21話 ドラゴン・チェイサー
五月二十四日、十時十二分。
シオンたちは朝からキサラギに向けて出発した。
小田原集落からキサラギまで、車で二時間ほどかかる。シオンとアーシャの運送は正一たち三一七小隊が担当することになっており、彼らはシオンを送った後また小田原に戻ってくる予定だ。既に半分ほど道程を進み、今は茅ヶ崎市を走っている。
シオンは玄の運転する幌トラックの後部に乗せられ、ずっと窓の外を眺めていた。窓といっても、黒い幌の一部が透明ビニルになっているだけだが。
(曇りか。昨日は風も強かったし、あっという間に天気が悪くなったな)
昨晩は月明りも見えていたが、今は曇天が広がっている。
じきに雨が降るだろう。空気の湿り具合からして間違いない。先程から強風のせいで幌がはためいており、それが耳に障る。
(移動にもう少し時間をかけていたら……この雨に足止めさせられたかもな。運が良かった)
そんなことを考えるシオンの隣に赤い髪が映った。
同時に強い力で押しのけてくる。
「あたしにもそっち側の外を見せてよ」
「アーシャ」
「シオンばっかりずるい」
「今見ても面白いものはないぞ」
そう言いつつもシオンは場所を譲る。
小田原からキサラギのある旧横浜市までの道は途中まで海沿いだ。なので右側の窓は特に変わり映えのない景色が続く。特に今は曇り空であるため、青い海の美しさもない。しかしアーシャからすれば全てが新鮮だった。
大風で波立つ海すら、いつまでも見ていられる。
アーシャはもう窓から離れないだろう。
シオンは仕方なく、積み荷の傍に座った。
「興味津々だね、彼女」
「浅実さん」
「正一も玄も前で楽しそうにしているし、私たちも少しお話しない?」
「……いいんですか?」
「正一たちともあれから話し合ってね。莉乃は本当は私たちで殺すべきだったって。だからあんたを責めるのは筋違いだってことで納得したのよ。私も、玄も、それに正一もね」
そう言って浅実は運転席の方を指さした。
小さな窓には運転しながら談笑する玄がいる。一方で助手席には正一が座り、フロントガラスを指さしながら何かを話していた。よく見るとフロントガラスの一部が割れており、どうやらそれについて話しているのだと分かる。
「あれは?」
「フロントガラスね。あれ、行きがけに玄の銃が暴発してね。その傷跡なの」
「大丈夫でした?」
「見てのとおりよ」
大事に至らない事故で済んで良かったと浅実は笑う。
しかしあまり笑える話ではないので、シオンは微妙な表情を浮かべていた。コメントも思い浮かばなかったので、別の話題を振ることにする。
「そういえば、浅実さんの知識で助かりました。竜の巣でキノコを採って凌いだんですよ」
「役に立ったようで良かったわ。まさか役に立つとは思わなかったけどね」
「どんな知識が役に立つか分からないですからね。ただ、味の面では微妙でした」
「まさかそのまま食べたの?」
「いえ、塩茹でしました」
「……キノコは炒めると美味しいわ。後は煮物だけど、調味料が不足しているし無理かな?」
「ああ、歴史の講義に出てきたことありますね」
「私たちは合成食料で育ったからね。自然の食材は初めてだった?」
「はい」
「調整された味と比べたら変な風に感じたかもね」
キサラギで一般的に配布されている食料は化学合成されたものであり、味も栄養も調整されている。そのため不味いと感じることはほとんどない。
逆に天然素材の不安定な味は現代人であるシオンたちにとっては不可思議なものだった。
不意にアーシャが悲鳴を上げる。
「きゃっ!?」
「どうしたアーシャ!」
アーシャは尻餅をついて窓を指さしている。シオンも慌てて窓の外を見るが、何もなかった。強いて言うならば雨が降っている。かなりの大雨で、いつの間にか幌を叩きつける雨音が響いていた。
(ドラゴンでもいたのか?)
シオンは視界の悪い外を確認するが、それらしい姿はない。この悪天候でもドラゴンの赤い巨体を見逃すことはないだろう。
この幌トラックは前後左右と上面に一つずつ透明ビニルの窓が確保されている。
全方向を確認してもドラゴンは確認できない。
「何を見たんだアーシャ?」
「み、水が窓に……」
「水? 雨のことか?」
何故そんなことで驚くのかと疑問に思うが、そこでシオンはある事実に思い当たる。アーシャは地下研究所で育ったので、雨を知らないのだ。
確かに知らなければいきなり水が降ってくる現象に驚くことだろう。
「大丈夫だ。ただの天気だから」
「天気? 何よそれ?」
「あー……外の世界では空から水が降ってくることもあるんだよ。別に不思議なことじゃないから、そんなに怖がらなくてもいい」
「べ、別に怖がってなんかいないわよ! 初めて見ただけだし!」
アーシャは強がっているが、怖がっているのは明白である。
しかしシオンも余計なことは言わない。彼女の性格を考えれば、押し問答になるだけだろう。
事情のよく分からない浅実はシオンに尋ねる。
「彼女どうしたの?」
「生まれてずっと研究所だったので、雨を初めて見たらしいです」
「そうなのね」
「アーシャもそう言っていますから。浅実さんは英語苦手ですか?」
「読めるけど、会話は苦手ね」
彼女は英語があまり分からないので、アーシャの言っていることを理解できていなかった。浅実はドラゴンスレイヤーの一族ではなく、一般の出自であるため、英語をそれほど深くは会得していない。
如月家のように生まれながらに竜殺を義務付けられている一族は、その必要性から英語を必ず習得する。しかし一般の人々は読むことができれば充分という程度であることが多い。
「ほら、アーシャ」
シオンは手を差し出す。
その手を取ろうとしたアーシャは、しかしもう一度窓を指さした。
「あ……」
反射的にそちらを見たシオンと浅実も思わず抜けた声を漏らす。
「え?」
「今の」
大雨になりつつあるため分かりにくいが、複数の赤い巨体が窓の外に見えた。
そして次の瞬間地面が揺れ、幌トラックが跳ねる。また車が急旋回したことで三人は体勢を崩す。その際に浅実が幌を支えるフレームに叩きつけられ、倒れた。
「浅実さん!」
「きゃああああああ! 何よ!」
浅実に呼びかけるも返事がなく、アーシャは蹲って耳を抑えつつ叫んでいる。浅実は叩きつけられた衝撃で頭を打ったらしく、気絶していた。
今もトラックは蛇行運転を繰り返しており、運転席を見ると玄がせわしなくハンドルを回していた。正一がサイドミラーや窓の外を見ながら何か指示を出している。
シオンはフレームの一つに掴まり、改めて窓の外を見た。
「小型竜の群れ……中型もいるのか!」
最悪の天候の中、シオンたちの車はドラゴンに襲われた。
◆◆◆
運転席に座る玄は激しく心臓を鳴らし、連続でハンドルを左右に切っていた。小型ドラゴンですら車とほぼ同じ大きさなのだ。体当たりでもされたら幌トラックは横転してしまう。またドラゴンが横切るだけで凄まじい風圧が生じるため、それに煽られて思うように運転できない。
大雨による悪路や視界不良も鬱陶しかった。
「玄、左に小型接近!」
「おう!」
助手席に座る正一は運転席の死角を中心に監視しつつ、迫るドラゴンの情報を口にしていく。また同時にドラゴンの数も計測していた。
「三、四……小型四体に中型一体だ」
「最悪じゃねぇか」
「俺たちじゃ倒しきれない。それにこの雨も……」
「逃げるしかねぇよな!」
正一たちは調査を主な任務とする『三』の部隊だ。決してドラゴンとの戦闘は得意ではない。チームで挑んで小型一体を仕留めるのがせいぜいだ。
群れであっても分断して暗殺という手段を用いれば討伐可能だが、今のように追跡される立場となると勝ち目はない。まして中型ドラゴンがいるとなれば尚更だ。
「キサラギに通信は?」
「まだ無線圏外だよ! せめて横浜市に入らないと!」
「救援も期待できねぇってことか……うおっ!?」
「右! 右!」
ドラゴンの主な攻撃は体当たりだ。しっかりと見極めればぎりぎり避けることができる。また今のところは連携する様子もないので、連続して単発の攻撃が来るだけだ。
「くそ、タイヤがとられる……」
先程から何度もスリップしておりこのままではいつ横転するかも分からない。アクセルも踏みっぱなしだ。
「玄! そっちは!」
「分かってんよ!」
茅ヶ崎市を抜け、今は藤沢市を走っている。そしてこのあたりで横浜方面へと左折しなければならないのだが、僅かでもブレーキをかければドラゴンに追いつかれてしまう。そのため玄は直進せざるを得なかった。
このままでは横須賀方面に行ってしまう。
しかし選択肢はなく、ドラゴンが諦めてくれるまで逃げ続けるしかなかった。
◆◆◆
「うっ……」
「目が覚めましたか浅実さん」
「一体何があったの?」
激しく揺れるトラックの荷台で浅実が目を覚ました。シオンとアーシャは幌のフレームに掴まって揺れに耐えている状況であり、一向に好転していない。
シオンはそれを説明した。
「竜の群れです。もう二十分ぐらい逃げていますけど、まだ諦めてくれなくて。浅実さんは初めの揺れで頭を打って……」
「そういうことね。竜の数は?」
「多分、五匹です。中型も一体います」
「最悪ね……この揺れも!」
浅実も近くのフレームに掴まり、揺れに耐える。そして自らの目で状況を確認するべく、窓の外を除いた。
視界最悪の大雨でもドラゴンの赤い巨体は良く見える。
その翼は暴風を生み、ただの体当たりで家屋を倒壊させる。雨音と破壊音が連鎖的に響き渡り、その間に差し込まれるようにタイヤが地面を擦る不快な音がする。
「でもそろそろキサラギに着くんじゃない?」
「いえ、ずっと海沿いを走って左折した様子がなかったので……横須賀の方に向かっていると思います。多分、竜を振り切るために速度を落とせなくて曲がるに曲がれないのかと」
「救援も無理ってことね」
「いえ、この辺りは無線の基地があるはずなので、救援信号を飛ばせば誰かが拾ってくれる可能性が高いです」
シオンはそう言ってポーチからインカムを取り出す。富士樹海での任務以降、不要なので外していたものだ。まだ電池が残っているため、遭難時に使う救難信号を発信したのだ。
それを見た浅実も納得し、また窓の外を覗き見る。何もすることがなくとも、外が気になって仕方ないのだ。
一方でアーシャは揺れるたびに叫んでいる。
「きゃっ!? ちょっと何よ! あ! また!?」
「無理に立つな。座ってこれに掴まってろ!」
「さっきから、揺れて……気持ち悪……」
「おまっ……まさか!」
左手でフレームを掴みつつも右手で口元を抑えるアーシャ。
それが何を意味するのか、シオンはすぐに察した。慌てて受け止めるための袋を探すが、そんな都合のいいものがあるはずもない。
「あたし、限界……」
「待て待て待てアーシャ! もう少……」
だが、そこでガコンと嫌な音がする。
同時に車体が傾き、三人の体が宙に浮く。
「あ……」
激しい衝撃と轟音が全身を貫き、シオンの目の前は真っ暗になった。




