幕間其の11
小話22 魔王の私物
『天輪の都・シャハル』。『完善なる神』を崇める信徒達の聖都であるこの都市は、多くの人口を抱え日中は騒がしいが、夜中である今は聖都は静まり返っている。
そのシャハルの中心、教皇と高司祭達が住む大神殿『法と秩序の殿堂』の通路を、勇者ことヴァイリンは歩いていた。
通路に明かりは十分備え付けられているが、すれ違う者もおらず、人の気配も無い。もし一般人がその通路を歩けば、孤独感と寂寥感に耐えられず、窓から身を投じていたかも知れない。
だが勇者であるヴァイリンはそんな矮小な感情には縁が無いとばかりに無表情に、ゆったり歩いている。何度も通っているからか、あるいはこの先に仲間が居ると知っているからか。
ヴァイリンがある区画に入ると、途端に人の気配、息遣いが聞こえてきた。その区画はヴァイリンの仲間達、共に魔王を倒さんと戦ってきた盟友達の住む区画だった。夜中なので皆寝ているのだろう。通路の壁にある全ての扉から、幾つもの寝息が聞こえてくる。
ヴァイリンは硬かった表情を柔らかくしてそれらの扉を横目に歩いて行く。
そして目的の扉の前に辿り着いた。その扉からも寝息が聞こえてくるが、柔らかかったヴァイリンの表情はちょっと歪み、少々不機嫌なものに変わった。ヴァイリンは音を立てないようにそっと扉を開ける。
部屋の中はまるで死体置き場か殺人事件現場のようだった。
中央には大きく魔方陣が描かれ、部屋の端には机と椅子、複数の本棚が所狭しと並べられている。その間には大きめの掲示板がはみ出るように設置され、複雑な計算式や図面が描かれたメモ用紙が多数貼られている。魔方陣の中心に、男物のパンツと金槌が置いてあるのが奇妙な印象を受ける。
床には専門書、魔術書の類が乱雑に散らばっており、その間を縫うようにして、あるいは本を枕にして四人の男女が寝転がっている。皆憔悴し、疲れきった末に眠りに付いたようで、表情は穏やかと言うより苦悶の色が強い。
ヴァイリンはしばしその惨状を眺めていたが、彼ら彼女ら、あるいは本を踏まないように慎重に部屋の中に分け入っていった。ヴァイリンは一番奥の魔方陣に突っ伏すように寝ている、豪奢な服を着た男性の脇に跪く。
中年の域にさしかかったその男性は、苦虫を噛み潰したような顔でいびきも立てずに熟睡しているようだった。ヴァイリンはそっと片手で彼の口を塞ぎ、片手を軽く振り上げる。
スパンッ!
軽く振ったつもりの手は意外にいい音を出してしまった。
「むごっ!? ……むぐむごむご!!」
口を塞がれていたおかげで、起きぬけの罵声は阻止することができた。ヴァイリンは静かにするように口の前に指を立てる。
強制的に起された男性も周りを見て状況を思い出したのか、何度か頷いて了解の意を示す。
ヴァイリンは彼に外にでるよう指で示し、先に立って歩き出す。男性も憮然とした表情ではあったが、素直に静かに従った。
二人が部屋の外に出ると、ヴァイリンはそっと扉を閉めて、男性と相対する。
「何寝てるんですか、導師ゴヴァノ。魔王の捜索は終わったんですか?」
「不眠不休で何日やっとると思ってるんだ貴様!! ある程度目処が付いたから寝てたんだよ!」
ゴヴァノの返答にヴァイリンの顔が明るくなる。
「おお! では魔王が見つかったのですか!?」
「いや、今の総当り的な捜索を続けていては、俺の寿命が尽きても魔王は見つからない、と結論の目処が付いた」
「おやおや、まだ目が覚めていないようですね。これはいけない、早く導師を覚醒させないと」
そう言って腰の剣に手をかけるヴァイリンを、ゴヴァノは苦々しく睨みつける。
「ここで貴様と大喧嘩してもいいが、しっかり眠れている貴様とでは勝負にならんな。羨ましいなぁ、勇者はまともに寝れて。その勇者の仲間は、幾つの夜を徹して捜索したかもう覚えてないのになぁ」
痛いところを突かれた勇者は剣に掛けた手を戻し、後頭部を掻きながら話を続ける。
「それで、現在の捜索方法では限界があるとの事ですが、そんなに難しいものなのですか?」
「ああ。別の次元を捜索すると言っても、口では簡単に聞こえるがその方法は結構複雑だ。その次元に住んでいる者達の注意を引かないように、しかし出来る限り精度の高い捜索を行おうとすると、かなりの時間と労力を使う。一つの次元を精査するのに最低半日、長いと数日かかるからな。今のところ、送り込む予定だった次元に近い順から探しているが、二十を超えてもまだ見つかる気配が無い」
ゴヴァノは乱れた服を直しながら、体のそこかしこを掻いている。加齢臭に混じり汗の臭いも漂い、彼がまともに風呂にも入れていない事をヴァイリンに感じさせた。その事を気の毒には感じるが、ヴァイリンはそれでも表情を引き締めてゴヴァノを急かす。
「今は一刻も早い魔王の位置特定が必要なんです。他に方法は無いのですか?」
ゴヴァノは服に皺が出来ている部分を見つけ苛立たし気だったが、勇者の発言にふと表情を消し、口の端を吊り上げる人の悪い笑みを浮かべた。
「そうそう、それなんだが……。勇者ヴァイリンよ、魔術師ゴヴァノから一つ頼みがある」
「うわぁお、凄く聞きたく無いけど、聞きましょう。何ですか?」
そこで少し溜めを作ったゴヴァノは、袖を翻しながら堂々と宣言した。
「火竜王アバドンを倒し、魔王残党軍の持つ『魔王の私物』を持ち帰るのだ!!」
ゴヴァノは芝居がかった口調で、ヴァイリンを指差しながらそう言った。ヴァイリンは少しの間沈黙していたが、すっとゴヴァノに近づきその肩に手を置く。
「長いこと寝ていないから、仕方が無いのかも知れませんが……寝言は寝て言って下さい」
「じゃあ寝させてくれよ。いや冗談じゃなくて、本気で魔王がよく使ってた物品が必要なんだってば」
「……詳しくお願いします」
改めて聞く体制に入ったヴァイリン。ゴヴァノは一つ咳払いをして居住まいを正し、説明を始める。
「まず魔王の捜索に次元を一々総当りで調べるのは時間が掛かり過ぎる。だから魔王と繋がりの深い物品や人物を通して、占術を組み合わせた捜索に移行しようと思う。今まではアバドンの件があったから私物の回収は諦めてたんだが……、総当りの方が時間が掛かりそうだと結論付けた」
ヴァイリンはふむふむと頷いていたが、途中で手を上げてゴヴァノを制す。
「確か魔王城から何点か私物を回収してませんでしたか?」
「ああ、『魔王のパンツ』と『魔王の大工道具』ならもう試した。だがどっちも長い事使っていなかったようで繋がりが浅すぎた。魔王の自室からは物が持ち出された形跡があったから、重要度の高い物品を残党軍が回収した可能性が高い。それを探してきてくれ」
そこでゴヴァノは黙り込む。不審に思ったヴァイリンが首を傾げると、ゴヴァノはそれに気付いて何でも無いと手を振る。
「ちょっと変な事を思い出しただけだ。……自室に自前の大工道具を用意している魔王って何なんだろうな。魔王の部屋を見たが、机や椅子に修理の痕跡が見えたし……、相当困窮してたのかあいつら?」
単に魔王が貧乏性で、気に入った机と椅子を使い続けたかっただけなのだが、彼らにはその事は分からなかった。
「パンツなんて熊のアップリケが付いていたし、名前も刺繍されてたぞ。しかもアップリケは破れた所を隠す形で縫われてた。……微妙に親近感を感じて嫌な気分だったぞ……」
アナトーお手製である。
「魔王と言われてはいるが、妙に人間臭いところもある。俺の先祖からの言い伝えにもそうあるからなぁ」
「勇者の一族に伝わる内容にしては、間の抜けた内容だなぁ。他にも負けたら『ダンディー』って書かれる、ってのもあったよな」
「『ダンディー』は親父だけだ。正確には落書きされる、だな。そこのところ間違えないように」
「…くっ、首…! 締ま……。お、落ちる……」
ぎりぎりとゴヴァノの襟を締めながらヴァイリンが訂正する。ゴヴァノは大慌てでヴァイリンの腕をタップし降参する。
ヴァイリンの手から解放されたゴヴァノは恨みがましい目でヴァイリンを睨む。
「げほっげほっ! …お前、俺が死んだら魔王捜索できねぇぞ。もうちょっと仲間に優しくしろよな」
「優しくしたらつけ上がるでしょう。私物の件は分かりました。アバドン討伐は難しいですが、アバドンに見つからないように、残党軍に潜入する方法で何とか回収を試みますよ」
それだけ言うとヴァイリンは踵を返して去って行った。労いの言葉一つ無いヴァイリンにゴヴァノは不満があったが、ヴァイリンの立場も分かっているので、毒突く事もせず部屋に戻ろうとする。
その時ゴヴァノは自分の懐に、さっきまでは無かった何かの重みを感じた。
ゴヴァノが懐を検めると、そこにはゴヴァノの好きな銘柄の酒の小瓶が入っていた。
「……素直じゃないなぁ、うちの勇者は」
既に見えなくなったヴァイリンの背を通路に幻視し、ゴヴァノは一つ肩を竦めて部屋に入った。
小話23 遠い空の下
エルフ達の国、シルヴェ・アールヴの都市に防壁は無いと言われる。確かに見た目上都市を囲う壁は存在しない。しかし必ず存在するものがある。
それは森である。シルヴェ・アールヴの都市は全て深い森林に囲まれて存在している。そしてその森の中に伸びる道だけが、エルフ以外が安全に都市に辿り着ける唯一の方法だった。もしエルフ以外の者が森に入れば、シルヴェ・アールヴの森林防衛隊か、樹人か、はたまた森に住む獣か、……もしくは森そのものが愚かな侵入者を飲み込むだろう。
シルヴェ・アールヴの都市には防壁が無いのではない。都市を囲む巨大な森林が何者をも越えられぬ壁となっているのだ。
外敵には危険な領域である森も、シルヴェ・アールヴに住むエルフには家の庭みたいなものである。国内のエルフ達は例え森の奥深くに入り込もうとも、森林防衛隊や樹人、森の精霊達が生かしてくれる。
しかし、そんなエルフ達でも近寄らない森もある。どこと指定されたわけではない。だが一般のエルフ達には、恐怖の感覚となってその境界が感じられる。他の種族にそれは無い。気付かず入っては帰って来ないだけ。尤も、そんな禁忌の場所は森の最奥と言ってもいい場所にあるので、そもそも辿り着けないが。
禁忌の森は、限られた一部の者しか生存を許されない。そして、ある禁忌の森で、その限られた者達の会議が行われていた。
夜の帳が下り、星の光どころか月の光も射さぬ木々の下、火も焚かずに複数の人影がそこにあった。
いずれも丈の長いマントを羽織り、フードを目深に被っている為、体格も顔も、性別すら分からない。その者達は木々に寄りかかったり、根っこに座ったり、あるいは太い枝に腰掛けるなど思い思いの体勢で一方向を向いている。
彼らの正面には、彼らと同様の影が一つ立っていた。
その者はぼそぼそと、聞こえ難い声で彼を囲む影達に指示を出していた。平坦で低い声音からは年齢も性別も推測できない。
「…黄金竜の姫の内偵は一旦我らの手を離れる。既に条約締結は滞り無く終了した。彼の姫は今後ガンザードへ向かう。後はエロハイム共和国、及びガンザード内の密偵が引き継ぐ。『足』はこれまでの報告書を首都まで送れ」
影の群れの中から一人が立ち上がり、姿を消した。それ以外は誰も微動だにせず、命令を待っている。
「警護任務に就いていた『弓』と『矢』、『剣』は任務解除。本部に戻って休め」
今度は三人の影が姿を消す。
「『目』と『耳』はク・クルカンへ移動だ。先日のエロハイム共和国内において、ク・クルカンの部隊が動いた件についての情報収集を手伝え。以後の指示は俺では無く現地の密偵から出される」
今度は二人の影が立ち上がったが、すぐには消えず、黙って指示を出した影を見ている。指示を出していた影はその者達に顔を向けると、抑揚の無い声で何事か尋ねる。
「どうした…? 何か質問か」
影の一人『目』が、女性らしい高い声音で応えた。
「私達は入隊時、『頭』の以外の命令は聞かぬよう言われた」
それにもう一人の『耳』も追従する。同じく女性の声、しかも先ほどの声と瓜二つの声だった。
「他部署の密偵に顎で使われるなど、『女王の操人形』としての誇りが……」
だが最後まで言い切る前に、正面から漏れてきた、底冷えのする殺気が『耳』を黙らせる。殺気を放った『頭』はやはり平坦な声音で言葉を紡ぐ。
「『頭』の命令は絶対であり、『女王の糸(意図)』への反逆は許されぬ。俺が命令を聞けと言えば、他部署の連中だろうと指示を仰げ」
それだけ言うと『目』と『耳』から視線を外し、黙す。言外に「さっさと行け」と態度で示していた。
『目』と『耳』は一瞬の逡巡の後、姿を消す。
大分影の数も少なくなっていた。『頭』はその後も次々と指示を出し、その度に一人、また一人と影が姿を消していく。
そして残るは二人になった。『頭』はそこで一人の影に目をやり、指示では無く質問を放つ。
「先日の……黄金竜の姫アウロラとエロハイム共和国内の大使館との通信の件だが……、確か『ファフニール』というドラゴンとの会話だったな?」
質問を受けた影は頷く。
「そのドラゴンについて調査しろと『糸』が繰られた。陛下は、黄金竜の姫の恋人に関心が在られる。未来の王族になるかも知れんから、今の内に出来るだけ情報を集めたい」
『頭』はもう一人残っていた影に手を向ける。
「『声』、お前も付いて行け。情報はいつも通り、毎日夜中に知らせるように」
次に『頭』は先ほど問いかけた影に手を向ける。
「『時』、情報収集はお前の担当だ。我らの存在を気取られぬよう、接触は控えろ。仮に我らの存在が露呈しそうな場合は……そのドラゴンを消せ」
単独でドラゴンを殺す事が出来るの者など、この世にはいないとさえ言われている。だが『時』と呼ばれた影は一切の同様無くそれを受け入れ、姿を消した。それに続いて『声』も姿を消す。
誰も居なくなった森で、『頭』の姿もいつの間にか消えていた。
木々の枝々を駆け抜けるように跳びながら、後ろに付いて来る『声』に気付かれないよう、そっと『時』は胸元の小さな袋を握り締めていた。
幕間其の10がコメディチックだったのに対して、シリアス調の幕間其の11でした。……え、魔王のパンツはギャグだろうって? まあシリアスの『尻』には掛かってるんで勘弁して下さい。……ああ、また読者様からの投石が増えそうだ。




