六:魔女のスープと冬至祭
その冬の冬至の日。
街の冒険者ギルドでは、年に一度の盛大な宴の準備が進められていた。
「見てマルト!ご馳走のリストよ!イノシシの丸焼き!魚パイ!黒エールが樽で飲み放題ですって!」
ギルドから戻ったシルマが、興奮してチラシを振り回す。
ブラントから半ば強引に誘われたマルトは、人混みを思って少し憂鬱だったが、シルマのあまりの喜びように、断る気にはなれなかった。
しかし、その前日の昼過ぎから、空の様子は一変した。
鉛色の雲が空を覆い、かつてないほどの大雪が、猛烈な吹雪となって領地を襲ったのだ。
あっという間に道は閉ざされ、館と村は、完全に陸の孤島と化した。
ギルドの冬至祭へ行くどころの話ではない。
館の中は、静まり返っていた。
シルマは、楽しみにしていた宴が中止になり、暖炉の前でふて腐れて丸くなっている。
マーサたち元王宮の侍女たちは、経験したことのない辺境の冬の厳しさに、不安を隠せない。
村から来ている新しい使用人たちは、村に残してきた家族を案じ、沈んだ顔をしている。
その、冷たく重い空気を、マルトは静かに見つめていた。
(……そう。昔の私も、こうだった)
王城から放り出され、どうすることもできずに、過ぎ去る時間を待つだけだった、無力な自分。
(でも、今の私は、違う)
マルトはおもむろに立ち上がると、厨房へと向かった。
「マーサ。館にある、一番大きな鍋を用意してください。それから、貯蔵庫の野菜と香辛料を、ありったけ」
彼女は、アンディラの元で学んだ、身体を芯から温め、そして、心を少しだけ明るくする、特別な薬草スープを、自らの手で、館の全員分、作り始めたのだ。
最初は戸惑っていたシルマや侍女たちも、マルトのその真剣な姿を見て、一人、また一人と、手伝い始める。
その夜、館の広間では、身分に関係なく、全ての者が同じテーブルを囲んでいた。
中央には、湯気の立つ、大きな鍋。マルトが作った、滋味あふれるスープの香りが、広間を満たしている。
「……マルト様の、即席冬至祭だ」
誰かがそう呟く。
それまで沈んでいた者たちの顔に、少しずつ笑みが戻っていった。
「しかし、これほどの雪は、経験がありませぬな」
ゲオルグが、スープの温かさに、固い表情を緩ませながら言った。
「まあ、北ではこのぐらい普通ですよええ。私の孫も今頃雪の中ですね」
マーサが、故郷を思うように、遠い目をする。
彼女の孫息子は、北の地で学者になるための勉強をしていた。
スープを一口飲んだアンナが、無邪気に言った。
「でも、すごいですね、魔女様のスープ!どんな病気も治っちゃいそう!」
この春に彼女の母はマルトから与えられた薬で病から回復していた。
その言葉に、ゲオルグの顔が、ふと、陰った。
彼は、自分の椀の中のスープを見つめながら、ぽつりと、呟く。
「……妻にも、このスープを飲ませてやりたかった」
「奥様は?」
アンナが少し気遣わしげ訊ねる。
「ずいぶん昔に、はやり病でな……」
ゲオルグは、それ以上、何も言わなかった。
ずいぶん昔、その言葉とは裏腹に、スープ椀を握るその無骨な手が、きつく、白くなるほど握りしめられ、微かに震えていた。
彼の瞳の奥に、どうしようもない悔しさと、隠せない憎しみが渦巻いているのをマーサは感じていた。
広間に、気まずい沈黙が流れた。
マーサは、ゲオルグが去っていった扉を、痛ましげな目で見つめていた。
「……マーサ」
隣に座っていた古参の侍女が、声を潜めて囁く。
「ゲオルグ様、まだ……奥様のことを」
「ええ」
マーサは、小さく頷いた。
「彼の忠義は、王国一でした。しかし、その忠義では、奥様の病を治すことはできなかった。……あの時、魔女が作るという特効薬が、手の届く値段であったなら、と……今でも、悔やんでおられるのでしょう」
二人の会話は、誰にも聞かれることなく、宴の喧騒に消えていった。
しかし、その言葉は、老騎士が抱える、あまりにも人間的な「渇望」と、魔女という存在への、複雑な感情の源流を、確かに示していた。
***
翌朝、吹雪は嘘のように止んでいたが、館の周りには、人の背丈ほどもある、深い雪が積もっていた。
シルマは、冬至祭が楽しみすぎるあまり、「風魔法でひとっ飛びよ!」と言って、マルトたちが止めるのも聞かず、一人で街へと向かってしまった。
昼過ぎ、そのシルマが、血相を変えて館に駆け戻ってきた。
「大変よ、マルト!街が、雪で孤立してる!ギルドが避難所になってるけど、食料も薪も、もうギリギリなんだって!」
そう言って、ブラントからの依頼書を差し出す。
『依頼内容:ギルドで、雪で立ち往生した五十人への、食料と燃料の確保。報酬:銀貨十枚』
「受けるよね!」
同じ額の依頼を以前は鼻にも掛けなかったシルマが勢い込んで問う。
「……もちろんです。そのために、私たちはいるのですから」
マルトは、即座に答えた。
彼女は、マーサに命じて、昨夜のスープを、館にある全ての寸胴鍋で作らせた。
そして、その鍋を荷馬車に積み込むと、カーシャに道を切り開かせ、自らもメイドたちと共に、別の馬車に乗り込み、街へと向かった。
その日、ギルドで開かれたのは、予定されていたものとは全く違う、しかし、誰の記憶にも残る冬至祭となった。
ギルドに取り残された五十人の冒険者と、貧しい人々。
食力も、燃料も無くただ凍えるだけの彼らの前にマルトたちが、湯気の立つ温かいスープと共に現れたのだ。
荒くれ者の冒険者たちが、一人の魔女が作った温かいスープを静かにすすり、その周りでは、子供たちが、無邪気にカーシャの鋼鉄の脚に抱きついている。
そして、そのスープを配るのは、マルトとシルマだけではなかった。
マーサをはじめとする、館の侍女たちが、王宮仕込みの完璧な所作で、黙々と、しかし、どこか誇らしげに、その務めを果たしていた。
マルトは、その光景を、静かに、そして、心の底からの満足感と共に、見つめていた。
この力は、確かに、誰かを温めるために使うことができるのだ、と。
その確信が、彼女の心を、暖炉の火のように、温かく照らしていた。
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