第9部 3話 破壊の王 幻轟
漆黒のしなやかな肢体に、洸の拳が減り込む。
「弾けろ!」
洸の声が響き、鬼がほくそ笑む。だが、洸はそれを気になどせず、拳の氣をぶつける様に一気に放出し、
「壊!」
高らかに声を響かせると、腕に巻かれた封鬼符が、拳の方に向け氣を搾り出す様に文様を輝かせ、洸も押し込む様に足を踏み込み力を込めた。衝撃が肩から突き抜け、洸の上半身が大きく揺らぐ。が、両足で確りと踏み止まると、もう一度氣を拳に集める。
薄明かりが封鬼符から放たれ、拳が僅かに光りを帯び、洸はそれをもう一度漆黒の体へと突き刺した。右肩に激痛を伴いながらも、奥歯を噛み力一杯に、
「壊ィィィィィッ!」
拳から光りが漏れ、封鬼符が今まで以上に強い光りを放ち、鈍い轟音を響かせた。肩を破壊してしまうのではないかと言う程の衝撃が肩を貫く。その衝撃に表情を歪める洸の視線の先には、宙に舞う固体を捕捉していた。
突き出された拳は光りを失い、巻かれた封鬼符が不気味に点滅する。呼吸を荒げる洸は、違和感を感じつつも、真っ直ぐに鬼を見据え痛みを堪えていた。
だが、突如体が揺らぐ。視界が激しく歪み、固体が視野から消えた錯覚を見る。その刹那、殺意全開の殺気が洸の体を襲い、封鬼符が巻かれた右腕が裂け鮮血が噴出した。
洸の表情が耐え様の無い痛みに大きく歪み、同時に声にもならない叫び声が響く。飛び散る鮮血の向こうに、黒い肢体を揺らす鬼が白い歯を見せて不気味に笑った。背筋をゾッとさせ、痛みすらも忘れてしまい、洸はただ恐怖だけを感じその場に膝を落とす。
その時、声が聞こえた。やけに遠くの方から聞こえた様な小さな声に、僅かに洸の視線だけが動き、その視界に少年と女性の二人の姿を見た。見間違えるハズが無い。その姿は俊也と雨森の二人だった。
「クッ……」
僅かに苦渋の表情を見せると、右腕を押さえたまま叫ぶ。
「来るな!」
声に俊也が動きを止め、雨森がその体を拘束する。
「あなた死にたいの!」
そんな雨森の叫び声が、耳に届く。僅かながらに震えた声だった。雨森も得体の知れない鬼の存在に、恐怖を感じているのだろう。それが、当たり前の反応だ。
これ程までに強大で禍々しいオーラを感じたのはきっと初めてだろう。握った拳から溢れる汗、体を襲う震え、息を吸う度に鼓動が大きく早くなる。
「な、何なの! アレは!」
厳しい視線を洸に向け、俊也を抑えたまま問う。その問いに表情を曇らせた洸に代わり、地上へと降り立った黒き鬼が述べる。
『我は破壊の王。名は――幻轟と、名乗っておこう。世界は闇に包まれ、人々は恐怖する。我の存在に』
高らかに両腕を広げる破壊の王、幻轟。彼の漆黒の体躯を僅かに残った夕日が照らす。まるでこの世に降り立った神を崇める様に。
「クッ……最悪ね」
「お……は――」
動きを拘束された俊也の口が僅かに言葉を紡ぐが、雨森は聞き取る事が出来なかった。些細な事だ、と彼女は聞き流す事にしたが、その判断は最悪のケースを生んだ。
「俺は! 戦うんだ!」
「――なっ!」
突然の事に雨森は驚く。完全に動きを拘束していたハズの俊也が、叫び声をあげると同時にその手を振り切り駆け出したのだ。誰もが思う。無謀な突進だと、死にに行く様なモノだと。
だが、俊也の足は止まらない。既にボロボロの身体に、氣も底を尽きると言う状況にも関わらず、そのスピードは徐々に増していく。
「ウオオオオッ!」
「止めろ! 俊也!」
洸の声など届いていないのか、俊也は拳を握り幻轟を睨み付ける。
『死に急ぐか。ならば、死ね』
しなやかな体が捻られ、拳が振り上げられた。その瞬間、頭の中で最悪のイメージが膨らんでいき、洸は痛む右腕庇いながら左腕を振り上げ地面へと叩き付ける。
「封陣第三の型! 地走り!」
左腕に巻かれた封鬼符が解け、地を這い幻轟へと伸びる。だが、それは間に合わず、漆黒の拳が振り下ろされた。が、その拳が俊也の体をすり抜けた。空を切った拳がピタリと止まり、幻轟の視線が拳の外側へと向けられる。身を屈めていた俊也が僅かに視線を向け、駆け出す。まるで鬼など相手にしていない、とでも言う様に。
その行動が幻轟の怒りに触れたのか、振り抜いた拳が後ろ姿に向って裏拳を見舞う。しかし、それも寸前の所で停止する。
『クッ! 貴様!』
黒の肢体を光り輝く美しい長い符が縛り上げていた。太い腕も、太い脚も、体中を締め上げ不気味に軋む。
「ハァ…ハァ……。お前の相手は……俺だ」
『ならば、貴様から殺してやろう』
幻轟の顔が洸へと向き、体を縛る符が悲鳴を上げる様に嫌な音を響かす。
(チッ……。やっぱり、コイツを押さえるのは無理か……)
奴の動きを封じる事が無理なのは、分かりきっていた。一瞬だけでも動きを止められたのが奇跡の様なモノだ。
苦痛に表情を歪めながら、洸はポケットから取り出した封鬼符を右腕に巻く。皮膚が裂け止め処なく流れる血を塞き止める様に、痛みに耐えながら慎重に固く封鬼符を巻きつけた。封鬼符がすぐに鮮血に染まり、指先からポツポツと赤い雫が零れ落ちる。
『この様な小細工……ッ!』
封鬼符を引き千切ろうとした幻轟の表情が歪み、ゆっくりと洸から視線が外れ、上半身を捻り後ろを振り返る。
「アレは……」
洸に向けられた黒い背中には、見覚えのある矢が数本刺さっており、巻き付く封鬼符を的確に貫いていた。それは紛れも無い夏帆の扱う特別な矢で、美しい矢羽が点滅すると、それに釣られる様に鬼を拘束する封鬼符までもが点滅し始める。
「洸兄!」
擦れた声が僅かに届き、鬼の頭上に小さな影が浮かび、何か鋭利なモノが煌く。刹那、鬼の右側面からも黒い影が飛び出し、弦音を響かす。
「夏帆! お前」
矢を放つ夏帆に驚き眼を丸くする洸に対し、上空から雄叫びが聞こえ、澄んだ鉄音が波紋を広げる様に響き渡った。
「クッ!」
振り下ろされた刀が、額の一本角によって受け止められていた。刃が振動し腕が痺れ、筋肉が麻痺を起こした様に硬くなる。
『貴様ら……我をなめるな!』
「てめぇこそ、鬼滅屋なめんなよ!」
痺れを振り払う様に怒声を響かせた俊也は、右足で引き締まった胸板を蹴り付けその場を離れる。手足の痺れから左膝を落とし、右目を軽く閉じ洸の方に視線を向けた。だが、その視線を横切る幾数もの矢に、眼を細め、
「おい! 邪魔だ! 夏帆!」
「……邪魔?」
「おう、邪魔だ! 俺は洸兄……って、矢、撃つの止めろ!」
「矢は、撃つじゃなくて……射る」
緊張感の欠ける二人の会話に、洸は小さくため息を漏らし左手で額を押さえた。雨森も同じで、呆れた様にため息を吐いた。
だが、一人だけ違った。怒りを増幅させ、殺気を広げる。そして、その異変に誰もが気付き視線を一点に集めた。
『いいだろう……。貴様らは全力で潰してやろう!』
背筋を凍らせる声に、洸は痛む右手で拳を握り、
「俊也! 夏帆!」
「ああ。分かってるって」
「……」
引き攣った笑みを浮かべる俊也に、無言で頷く夏帆。それぞれが身の危険を感じ、真剣な眼で幻轟を睨んだ。