第五十二話 黄金の種子と、二年生の静寂
四月八日。東明高校の正門へと続く銀杏通りは、暴力的なまでの桜色に埋め尽くされていた。
二年生。進級という記号は、俺――小日向颯にとって、日常の微細な変化に過ぎないはずだった。だが、校門をくぐり、肺の奥まで春の湿った空気を吸い込んだ瞬間、視界の端で踊る「数字」と「色彩」が、去年よりも一段と密度を増していることに気づく。
三億八千万。
それが、俺がこの数ヶ月で積み上げた「実弾」の総額だ。一年前、一億を手にして「これで何でもできる」と錯覚していた自分を思い出し、喉の奥で微かな苦笑が漏れた。一億では足りない。十億でも、百億でも。神崎隆という、この国に根を張る怪物の首を獲るには、資本という名の暴力が圧倒的に不足している。
「颯、何ぼーっとしてるんだよ。早く行かないとクラス掲示、人だかりで見えなくなるぞ」
背後から声をかけてきたのは、大地だった。新調したばかりのリュックサックには、自作のモバイルワークステーションが詰め込まれている。彼との距離感も、この一年で変わった。単なる「情報の提供者」から、運命を共にする「システムの守護者」へ。
「大地、システムの状態は?」
「最高だ。帝都銀行の休眠口座から抽出した『ゴースト・マネー』の追跡、昨晩の三時に完了した。霧島さんから送られてきた座標とも一致してる」
「そうですか。……いよいよ、始められますね」
掲示板の前を通り過ぎ、俺は屋上へと向かった。
フェンスに背を預け、眼下に広がる東明高校のグラウンドを眺める。新入生たちが、不安と期待が混ざり合った独特のオーラを放ちながら歩いている。その中に、一人。
周囲の喧騒から隔絶されたような、ひどく静かな「色」を持つ少女がいた。
一ノ瀬陽。
彼女は、ボロボロになったヴァイオリンケースを、まるで壊れ物を抱くように胸に抱えていた。
俺の未来視において、彼女は数年後、世界の音楽配信プラットフォームを根底から書き換える「音響解析アルゴリズム」の天才として君臨するはずの存在だ。だが、今の彼女からは、そんな覇気は微塵も感じられない。あるのは、才能を重荷と感じ、捨てようとしている人間の、深く暗い「淀み」だけだった。
「……颯、あの子か? 五人のビリオネアのうち、三人目って」
「ええ。彼女の『耳』は、一兆円の闇を暴くための最後のピースです。大地、彼女の家庭環境の詳細は?」
「……最悪だよ。父親の借金を背負って、夜は深夜の工場でバイトしてる。才能を磨く時間なんて、一秒もない」
「なら、その時間を買い取りましょう」
俺は屋上の手すりを強く握りしめた。
俺が作る『場所』は、単なる仲良しグループではない。
運命に殺されかけた才能たちが、その牙を研ぎ澄ませるための「聖域」だ。
「神崎隆への招待状。その最初の一文字を、彼女に書いてもらいます」




