気配はする。
数分待った後、ようやく薄く扉が開いた。外の様子を伺うように、侍女が目だけを覗かせ立っている。
「凜貴人さま?」
「おう、中に入れてくれないか」
寧貴妃の侍女は扉を開け、一心を中に招き入れる。
部屋の中は灯もつけず薄暗い。こんな暗い所で過ごしていたら気も滅入るだろう。
「寧貴妃さま、凜貴人さまです」
「凜貴人ですって?」
寝所の方から声が聞こえた。長椅子に寧貴妃がシンプルな寝間着姿で寝そべっている。
一心は口元をにやつかせた。
ゴージャスに着飾った姿もいいけれど、こういう素朴な装いでも、寧貴妃の美しさはそこなわれない。むしろ、アンニュイの感じがさらに色っぽさを増していい。
寧貴妃は側にいる侍女に視線をやる。下がれという合図だ。
側仕えの侍女紫蘭を失った寧貴妃にとって、今や頼りになる侍女はいない。
「李凜花っていうから、誰かと思ったじゃない。何しにきたのよ」
「どうしてるか気になって様子を見に来たんだ。元気そうだな」
「はあ? おまえの目はおかしいの? 私のどこが元気そうに見えるっていうのよ。それに、昨日会ったばかりでしょう。ていうか、その態度と言葉使いはなに? 私の方がおまえよりも位が上よ!」
「まあまあ、腹減ってないか? 菓子の差し入れも持ってきたんだ。私が作ったから安心して食べろ」
「おまえが作ったから安心だという保証はないでしょう」
「私は料理人だ。料理で人を害すことは絶対にしない」
「なにが料理人よ。いつから料理人になったのよ。ついこの間までまともに食事も貰えず、惨めに泣いてばかりいたおまえが」
悪態をつきながらも、テーブルに並べられた料理を見て、寧貴妃はごくりと喉を鳴らす。
一心は提盆の蓋を開け、菓子をテーブルに置く。マシュマロをベースにビスケットやドライフルーツ、ナッツなどを混ぜた雪花酥《シェーフアソー》。さくさくとした食感が特徴だ。
「これは小窩頭、寧貴妃のために頑張って作った」
小窩頭とはトウモロコシの粉を練って円錐形にした蒸しパンのようなもの。元々貧しい庶民の主食だったが、かの西太后が農民が出したこれを気に入り、宮廷に帰ってから料理人に命じ作らせた。宮廷で西太后に出したレシピは白砂糖、甘い香りの金木犀を捏ねて蒸したものに、レシピを作りかえたという話がある。粉はきめ細かくなければいけないので、目の細かい絹を張った篩に何度もかけるため、手間暇がかかるのだ。そして最後に宮中で噂の一心特製湯円。
ごくりと喉を鳴らし菓子を見ていた寧貴妃は、ふと一心のお腹に注目する。
「おまえ、そのお腹……」
一心の腹がぽっこり膨らんでいるのを見て、寧貴妃は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「陛下に興味がないって言いながら懐妊? 私のことが心配と言って、本当は身ごもったことを自慢しにきたわけ。あんたって、意地が悪いのね!」
寧貴妃はふんとそっぽを向き、小声で付け加えた。
「皇子が産まれないように呪ってやる」
怒って頬を膨らませてる顔もかわいいじゃないか。いやいや、そうじゃなくて。
「冗談やめてくれ。寧貴妃を喜ばせてやりたいと思って来たんだ」
「喜ばせたいだなんて、ほんと嫌な女。ムカつくわ。帰って、顔も見たくない!」
「だから、見てくれよ」
「うるさい……!」
「ワン!」
犬の鳴き声に寧貴妃の目が見開かれた。一心の膨らんだ腹がもぞもぞと動き、襟元から小黒がひょこんと顔を覗かせた。
「良い子だな。ほうら、出ておいで」
「小黒!」
小黒を抱き上げ、寧貴妃の手に渡す。
「生きていたのね! でもどうして?」
主に会えて嬉しいのか、小黒は尻尾を振り、涙を流す寧貴妃の頬をペロペロと舐める。
「この前、偶然花園で見つけたんだ。すぐに寧貴妃に届けようと思ったんだけど、華南宮の出入りは禁じられていたから、なかなか来られなくて」
「保護してくれたのね。だけどよく他の者に気づかれなかったわね」
「小幽子がこっそり面倒を見てくれたんだ。彼には感謝だ」
「そう。ありがとう、いちおう礼は言うわ」
寧貴妃は愛おしそうに小黒を胸に抱き、頬をすり寄せる。その姿を見た一心はやっぱりな、と呟く。
「噂は嘘だったんだな。寧貴妃が小黒を処分したってのは」
寧貴妃はきっと目をつり上げた。
「残酷なこと言わないでよ! 私がそんなことするわけがないじゃない。だけど、今でも腑に落ちないわ。今まで人に吠えて、驚かせるなんて一度もなかったのに、あの日に限って、突然華南宮にやって来た皇后に飛びかかったの」
一心はあごに手をあてた。
しばらく小黒を預かっていたが、寧貴妃の言う通り、吠えたり暴れたりはなくおとなしい子だった。おかげで、周りに気づかれずに保護できたのだ。
「どうして皇后が来た途端、襲いかかったんだろう」
「襲いかかったのとも違うわ。皇后の足元を横切って、部屋から飛び出そうとしただけよ。それで皇后は驚いて足をよろめかせ、頭をぶつけた」
「その時の状況は?」
「状況? 特に変わった事なんて何もないわ」
「何でもいいんだ。些細なことでも何でも」
「陛下が花園にいると紫蘭から聞き、出かけようと思った矢先だったわ。皇后が突然華南宮を訪れたの……今思えば、何の用だったのかしら」
ふと、寧貴妃は一心の持ってきた金木犀の菓子、小窩頭に視線を落とす。




