72 影と形
リリスの戦闘技能の向上は凄まじいものだった。
俺が言ったことをスポンジのごとく吸収していく。
その吸収速度は間違えていたことを言ってしまったら取り返しのつかないことになるレベルだ。
こうやって味方が強くなっていくのを見るのは気持ちがいい。
しかし気付ばもう暗くなってきている。
「よし、今日のところはここまでだな。正直一日でここまで成長するなんて思ってもいなかったよ。」
「ふふん、もっと私をほめてくれてもいいのよ?」
「はいはい、すごいすごい。」
適当に返事をしているように見えるが内心ではかなり真面目にほめてもいいのではないかと思うくらいのすごさだ。
まあ、ここで調子に乗ってもらっても困りそうなのでそれはしないが・・・
「そうですね。そろそろ帰らないと夕飯に遅れてしまいそうです。」
「あぁ!!?そうだったわ!!タクミ、早く帰りましょう!!私はおなかが減っているの!!」
シュラウドの言葉に急に急ぎ始めるリリス。
それも無理はないだろう。
今日は時間も忘れて一日を過ごしたわけだし、昼食も取っていない。
そんな中一人動き続けていたのだ。
腹が減るのは必然的なことだ。
まあ、俺と会った時初めて食事をした風なことを言っていたので、実際は食事をとらなくともいいのかもしれないが・・・・
そういう問題ではなさそうだ。
「そうだな。ノアたちも待っているだろうし急いで帰るぞ。ほら、シュラウドも早く」
「はい、了解しました。」
俺たちは夜の街道を駆け足で抜ける。
街についたころにはもうすでに日は完全に落ちていた。
「ふー、どうやら間に合ったっぽいな。」
「そうみたいね。よかったわ。」
俺たちは駆け込むように宿の中に入る。
そしてあたりを見渡す。
そこにノアとリアーゼの姿はない。
部屋で待っているのだろうか?
「ん、ちょっとノアたちがまだここにきていないみたいだから、部屋まで呼びに行ってくる。リリスたちは席をとっておいてくれ。」
「ええ、わかったわ。」
「はい、了解しました。」
俺は少し急ぐように食堂を出て宿屋の二階に続く階段を上がる。
そして突き当りの部屋に向かった。
ノアたちが泊っているその部屋の前に立ち、俺はその扉をノックする。
――――――コン、コン・・・・
「ノア、リアーゼ、もう夕食は食べたか?まだなら一緒に食べに行こうぜ。」
軽い音が扉から鳴り響く。
そして少し後に―――――カチャ、という音が鳴り扉が開いた。
中から顔を出したのはリアーゼだった。
普通はこういう時、真っ先にノアのほうが顔を出しそうなものだが、疲れて寝てしまったのだろうか?
「あ、タクミお兄ちゃん、お帰りなさい。ご飯ですか?」
「ああ、それで呼びに来たんだけど・・・・ノアは?」
こうしていても彼女が顔を出す様子はない。
今日の観光でよほど疲れでもしたのだろか?
「あ、それなんだけど・・・おねえちゃん帰るのが遅れるって言っていた。ご飯は私抜きで食べてくれーだって」
ん?何か用事でもあるのだろうか?
でもまあ、本人がそういうならそうしたほうがいいんだろうな。
シュラウドとリリスをずっと下で待たせるのは悪いだろうし・・・・
「そうか、ならリアーゼ、今から食事に行くけど一緒に来るか?」
「はい・・・すぐに行きますね。」
俺たちはノアを除いた4人で食事をした。
そしてその日――――宿にノアが返ってくることはなかった。
◇
「全く、タクミったらリリスリリスって・・・」
「まあまあノアおねえちゃん、落ち着いて。」
匠たちがシュラウドの戦闘技能を見ているころ、ノアたちは2人、ベイルブレアの街を闊歩していた。
普段は大人数が通るこの道は、まだ朝だということもあり人通りは少ない。
そんな中、ノアは自分の所属するパーティのリーダーに愚痴をこぼしていた。
どうして彼はここ最近リリスのことしか気にかけないのか?
どうして自分のことをぞんざいに扱うのか?
そんな感情だけが彼女の中に渦巻いている。
初めて歩く道、いつもはそれだけで楽しい気持ちになるのに、今は到底そんな気分になれそうにはなかった。
「もう!!リアーゼちゃんもそう思うよね!!?」
そう思っているのは自分だけではないはず。
これは自分だけの感情ではない。みんな、そう思っているはずだ。
彼女は自分の感情を誰かに同意してもらおうと、一緒に歩いているリアーゼに声をかけた。
「え!!?っとそうだね。あの二人は仲いいよね。」
「やっぱりね・・・」
リアーゼの同意も得られたことでノアは一層不機嫌になる。
実際、リアーゼの返答はほぼ反射的に口に出した、ただの率直な、何の含みもない感想でしかなかったのだが、視野が狭くなっているノアはそれに気づかない。
しかしそれによって彼女は自分の抱いている感情が、一般的なものであるという錯覚を抱いてしまう。
――――これは普通のこと、間違っているのはタクミのほう・・・・
心の中で、自分に言い聞かせるようにそう呟きながら彼女はどこに行くとも考えることはなくただただ、前に歩き続けた。
そして気づけば、この街にある冒険者ギルドの建物の前に来ていた。
別に、彼女はこの場所を知っていたというわけではない。
ただ、ただ何となく進み続けた末に、この場所にたどり着いたのだ。
彼女は何のためらいもなくその中に入る。
そこはやはり朝早くということもあって閑散としていた。
この場にいる人間など、片手で数えられるくらいしかいない。
「はぁ・・・」
近くにあった椅子に座り、らしくもないため息をつく。
この感情をどこにぶつけたらいいのだろうか?
そんな疑問が彼女の中を渦巻いている。
先ほど、リリスが一緒に観光に行こう。といった時、彼女はそれを突っぱねてしまった。
それも結構酷い言葉をかけて。
だが、そのことに一切の後悔や反省などしてはいなかった。
むしろ、あれでは少し弱かったのではないのか?
そんな思いが募ってくる。
「どうしたのおねえちゃん、朝から全く元気がないけど・・・・」
心配したような声が煩わしい。
『いや、さっきあの女が誘いに来た時、もうちょっと強くいったほうがよかったんじゃないかって・・・』そう言おうとして、やめる。
リアーゼはしっかり者だが、まだ子供に過ぎない。
あまりこんな話をするべきではないだろう。
「なんでもないよ。ただ少し考え事をしていただけ。」
彼女は誤魔化すようにそう言って笑った。
その笑顔はいつものような無邪気なものではなく、無理して作っている物だとリアーゼの目ですら容易に想像できるくらいの作り笑いだ。
リアーゼはそんなノアを見て、やはり何かあったのだろうと考える。
だが、いくら考えてもその原因と思われることは思い浮かばない。
否、ひとつだけ、気になることがあるのを思い出す。
――――そういえば、ノアおねえちゃんはリリスさんのこといまだに名前で呼んだことないような・・・それにさっきのはちょっとひどかったと思うし・・・
先ほど、リリスが彼女たちが泊っている部屋に誘いに来た時、ノアはリリスに向かって
「もう!!本当はタクミと一緒に行きたいんでしょ!!?ボク達は2人で楽しんでくるから、そんなに2人で居たいならそうしたらいいんだよ!!この、色悪魔!!」
と、割と酷いことを言っていた。
それを聞いたリリスはその後悲しそうな顔をしてすぐに部屋を出ていってしまったのだが、そんな姿はノアの目には入っていない。
ただ、居てほしくないものがいなくなっただけ。
そんな視線をその背中に送っていた。
あの時ノアおねえちゃんは、タクミお兄ちゃんが信じた悪魔だから―――とは言っていたけど、思い出せば彼女はリリスさんのことを信じる、なんてことは一度も口にはしていなかった。
表に出さないようにしていても、その気持ちはあるのだろう。
まだ、あれが悪魔だということが受け入れられていないのではないか?
リアーゼは幼いながらもその頭をフル回転させ、そんな答えを出した。
そして再びノアのほうを見る。
彼女はいまだ不貞腐れているような様子だ。
このままでは、いずれどこかで衝突が起きてしまう。
それを防ぐことができるのは、今ここでこの状況に気づいている自分だけだ。
リアーゼはそう考える。
そして、
「あ、そうだノアおねえちゃん!!ここでこうしているのもなんだし、外に出よ?」
彼女はこう切り出した。
「そうだね。リアーゼちゃんはどこか行ってみたいところとかある?」
あくまで表面に心情を表さないように、ノアはそう受け答えする。
「そうだね・・・・行くところがないなら、タクミお兄ちゃんたちが何をやっているのかちょっと見に行ってみない?」
「いかない。」
――――――即答だった。
それはリアーゼが最後の言葉を言うよりも早く、帰ってきた言葉。
必死にどうにかしようという好意を、そうとは気づかずに上から踏みつける行為。
まだ小さな子供相手に大人げない―――そう思えるような言葉だった。
「ぁ・・・そぅ・・・」
突然の出来事に、リアーゼはそう言うことしかできなかった。
そして――――
「リアーゼちゃん、やっぱりボク、今日はひとりで回ることにするよ。リアーゼちゃんは1人で歩くと危ないから、宿に戻って待っててね。あと、食事までにボクが戻らなかったら先に食べちゃっていいから。」
いつもと変わらないような声で、ノアはそう告げた。
「ぁ、うん・・・」
あからさまな自分を退けるための言葉に、少し声を詰まらせてリアーゼが頷く。
どうにかしなければ――――とも思ったが、これ以上は何を言っても無駄な気がするため、ここは一度ノアの言う通り宿に戻ることにする。
あそこにいれば、結局は戻ってくるんだ。
それなら戻ってくるまでに何か対策を立てておこう。リアーゼはそう決心する。
「あ、これ鍵ね。」
そう言って差し出された部屋の鍵を彼女は両手で受け取る。
そしてそのまま何も言わずにその場を立ち去った。
リアーゼは部屋に一人で戻る。
どうしたら2人の仲が良くなるのだろうか?
長い間必死に考えたが、一向にいい答えが浮かんでこない。
それもそうだ。
自分が友達というのを持ったことがないのだから・・・・
今、匠やノアが親しく、友達のように接してくれるが、それでもリアーゼから見たら恩人である。
2人が上で、彼女は下、リアーゼの中でその構図はいつまでもなくならない。
純善なる対等な関係のことなど、わかるはずがなかった。
う~ん、う~ん、
あーでもない、こーでもない。
無為といえる時間が過ぎていく。
気づけば外はもう暗くなっており、この部屋に差し込む光もいつの間にかなくなっていた。
まだ、ノアは返ってこない。
彼女は知らない街で一人、何をやっているのだろうか?
危ない目に合っていないだろうか?
ちゃんと――――――帰ってきてくれるのだろうか?
そんな不安ばかりが闇に混ざって自分の中に入ってくるように錯覚する。
と、その時、
―――――――コン、コン、
とノックの音が聞こえた。
外からはタクミお兄ちゃんの声が聞こえて来る。
彼女はゆっくりと扉に近づき、その鍵を開ける。
そしてそのままゆっくりと扉を開いた。
「あ、タクミお兄ちゃん、お帰りなさい。ご飯ですか?」
「ああ、それで呼びに来たんだけど・・・・ノアは?」
彼女はまだ帰ってきていない。
その原因は、おそらく予想がついている。
そのことを話すかどうか――――――リアーゼの中ではその二択が浮かんでいた。
ここでタクミお兄ちゃんにノアおねえちゃんとリリスさんのことを伝えれば、いつものように解決してくれるかもしれない。
そんな希望が頭の中によぎる。
彼はどんな状況でも、最終的には自分の勝利といえる結果に持ち込む。
それは自分の時と、リリスさんの時で確信している。
彼は普通の人とは違う何かを持っている。そんな気がいつもしているのだ。
だが――――――だからといってこの問題まで押し付けてしまっていいのだろうか?
自分は一度、助けられて身で―――さらに助けてというのは図々しいのではないだろうか?
第一、これはノアおねえちゃんとリリスさんの問題であって、タクミお兄ちゃんは何も関係がないのではないか?
もし、このまま伝えてしまったら、悲しませてしまうのではないか?
そんな思いが、彼に事実を伝えることをためらわせてしまう。
「あ、それなんだけど・・・おねえちゃん帰るのが遅れるって言っていた。ご飯は私抜きで食べてくれーだって」
結局、自分にそれを言う勇気はなかった。
リアーゼもノアと同じく、体裁を取り繕うような発言をしてしまう。
結局、今の自分たちのパーティの中で、一番自分に正直なのはリリスさんなのだろう。
タクミお兄ちゃんも、そこが気に入ってああやって仲がいいのかもしれない・・・・
久しぶりに視界に入ってきた陰を見ながら、リアーゼはタクミの後を追い食堂に向かうべく一階へ続く階段を降りていった。