第10部 1話 家族の為に
滅鬼の矢――。
遥か昔、滅破が生み出した対鬼用の矢。そして、この世に在っては行けない危険な代物。多くの命を喰らい、全てを消滅する。
雨森はその矢の恐ろしさを知っており、良くその光景を夢に見る。光りが全てを呑み込んでいく様を、何も知らない人々が光りに消えていく様を。最後には何も無くなり、町一つが消し飛んだ。
家族も、友達も、大切な人も。皆消えてなくなり、雨森一人が生き残った。それは、当時小学生だった雨森には、その光景は忘れる事の出来ない衝撃的な光景だった。家族が――友達が――知人が――光りに消えるその瞬間に、助けを求める様な眼を向けた様な、そんな錯覚すら覚えた。実際、人は自分が消滅するなど気付かぬ内に光りの中へと消えていった為、そんな事はありえないのだが、幼かった雨森にはそう印象付いたのだ。
何度も夢に見たその光景が、頭の中に蘇る。足が震え、体が震えた。あんな事は二度とあっては行けない。そう思い、声を張り上げる。
「夏帆ちゃん! それはダメよ!」
叫び声に洸と夏帆が視線を雨森の方へ向けた。その刹那、爆音が響き漆黒の鬼が姿を消し、次の瞬間夏帆が吹き飛んだ。衝撃が広がり、地面を夏帆の体が抉る。弓が空を舞い、滅鬼の矢が地面に刺さった。
血に染まる夏帆の顔。意識はある様だが、完全に虫の息だ。指一つ動かす事が出来ず、僅かに視線を洸の方へ向け、微笑んだ様に見えた。
静かに拳を握り締める洸は、俯き奥歯を噛み締める。
「てっめぇ!」
『さぁ、邪魔は消えた。ここからが本気の勝負だ』
「ふざけんな!」
洸が地を駆ける。それに合わせ幻轟も地を蹴る。距離が縮まり、洸の右腕の封鬼符が不気味に光りを放つ。光りが拳へ移動し、指の合間から光りが漏れる。
「絶!」
拳を突き出すと同時に、漆黒の肢体が目の前から消え、拳が空を切った。だが、洸は驚く事無く素早く上半身を捻り、腰を回転させて後方へと回し蹴りを見舞う。大きく風を切り、振り抜いた足がゆっくりと地に降りる。
「チッ……」
小さく舌打ちをすると、振り返り視線を真っ直ぐに向ける。そこに幻轟が立っていた。洸よりも少し離れた位置だが、僅かに体制が乱れている。
「あと半歩か……」
ボソッと呟き、小さく息を吐く。右足首に僅かに光るものが見え、それが封鬼符である事に幻轟は気付いた。いつ巻かれたのかは不明だが、あの輝きから見て氣が大量に集まっているのは確かだった。
怒りをかみ殺し洸を睨む幻轟は、右拳に力を込める。禍々しい黒いオーラが拳に集まり、洸とは対照的に黒い光りを点滅させる。
睨み合いから、幻轟が先に動いた。洸の視界から消え、殺気だけを残し沈黙する。周囲を警戒しつつ、右拳を握った洸は何の迷いも無く拳を振り抜く。その刹那、洸の拳が何かを捉え弾き飛ばした。
衝撃が黒髪を揺らし、洸の右拳から白煙が上る。そして、ポタリと赤い雫が落ちた。
「今度は直撃だ」
笑みを浮かべる洸に対し、地面に横たわる漆黒の体がゆっくりと起き上がり、幻轟が静かに口を開く。
『貴様……何故、俺の動きが読めた……』
「動きを読んだ? んな芸当俺には無理だ。だが、夏帆のお陰で大分お前を追う事が出来る」
『どういう事だ!』
「ワザワザ、相手に自分の手札は見せネェよ。自分で考えろ」
不適に笑みを浮かべ、洸はもう一度拳を固く握った。立ち上がった幻轟は妙に落ち着いていた。洸の発言でどうやって動きを読んだのかのおおよそは分かったからだ。その事を踏まえ地を蹴った幻轟はまた洸の視界から姿を消す。
洸は全ての神経を研ぎ澄ます。聴覚と嗅覚。視覚に頼らず、この二つの感覚だけを研ぎ澄まし、辺りを警戒する。小さな鈴の音と、微かに感じる甘い香り。これが合図だった。
腰を捻り振り向き様に拳を振り抜く。だが、拳は空を切り、代わりに岩の様に固い物体が洸の顔面に衝突した。
「グッ!」
衝撃で上半身が反り返る。奥歯を噛み締め堪える洸は、倒れる事無く体勢を維持した。鼻から血が流れ、口角からも血が零れる。口の中に広がる鉄の味に、洸は唾を吐き出した。血と混ざった唾は鮮やかな赤色だった。
鼻血を左手で拭いた洸は、もう一度神経を研ぎ澄ます。さっきのは偶然だ。そう自分に言い聞かせ拳を握り締めると、静かに深呼吸をする。香りを辿り、音を聞き分ける。小さな鈴の音が音波を広げ、甘い香りが鼻を刺激する。その瞬間、洸がもう一度拳を振り抜く。
風を切る音が耳に残り、洸の体が地面を抉った。乱暴に地面を転げた洸の体は、砂塵を舞い上がらせ動きを止めた。握っていた拳は開かれ、力なく横たえる洸は空を見上げたまま静かに瞼を閉じ様としていた。
だが、耳に届いた重々しい足音に、重い瞼を開き奥歯を噛み締め上半身を起こす。何が起こったか分からなかったが、理解だけは出来た。カウンターだ。完璧で綺麗な破壊力抜群のカウンター。それが、腹を抉ったのだ。痛みだけが腹部に残されていた。
「クッ……テメェ……」
『悪いな。利用させてもらった。まさか、匂いと音で追ってるとは思わなかったがな』
「知ってたのか……」
『お前の言葉が教えてくれた。口は災いの元だな』
幻轟はそう言い右足のウラで洸の上半身を押し倒し、地面へと押し付けた。体が動かない。疲労と受けたダメージに加え、幻轟の右足。完全に動きを封じられた。右腕の封鬼符の光りも消え、反撃する事すら出来ない洸は、諦めた様に目を閉じた。
闇の中に浮かぶのは家族の顔。結衣、俊也、夏帆、弘樹、千尋、そして優作先生。色んな人の顔が何度も何度も繰り返し脳裏に浮かんだ。
(やっぱ、俺には無理だ……)
そう思うと、全ての映像がシャットダウンされ、真っ暗になった。何も考えず何処までも続く闇を見据える。
『弘樹と千尋はどうなる?』
(誰かが引き取ってくれる)
『この世界は?』
(俺が知るか)
『結衣は?』
(関係ない……)
『本当に……そうか?』
(…………)
自問自答する洸が、遂に言葉に詰まる。『本当にそうか?』その言葉が闇の中を巡り、声が続く。
『あの鬼は何だ?』
『アイツは誰が出した?』
『誰から出てきた?』
『お前の家族だろ?』
『本当に関係ないといえるのか?』
無次元の闇の中から交錯する様に言葉が投げかけられる。無言で闇の中を見回し、誰も居ない闇に怒鳴った。
(うるさい! 俺に何が出来る! 俺にどうしろって言うんだ! あんな化物に勝てる訳――)
『勝てないから戦わないのか?』
『傷付くのが嫌だから戦わないのか?』
『死ぬのが怖いのか?』
何度も響く声に洸は更に怒鳴る。
(俺だって人間だ! 死ぬのは怖い! 傷付くのは辛い! それでも、家族は守ってきたつもりだ! この手で……ずっと――)
『本当にそうか?』
『全力を尽くしたのか?』
『余力は無いのか?』
『家族は守ったのか?』
その言葉にハッとする。自分はまだ家族を守ってなんかいない。それ所か、俊也も夏帆も結衣も、命を落とすかもしれない。そんな状況で、自分は何をしているんだ。そう思うと、闇の中に光りが満ちた。
瞼が開かれ、右腕に巻かれた封鬼符に光りが戻る。そして、自分の上に置かれた黒い足を掴むと、力強い眼で幻轟を睨み、
「キタネェ足を乗っけんじゃネェ!」
幻轟の足を持ち上げ、洸は絶をぶつけた。