35話 竜人化
アーシャを背負ったシオンは、ゆっくりとした足取りで廊下を出た。
それと同時に激しい轟音と震動に襲われた。
「……びっくりした」
まさか大型ドラゴンが落下した音だとは思わず、ただ胸を撫で下ろす。
シオンたちが閉じ込められていたのは旭では更生施設と呼ばれる場所で、コンクリート造りの武骨な建造物だ。ただそのせいか内装は単純で、道も覚えやすい。まずは出口を目指すか、天儀たちと合流することにした。
シオンは記憶を頼りに移動する……が、ここで反響する呻き声を察知する。
「……もしかして治療中の正一さんたちか?」
呻きが聞こえるということは、あまり良い状態とは言えないのだろう。少しだけ駆け足で声の方向へと向かって行く。
声の反響から推察してこの廊下を曲がった先だ。
だが、その先で待っていたのは予想もしない光景だった。
「竜胆、彼女を抑えてくれ!」
「でも……」
「何とかする……いや、してみせる!」
狂ったように暴れまわる浅実を竜胆が抑え込み、天儀が何かの薬品を投与しようとしていた。
そして側には大量の血が流れている。血の源は床に倒れてピクリとも動かない正一であった。ドラゴンスレイヤー制服の左胸の部分が真っ赤に染まっており、心臓を一突きにされたことが分かる。
だが、その光景を見てもシオンは冷静だった。
(竜人化……そうか)
如月シオンに与えられた役目は竜人殺し。
正一の顔や腕に見られる深紅の鱗が全てを物語り、またシオンに全てを理解させた。
怒りはない。
何故なら普段から自分のしていることだ。そんなシオンが文句を言ったり、怒りをぶつけるのは筋違いというものだろう。
「天儀さん」
「っ! シオンさん、それにキャトルさん……その、これは……」
「分かっています」
シオンの呼びかけで気付いた天儀は焦ったような表情を浮かべていた。
(そうか、これが普通の反応……だよな)
自分がいかに冷たく、心無い化け物なのか見せつけられた気がした。
人を殺してしまった。
それがどれほど罪深いことか、天儀は心から理解しているのだ。また医者としての矜持もあるのだろう。
(もう竜人化は止まらない。それなのに治療を)
何人もの竜人を仕留めてきたシオンだ。
もう浅実の症状が止まらないことは見てわかる。しかし天儀は絶対に止めてみせるという気概で赫竜病と向き合っていた。
いや、浅実だけではない。
玄も苦しみの声を上げている。もう腕や首に赤い鱗が見えているほど赫竜病が進行している。そして髪の一部も赤くなり始めていた。シオンならばもうこのタイミングで殺す。人であるうちに殺す。
「天儀さん、俺が殺します。それが、仕事ですから」
故にそう問いかけた。同時に、アーシャを降ろして壁を背に座らせ、鹵獲した剣を抜く。
だが、天儀は強く反論した。
「ダメだ。それは僕が許さない」
「ですがもう止まりません。俺は知っています」
「治療してみせる。君の仲間だろう? そう簡単に殺すなんて……言わないでくれ」
ドラゴンスレイヤーとして正しいのはシオンだ。
しかし人として正しいのは天儀である。
今までのシオンならば、そんな甘いことは言っていられないと即座に殺しただろう。情が湧けば殺しにくくなる。人であるうちに殺してあげなければならないという免罪符で自分を誤魔化し、竜人殺しを仕事としてこなす。
これが今までのシオンだった。
(玄さん、浅実さん……)
だが、シオンは下手に彼らと友好関係を持ってしまった。完全に好意的というわけではなかったが、多少の仲間意識が芽生えるには充分だった。
情は刃を鈍らせる。
「どうか僕に任せてくれ。その刃を降ろしてくれないか?」
「……」
「シオンさん、どうか」
シオンはそれでも剣を降ろさない。
今、シオンは悩んでいるのだ。
(今殺さないと……竜人化してしまう。でも、もしかしたら)
天儀のやり方は理想であり、現実的ではない。旭で開発された赫竜病対抗薬を投与して何とか助けようと尽力はしていたが、現実は甘くなかった。
浅実が突如として身を捩り、天儀を吹き飛ばした。かなりの勢いでコンクリート壁に叩きつけられ、呻き声を出す。慌てた様子で竜胆が駆け寄り、容体を確かめた。
「天儀! 大丈夫、です?」
「痛っ……僕は問題ない。それよりも、彼女を」
「もう無理……です」
浅実は完全に竜人化していた。
その瞳は縦に細長く、爬虫類を思わせる。首から頬にかけて特徴的な赤い鱗が密集しており、口を開くと牙のような鋭い歯が覗く。髪も深紅に染まっていた。息は荒く、ジッとシオンの方を見つめていた。
理性は感じられない。
完全な竜人化を果たしている。
(浅実さん……)
どうしてか、浅実との思い出のような何かが浮かんでは消えた。
睨みつけられたこともあった。
キノコ談義をしてくれたこともあった。
共にドラゴンと戦った。
アーシャを気遣っていた。
「ア、アア。ア……」
「浅実、さん」
彼女は一歩、前に進む。
そして次の瞬間、シオンのいる方へと飛びかかった。だが狙いはシオンではない。後ろの壁にいるアーシャだ。
「ぐ、ああああああ!」
そして玄にも変化が起こる。
一瞬にして髪が深紅に染まり、全身が半透明の竜鱗に覆われたのだ。完全な竜人化である。玄は獣のように身を引くくし、鋭い目でアーシャを睨みつけていた。
(二人とも、狙いはアーシャか!)
考えている暇もない。
竜人となった玄と浅実が同時に飛びかかる。シオンはまず浅実を剣で斬ろうとして……刃が鈍った。いや、ほんの無意識程度でしかなかった。ただ集中しきれていなかったにすぎず、シオンの理性は斬るべきだと考えていた。
だが、その僅かな隙は竜殺しという仕事の中で致命的となる。
シオンの剣は簡単に弾かれた。手放しはしなかったが、体勢を崩されてしまう。
「くっ……」
「ガアアアアアアア!」
浅実の爪が、シオンの胸を切り裂いた。
またすり抜けるようにして玄がアーシャへと向かって行く。
(不味い)
今のアーシャは完全に無防備だ。自分で逃げることもできない。
このままでは彼女が食われるだろう。
シオンは一瞬のうちに彼女を助ける方法を考え、全て不可能だと結論付けた。胸を切り裂かれ、ダメージ負って体勢を崩した今の状況からアーシャを助け出す方法はない。仮に傷がなかったとしても、玄を抑えたところでまだ浅実がいる。
絶望的に思えた。
シオンが助けるのは。
だが、ここでアーシャと玄の間に竜胆が割って入った。シオンですら目視できない、そんな速度で間に割り込み、玄を蹴り飛ばす。
そして流れるように刀を振るい、シオンの首を刎ねようとした。
「うおおお!? 危なっ!?」
「……? 避けないで……です」
「避けるわ!」
竜人に傷を負わされたドラゴンスレイヤーは、そこから侵入するデミオンによって赫竜病になる。そして赫竜病になったドラゴンスレイヤーはほぼ確実に竜人となる。
竜胆はそれゆえ、シオンを始末しようとしたに過ぎない。
シオンもそれは分かっているので慌てて説明した。
「俺は特異体質だから竜人化しません。だから問題ない……っと」
そう言いながら浅実の攻撃を今度こそ避ける。
もう胸の傷は出血も止まり、徐々に塞がりかけている。
シオンは浅実の伸び切った腕を取り、背負い投げの要領で背後に投げ飛ばした。
そしてその隙に弾かれた剣を拾う。
「そっちを頼みますよ」
「妙な動きをしたら斬る……です」
シオンは浅実を。
竜胆は玄を。
それぞれ剣と刀を構え、相対した。
◆◆◆
大型ドラゴンが倒されてからは早かった。
まだ多く残っていた小型ドラゴンも散り散りになってどこかへと飛んで行き、この横須賀の空からは消えていなくなる。
郷士は状況確認を急がせた。
「確認取れました。竜人化したドラゴンスレイヤーが十四人です。それと新たに赫竜病になった者が三十人ほどいます」
「そうか。分かった」
導き出された被害は最悪の一言に尽きた。
源三のお蔭で大型ドラゴンのデミオンブレスを暴発に抑え込んだのは良かったが、それが原因で多くが赫竜病に侵された。また共に戦ったドラゴンスレイヤーはほぼ全員が竜人化して処分することになり、残っているのは数名となる。対空砲を護衛していたドラゴンスレイヤーたちにはその被害もなかったので全滅というわけではないが、この戦いで旭は保有するドラゴンスレイヤーの半数以上を失った。
また赫竜病も厄介である。
治療法のないこの病の結末は死か竜人。つまり事実上の死一択だ。
(いや、この程度で済んだと喜ぶべきなのかもしれないな)
対ドラゴン部署を管轄する郷士は、今回の大型ドラゴン襲撃によって旭が壊滅することすら想定していた。デミオンブレス一発で旧横須賀基地は完全崩壊し、誰一人として地上に出ることができなくなる。地下シェルターに避難したところで飢死にが待っているだけだった。
それがこの程度の被害で済んだのは、援軍とも言うべき存在があったからである。
「感謝する……如月蒼真」
「俺を知っているのか?」
「キサラギ最強の小隊と名高き君たちこのことは聞き及んでいる。狙撃の援護も六道諸刃だろう?」
「ついでに言うと、最後のレールガンはあいつの体内デミオンで強化してた」
「そうか……本当にありがとう」
郷士は深く頭を下げた。
そして朽ちていく大型ドラゴンの方へと目を向ける。
「礼としてあの大型のコアでも差し出したいところだが……あの様子では砕け散ったかもしれない」
「破片ぐらいは残っているハズだから、それを回収すれば足しにはなる」
「そう、だな。後で集めよう」
ドラゴンはコアにデミオンを溜め込み、心臓によって全身へと供給する。故にそのどちらかを破壊されると存在を保てず、消滅するのだ。死体の処理に困らないという点では非常に楽である。
ただ大型ドラゴンほどの巨体が消滅すると、その肉体を構築しているデミオンが散布されることになる。
そのため回収する際はドラゴンスレイヤーであっても防護服が必要だ。
蒼真はインカムを通して諸刃に告げる。
「夏凛さんの所に戻るぞ」
『分かった。大型が朽ちるまで見ていなくていいのか? 一応はドラゴンの肉体が完全消滅するまで観察するのが定石だが』
「旭の連中がやるだろ」
『まぁ、別に構わない』
ドラゴンは肉体を消滅させるとコアを残す。
それを回収するためというのも理由の一つだが、朽ちていくドラゴンの死体を他のドラゴンに捕食させないためにも観察しておくのが決まりとなっている。必須というわけではないが、大型ドラゴンほどならばしっかりと完全消滅を確認するのが普通だった。
蒼真は大型ドラゴンの死体へと目を向ける。
もう既に三分の一は消滅しており、そして周りには小型ドラゴンすらいない。漁夫の利を狙って捕食されることもないだろう。
現に今、大型ドラゴンが大きく崩れた。
「三田のおっさん。俺たちは例の執務室に――」
――先に戻らせてもらうぞ。
そう言おうとして蒼真は違和感に気付いた。大型ドラゴンの死体から発せられるデミオンは、赤い光を発しつつ拡散していた。だが、その発散が止まったのだ。
いや、寧ろ再集結し始めた。
これに気付いたのは蒼真だけではない。郷士はインカムで呼びかける。
「大型竜の死体に異変だ! 警戒しろ!」
近くにいた者は刀を、あるいは銃を構えて死体を見守る。
赤い光を発するデミオン粒子はスモッグのように大型ドラゴンの首の根本あたりへと集まり始めた。そしてその奥に小さな影が一つ。
それは人影であった。
「……まさか」
郷士は嫌な予感がして、そして最悪を予想して後ずさりする。
「まさか、あんたなのか……?」
赤い靄の奥から現れた人影。
それは上半身裸の男であった。胸や腹、腕には大小さまざまな傷があり、そこを避けるようにして深紅の竜鱗が覆っている。獅子の如き毛髪は紅蓮に染まり、瞳はギラギラと輝いていた。そして右手と融合するように、特徴的な竜殺しの刀がある。
竜人、獅童源三。
大型ドラゴンの腹に飲み込まれ、死んだはずの男が蘇った。最悪の存在として。




