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第二十四話 置いていくもの

Date: 2016年10月30日 09:20

Location: バスラ市街南西部 / アマーラ戦闘団臨時指揮所

Person: 榊恒一中尉


---


翌朝、バスラはまだ煙っていた。


市街の南西部は確保された。そう報告書には書かれている。だが、確保という言葉は便利すぎる。道路脇には焼けた車両が残り、路地の奥ではときどき短い銃声が上がる。港湾側へ抜ける道路では工兵が瓦礫をどかし、衛生車両は負傷者と遺体を同じ方向へ運んでいた。


勝った場所でも仕事はある。


榊は臨時指揮所の廊下で、薄い書類束を受け取った。紙の端には、中東方面統合作戦司令部、WFMAR、AMARIの照会番号が並んでいる。どれが主で、どれが従かは一目見ただけでは分からない。

WFMARの連絡将校が訊いた。榊は書類を一度だけめくり、署名欄の空白を見たが、何度見ても内容は変わらない。もともと拒否権というものは存在しないのだ。


「返答は」

「受けます」


連絡将校は頷いた。驚きはない。拒否されるとは思っていなかった顔だ。


「正式発令までは原隊扱いですが、引き渡し準備は今日から始まります。引継ぎの資料は可能な限り作っておいてください。後任はエリック少尉です」


「可能な限り、ですか」


「現場が情報を正確に整理できるなら、今ごろこの戦争はもう少し見通しがよくなっています」


事務屋にしてはまともな皮肉だった。榊は少しだけ口元を動かした。部屋の奥では九条遥が別の書類を読んでいた。野戦用の机に、似合わないほど細かな文字の資料が積まれている。彼女は顔を上げると、榊を見た。


「決めたのですね」


「ほかの選択肢があったようには見えませんでしたが」


「軍務には、そういう形の選択もあります」


「研究者の言葉とは思えませんね」


「研究にもありますよ。選べるように見えるだけの袋小路が」


榊は返事をしなかった。九条は書類を一枚抜き、机の上に置いた。そこには、榊の術式使用履歴が表にまとめられている。焼砂錐。焼砂杭。近接付与。身体強化。高階梯個体との接触記録。

榊はふと思い出し視線を上げた。


「エリック少尉について、話があります。昨日、少し話しました。あいつは魔術の共通化に関心を持っています」


「共通化……先人がすでに放棄した道ですが」


「固有魔術と汎用術式の境目、発動感覚の違い、詠唱で補える範囲。そういう話です」


「彼が?」


九条の声が、わずかに変わった。興味を持った研究者の声だった。


「士官教育で基礎は叩き込まれている。実戦で血も流した。俺の戦いも見ている。できる者の感覚でも、後方の机上論でもない。話を聞く価値はあると思います」


九条はしばらく黙った。


「君がそう言うのは、少し意外です。自分の部下を研究者に売る言い方ではありませんね」


「そう聞こえたなら、俺の言い方が悪かったのでしょう」


九条は目を細めた。笑ったわけではない。ただ、榊の言葉を分類するのを少しだけやめたように見えた。


「分かりました。正式な聞き取りとしてではなく、意見交換として場を作ります」


「お願いします」


---


エリックはまだ野戦病院にいた。

医官は、歩くなとは言わなかった。ただ、歩く距離を短くしろと言った。それは前線の人間に対してはほとんど意味のない指示だった。エリックは簡易ベッドの上で、膝の上に広げた紙に何かを書きつけている。こいつはいつもベッドの上にいるなと榊は思った。


「九条博士と話せることになった」


榊が言うと、エリックは顔を上げた。


「本当ですか」


「お前が望んだんだろう」


「望みましたが、通るとは思っていませんでした」


「俺もだ」


エリックは少し困ったように笑った。それから紙束を整え、手元の一枚を榊に見せた。汚い図だった。円と矢印と短い注釈が並んでいる。炎。射出。治療。付与。身体保護。接触面。反動。


「まだ整理できていません」


「見れば分かる」


「ですが、少しだけ見えてきた気がしています」


エリックは自分の手のひらを見た。


「固有魔術のイメージを変えるのは、おそらく無理です。発動の根っこが違いすぎる。このことはすでに試されているのは文献にも載っていました。ですが、魔術が発動する際の結果に対するイメージの共通言語化、あるいは発動する瞬間、体の中や表面で起こっていることに関しての研究は少なかった」


榊は黙って聞いた。


「炎術師は自分を焼きません。射出系の術者は、発射する前に術式を手元で崩しません。医療魔術師は、掌から治癒を安定して通します。中尉の付与も、武器を離れた対象として扱っていたようには見えませんでした」


「身体の延長」


榊が言うと、エリックは頷いた。


「はい。手順は共通化できないと思います。でも、求める結果なら共通化できるのではないかと」


「結果」


「身体が魔力反動に耐える。接触している物へ魔力が漏れずに通る。術式が近接距離で破綻しない。そこだけを取り出せれば、身体強化と付与に近いものを、別系統の術者にも教えられるかもしれません」


「お前、医者か研究者になったほうがよかったんじゃないか」


「前線に送られましたので」


「そうだったな」


二人とも笑わなかった。それは冗談ではなく、事実だった。榊はだまって紙を返した。エリックは受け取った資料を見るともなくめくる。


「九条博士にそのまま話せ」


「まだ仮説です」


「仮説でいい。あの人は、使える仮説なら拾う」


「中尉はどう思いますか」


榊は少し考えた。自分の戦い方は、自分でもうまく説明できない。サミーラから教わったこと。戦場で必要に迫られて覚えたこと。死にたくないとき、死なせたくないとき、斧を握った手が勝手にしたこと。それらを紙の上に置かれると、ひどく薄くなる。だが、薄くしなければ運べないものもある。


「俺には分からん」


榊は正直に言った。そこまで考えている余裕は戦場ではなかった。


「ただ、助かる人間がいるかもしれないなら、考える価値はある」


エリックは背筋を伸ばしかけて、痛みを思い出したように止まった。


「はい」


「それと、もう一つ」


「何でしょう」


「今日、九条博士と話せ」


エリックは一瞬だけ目を見開いた。


「今日ですか」


「今日だ。俺は明日にはここを出る」


エリックは紙束を見た。まだ整理できていない線と丸と矢印が並んでいる。


「未完成です」


「未完成だから話す意味がある」


榊は椅子から立った。


「あの人なら、断片であっても何かに繋ぐだろう。あるいはお前に何か示唆をくれるかもしれん」


エリックは少しだけ黙り、それから頷いた。


「分かりました。整理しておきます」


---


最後の仕事は、戦闘ではなかった。


戦闘推移の報告。KIA《戦死者》や車両の大破があったりと忙しかったこともありそのままになっていた。第三小隊は各々報告書を書きコールへと提出していた。地味な仕事だった。だが与えられた仕事はこなさなければならない。

コール小隊長が折り畳み机に地図を広げた。ラジードが現地名と兵士の俗称で呼ばれていた路地を用語として対応させ、マックスが補給経路と通行不能地点を鉛筆で書き込む。アリアは車両が入れる道幅と曲がれない角を機械的に読み上げ、アイシャは昨日の接敵地点に小さく印を置いていった。

榊は少し離れて、それを見ていた。自分がいなくても小隊が回るか。そんなことは確認する必要はない。この小隊は、榊が来る前から戦っていたし、榊がいなくなった後も戦う。魔術師一人の不在で崩れるようなら、そもそもここまで生き残っていない。


「少尉」


コール小隊長が呼ぶ。エリックは机の端へ歩いていく。まだ顔色は悪いが背筋は伸びていた。


「昨日の交戦記録と、クレアボヤンスで拾った推定を重ねろ。後続に渡す」


「はい」


エリックは紙束を受け取り、地図の上に透明なシートを重ねた。指先で二つの路地を示す。


「ここは通れます。ただし、南側の壁は崩れやすそうです。車両では無理でしょう。こちらの倉庫跡は見た目より奥行きがあります。昨日は無視しましたが、掃討済み扱いにするのは危険です」


マックスがシートの端を押さえた。


「ここは後続に警告を付ける。掃討済みではなく、未確認区画」


「お願いします」


エリックは短く頷いた。


榊は口を挟まなかった。挟む必要がなかった。自分が一つ言えば、もっと整う箇所はある。言い回しを変えれば後続の受け取り方も変わるだろう。だが、それは榊が残るための理由にはならない。なぜなら小隊の仕事は、榊の手癖で回っているわけではないのだから。


「中尉」


アイシャが声をかけた。


「何だ」


「体はもう傷みませんか?」


「ああ、アイシャはどうだ?」


「まだ少し傷みますが、だいぶ良くなりました。」


「お互い生き残れたな」


「ええ。ですが、私がもっとうまく立ち回れたらもっと違ったような気がします」


「後悔は戦争が終わってからでもできるさ。今は次どうするかを考えろ」


「そうですね。エリック少尉の魔術を把握して、うまく連携が取れる様にしないとですね」


アイシャは寡黙というほどではないが、あまり喋る質ではないがこの時は長く話した。彼女なりの惜別なのかもしれないと榊は思った。

小隊の仕事としてはそれだけだった。戦闘はない。銃声も、詠唱も、敵影もない。ただ、昨日誰かが通り、明日別の誰かが通る場所を、今日いる者たちが少しだけましな形にして渡している。


---


作業が終わったころには、夕方になっていた。バスラの空は赤かった。砂と煙のせいで夕日はひどく大きく見える。第三小隊の面々は、車両のそばで装備を下ろし泥と煤を払っていた。

エリックは車両の影に腰を下ろし、膝の上で紙束を揃えていた。顔色は悪い。だが、倒れてはいない。倒れない範囲で仕事をすることを覚え始めている。いいことか悪いことか判断に困るが。


遠くで、誰かが榊を呼んだ。

ラジードだった。


「中尉。こっちへ来い」


車両置き場の端に、第三小隊の連中が集まっていた。全員ではない。戦死した者、後送された者、別任務に出ている者もいる。それでも、今そこにいる者たちは、だいたい顔を出していた。ラジードが手を振る。


「聞いたぞ。北へ行くのを決めたんだってな」


「話が早い」


「噂は補給より速い」


アリアが整備用の布で手を拭きながら言った。


「次は雪に文句を言うんだろう」


「寒いのは嫌いだ」


「最初のころは砂にも文句を言ってたな」


「砂も嫌いだ」


ラジードが笑った。


「お前、戦場に向いてないんじゃないか」


「今さらだな」


マックスが本を閉じた。いつの間に読んでいたのか、榊には分からない。


「行ってこい」


それだけだった。アイシャは少し遅れて、榊の前に立った。


「死なないでください」


「努力する」


「努力じゃなくて、命令です」


冗談めかしていたがどこか切実さのある声に榊は少しだけ目を瞬いた。それから頷いた。それに満足したのか、つぼみが開く様にかすかにほほ笑んだ。


「了解した」


ラジードが鼻で笑った。


「じゃあ決まりだ。死ぬなよ、大尉殿」


「中尉だぞ」


「すぐ変わるだろ」


「おいやめろ、そういう笑えん情報は聞きたくない。誰から聞いた。面倒ごとはもう十分だ」


榊は頭を掻きむしる。ラジードは笑ったが答えなかった。別れはそれで終わった。

抱擁も、長い言葉も、英雄めいた挨拶もなかった。ここでは、人との別れは良くも悪くも日常だった。転属。後送。負傷。戦死。行方不明。命令書一枚で人は消え、無線一本で戻らないこともある。

だから、顔を見て、声を聞いて、別れを告げられるだけ幸運だった。榊はそう思うことにしたし、実際上等なほうの別れだった。


---


夜遅く、エリックが戻ってきた。医官に叱られたのだろう。歩き方が少しだけ慎重だった。手には、昼間よりも枚数の増えた紙束を持っている。紙の端には、エリックの字とは違う細い注記がいくつも入っていた。


「九条博士と話しました」


「どうだった」


「面白い子だね、と言われました」


榊は呆れた顔をする。


「褒めているのか」


「おそらく」


「なら、もう少しましな言い方を覚えるべきだな」


エリックは小さく笑った。疲れてはいるが、目は冴えていた。九条は相変わらずひょうひょうとしている。


「非常に示唆に富む、とも」


「それも褒め言葉か」


「研究者の言葉としては、かなり」


エリックは紙束を一枚めくり、それまでの会話を思い出し、自分なりに反芻し噛み砕くよう、選ぶように言葉を紡ぐ。


「九条博士は、共通化すべきなのは術式そのものを変えるような大きな部分の発動原理ではなく、個々の結果に対するイメージだ、と整理していました。炎術師が自分を焼かないこと。射出術式が手元で崩れないこと。医療魔術師が掌から治癒を通すこと。中尉が斧を身体の延長として扱ったこと」


「お前の言葉だろう」


「私の言葉を、使える形に直された感じです」


「気に入らないか」


「いえ。悔しいくらい分かりやすくなりました」


エリックは少しだけ肩をすくめた。長らく研究を続けてきた主席研究員はやはりより深い洞察をエリックに与えたようだ。


「固有魔術は共有できない。発動イメージの植え替えも失敗した。ですが、身体と接触物が魔力に耐える状態だけなら、系統を越えて訓練できるかもしれない。九条博士は、そう言っていました」


榊は黙って聞いた。


「それが、近接戦闘実証小隊の理屈になるのか」


「理屈の一部になる、と」


「その言い方も九条博士か」


「はい」


榊は短く息を吐いた。


「あの人らしい」


エリックは紙束を胸元へ引き寄せた。


「それと、シベリアの話も少し聞きました」


「どこまで」


「封じ込めは、戦線を保った。けれど、深部で何が進んでいるのかを十分に見られなくした。偵察は帰らない。回収は遅れる。遅れた遺体は戻らない。通常戦力だけでどうにかなる段階は、一部戦域では終わりつつある、と」


「ずいぶん話したな」


「たぶん、中尉に話すことも含めて言われました」


「だろうな」


廊下の窓の外で、バスラの夜が低く光っていた。遠くの火災。照明弾。動いている車両のライト。砂粒がガラスに当たるかすかな音が聞こえる。静かになったことで、中東戦線は終わりに向かっていることをより感じさせた。

だが、戦争は終わっていない。まだ無力な人たちが安全に暮らせる環境にはなっていない。


「明朝、バスラ空港ですよね」


エリックが言った。


「C-130で後方へ。そこから複数の乗り継ぎになると聞きました。寒いそうですよ」


「だろうな」


「お気をつけて」


「九条博士の伝言か」


「いいえ」


エリックは首を横に振った。呆れたように言う。


「私の言葉ですよ」


「後を任せた」


「了解しました」


エリックが敬礼し、榊はそれに返礼する。誰かが外で笑っていた。車両のエンジン音が夜の底を震わせている。榊は、自分が置いていくものを一つずつ思い浮かべた。


部隊。

戦場。

死者。


まだ教えきっていない後輩。書類にしなければ残らない判断。置いていくことと捨てることは違う、そう思うことにした。明日北へ向かう。

先のことはわからないが、置かれた場所であがき、配られた手札で勝負する。戦場とはそういうものだ。

榊はまだ見ぬシベリアの戦地に見るように目を細めた。


シベリア編も書きたいと思いましたが、うまくまとまらないのでしばらくおいて置こうと思いました。

放置よりひと段落付いたところで、一回締めたほうがいいかなという。

とりあえず続きのとっちらかりが片が付くまでは完結とします。

ありがとうございました。

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