第二話 赤き輪の反乱軍
「おーいノエル。そろそろ帰るぞ!」
仕留めた得物を担ぎ周囲を見渡しながら青年が大声を上げる。
青年の名はミルト。今日もいつものように朝から陽が暮れるまで狩りに精を出していた。
狩りに同行したのは狩人仲間のフレッサーとノエルだ。フレッサーは隣で汗を拭いながら切り株に腰掛けている。
「えー、もう帰るの? まだまだ獲物は一杯いるのに。もったいなくないかな」
立ち並ぶ木々、その上の方から不服そうな声が聞こえてくる。
「今日の稼ぎとしては十分すぎる。一度に欲張りすぎるのも良くないんだ。とにかく、さっさと降りて来いよ」
「うん、分かった」
ミルトの目の前に何匹もの鳥や兎の死体が無造作に放り投げられた後、ノエルが颯爽と飛び降りてきた。
獲物の急所には、どれも見事に矢が突き刺さっている。
「相変わらず凄いな。本当に化物じみた腕だ」
「でも、弓は苦手なんだよ。矢がなくなったら戦えないしね」
「一撃で仕留めておいて良く言うぜ」
ミルトは舌を巻かざるを得ない。熟練の狩人でも、毎回こうはいかないだろう。まだまだ駆け出しのミルトとフレッサーは言うまでもない。これで弓はあまり得意じゃない、などとのたまうのだから堪ったものではない。
「おいおい、俺たちがやっとの思いで小さな猪を仕留めたってのによ。これじゃあ、またお前が一番じゃないか」
フレッサーが息絶えた猪を小突く。小ぶりなのであまり褒められた成果ではない。
「ね、ね、凄い?」
「あー、凄い凄い。お前は凄いよ」
「やった。それじゃ、これあげるね」
ノエルが無邪気に微笑むと、お世辞を言ったフレッサーに木の実を放り投げた。
「おう、悪いな。……ちっ、相変わらず酸っぱいぜ」
フレッサーが顔を顰めながら実を噛み砕いた。
ノエルは暑いと言いながら、服の胸元を緩め始める。ミルトは思わず目を背けるのだが、フレッサーは嬉しそうに凝視している。
(……こいつは本当に相変わらずだ。自分も一応女だってことは分かってるのか?)
無防備さに苛々しながら、ミルトは胸元を隠すように布巾を放り投げる。フレッサーが軽く舌打ちをする。
「……風邪をひくからさっさと汗を拭けよ。ほら」
「うん」
胸元を整えた後、燃えるように赤い髪を布巾で拭き始める。赤い乱髪が無造作に揺れる度にミルトは見とれてしまう。なぜか惹きつけられる。
「ありがとう、これ返すね。さーて、帰ってご飯にしよう! 良く食べて良く寝るのが幸せの第一歩なんでしょ?」
ノエルが懐から手帳を取り出して確認している。
この女の宝物の一つ、幸せ手帳だ。ノエルは誰彼構わず幸せになる方法を聞きまくって、それを一つ残さず書き留めている。考慮の結果、不採用となったものには斜線を引いているようだ。
実践しようと努力しているらしいが、いまいち捗っていないらしい。その度に、世の中本当に上手く行かないものだと嘆いている。
「そういうことだ。よし、じゃあいよいよ帰るとしよう。フレッサー、獲物を纏めようぜ」
「おう。これだけありゃ今日はご馳走だな」
「二人とも、頑張ってね」
「お前もやるんだよ。その袋から紐を取ってくれ」
「うん、分かった」
鳥や兎の死体を木の棒に括りつけていく。この山岳地帯では、作物は育ちにくい。村人たちの日々の糧は狩人の獲物によって支えられている。だから、余所者であったノエルもこの村に入り込むことができたのだ。村に利益をもたらさない人間を養う余裕などない。
老若男女、皆がぎりぎりのところで日々を生きている。
(噂じゃ反乱が起きたとかいう話だけどな。俺の知ったことじゃないさ)
重い税金に不満はある。精一杯働いても全く楽にならない。収穫物の殆どは村に納められ、近くの街で売り払って金にする。そこから州に税を納めるのだ。死ぬまで後数十年もこんな日々が続くのかと思うと暗澹とした気分になる。
だが、剣を取って立ち上がろうなどと考えたことはない。そんな勇気はないし、力もない。村の寂れた酒場で仲間たちと愚痴っているのが精一杯だ。
そんなどうしようもなく萎びたつまらない日々に、突如としてこの脳天気な女が現れたのだ。
大きさがあっていない行商人のような服装を身に付け、背中には奇妙な二又の槍を背負って。
そして、暫くここにいさせてくれと満面の笑みで言ってのけた。
小さな村としては一大事だ。村長は全員を集め、対応を検討した。
ノエルから詳しく事情を聞こうとしたが、捨てられたので良く分からないとしか答えない。ならば、何ができるのかを聞くと、何でもできると大口を叩いてみせる。
村長は呆れて言葉もなかったようだが、結局は受け入れることになった。ノエルの年頃は十六歳前後。見栄えは悪くないので、役に立たないと分かったら売り払うつもりだったようだ。今までも数度あったことなので別に驚くことでもない。売られたのは、養えなくなった村人の子供だが。
だが大方の予想に反して、ノエルは村に定住することを許された。村のボロ家に住み始めると直ぐに、狩人としての才覚を現し始めたからだ。ミルトが貸してやった古い弓矢を片手に、山ほどの獲物を狩って見せた。村一番の熟練狩人の三日分に匹敵し、このままでは動物を狩りつくしてしまうと“待った”が掛けられるほどの腕前。今では完全にゾイム村の一員である。
「なぁ、どうしてお前はそんなに狩りが上手いんだ? なんか秘密でもあるのか? 隠れてる動物を見つけるコツとか」
「別にないよ。ただ、何となく分かるんだよね。どこに隠れているのか、どこに投げれば仕留められるのか。ね、これって凄い?」
「あー凄い凄い、お前は本当に凄いよ。ほら、分かったから手を動かせ」
「はー、生まれ持った才能って奴かよ。羨ましいねぇ。お前を嫁にもらえたら、一生食うのには困らないんだろうなぁ」
「そうかなぁ?」
「そうさ。間違いないって」
フレッサーが茶化すと、ノエルは良く分からないといった顔をする。フレッサーがそのまま続ける。
「……なぁこの前の話、そろそろ考えてくれたか?」
「それって、私と結婚したいとか言ってたあれ?」
「ああ、そうだ。真剣に考えてくれって言っただろ。で、どうなんだよ。言っておくが、俺は真剣だぞ」
フレッサーが普段見せない真面目な表情で尋ねる。村の男たちの一番人気は当然ノエルだ。若くて見栄えも良く、抜群の狩りの腕を持つ。既に何人もの男が誘いを掛けている。嫁に迎えることができれば村で大きな顔ができるのは間違いない。
だが、この女にはそれが伝わらない。年頃の女ならもっていて当たり前の“女らしさ”というものが完全に欠如している。
「うーん、気持ちは嬉しいけど、やめとくね」
「な、なんでだよ!」
「だって、結婚しても幸せにはなれるかは分からないんでしょ? 村のおばさんが言ってたし。本当に嫌なことばっかりだってぼやいてた」
先ほどの幸せ手帳を取り出して確認している。横から覗き込むと、結婚するという項目には残念ながら斜線が引かれていた。
「陰険な糞婆ァのいうことなんて気にするなよ。大丈夫、俺なら絶対に幸せにしてやれるって!」
フレッサーが必死に言い募る。本気で惚れているのか、それとも村の女の中から消去法で選んだ結果かは判断できない。
「誰かを好きになるとか、そういうのは、私には全然分からない。今は一緒に暮らしたいとも別に思わないし。だから、暫くは止めておくね」
ノエルが笑いながら、だがはっきりと拒絶する。
(こいつはこういう女だからな。本当に変な奴だ。何を考えているのかさっぱりだ)
普段は飄々として脳天気な女なのだが、時折その表情を変えるのだ。陽気な一面の裏に、暗い何かがたまに見え隠れする時がある。それが顕著となるのは雨の日だ。それも雨の日の夜ともなれば、ノエルは人が変わったかのように陰気になる。声をかけるのを躊躇するぐらいに。
以前、雨がひどく降った日のことだ。酔っ払った乱暴者がノエルに夜這いを掛けたことがあった。何件も前科があったが、仕返しを恐れて誰も村長に言いつけようとはしなかった。それに図に乗ったのか、いよいよノエルに手を出そうとしたのだ。だが、今回ばかりは相手が悪かったらしい。
次の日の朝、半殺しの状態で広場に伸びている男の姿があった。余程恐ろしい目にあったようで、それ以来ノエルには一切近寄ろうとはしない。その目は脅えきった犬そのものだった。今は村からも追い出され、どこにいるのかも分からない。
フレッサーもそのことを思い出したのか、それ以上は言葉を発しなかった。
ミルトはほっとしてしまった自分に、思わず嫌気が差した。
山を下りて村に帰る途中、鍬を持った大柄の青年に呼び止められた。
仲間からはのっぽのクラフトと呼ばれる大人しい若者だ。村では畑仕事で生計を立てている。
「おーい、みんな!」
「なんだよクラフト。こんな所に立ってても飯はでてこねーぞ」
フレッサーがからかいながら背中を叩く。性格はまるで違うが気が合うようで、よくつるんでいるのを見かける。
「違うよ。村の方が騒がしいんだ。何かあったのかな」
「戻れば直ぐに分かるだろうが」
「だってさ、もしかしたら盗賊が来たのかもしれないし」
村に盗賊団が押し寄せるのはそう珍しいことじゃない。大人しく金を出せば彼らは危害を加えてはこない。人数が少なければ逆に返り討ちにして、身包みを剥ぐ。共同生活を送っているのは、自衛のためでもあるのだ。
「確かに、騒がしいね。うーん、お祭りかな? お祭りは楽しいよね」
ノエルが脳天気なことをほざいている。
「いくらなんでも、こんな時期に祭りなんてやらねーよ」
「お祭りは楽しいよね。とっても賑やかでご馳走も一杯。太鼓を叩いたり、笛を吹くのは面白いよ。私も練習したから今度は上手く――」
「……お前の馬鹿話に付き合ってる場合じゃなさそうだ。見ろ、火の手が上がりやがったぞ!」
「おいおい、本当かよ!?」
フレッサーとクラフトの顔が青褪める。ゾイム村の方角からは確かに黒煙が上がっている。
火付けをするような盗賊団はこの辺りにはいない。そんなことをしたら、彼らの稼ぎ場所がなくなってしまうからだ。ということは、他所の連中が縄張りを越えてやってきたのかもしれない。
「ど、どうしよう。ね、ねぇフレッサー、僕たちは逃げた方がいいのかな?」
「ふざけんな! お袋たちを見捨てて逃げられるか、この大馬鹿野郎がッ!」
フレッサーがクラフトの頭をはたく。
勿論ミルトも同意見だ。身内を捨てて逃げるつもりは毛頭ない。一人でも行くつもりだ。
「よし、さっさと戻るぞ。話が通じる相手だと良いんだが」
「ノエル、き、君も戻るのかい? もし相手が乱暴な盗賊だったら、殺されちゃうかもしれないよ」
「心配しなくても大丈夫。私の邪魔をする奴等は全員殺すから。そうしないと、とんでもないことになるからね」
背中の二又の槍を右手に持つと、にこやかに笑うノエル。クラフトは信じられないと絶句している。それはそうだろう。盗賊の集団相手に、狩人と農民が勝てるわけがない。――普通ならば。
(この馬鹿女、本気でやりあうつもりか? 人間と動物は違うってのを分かってないんじゃないか)
人間は動物と違い頭が働く。普段の狩りのようにはいかない。人を殺したことはないが、それぐらいはミルトにも分かる。
それに、ノエルの弓の腕は確かだが、槍の腕前は見たことがない。いつも背中にくっつけているが、それを使って狩りはしていない。
下手に手を出したせいで、無残に殺されるなど冗談ではない。
「ノエル。まだ相手が誰かも分からないんだ。絶対に手を出すなよ。お前が先走って死ぬのはどうでも良いが、俺たちや家族まで巻き添えになる」
「うん、分かった」
「おい、本当に分かってるのか?」
「はい、分かりました」
ノエルが右手を胸の前に折りたたむ。軍隊でやるような敬礼だ。冗談でやっているにしては、様になりすぎている。背筋もきっちり伸びて、表情も真剣なものだ。
狩人の装束でなければ、恐らく軍人に見えたことだろう。
「……お、俺も真似した方が良いのか?」
「じゃあ、僕も?」
フレッサーとクラフトが見よう見真似で敬礼しようとしている。言うまでもなくノエルとの差は歴然だ。
「お前らの好きにしろよ。ほら、馬鹿なこと言ってないで急いで戻るぞ!」
ミルトは肩を竦めて村へとさっさと歩き始めた。
村に入ると、右腕に赤布を巻いた男たちがたむろしていた。略奪などは行なわれていないらしく、悲鳴は聞こえてこない。
村で一番大きな建物、村長の家には見慣れぬ旗が翻っている。白地に赤い斜線が二本入ったものだが、どこのものかまでは分からない。この地帯を治めるコインブラ軍のものでないことは確かだ。
見張りの男に発見されると、強制的に他の村人たちの下へと連れて行かれた。
「フレッサー、アンタ、無事だったのかい!」
「あ、ああ。しかし、こりゃどういうことなんだ」
「私にもさっぱり分からないよ。いきなり大人数が入ってきて」
フレッサーが母親と無事を確かめ合っている。
ミルトは唯一の身内を探す。目当ての人物と目が合うと、お互いに駆け寄る。
「兄ちゃん!」
「キャル! あいつらに何もされなかったか!?」
「うん。でも、怖かった」
「もう大丈夫だ。兄ちゃんが一緒だからな」
ミルトが抱きしめてやると、キャルはようやく笑顔を見せた。
「幸せそうで羨ましいな。ねぇ、結婚しないでも家族って作れるの?」
手帳を取り出して馬鹿なことを訊いてくるノエル。無防備に顔を近づけてきたので、右手で軽く追い払う。
「おい、今がどういう状況か分かってるのか。そのおめでたい頭でも、今がヤバイってことは理解できるよな?」
「うん。村がわけの分からない連中に占拠されて大変だよね」
ノエルはもちろん分かると全力で頷いた。
「分かっているなら大人しくしてろ!」
ミルトは馬鹿は放っておいて、盗賊団らしき男たちを気付かれないように観察する。男たちは右腕に赤布を巻き、それぞれが剣や槍、挙句は鍬などで武装している。装束はバラバラで統一感がない。盗賊というには不釣合いな人間も何人か混ざっている。
「それにしても、なんなんだこいつら。そこらの盗賊とは違うみたいだが」
「寄せ集めっぽいよね。ほら、あの人なんて剣じゃなくて竹箒持ってるよ。武器のつもりなのかな」
ノエルが指で示そうとしたので、慌ててとめる。
「声がでかいし、目立つことをするなっ」
「誰も聞いてないし、見てないよ」
「万が一があったら困るだろうがっ」
「そうだね」
しばらくすると、盗賊団の中から一人の男が進み出てきた。他の者よりも体格が一回り大きく、装備も整っている。盗賊というよりは、腕利きの傭兵のような格好だ。違うというのが一目で分かる。
静粛にしろと武装した男たちが叫ぶと、一瞬にして静寂が訪れる。
代表格の男は周囲を見渡すと、よく響く大きな声で話し始めた。
「我らはコインブラ太守、グロール・ヴァルデッカの悪政に堪えかねて決起した者、義によって立った“赤輪軍”だ!」
「せ、赤輪軍……ですか?」
村長が腰を低くして尋ねると、リスティヒが頷く。
「そうだ。私の名はリスティヒ、赤輪軍の首領を務めている。我らが今まで流してきた夥しい量の血。それを同志の証として腕に巻いている。あの旗に刻まれた赤き車輪は、我らの蓄えを奪い、貪っている連中に裁きを下すまで進み続けるという覚悟の現れだ!」
「は、はあ」
「我ら赤輪軍は、コインブラ北部から州都を目指し、その数は日に日に増している。これはグロールの悪政の何よりの証拠といえよう。いずれは皇帝陛下の耳にも届くに違いない! そうすればコインブラを牛耳る蛆虫どもは必ず報いを受ける!」
得意気に言い切るリスティヒとは対照的に、村長は完全に困惑してしまっている。
そういった話にはこの辺鄙な村には無縁なのだ。政治に唯一関わることができるのは、徴税官が訪れる時と、徴兵で若者が連れて行かれる時ぐらいだ。
なにやら話が見えてきた気がするが、ミルトは黙っている。目を付けられては敵わない。
隣のノエルは目を瞑っている。たまに身体がぐらつくので、本当に寝ているのかもしれない。注意しようかと思ったが、騒がれるよりはマシなので放っておく。
キャルがノエルの胴を後ろから両手で支えてやっている。妹はこの脳天気な女にとても懐いているのだ。
「それで、この寂れた村に、一体どのような御用でしょうか。おもてなししようにも、生憎我らも蓄えが少ないもので」
「同胞から奪おうなどとは考えていない。それではあの腐敗した連中と同じになってしまう。我らの要求はただ一つ。赤輪軍の同志に加わってもらいたいのだ。誰かが何とかしてくれる、それでは何も変えることはできない。自ら剣を取り、立ち上がらねばならぬ。そう、今がまさにその時なのだ!」
「……つまり、我らも剣を取り、コインブラ公に対し蜂起しろということでしょうか」
「簡単に言えばそういうことだ。だが、皇帝陛下や帝国に対して剣を向けるつもりはない。我らはコインブラの蛆虫どもを排除するのが目的だ。我等の義挙が反逆罪に問われることはない!」
眉間に皺を寄せた村長の問いに、リスティヒが強く言い切ってみせる。
これでもし拒否すれば、取り囲んでいる軍勢は一斉に略奪行為に走るだろう。反乱軍首領リスティヒの言葉は、殺されたくなければ、物資か人間を提供しろという強烈な脅しだ。
だが、反乱は重罪。全員参加して、もしも敗北するようなことになれば末路は悲惨だろう。
村長はしばし沈黙したが、やむを得ないといった表情で決断する。
「……分かりました。村の若者を数名参加させますので、どうかそれでご容赦ください」
「感謝する。グロールの悪政を世に訴え、民の生活を改善させるのが我らの目的だ。村長、貴方の判断が正しかったことは必ず証明されるだろう!」
リスティヒはそう言い放って、馬に乗り先へと進み始めた。重装した騎兵が続き、その後に赤輪軍の男たちがばらばらに行進していく。
彼らが反乱軍の先頭集団のようで、後続部隊は遅れて到着するらしい。いきなり集められた者ばかりなのだから、統率が取れてないのも仕方ないだろう。
そんなことをミルトが考えていると、肩を落とした村長が重い足取りで村人たちの下に戻ってきた。
「皆の衆、聞いての通りだ。彼の言葉に従わざるを得ないだろう。悪いが、戦える者は彼らについていってくれ」
「そんな! あいつが何と言い繕ったって、反乱は重罪だ! 働き手がいなくなったら私たちはどうやって生きていったら!」
「いずれにせよ、従わなければこの村は今潰されてしまう。ならば、少しでもマシな方を選ぶしかなかろう」
「村長、詰所に連絡して州兵を呼んだらどうだ?」
「彼らが気付いていないわけはあるまい。見て見ぬ振りをしているのかもしれん。そして、南部から討伐軍が来る頃には我々は屍になっていることだろう。最早選ぶ道は一つしかないのだ。……選ばれた者には悪いが、分かってくれ。村が生き残るためだ」
村長は声を震わせて頭を下げた。反対の声は、もう上がることはなかった。
この状況でも周辺の州兵たちが出張ってこないところを見ると、日和見を決め込んでいるのだろう。民たちが太守のグロールの統治に不満を抱いているのは事実だ。
状況が良くなるならばという思いで参加した者もそれなりにいるのかもしれない。貧しい北部出身の州兵たちからすれば、命を張って鎮圧する義理はないということになる。むしろ反乱軍は代弁者であり、身内も同然だ。
腹を決めた村長と、発言力のある者たちが集まって喧々囂々と話し始める。誰を差し出すかという相談だ。
結局、参加するのはミルトを中心とした狩人組と、クラフトなどの農民組となった。総勢10名。
当然ノエルも頭数に入っている。こういう時は余所者や二男坊が差し出されると相場は決まっている。
「ねぇ皆、ちょっと聞いてくれる?」
「なんだよ」
ノエルがいつになく真面目ぶった顔で、参加する面々に話しかける。
「えーとね、家族も一緒に連れて行くか、どこかに逃げるように言った方が良いよ」
「……そりゃどういうことだ」
「そうだよ。どうして家族に逃げるように言わなくちゃいけないのさ? 僕たちは赤輪軍に加わるんだよ?」
クラフトが不思議そうに首を傾げる。他の面々も当然怪訝な表情だ。村を潰されないように参加するのだから当然である。
第一、家族を連れて反乱軍に参加するなど有り得ない。キャルやフレッサーの母親がまともに戦えるわけがないのだ。何もできずに死ぬことになる。
「うーんと、なんとなくだけど。このままだと、多分後続の部隊に潰されるんじゃないかなって」
「――え?」
「お、おい、待てよ。そんな馬鹿なことはありえないだろ!」
フレッサーが叫ぶが、ノエルが淡々と語る。
「だって赤輪軍だなんて言ってるけど、ただの寄せ集めだもの。統制が取れてない軍隊なんて、盗賊と何も変わらないよ」
「そんな……」
「後悔したくなかったら、親しい人たちには逃げるように言っておいた方が良いよ。別に無理にとは言わないけれど」
ノエルはそう言うと、キャルの手を握って歩き始めた。
「お、おい、キャルをどうする気だ!?」
ミルトが怒鳴りつけると、ノエルは穏やかに笑う。
「キャルは友達だから、私が守ってあげるよ。良かったね」
「ありがとう、ノエルお姉ちゃん!」
「うん。あ、あの絵本を一緒に読もうか。また違う話になってると思うから。今度はどんな話かな」
「いいよ! じゃあ準備してくるね!」
「ちょ、ちょっと待てッ! 勝手なことをするな!」
制止しながらミルトは迷う。連れて行くのは普通ならば考えられない。だが、ノエルの言葉も一理ある。どうするべきか。
(くそ、どうしたらいい!)
「ミルト、面白い顔してるね。酸っぱい物でも食べたみたい。ね、笑っても良い?」
既に笑っているくせに一々聞いてくる。苛ついたミルトは怒鳴りつける。
「うるせぇ! 考えてるんだから少し黙ってろ!」
「はい、分かりました」
また背筋を正して敬礼するノエル。だが、顔の笑みは消えていない。自分の置かれている状況が分かっているのかいないのか。全く判断ができない。
だが、今はノエルの馬鹿さ加減について考えている場合ではない。
(多分これから向かうのは、南のロックベルの街だ。状況次第じゃ適当なところで逃げ出すって手もある。……いずれにせよ、村の連中には隠れるように言った方が良いだろうな)
ゾイム村を街道沿いに南下すると、北部と南部の中間地点に当たるロックベルの街がある。比較的規模の大きい街で、反乱軍がその街を見逃すとは到底思えない。
「よし、俺は一応村長に言ってくる。ノエルの言うことも有り得なくはないと思うしな」
「確かに、どうなるかなんて分からねーよな。……あのリスティヒって奴もなんか胡散くさいし。いまいち信用できねぇ」
「そ、そうかな。真面目そうな人だったけど」
「外見だけで善悪が判断できりゃ人生楽だろうよ」
フレッサーが馬鹿馬鹿しいと吐き捨てた。ミルトも同意見だ。リスティヒは悪政を訴えるなどと言っていたが、上っ面だけでどうも必死さが足りないように思える。切羽詰った感じは全くない。貧しき者たちの代弁者にはとても見えなかった。
「でも、逃がすっていっても、近くの村も多分同じことになってるよね。ど、どうしよう」
クラフトが大きな身体を震わせてうろたえている。大きい体の癖に、気は人一倍小さいのだ。
ミルトは仕方がないので助言してやることにした。知り合いを放っておくほど人でなしではないつもりだ。
「暫く身を隠すだけなら、山の中でいいだろ。適当に食料を持って小屋に篭ってれば良いのさ。上手くやりすごすんだ」
「そうか! 流石はミルトだね。じゃあ、父ちゃんと母ちゃんに言ってくる!」
「俺も!」
のっぽのクラフトに続いて他の連中も散らばっていく。
「ノエル、悪いが俺が戻ってくるまでキャルを見ていてくれ。誰かに預けられそうなら頼んでくるからさ」
「うん、分かった」
ノエルが頷くのを確認し、村長たちの下へと向かう。
流石に十才になったばかりの妹を連れて行くのは無謀だ。途中で逃げる際の足かせにもなる。ミルトとしては、時期を見てとっとと逃げ出すつもりなのだから。これだけの集団なら、一人や二人欠けたところで気付かれることもない。
「残念だけど私は留守番みたいだね。絵本はまた今度かな。なんか、それどころじゃなさそうだし」
「この村にいなければ大丈夫。大事な物は全部持っていった方がいいよ。そうしないと屑どもに取られちゃうからね」
不安そうなキャルに、ノエルが笑いかける。
「ノエルお姉ちゃんは怖くないの? 村の人たちは皆脅えてたけど」
「今は全然怖くないかな。だって、雨が降っていないから。良い天気だし」
ノエルは空を見上げる。太陽は姿を隠してしまっているが、代わりに半分の月が世界を照らしている。だから怖くはないのだ。
「雨が降っていないと大丈夫なの?」
「うん。悪いことが起こるのはいつも雨の日だから。今までもずっとそうだった。雨の日は悪いことばかり」
ノエルは忌々しげに吐き捨てる。
「雨の日はいつも機嫌が悪いもんね。晴れた日はニコニコしてるのに、雨の日はとっても怖い顔してるし」
「晴れの日は良いことばかりだからね。あーあ、ずっと晴れだったらいいのにな」
太陽はノエルに元気をくれる。自慢の赤髪も太陽みたいな赤い色。名前を手に入れたのも晴れの日だった。
月や星は心を安らかにしてくれる。ぼんやりと輝く光を浴びながら眠るのは最高に気持ちが良い。
だから、ノエルは晴れの日が好きなのだ。
「でも、それだと作物が育たなくて飢え死にしちゃうよ」
「……うーん、それもそうだね」
「そうそう、雨だって大事なんだよ。雨の日は水を汲みにいかなくて済むし!」
キャルの言葉を聴きながら、ノエルはあの日のことを思い出す。
忘れようとしても忘れらない地獄の光景。鼻にこびりつく腐臭と耳障りな羽音。大きな穴に無造作に捨てられた夥しい死体。ノエルの大事な仲間たちだった。
幸せになれなかった者たちの結末があれだ。それを世界から覆い隠すように降り続ける冷たい雨。だから雨は嫌いだ。自分の存在が掻き消されてしまいそうだから。
「――でも、やっぱり私は雨が嫌いだな。うん、大嫌いだ」