39話 口づけ
ドラゴンスレイヤーはドラゴンの因子であるデミオンと適合することで肉体が変質した存在だ。その代謝能力は通常時ですら人間を遥かに超えており、回復力にかけては常識外だ。
そんな生命力が高いドラゴンスレイヤーであるがために、シオンは気を失うことすらできずにいた。
「はぁ……ぁ……」
「シオンさん、聞こえますか? ゆっくり呼吸をするんだ。苦しいかもしれないけど、落ち着いてゆっくり」
シオンの呼吸は荒く、汗も酷い。
いっそ気を失うことができれば楽だっただろう。
アーシャもおろおろとしていた。
「ねぇ、大丈夫なの? 痛いの? ねぇ!」
「キャトルさん落ち着いて。僕が何とかします」
シオンに縋りつく彼女を宥めつつ、天儀は治療に集中する。
しかし治療といってもできることはない。ここには治療用の道具などなく、できることといえば診察によって状況を把握する程度。
(正直、彼のドラゴンスレイヤーとしての治癒力に頼るしかない)
そう考えて、手持ちのケースからアンプルを取り出す。
一般ドラゴンスレイヤー用に調整されたデミオン溶液だ。赫竜病が発病しないよう、適度に薄めてある。怪我を負ったドラゴンスレイヤーにデミオン活性による自己治癒を促すためのもので、劇的な効果は望めない。
だが、やれることがそれしかないのも事実で、天儀はそれをシオンに投与した。
「……傷が深すぎる。このままじゃ失血死しかねない」
もうシオンの服は真っ赤に染まっており、地面にも大量に流れ出ている。
徐々に体温も下がっていた。
体内デミオンを使い尽くす勢いで源三を貫いた直後に受けた攻撃なのだ。ダメージは深く、回復力も本来のものには遠く及ばない。
そしてシオンはデミオンを排出する体質である。投与したものですら急速に放出してしまう。
「これでも体内デミオンが足りていないのか……?」
「ねぇ、助かるの!?」
「すまない、キャトルさん。できることはする」
アーシャの眼は不安の色で染まっていた。
彼女にとってシオンは初めて出会った同類である。その体質の故に厭われ、本人にその気がなくとも他者を殺し得る力を宿してしまった。
彼女にとってシオンは自分を理解し、共感してくれる存在だった。
「あたしの、せいで」
そのシオンは明らかに自分を守るため、傷ついた。死に瀕するほどの重傷を負った。
自分のせいでという思いがアーシャに重くのしかかる。しかし何をしたらよいのか分からない。物心がついてからはずっとゲオルギウス機関の研究施設で育てられ、日々の生活といえば実験であった。医療の知識など全くないし、こんな大怪我など見たこともない。
ただ、どうにかしなければという焦りだけが募っていく。
焦りは不安を呼び、そして不安とは心の安寧が崩れるということ。アーシャはまた、自分を制御できなくなっていた。
「天儀……」
「ごめん竜胆、少し待ってくれ。シオンさんに痛み止めを」
「デミオン計が警告モード……です」
痛み止めの用意をしていた天儀の目の前にデミオン計が差し出される。そこには一般人にとって危険域であるレベル三が表示されていた。これはドラゴンスレイヤー以外の赫竜病感染確率が急増する基準である。
確かに大型ドラゴンの討伐によって一時はデミオン濃度も高まっていたが、それは源三が吸収したことでレベル二にまで低下していた。それでも要注意濃度だったが、今はそれを上回る。つまり、ドラゴンスレイヤーではない天儀にとっては危険なのだ。
父親である源三がドラゴンスレイヤーだったこともあり、天儀にもある程度の耐性は受け継がれている。しかし所詮はある程度で、レベル三は危険域なのだ。
「どうしてこんな急に」
「避難する……です」
「いや、だけど彼を放っておくわけにはいかない」
天儀は新しい薬品と注射器を取り出し、自分の腕に投与する。
「抑制薬だ。これなら少しはこの場にいられる」
「……です」
危険なことには変わりない。そのため竜胆は不満気であった。
だが天儀はてこでも動かないだろう。怪我人を見捨てて逃げるような男ではないと知っているため、竜胆もこれ以上は言わなかった。
一方でシオンは苦痛の声を上げ続ける。
「ぐっ……」
「ねぇ痛いの? あたしどうしたらいいの?」
シオンが呻く姿を見せられても、アーシャには手を握ることしかできない。
ドラゴンスレイヤーの回復力もあって出血はましになっているものの、傷は塞がっていない。また内臓も損傷したままで、生きているのが不思議なくらいだ。
アーシャの不安はますます高まる。
「ねぇ、あたしは――」
「煩い、少し黙っていろ!」
蒼真に怒鳴りつけられ、アーシャは肩を震わせた。
またそれがきっかけとなり、張りつめていた何かが決壊する。アーシャの青い瞳はあっという間に涙で濡れ、やがて零れ落ちた。
◆◆◆
流石に気まずくなったのか、蒼真は舌打ちしてから視線を戻す。その先はヘリからの機関銃掃射で土煙に包まれていた。
青蘭が溜息を洩らしつつ嗜める。
「女の子を泣かしちゃだめじゃない」
「……そいつが騒いだところで奴を助けられる訳じゃない。勝手に致命傷を負いやがって」
「ふぅん……」
苛立たし気な蒼真に、青蘭は生返事を返す。
また疑わし気な目で見つめていた。
「……なんだその目は」
「べっつにぃ? シオンがその女を庇って死にかけているから苛々しているのかと思っただけよぉ?」
「なっ!? 俺はそんなことを!」
「はいはい。分かってるわよ。それより……」
青蘭は真剣な表情で前を向いた。
もう機関銃の音は止まっている。流石に弾が尽きたのだ。
「あれで死ぬとは思っていないが、動けない程度のダメージぐらいは負っていて欲しいものだな」
「大型竜でも穴だらけにして落とせるだけの掃射だもの。あとはトドメだけよ」
二人がそんな会話を交わすと同時に、ヘリのローターで巻き起こった風が土煙を吹き飛ばす。
重機関銃を集中砲火させたことで地面は破壊し尽くされ、大量の弾丸が突き刺さっていた。深紅の弾丸が敷き詰められた地面は、まるで血に染まっているようである。
そしてその中心に、竜人化した源三はいた。
しかも無傷の。
「ちっ……そういうことかああぁ!」
蒼真は苛立ちを隠すことなく声を荒げた。同時に刀を構える。
勿論、青蘭も刀と銃を手に、戦闘準備した。
二人の視線の先にいる源三は、半球状の殻に包まれていた。それは赤色透明であり、内部にいる源三の姿もはっきりと見える。
「まさか竜壁まで使えるなんてね」
「危険だが直接叩き斬るしかねぇな。忠勝のおっさんも降りてこい」
『銃弾は全部あれで防がれるからなぁ……仕方ねぇ。これなら俺らじゃなくて水鈴様が――あ』
「おい今何言おうとした?」
『い、いや何でもないとも。さぁ、操縦を代わってくれ真弓ちゃん』
『全く……仕方ないね。さっさと行っておいで』
「水鈴姉さんが来てるのか?」
『さぁね。あんたもそんなことを考えている暇はないよ!』
若干、忠勝が気になることを言いかけたようだが、真弓の言っていることも事実。今は思考の隅に追いやり、敵へと集中する。
源三も丁度、デミオンシールドを解いて立ち上がったばかりだった。
またヘリからは忠勝が、源三を挟んで蒼真たちの反対側に着地する。
「来るぞ。竜壁を使ったばかりだからデミオンを消耗しているハズだ。捕食行動に気を付けろ」
「ええ」
『おうよ』
隣にいる青蘭、離れた位置にいる忠勝が同時に返事をした。
そして戦いの再開を告げるかの如く、源三は吼えた。
◆◆◆
シオンの治療を続けながらも、天儀は戦いの様子を確認していた。
弾丸の雨を受けてもほぼ無傷だった源三を見て、天儀は微妙な表情を浮かべる。竜人である以上、あれで倒せなかったのは厄介だ。しかし一方であれは彼にとって父親でもある。心のどこかで安堵していた。
「親父……だから引退してくれって言ったのに」
そして彼は深く後悔していた。どうして父をもっと強く引き止められなかったのかと。
天儀は医者として源三の体も診察していた。その過程で内臓逆位であることにも気付いたのだ。また源三は赫竜病でもあった。
「僕が止めるべきだったのに」
「天儀……?」
竜胆は天儀を後ろから抱きしめる。
だが独白は止まらない。
「無理をすれば赫竜病が進行する可能性はあった。対抗薬はあくまでも進行を緩やかに抑えるためのものだから。くっ……」
天儀は源三の最期を知らない。
デミオンブレスから皆を守るため、死を覚悟していたことを知らない。
デミオンシールドを解除して吼える源三は、天儀には苦しんでいるように見えた。早く殺してくれ。早く始末してくれと。
「天儀にできることはない……です」
「分かっているよ。僕はそこまで熱血じゃないし、馬鹿じゃない。あんな戦いに一瞬でも紛れ込んだら即殺されるって分かっている」
「じゃあ、逃げて……です。ここも危ない……です」
「いや、僕には僕のするべきことがある」
顔を上げ、シオンの方へと向く。
今にも戦いが始まろうとしているすぐ側で、重傷者が倒れている。これは天儀にとって許容できることではない。獅童天儀は戦う者ではなく、医者なのだから。
まず、シオンに縋りつきながら涙を流し続けるアーシャに向かって告げた。
「キャトルさん、あなたにしかできないことがあります」
◆◆◆
動き出す源三に対し、まず青蘭が動いた。彼女は受け流しの達人だ。近接戦闘においては攻撃を無傷でしのぐことも難しくない。その間に蒼真がインカムで忠勝へと連絡する。少し離れているためだ。
「忠勝さん、狙うのは右胸だ」
『どういうことだい?』
「あの竜人の元になった男は右側に心臓がある特異体質らしい。さっきは左胸を貫いたんだが、死ななかった」
『どうりで。シオンが負傷したのはそのせいか?』
「そんな話はどうでもいい!」
思わず声を荒げてしまい、慌てて咳払いする。
「狙うべきは右。分かったな」
『了解だ。つい癖で左を狙わないようにしないとな』
戦いにくいという愚痴がインカムを通して流れてくる。
忠勝のそれは蒼真も思うところだった。
(何より、あれの攻撃を捌くのは簡単じゃない)
鋭い爪や歯、そして竜鱗といった基本的な竜人の特徴のみならず、角や翼や尾といった異形の部位まで出現している。基本的な動きは人間そのものであっても、やはり少し違う。死角から伸びてくる尾は驚異的で、羽ばたくだけで暴風を巻き起こすので戦いにくくて仕方がない。
それは相対して戦っている青蘭が一番感じていた。
(こいつ、私を狙っている感じないわね)
捕食行動を警戒していた青蘭は、より注意深く観察する。
今の源三はデミオンシールドを使ったことで大きくデミオンを消耗しており、人やドラゴンを喰らうことで補給を望んでいるはずだ。
しかしその注意は目の前にいる青蘭ではなく、別の方へと向いている。
それはシオンとアーシャのいる場所であった。
「グオオオオオオオオオオオオ!」
源三は青蘭を押し退ける。
初めから彼女など眼中になかった。
「狙いはそっちかよ! 鬱陶しいぜ」
咆哮し、突進する源三の前に蒼真が立ち塞がった。
◆◆◆
「本当に?」
天儀の言葉はアーシャにとって天啓のようであった。
勿論と頷く天儀は説明する。
「シオンさんにはデミオンという物質が足りていません。そして僕はそれを持っていない。ですが、供給源となり得るあなたがいます。覚えているかは分かりませんが、あなたは暴走中に膨大なデミオンを放っていました。それをシオンさんに与えることができれば……」
「でも、あたし」
アーシャは戸惑う。
過剰なデミオンを人に投与する。
それは常識外れなことだ。耐性があり、デミオンをある程度コントロールできるドラゴンスレイヤーですら、調整されたデミオン溶液を規定量だけ摂取するだけである。つまり適当に流し込んでよいわけではない。そんなことをすれば赫竜病の感染確率が増大する。この程度の知識はアーシャにもあった。
いや、アーシャはそれを体験していた。
「あたしがそれをしたら、シオンが……」
「大丈夫。シオンさんは君の暴走すら一人で抑え込みました。君が誰よりもシオンさんの強さを知っているはずです。信じて、彼のために」
「あたしは……」
キャトル計画の実験体。それがアーシャ・キャトル・クロムウェルだ。
富士樹海では暴走して大量のデミオンを発し、邪龍までも呼び寄せた。ここ旧横須賀基地では首輪で暴走させられ、大型ドラゴンとその群れを呼び寄せた。
ドラゴンはデミオンに惹かれる。
そしてドラゴンは常にアーシャに惹かれている。
アーシャは馬鹿ではない。
自分の異能の一端に気付いていた。
「シオン」
血を失いすぎたからか、シオンは意識を朦朧とさせている。
だからアーシャは呼びかけつつ、シオンの頬に両手を添えた。
(メアリ……あたしは)
思い出すのは親友を赫竜病にしてしまった、あの日。
アーシャはデミオンを発する体質なのだ。だから近しい者にデミオンを供給してしまい、それが長く続けば赫竜病を発症させてしまう。それで親しい者を死なせてしまった。
しかし、シオンは違う。
(大丈夫。だってあんたは言ってくれた。一緒にいないかって。だから大丈夫)
どれだけデミオンを浴びようと、どれほどデミオンを摂取しようと、決して赫竜病にはかからない。
アーシャが全力でデミオンを吹き込んだとしても、シオンならば問題にならない。
フラッシュバックする嫌な記憶を取り払い、覚悟を決める。
「シオン、あたしが助ける。まだ返事をしていないから」
小田原城での問いかけに、まだアーシャは返事をしていない。
答えを返すために。
シオンを助けるために。
デミオンを吹き込むために。
アーシャはそっと、唇を落とした。
タイトル回収




