1 賢い王女さま
天気の良い昼下がり、私はフォレンタを引き連れて外に散歩に行っていた。人に見られるのが面倒だと思って王族専用の庭園をうろついているので、誰とも会わずに快適である。
「いい、フォレンタ」
「はい、何でしょう」
人差し指を立て、訳知り顔で私は腰に手を当てる。ほとんど興味のなさそうな顔でフォレンタは頷いた。
「こういうのは大体ね、想いが通じ合うとね、また別の騒動が起こるのよ」
「……へえ?」
要領を得ないようにフォレンタが首を傾げる。
「例えば、よ。主人公の女の子とヒーローの気持ちが繋がったり、主人公がヒーローへの想いを自覚したりするとね、数日後に高確率で別の女の影が見え隠れするの」
「…………何をお読みになられたのですか?」
フォレンタの呆れたような言葉は無視して、私は胸を張った。
「それを見た主人公は思うのよ、『ああ、あの人には本当に好きな人が別にいるんだわ……』って。それで身を引いてしまうの!」
「クィリアルテ様にそのような殊勝な心がけの発想があるとは存じませんでした」
もはや隠す気もなく悪態をついてくるフォレンタはいないものとして、私は拳を握る。
「でもね、大抵の場合それは姉や妹、親戚だったり、仕事先の女、あるいはめっちゃ絡んでくる迷惑な女だったりするのよ」
「クィリアルテ様のその偏見はどこから来たんですか?」
フォレンタは真顔で私を見た。
「でもそんなことは知らない主人公は身を引いてしまった。そうしてこじれにこじれ、最終的に誤解が解けるとそれはもう物凄い勢いでイチャつくのよ。何度見たか知れないわ」
「ですからその偏見はどこから……どこでご覧になったんですか!?」
目を剥いたフォレンタを再び無視し、私は腕を組む。
「でも私は賢い王女さまだからね、そんなことはしないのよ」
「クィリアルテ様、ご自分でご自分のことを賢いと思ってらしたんですね」
とうとう耐えかねて横目で睨むと、フォレンタは平然と見返してきた。駄目だ、眼力で負けるわ……。
私たちのお散歩はなおも続き、もう少し、あそこの角を曲がったら休憩が出来るスペースになっているはずである。
そこで一休みしようかと思いながら、私は歩を進める。
声を潜めて、私はフォレンタにとっておきの秘密を教えてあげることにした。
「もしもそれらしい光景を見かけてもね、すぐに『浮気だー!』なんて思っちゃ駄目なのよ。絶対に何かの勘違いだか、……ら…………」
角を曲がり、そこで私ははたと足を止めた。
その場所にはベンチが置かれていて、いつでも休めるようになっている。が、今はそこに先客がいた。
私は仰け反って叫ぶ。
「……っ、浮気だーーーー!」
「クィリアルテ様、三秒前のご自分のお言葉」
見知らぬ女性と並んでベンチに座っている、見慣れた顔に、私は思わず腰を抜かす。私の声にぎょっとしたように顔を上げたその人――もちろん皇帝である――は、それから咄嗟に、女性の頭を胸に抱え込んだ。
「待て! 勘違いだ!」
豊かな栗毛の女性を力いっぱい抱き込み、皇帝は焦ったように首を横に振る。言っていることとやっていることが逆である。
「何が勘違いだって言うんですか! 人にパンゲアまで来いって言っておいてこの仕打ちですか!? 女王陛下に訴えますよ!」
「待て、勘違いだから、ちょっと一旦この場を離れてくれ。頼む、後生だから!」
「嫌です、何で私が退かなきゃいけないんですか」
私は奮然と皇帝の元へ近づく。荒い歩調で地面をしっかり踏みしめながら、座ったままの皇帝をじろりと見下ろした。
「……誰ですか、その人」
低い声で告げると、皇帝の胸に顔を埋めたままの女性はびくりと肩を揺らす。顔を見るために彼女の肩に手をかけようとしたところで、皇帝は逃げるように素早く立ち上がった。女性を腕に抱いたままである。
「……待て、クィリアルテ。落ち着け」
「落ち着いてますよ、冷静にローレンシアへの旅路を考えてます」
「容赦のない三行半!」
どうでもいい問答は本当にどうでもいいのだが、私は立ち上がった皇帝と謎の女性を前に、少し首を傾げた。
なかなか背の高い女性である。平均より背が高めのフォレンタがヒール付きの靴を履くよりやや低い程度、スレンダーで胸はあまりない、とかそこら辺は下世話だろうが。
私が一歩近付くと、二人は揃って一歩下がる。女性は前が見えていないだろうに、器用なことだ。
皇帝はなおも焦り顔で、腰が引けた様子で私に「違うんだ」と言った。女性は胸の前で手を握っている。
「……つまり? 私もキープしておくけど、そちらも手放し難い、と、そういうことですか?」
違う、と皇帝は即座に否定した。
「大体、どっちが本命なんですか。私とその人、どちらの方が付き合いが長いんですか?」
「それは……」と、皇帝は答えづらそうに、腕の中の女性をちらりと見下ろした。その動作に、私はすぐさま答えを察する。
「あー分かりましたよ分かりましたよ、はいはいそっちが本命ね、でもってこっちはローレンシアとの国交のために連れてきたってところですか?」
「違う!」
力強く否定した皇帝に、私はしらっとした目を向けた。
「じゃあ何です、元サヤですか」
「そうじゃなくてだな、その……。取り敢えず一旦どこかに行ってくれないか。あとで落ち着いて話を」
妙に慌てふためく様子が怪しくて、私は更に目線を鋭くする。
「私が消えたあとどうするつもりなんですか?」
「え、いや、まずは服を脱がせて」
「うわぁ……」
私はドン引きして一歩下がった。皇帝は数秒後にはっと目を見開き、「変な意味じゃない!」と叫ぶ。
ごほん、と一度咳払いをして、彼は私を真っ直ぐに見つめた。
「――俺は、クィリアルテが一番大切だ」
彼は真剣に、真摯な表情で告げた。
「じゃあその人と縁を切れますか?」
こんな試すようなことを言う私も性格が悪いと思ったが、皇帝はその問いに動きを止めた。
「いや、それは……」
「無理なんですか!?」
唖然として二の句も継げない私に、皇帝は更に顔色を悪くする。
私は腕を組んで仁王立ちしたまま、片眉を上げた。
「大体、メフェルスはどこに行ったんですか。こんなところに女性を連れ込むより早く、真っ先に駆けつけて来そうなものですが」
「ゲッホ! ゴホッゲホッ、ん゛ん゛ッ、ゴホン」
「…………ん?」
いきなり物凄い勢いで咳き込み始めた皇帝に、私は首を傾げた。
「メフェルスはどこに?」
皇帝が沈黙する。私は白い目を向けた。
「……フォレンタ、取り押さえて」
フォレンタが「承知しました」と頷き、一歩踏み出したところで、皇帝に抱き寄せられていた女性(?)は目にも止まらぬ速さで私の元まで移動してきた。
「違います、皇帝陛下が、皇帝陛下がどうしてもと仰るから……!」
涙目になって縋り付いてくるその人を見て、私はあまりの哀れさにそっと涙してしまう。
目の前にいたのは、波打つ栗毛のかつらを被り、淡い色のドレスを着たメフェルスだった。確かに男性にしてはあまり図体もでかくないし筋肉もないが、流石に女性にしてはキツい。
「どうして、こんな……」
「皇帝陛下が……その、女性のエスコートが出来ないと仰るので……」
私は思わず真顔になった。
「あなた皇帝陛下に魂でも売ったの?」
「どうやらそのようでございますね」
***
「さて、皇帝陛下」
私が呼びかけると、皇帝はびくりと肩を揺らした。
「一体どちらのご令嬢のエスコートをなさるおつもりで?」
「い、いや、それは」
腕を組み、ずいと皇帝に近づく。皇帝は一歩下がった。
「まさかそんな格式高いご令嬢とお出かけになるご予定でも?」
「そ、そんなことは」
更に前に踏み出す。ついに皇帝は生垣に背中をつけて、狼狽えた。
私はにやにやとしながら皇帝に詰め寄る。
「じゃあどちらの女性の為に練習を?」
「……聞かなくても分かるだろう」
顔を赤くし、口元を片手で覆った皇帝がぼそぼそと答えた。
「へへーん」
更に頬を緩めて皇帝の脇腹をつつくと、彼は身をよじって逃げた。
「――今度一緒にお出かけしましょうね」
遠くまで逃げてしまった皇帝に、私は腰に手を当てて呼びかける。
「…………そのときは期待してくれ」
へそを曲げたように顔を逸らした皇帝は、その先で女装してるメフェルスを見つけて、思わず吹き出した。
「あんたがやれって言ったんでしょうが!」
メフェルスの魂の叫びが庭園に響いた。
ネタに振り切った小話でした。
番号はただの管理の為なので特に意味はありません。