19話 小田原城
五月二十三日、十八時七分。
キサラギの地下、二月機関の大会議室では水鈴を初めとした運営の重役、そしてドラゴンスレイヤーの部隊長が集められていた。議題は複数あるが、その中でも重要なのはシオンの捜索である。
「もう探す必要はないです! これ以上は不要にドラゴンと遭遇し、必要のない犠牲を出すかもしれませんよ!」
「ええそうです。それに我々にも本来の任務があります。行方不明で生存可能性の低いやつを探す暇なんてない。そうでしょう?」
「そもそも富士樹海はデミオンブレスで吹き飛んだのでしょう? 生きていないのではありませんか? 例の対竜機関が持ってきた実験体も失われたと考えた方がいいと思います」
主に現場で戦うドラゴンスレイヤーたちはシオンを見捨てるという意見が多い。彼らは仲間が任務中に竜人化して、シオンに処理されたという経緯を持っている。またシオンの暗い噂から嫌っている者たちだ。
一方で運営にかかわる重役たちは別だ。
「しかしあれは……如月シオンは貴重な体質のドラゴンスレイヤーだ」
「今後の竜人処理にリスクが伴うことも確かですね」
「あれの体質には赫竜病の解決が隠れているかもしれません。やはり探すべきではないですか?」
「実験のこともそうだ。ゲオルギウス機関との共同研究に支障が出るかもしれない」
「そもそもRDOからの支援も減らされては困るぞ。ただでさえキサラギの生産力は限界なのだ」
「水鈴様の交渉もあって今回の契約分はそのままにしてもらえることになったそうですが……今後は大きな仕事を任せてくれないかもしれません。それに竜の巣に邪龍・樹海がいると分かった今、戦力の増強は急務です。富士から離れていても、邪龍の脅威は変わりません。今回のことで刺激してしまいましたからね」
重役たちはシオンとアーシャの生存を望んでいる。また捜索にも前向きだ。
ただしそれはキサラギの利益を考えてのことであり、シオン個人を心配してのことではない。彼らの役職上は当たり前の考え方ではあるが、彼らの議論を聞く水鈴は内心で憐みを覚えた。
(純粋に生きていることを願われない。可哀そうな子ね)
如月シオンは血統こそ如月家だが、その生まれは研究所だ。如月家の遺伝子を基礎として生み出された実験体である。それを知るキサラギの重役たちは、シオンの価値を実験体として測る。あるいは竜人殺しとしての価値で測る。
結論の出ないこの無意味な時間を終わらせるため、水鈴が口を開く。
「静かにしなさい」
キサラギ最強のドラゴンスレイヤーが発する言葉には力があった。
騒がしかった大会議室が静寂へと塗り替わる。
「シオンの捜索は困難で、これ以上はリスクが伴うわ。ここはあの子のサバイバル力を信じることにしましょう。ドラゴンスレイヤーはいざという時のために生き残る術を会得しているはずよ。運の要素もあるけど、きっとキサラギに向かっているわ。シオンがここに戻ってくることを期待することにしましょう」
「しかし水鈴様。それはつまり見捨てるという……」
「勘違いしないで。私はシオンの生存を諦めているわけではないわ。富士樹海からキサラギなら、徒歩でも三日で辿り着ける。もしもこっちに向かっているなら、かなり近づいていると思うわ。捜索範囲をキサラギの付近に限定しましょう。そうね……半径三十キロで捜索しましょうか。そして捜索はあと五日で打ち切りとするわ。これ以上は待っても無駄でしょうし」
人間は食料なしで一か月は動けるとされている。勿論、それは体力の消耗をできる限り避けた場合の最大値だ。富士樹海から移動すること、また負傷した場合の回復に伴う消耗を考慮して、食料なしで動ける期間は一週間と仮定したのだ。
シオンが自力で食料を調達すればその限りではないが、それが可能ならば探さずとも勝手に辿り着く。
食料なくぎりぎりの状態で向かっている場合に備えての判断だ。
「各部隊はシオンを発見したら保護するように。いいわね?」
キサラギにおいて如月家当主の命令は絶対である。
不満を持つ者も、不安がる者もひとまずは頷いた。会議の大筋はこれで終了となる。シオンの捜索範囲が縮小されたことで明日からの動きも変わる。続いて細かい打ち合わせが始まった。
◆◆◆
会議の後、自室に戻ろうとする諸刃に水鈴は声をかけた。
「諸刃、少し待ちなさい」
「……どうしましたか水鈴様」
「いつも通りだけど、今日も何も言わなかったわね。あなたはランク七の一人なわけだし、私と同等の発言権があるはずよ」
「水鈴様と同じ発言力があるはずもないでしょう」
「それでも無視はできないでしょうね。たとえばあなたがシオンを見捨てると言えば、隊長たちを中心に多くの賛同が得られたでしょうに。シオンを赦してくれたのかしら?」
「……」
「ごめんなさいね。嫌なことを聞いたわ」
諸刃は目を伏せ、複雑そうな表情を浮かべている。
そして首を横に振って答えた。
「そのようなことはありません。しかし有希は……妹はあいつのせいで死んだ。いや、あいつが殺しました。それを赦すことは、今の俺にはできません。あれがたとえ必要なことだったとしても」
「まぁそうよね」
「青蘭はともかく、蒼真も同じでしょう。シオンの暴走であいつの母親が死んだわけですから余計に」
「燐叔母様の件もシオンじゃなく研究員のミスなんだけどね。それに行方不明であって死が確定した訳じゃないわ。割り切るのは難しいかしら?」
「……シオンの竜人殺しで仲間や家族を失った人は多いですから。あいつを恨む人は多いと思います」
竜人になると全身に竜の鱗が現れ、爪や牙が鋭くなり、髪が深紅に染まる。それでも元が誰であったか判別することは可能だ。
竜人化の浸食が進めば進むほど元の姿からはかけ離れ、やがては顔にも鱗が増え、額から角が生え、口が大きく裂け、場合によっては背中から翼が生える。通常はそこまで進行することはなく、それまでに討伐されるが。
ともかく、面影を残したままの竜人を殺すシオンは恐れられ恨まれている。
シオンの帰還を望むドラゴンスレイヤーは少ない。
「あなたはどうかしら? 諸刃?」
「俺ですか?」
「そうよ。一般論ではなく、あなたの気持ち。赦さないと言ったけど、恨んでいるのかしら?」
諸刃は無口な男だ。
そして滅多に自分の感情を表に出さない。
何を考えているか分からないと言われることもある。
しかし、水鈴はここではっきりとさせておきたかった。キサラギを支える同じランク七ドラゴンスレイヤーとして、また如月家当主として。
「……分かりません」
「複雑そうね」
「理性ではシオンが正しいことをしたと分かっています。しかし妹を殺されて恨みを覚えないわけではありません。それに何も思わないようでは妹に申し訳がない」
「真面目ね。それはあなたの美点よ」
「優柔不断なだけです」
そう言って首を振る諸刃に対し、水鈴は笑みを浮かべた。
「物事は白と黒だけじゃないわ。その間に落としどころを見つけるかもしれないし、あなたなら新しい答えを見つけるかもしれない。精一杯悩んで、そしてシオンのことをもっと知ってあげて」
「あいつを、ですか?」
「あなたも幼馴染の一人なんだから」
「昔の話です」
「幼い頃、シオンに剣を教えてくれたのはあなたじゃない? 六道家の対竜戦術をね」
「それは幼馴染というより師弟の関係では?」
「師を名乗るなら、なおさら導かなければならないわね」
反論できず諸刃は黙る。
ドラゴンスレイヤーの家系である六道家は竜殺しの戦術を考案し、教える役目がある。剣技や銃の扱いもこの一族が生み出した戦術が基礎となっているのだ。そして六道家の者は幼い頃より戦術を叩き込まれる。よって自然と歳の近いドラゴンスレイヤーに戦術を教えることになるのだ。
諸刃の場合は蒼真や青蘭、そしてシオンなどだった。
「どうかシオンを導いてあげて」
水鈴はそう言い残して去っていく。
諸刃は思案顔で彼女の背中が見えなくなるまで佇んでいた。
◆◆◆
熱海市から海沿いに北東へと進む道は一直線だ。国がドラゴンに荒らされても大抵の道は整ったままであり、歩くことに関していえば問題ない。
シオンとアーシャは竜人殺しの対価として得た食料で力をつけ、急いで進んだ。
神奈川県へと入り、真鶴を通過し更に進んで小田原まで辿り着いたのは十九時を過ぎてからだった。時計を持たない二人はまだ知らないことだが。
「ギリギリだったか。急いでも徒歩では限界があるな」
「ちょっと早く歩かないでよ。あたし疲れたわ」
「悪い」
「ふん。まぁ赦してあげる。感謝しなさい」
もう空は暗くなりつつある。
シオンはできるだけ急ぎ、今夜泊まる場所を確保しようと考えた。しかしアーシャは身体能力や体力こそ高いが、長距離を歩くということに慣れていない。身体の使い方が未熟であるが故に疲れてしまったのだ。
悪いと思ったシオンは素直に謝る。
熱海で竜人から彼女を守ったことで少しは態度を軟化させたが、まだ言葉に棘があった。
ただシオンが焦ってしまったのも仕方ない部分がある。実はこの小田原にはキサラギも認知している集落が存在するのだ。小田原集落は資源や技術で援助する代わりに、キサラギの拠点としての役割がある。住民が進んで世話を焼いてくれるわけではないが、しっかりとした拠点があるのとないのとでは安心感が違う。
「今日はあの城で休む」
「城? それは何?」
「あー……向こうに見える大きい建物とその敷地だ。戦いのための拠点……が一番近い解釈か?」
「ふーん」
シオンが指差したのは小田原市のシンボル、小田原城である。
かつての観光地だけあって、元から周辺には設備が整っていた。そこに改修や増築を繰り返すことで成立したのが小田原集落である。キサラギは後に目を付け、投資することで拠点にした。
城が元々戦争の拠点であることを考えると皮肉を感じる。
時代に置いていかれた遺物が、再び戦いのために用いられるのだから。
(あそこにはドラゴンスレイヤーが駐屯している。これで助かる確率が上がる)
完全に助かったわけではないが、これでかなり安心できるようになる。
小田原城が近づくにつれて心が軽くなると同時に、体が重くなる気がした。
◆◆◆
小田原集落は天守閣を中心に広がる一種の要塞だ。対竜防壁こそないが、複数の壁や屋根を配置することで物理的にドラゴンから隠れることができるようになっている。
ドラゴンとは戦ってはいけない相手だ。
圧倒的な膂力と空を飛ぶというアドバンテージを前にして勝ち目などあるはずがないのだ。対竜防壁のない場所での対処法は隠れることである。ドラゴンの索敵方法が目と耳であることを利用し、見つからないように隠れて過ごすのである。
戦いわないための工夫は小田原集落の至る所に仕込まれている。
シオンとアーシャはその一つが施された場所を歩いていた。
「上に吊るされているのは何?」
「着れなくなった古着や破れたシーツだな。ドラゴン対策の目隠しだ。ああやって大量の布を屋根から屋根に張り巡らせておけば、普通の道でもドラゴンの目を欺ける。少なくとも隠れるまでの時間は稼げる」
「地下を掘ればいいじゃない」
「地面を掘るのも簡単じゃないからな。だからここにはキサラギがドラゴンスレイヤーを配置している」
効果的なドラゴン対策の一つが地下だ。
確かに驚異的な存在だが、見つからなければ問題ない。使わなくなった布を紐で繋ぎ、人間の生活圏を隠蔽した。ドラゴンも小型や中型ならば知能もそれほど高くない。充分に誤魔化せる。大型ドラゴンや超大型ドラゴンを欺くのは難しいが、そもそもこの小さな集落にそれらが現れた時点で終わりだ。
いざという時のための避難先として地下シェルターは建造されているが、この小田原集落のシェルターは未完成で、人口およそ三万人に対し地下の収容数は二千人程度だ。広大な地下設備を有するRDOやキサラギが異常なのである。
「なんか嫌な感じ」
「見られているからな。集落は余所者に敏感だ。下手に人が増えたら、自分たちの食べる分が減る。それを危惧しているんだ」
「ふぅん」
もう外は暗いので出歩く人はいない。
しかし二人の歩く通りの両側から突き刺すような視線が続いていた。集落に余所者が訪れた場合、反応は主に二つである。
追い返すか、無視するかだ。
ただ、シオンはキサラギのドラゴンスレイヤーだと分かる装備をしているため第三の反応もある。それは集落に駐屯する部隊に引き取られるという場合だ。
シオンは前方から走って向かってくる気配を感じ、立ち止まる。それに続いてアーシャも足を止めた。
「迎えが来た」
「迎え?」
「ここに駐屯しているドラゴンスレイヤーだ。俺の装束を見て誰かが報告したんだろう」
布の覆いで通りは全体的に暗く、やってくるドラゴンスレイヤーの顔までは見えない。しかしキサラギのドラゴンスレイヤーは少ないので少なくとも顔見知りではある。
(できれば俺を嫌っていない奴の方がいいけど……まぁ期待するだけ無駄か)
キサラギにシオンを毛嫌いする者は多い。
ドラゴンスレイヤーは一族単位であることが多く、故に竜人化したドラゴンスレイヤーは親族か元仲間なのだ。竜人という化け物になったとはいえ、殺されたことは事実。赫竜病というぶつける場所のない怒りの矛先は、自然と竜人殺しに向かう。
しかし今回は運がシオンを味方した。
「シオンじゃないか!」
「まさか正一さん?」
思わぬ再開にシオンは驚いた。
しかし驚いたのは正一の方である。もう死んだと思われていたシオンが戻ってきたのだから。
「まさか生きていたとはね」
「何とか。正一さんも無事に逃げ切れたみたいで良かったです……」
「俺の部隊は何とかね。任務で亡くなった人たちもいたから諸手を挙げて喜べるわけじゃないよ。それにしても、その子は?」
正一は竜の巣での実験中、拠点の防衛を担当していた。そのためリシャールが持ってきた実験機がアーシャだったことも、アーシャの容姿も知らない。
この質問も妥当だった。
ただアーシャのことは公の場で言えることではない。たとえ人のいない通りだったとしても、誰が聞いているか分からない場所で話すわけにはいかない。
「そのことは後で」
「……分かったよ。今は聞かない方がいいみたいだね」
「察しが良くて助かります」
「天守閣まで案内するよ。今は俺たち三一七小隊が小田原の周辺調査を担当しているんだ」
「あの任務があった後なのに駐屯任務が?」
「小田原は積極的に竜を狩らないからね。実質休暇だよ。それにキサラギは君を捜索するために結構な部隊が出ていたんだよ」
「そうだったんですか。意外です」
「嫌がっている人も多かったよ。捜索も基本は手抜きだったし」
「そうでしょうね」
エース級とはいえ、嫌われ者たった一人のために広範囲を捜索してくれたのは水鈴の手配に違いない。アーシャを探す名目もあったのかもしれないが、シオンとしては意外だった。
シオンは竜人殺しとして嫌われている。
水鈴の命令でも、捜索なんてお断りだと言う者の方が多いと思っていた。つまり水鈴か夏凛が手を回したのだと予想できる。嫌がる部隊を何とか動かしたのだろう。
(水鈴姉さんと夏凛さんには後でお礼を言わないとな)
ここまで移動するのは大変だったが、これで一つ肩の荷が下りたことになる。富士樹海から小田原まで、ドラゴンや竜人に気を付け、食料や水を確保しながら徒歩でこれたのは運の要素もあった。ずっと張っていた緊張の糸が緩んだのか、足が重い。
アーシャもすっかり疲れたのか、歩幅も小さくなっている。
「大丈夫か?」
「どうってことないわよ」
意地を張っているか、ムッとして歩幅が元に戻った。
しかし明らかに無理をしている。昼間には竜人に襲われ、小田原まで徒歩だったのだ。歩き慣れない彼女の疲れはシオンとは比べ物にならないだろう。
また丸二日の移動だった。
一度は古びた民家を利用したとはいえ、実質は二度の野宿をしている。
(今にも倒れそうなくせに)
強がっていても限界なのは見てわかる。
アーシャが倒れる前に安全を確保できたことに、シオンは安堵していた。




