33話 大型竜の脅威③
大型ドラゴンの近くに竜人が現れた頃、天儀の所にも変化があった。
「ぐ、ああ。ぐおぉ……」
正一が苦しみ始めたのだ。
そして医者である天儀はこれが何を意味するか、すぐに理解する。
「赫竜病が……いや、竜人化が! 竜胆、四番を」
「……です」
すぐに新しい薬を投与するが、それでも正一の呻きは止まらない。そして傷口から広がり始めた透明感のある赤い鱗が目に留まる。
赫竜病に感染した場合、行きつく先は竜人か死の二択だ。
そしてドラゴンスレイヤーはデミオンに対するある程度の耐性を備えているため、死ぬことなく竜人化してしまう。
竜人はドラゴンスレイヤーの天敵で、僅かでも傷を負わされるとそこからデミオンが侵食し、そのドラゴンスレイヤーも赫竜病に感染してしまう。勿論、その結末は竜人化だ。
(今ここには竜胆がいる。竜人化させるわけには……)
ここで天儀がドラゴンスレイヤーであるならば、躊躇いつつも殺害を決意しただろう。だが彼は医者だ。人の命を救うことが仕事なのだ。
だからこそ、赫竜病が急速に進行しつつある正一を殺すことができなかった。
「竜胆、五番」
「……です」
「それと今の内に七番も用意してくれ」
注射器を受け取った天儀は中の対抗薬を投与しつつ竜胆にも指示を出す。
何とかして正一を救おうとするが、どうしても進行が止まらない。正一は背中から撃たれた傷から進行が始まっている。この傷は腹まで貫通しており、天儀はその両方の対処を迫られていた。
竜胆から七番の薬品を受け取り、それを傷口の近くに打つ。これは細胞に直接作用する薬品で、緊急対処用のものだ。それでも進行を遅らせる程度しか効果がないため、焼け石に水であった。
「止まら、ない」
「天儀……私がやる、です」
「だめだ。まだ助かるかもしれない」
刀に手をかける竜胆を慌てて止める。
しかしそれが隙となった。
「グガアアアアアアア!」
正一はバネのように跳び起き、天儀に掴みかかったのである。また大きく口を開いて鋭くなりつつある歯を見せており、喰らおうとしているのは明白だった。
反射的に竜胆が正一を蹴り飛ばす。
「ゴッ!? ガッ!?」
ひっくり返った正一に、竜胆は容赦なくトドメを刺した。
ドラゴンと同じく竜人の急所は心臓だ。音もない一突きによって正一は床へと縫い付けられ、動かなくなる。完全に力が抜けており、死んでいるのが見て分かった。
しかしその身体は粒子化して消えることがない。完全には竜人化していなかったらしい。正一は人であるまま、死を迎えた。
「竜胆……」
「まだ、です」
竜胆がそう告げて、左手で天儀を押しやる。
同時に玄と浅実までも苦しみの声を上げ始め、傷口から赤い鱗が侵食し始めた。
◆◆◆
蒼真と郷士は共食いをする大型ドラゴンを止めきれずにいた。
そもそも相手は五十メートル越えの巨体なのだ。ただ身じろぎするだけで人間を圧し潰すだけの質量差を持っている。大型ドラゴンが共食いすると決めて動けば、それを物理的に止める手段はない。
「それならこっちにも考えがある!」
その代わりに隙だらけとなった首の根本、すなわち心臓のある位置を狙う。蒼真は活性化させた刃を振るい、竜鱗を切り裂こうとした。
だが、それは赤い障壁のようなもので弾かれてしまう。
「竜壁だと!?」
通称、竜壁。
正式にはデミオンシールドというドラゴンの能力だ。デミオンブレスと同じく、かなりのデミオンを消耗すると言われている。そのため大型以上でしか発動を確認されていない。
デミオンを体外に放出し、それを防壁とする能力である。しかしその性質は竜鱗と同じくらい硬いというもので、簡単には破れない。
(何よりも厄介なのは竜壁のデミオンノイズ特性……俺の斬撃すら通らないとは!)
デミオンシールドは多少だがデミオンを反発させる。そのため対竜兵器は全て減衰させられるのだ。
ただこの仕組みはキサラギを囲む対竜防壁にも組み込まれている特性なので、一概に悪いとは言えない。だがこの状況では最悪だった。
「三田のおっさん! 心臓は狙えない! 竜壁を張りやがった!」
「ならば下顎を狙うぞ。これ以上捕食されてなるものか!」
「ああ、喰われんなよ!」
ドラゴンとて馬鹿ではない。特に大型ドラゴンともなれば自身の急所を守りつつ回復する、などという程度の知恵もある。
攻撃が通らないと確信した蒼真たちの決断は早かった。
暴れまわる大型ドラゴンの攻撃――ドラゴンからすれば攻撃の意図はないが――を回避し、二人は顎の付け根を狙う。いかにドラゴンが異常な生命体であっても、構造上は生物と変わりない。骨格があり、筋肉のような構造まである。それを断ち切れば一時的であっても動かなくなることは道理。
激しく動き回り、小型を噛み砕く大型ドラゴンの頭部はそれだけで小型一体分ほどもある。だからこそ真下は死角となり、蒼真と郷士に気付くことができていなかった。
「今だ!」
郷士の合図に合わせて蒼真も跳び、全力で活性化させた刃を振るう。通常は半透明な赤の刃が、活性化によって輝き、美しい三日月状の軌跡を描いた。
それが二つ同時に、下顎の関節部分を断ち切る。
流石に骨格までは切り裂けなかったようだが、その骨格に張り付く筋を切り裂くことはできた。竜鱗の上からの攻撃であるため、上出来と言えるだろう。
これによって大型ドラゴンは咀嚼できなくなり、だらしなく下顎を開く。噛み砕かれていた小型ドラゴンの残骸も零れ落ちた。
「もう一度だおっさん!」
「分かっている。合わせろ!」
ここで二人は油断したりしない。
大型ドラゴンの再生能力は桁違いなのだ。ただ筋を断ち切った程度なら、すぐに再生してしまう。故にさらに深い傷をつけなければならない。
また二人は同時に跳び、活性化させた刀を振り上げた。
見事なまでに同じタイミングで振り下ろされる刃は、先に付けられた傷に沿う形で振るわれる。空中という不完全な体勢を強いられる状況でここまで性格に刃を振るえるのは、ひとえに二人が優秀過ぎるドラゴンスレイヤーだからだ。
だがしかし。
いや、ここはやはりという方が相応しい。
大型ドラゴンの知力を侮ってはいけなかった。先の攻撃は捕食という目的の邪魔になると瞬時に気付き、傷口に合わせてデミオンシールドを張ったのだ。
そこから発せられるデミオンノイズ現象が刃の活性化を減衰させ、斬撃の威力を低下させる。元から竜鱗に匹敵する硬度のシールドであるため、当然のように斬撃は弾かれた。
「しまっ……」
郷士は遅かったと後悔するも、そんな余裕すらすぐになくなる。
折角負わせた傷はあっという間に再生され、再び顎が使えるようになった。だが鬱陶しいはずの二人には目もくれず、零れ落ちた小型ドラゴンの残骸を再び咥え……飲み込む。
「グオオオオオオオオオオオオッ!」
空気を震わせ、衝撃波すら発生させる咆哮が劈く。
蒼真と郷士はそれによって多少吹き飛ばされ、何とか着地した。三半規管を揺らされたが、この程度で体勢を崩すほど未熟ではない。
しかしその間に大型ドラゴンはグッと後ろ足に力を籠め、跳んだ。
飛んだのではない。
跳躍したのだ。
その際に巨大な翼を使って空気を叩き、跳躍の補助をしたので飛翔と言えなくもないが。
「何をするつもりだ……?」
郷士はまだ猛威を振るう竜人や小型ドラゴンに注意しつつ、大型ドラゴンに注意する。
大型ドラゴンは百メートル以上は跳び上がり、その頂点に達したところで翼を全て広げた。これによって地上には巨大な影が落ちる。
ドラゴンは鳥のように空気を叩いて飛んでいるわけではなく、何か別の法則に従って浮遊していると言われている。だからこそ、あの巨体が宙に浮くのだ。故に飛翔ではなく、ただ翼を広げて滞空することも不可能ではない。
今、大型ドラゴンは地上からおよそ百メートルの位置で滞空していた。
そして全身を赤い半透明の障壁が覆う。障壁は大量の正三角形を組み合わせた正二十面体であった。これによって大型ドラゴンはあらゆる攻撃を弾く防護壁に守られたということになる。
蒼真はすぐにインカムで諸刃に呼びかけた。
「狙撃できるか?」
『俺の切り札ならともかく、通常狙撃弾では竜壁を貫くことは難しい。できたとしても、まともなダメージにならないだろう。普通に竜鱗で弾かれる』
「ちっ……」
『その代わり、竜人はほぼ排除した。残り二体だ。それをすぐに仕留める』
彼がそう告げた直後、飛来した狙撃弾が暴れる竜人の心臓を貫いた。
これで残り一体、とインカムから聞こえるも、蒼真からすればそれどころではない。
「クソがぁ……ブレスを使うつもりかあああああっ!」
大型ドラゴンは全身を覆う巨大デミオンシールドを展開させた状態で、デミオンブレスを溜め始めたのだ。半開きになった口から洩れるデミオンの赤い活性光から、それは容易に推測できた。
だがこれは大型ドラゴンにとっても簡単なことではない。
デミオンシールドもデミオンブレスも、共に膨大なデミオンを消耗する大技だ。現にデミオン不足となったからか、大型ドラゴンの全身にある竜鱗がボロボロと崩れ始める。本来ならば竜鱗に回していたはずのデミオンをも利用しているのだ。いや、そればかりか肉体を構築するデミオンすら利用している。それによって尾や脚部の末端が消失していた。
「そこまでして俺たちを殺したいのか! ドラゴン!」
『蒼真、今最後の竜人を仕留めた』
「それどころじゃないぞ。どうにかして……」
『それと俺は少し外す。一秒でも時間を稼げ』
それを聞いて蒼真は一瞬だけ頭が真っ白になった。
「は? おい、どういうこと……切れてやがる」
少し遅れて返すも、諸刃が返事をすることはなかった。
(あいつが逃げるとは思えねぇ……なら、俺はあいつを信じて一秒でも時間を稼いでやる)
蒼真にとって諸刃は幼馴染であると同時に、信頼できる仲間だ。命惜しさに逃げるような男ではないと知っている。
デミオンシールドにデミオンブレスという絶望的な状況にあっても、必ず何かしてくれる。
そう信じて、残り少ない体内デミオンを活性化させた。
◆◆◆
シオンがアーシャの首元へと噛みついたのは、首輪を歯で砕くためであった。
ドラゴンの力そのものであるデミオンは人体の代謝能力を極限まで高める効果の他、物質を変異させる性質を持つ。シオンの歯も鋭く変化していた。
「う、うぅぅ……」
だが、それでも硬い。
一息ではとても噛み切れない。しかしジワジワと圧力をかけるように、顎へと力を込めていく。徐々に首輪が変形しているのが感覚的に理解できたが、これはまだ弾性変化の範疇だ。一瞬でも力を弱めたら元に戻ってしまう。
またアーシャとて大人しくしているわけではない。
先程よりはましだが、シオンの肩に咬みつきながら苦しんでいる。
(痛いし、力は入れにくい。だけど、ここで止めるわけには……)
早く、早く。
どうか一秒でも早く砕けて欲しい。
その一心で首輪を噛み砕くことに集中する。
歯を変異させているとはいえ、シオンにかかる負担は大きい。実際、歯は嫌な音を立てているし顎の筋肉も壊れそうだ。
(もっと、もっとだ)
シオンは集中し、力の全てを顎へと集める。
体内デミオンを刀に流して活性化させるように、自らの歯を活性化させるのだ。ドラゴンの鱗すら切り裂く刃のように、もっと鋭く。
その瞬間、首輪へと歯が僅かに食い込んだ。
弾性変化が終了し、塑性変化域へと突入したのである。ここまで変形させれば、物質は自力で元の形状へと戻ることができない。
(このまま、噛み砕く!)
希望が見えたことで気力も回復した。
シオンは更に力を込める。
「が、ああああああああああああああああ! がああっ!」
そして一気に噛み砕いた。
破片が口内を蹂躙し激痛が走るも、すぐにそれらを吐き出してアーシャの様子を確認した。
「はぁ、はぁ……アーシャ」
「……う」
「収まった、か」
安堵したシオンはもう一度、口の中のものを吐き出す。細かい首輪の欠片に混じって血も出てきたが気にすることはない。ドラゴンスレイヤーはこの程度の傷ならすぐに回復できる。もう痛みすら引きつつあるほどだ。
力はないものの肩に噛みついたままのアーシャを外し、横抱きにして容態を確認した。その際に肩から血が噴き出て服を赤く染める。しかしまだ肉体の活性化が残っているからか、傷が治っていく感覚がした。
「アーシャ、大丈夫か?」
「……んあ?」
僅かに反応するが、返事をする様子はない。
そしてシオンは自分が日本語で話しかけていたことに気付いた。彼女は日本語が分からない。なので改めて英語で問い直す。
「大丈夫か? 声は出せるか?」
「ん、身体が痛い」
「取りあえずは問題なさそうで何よりだ。歩けるか?」
その問いに対し、アーシャは首を横に振る。
この部屋は先程まで彼女が大量のデミオンを放出していたので、あまり良い環境とは言えない。また死体や血が飛び散っているという意味でもそうだ。
仕方なくシオンは彼女を横抱きにしたまま立ち上がろうとして……そして武器がないことに気付く。さっき反撃に使った対竜剣は抜き身のまますぐ近くに落ちていた。
「とにかく、ここを出ないと。アーシャ、俺の背に捕まってくれ」
「ん」
このままでは剣を持つのも難しいので、シオンは彼女を背負い、それから血に濡れた竜殺の剣を手に取る。そして同じく落ちていた鞘へと納めた。
この部屋は先程までのやり取りのせいで高濃度デミオンに満ちている。部屋の壁や床も一部竜結晶化が始まっており、シオンやアーシャのような特異体質でなければ生身での侵入は不可能。このままでは助けも来ないだろう。
状況確認のためにも外に出る必要がある。
(確かドラゴンの大群が来たんだったな……装備の幾つかは拝借していくか)
黒装備の襲撃者から拳銃と弾倉を抜き取り、剣を手にしつつ外へと出たのだった。




