第二十四話 次なる場所
エリック少尉は魔術の酷使でまた入院です。
Date: 2016年10月29日 15:54
Location: バスラ市街南西部 / アマーラ戦闘団野戦病院
Person: 榊恒一中尉
野戦病院は、バスラ郊外の学校跡に置かれていた。運動場には後送車両が並び、校舎の一階が処置室になっている。黒板にはまだ古い文字が薄く残っていたが、その前に輸液スタンドと担架が置かれているせいで、教室というより倉庫に見えた。エリックは窓際の簡易ベッドに横になっており、上半身を少し起こして紙束を読んでいる。寝ていろ、そういって言うことを聞くわけでもないことはすでにわかっている。
「中尉」
「寝ていろ」
「座っています」
「そういう意味じゃない」
やはりじっとはしていられないようだった。榊はベッド脇の椅子に腰を下ろすが、座る動作だけで肩と背中が軋む。エリックはそれを見て何か言いかけてやめた。
「体調は?」
「まだ少し耳が聞こえづらいですね。頭痛と鼻血は止まりました」
「魔術をあれだけ連続して使えばそうもなるだろうな」
「魔獣に斧一つで突っ込んでいく中尉も大概ですけどね」
それはそうだ、と榊は思い口には出さなかったが口をへの字にする。しばらく、二人とも黙っていたが、どちらともなく笑い出す。ようやく無茶をしたという実感が二人に湧き上がる。外では担架を運ぶ声がする。誰かが処置室の場所を間違えたのか衛生兵に怒鳴られていた。
戦闘が終わっても、医療従事者と負傷者の騒音は終わらない。榊は持っていた書類を自分の膝に置いた。
「AMARIから話が来た」
エリックは表情を変えなかった。ただ、読んでいた紙束を閉じた。
「九条博士ですか……」
「ああ、転属命令だ。近接戦闘を行う技術実証のための小隊を作るらしい」
エリックはすぐには返事をしなかった。榊は書類を渡さなかった。渡すべきか迷ったが結局やめることにした。
「俺の戦い方を、部隊運用に落とすらしい」
「……そうですか」
「驚かないのか」
「驚いています。ですが他にあんなことをできる人を知りません」
驚いているようには見えない顔だった。だが、エリックはよく見ると指先に力を入れていた。
「迷っているのですか?」
榊はエリックを見た。
「ああ。と言っても命令だ。迷うも何もないがな」
「行ったほうがいいと思います」
エリックは少し息を吸った。
「個人的には、まだ教わりたいこともある。残ってほしいです……ですが」
榊は何も言わなかった。
「ですが、中尉の一撃は先の戦闘の決定打でした。こう言っては何ですが、中尉より魔力量が多く、高位の魔術師は多い。彼らが、もし、あれをより効率よく、より大出力で安全に使えるようになるのであれば」
エリックは視線を落とした。
「人類が押し切れる日が今よりずっと早く来ます」
「簡単に言う」
「あなたにはそれだけの可能性があると私は思ってます」
即答だった。
「ここで小隊付魔術師として時間を使うより……よりベターだと思います」
その言い方に、榊は少しだけ眉を動かした。自分が何度か言った言葉だ。こういう形で返ってくるとは思っていなかった。
「それと、もう一つあります」
「何だ」
「あの最後の一撃、ずっと引っかかっていたんですが」
エリックは天井を見上げ、言葉を選ぶように間を置いた。
「中尉、詠唱していませんでしたよね」
榊は少しだけ眉を寄せた。
「そういえばしていない」
「ですよね。……教本通りなら、あれは発動しない」
榊は黙った。エリックは責めているわけではない。事実を並べているだけだった。
「私も魔術発動中だったので、普段より魔力の流れがよく見えていたんです。中尉の身体を、魔力が覆っているようでした。腕から、握り、柄、刃まで、ひと続きで」
エリックはそこで言葉を切り、自分の手のひらを見た。
「うまく言えないんですが……いろいろな魔術師に会いました。中尉、カーター大尉、前線で一緒だった術者たち。発動の感じ方が、人によって全然ちがうんです。その方々のお話を、並べて、つなげて、俯瞰しました」
エリックは紙束に視線を落とし、それから榊に戻した。
「共通する要素があって、それが繋がるような気がしています。まぁいまだ結論は出てませんが」
榊は短く息を吐いた。
「お前、そういうことを考えていたのか」
「考える時間だけは、ありましたから」
「学者のような時間の使い方だな」
「九条博士のご意見もうかがってみたいですね」
エリックは少しだけ口元を緩めた。笑ったというほどではない。
「だから、行ってください、ってことか」
「はい」
エリックは少し息を吸った。窓の外で、穏やかな風がカーテンを揺らした。砲弾の破片で開いた穴から、ゆっくりと雲が流れていくのが見える。
「敵の外殻を割る一撃。撤退路を開く数秒。負傷者を運び出す瞬間。それがもう一つ生み出せるだけでも、助かる人間はいます」
榊は何も言わなかった。
「中尉が抜けたら、第三小隊は困ります。それでも、別の戦線で本来死ぬはずだった人間が、戻ってくるかもしれません」
「覚えておく」
榊はしばらく黙っていた。外で、車両のエンジンがかかった。低い振動が床を伝ってくる。やがて椅子から立ち上がった。肩が痛む。今度は顔に出たかもしれない。
「そろそろ行く」
「ええ。幸運を」
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バスラは夕日により茜色だった。臨時指揮所へ戻る途中、榊は車両置き場の端で足を止めた。AMARIの回収品をまとめた棚に、例のブリーチングアックスが置かれている。
刃先には、外れなかったのか黒い結晶片がまだ食い込んでいた。ロックニードルが撃ち込まれた際に柄は曲がり、刃には細かい亀裂が入っている。
榊は右手で柄に触れた。冷たい。あの時は熱かった。掌が焼けるほど熱かったはずだが、それは感覚だけだったのだろう。今はただの工具に戻っている。壊れかけた斧と、抜けない黒い破片。
棚の隣には、回収された装具がまとめられていた。ドッグタグが二枚、布の上に置かれている。ダイアスとミカエル。文字盤は乾いた布で拭われていたが、縁にはまだ砂が残っていた。
ダイアスの分は、アイシャの胸ポケットから出てきたものだ。ミカエルは昨夜のうちに後送先で息を引き取った、と朝の報告で聞いた。榊は二枚を順に見て、それから視線を斧に戻した。
足音がした。砂を踏む、軽い歩き方。
「中尉。湿っぽい顔で見るような代物じゃないだろう、それは」
ラジードだった。煙草を指に挟んでいるが、火はついていない。ここでは吸えない。
榊は答えなかった。ラジードは隣に並び、棚の上の二枚を見て、一拍だけ黙った。
「ダイアスとミカエルが、ねえ」
「ああ」
「ミカエルのコーヒーはひどかったぞ。豆を煮てるのか焼いてるのか分からん代物だった」
「知ってる」
「ダイアスのは飲めたな」
それだけだった。ラジードはそれ以上は言わなかった。少し遅れて、別の足音が二つ。マックスとアイシャだった。アイシャは無言のまま棚の前に立った。アイシャはドッグタグを見て、そっと目を伏せた。それから斧に視線を移し、また識別票に戻した。
「アリアは?」
榊が訊くと、マックスが顎で背後を示した。
「弾薬庫で書類仕事だ。後で来るとさ」
「コール小隊長は」
「会議。長引くらしい」
それでひとまず揃った、ということになる。ラジードが煙草を指で回した。
「で、転属、本当か」
榊は驚かなかった。この種の話が辞令として発布されるより早く広まることは周知の事実だ。
「明日いっぱいで返事だが、実質的には辞令だ。決定だな」
「そうかい」
ラジードはそれだけ言った。マックスが水筒の蓋を開けて、一口飲んでから榊に渡した。榊は水筒を受け取った。ぬるい水だった。
「アイシャ」
呼びかけれらた彼女は、ドッグタグから視線を榊に向ける
「お前のおかげで生きてる。ありがとう」
「……時間、稼げなくてすいませんでした」
それしか言わなかった。アイシャは識別票を一枚ずつ指で軽く撫で、それから一歩だけ下がった。榊は斧から手を離した。一度進みだせば元には戻らない。曲がった柄と割れた刃はそれを示しているようであった。
遠くで、また砲声が鳴った。掃討は続いている。中東戦線は終わりに向かってい。だが別の戦線では、まだ終わりの形すら見えていないようだ。遠くで鳴る雷のようだ。自分にできることは何か、そう榊は考える。それでも、エリックの言葉が残っていた。助かる人間はいます。榊は指揮所の方へ歩き出した。返事の文面は、まだ決めていない。ただ、何をすべきかは決まっていた。
中東編はひとまずこれで終了。機甲兵力の動員が難しいシベリア戦線では戦死者が増えている。現状を打破できる可能性がある近接負荷を、より高位の魔術師に適用できるすべを探すのが近接戦闘技術実証小隊の設立目的です。




