始まりの一年前
何処までも続きそうな、高く澄んだ空。漂う白い雲。頬を撫でていく風。
ゲームスタート地点である王都レンディアの時計塔屋上で仰向けに寝転びながら、【導師】は現実と遜色ないそれらを感じながら溜息を吐いた。
メールの着信を告げるシステム音がログインしてからひっきりなしに鳴り響いている。
内容は【導師】の知識と技術を分け与えて欲しい、といった物だろう。中には強気で分け与える義務がある、と書いている者もいるかもしれない。
勘弁して欲しい、と【導師】は思う。それらは全て【導師】の努力と工夫の結晶で、何の苦労もなく手に入れたわけではないのだから。気概を気に入った者や見込みがある者は弟子に取りその一端を教えはしたが、彼等は彼等なりに努力し工夫し、与えられた知識と技術を自分のものとしたのだ。
ふと、【導師】が周りに展開していた探査魔術に何者かの反応が引っかかった。
上半身を起こして暫く、時計塔内部からいかにもインテリ、と言った容姿の青年が姿を現す。すっきりとした眼鏡を掛け、魔術師が好みそうな法衣を身に纏っている。
「漸く見つけたぞ、【導師】!」
【導師】を視認すると同時、彼は指差しながら声を荒げる。
「多くの者からの嘆願メールを無視してこんなところで引き籠もりか! 少しはプレイヤーの声に応えようとは思わないのか! 貴様はちゃんと与えられた義務を果たすべきだ!」
高く荒げられた声に不快感を感じ、【導師】は眉を顰めた。けれど言い返しはしない。こういうタイプは、自分の言いたいことを言い切るまで人の言葉を聞かない場合が多い。
反論がないことに気をよくしたのか、青年は更に続ける。
「何も全てのデータを開示しろと言っているわけではないんだ。冒険に最低限必要な四元素系魔術の初級と応用方法、中級へと進化させる為の幾つかの指標、上級魔術のヒントぐらいで十分だ。魔術師ロールをしている連中にこれらを教えれば、今以上に術士を目指す者が増え、更なる高見を目指して行くだろう。そうすれば、AFOは更に発展する! AFOのプレイヤーが増えるのは運営側としても喜ばしいことだろう?」
その身勝手な言い分に【導師】から表情という表情が消える。
床に転がしていた杖を取り、ゆっくりと立ち上がると杖の先を青年に向ける。
「炎よ」
言葉と同時に炎が青年に向かい疾る。
驚愕しながらも何とか炎を避けた青年を冷たく見つめながら、【導師】は杖を床に戻し腕を組んで見せた。
「貴様、いきなり何をする!」
「お前はこのゲームを理解していない」
「答えになっていないだろうが!」
「言葉で説明するよりも解りやすいように、身体で理解させようと思ってな。なに、殺しはせんよ?」
小さく首を傾げ、綺麗に笑みを浮かべた【導師】は右手の人差し指を青年へと伸ばした。
「炎よ」
先程と同じ魔法、けれど先程よりも一回り以上大きな炎が青年へ向かう。
無様に床に転がりながらそれを避けた青年は、まるでバケモノでも見たかのように【導師】を見る。
「杖を使わない事への驚愕か? 同じ呪文で違う威力への驚愕か? 馬鹿馬鹿しい。AFOでの魔術とは、発想と工夫と思考による制御で成り立っている。決まった魔術の型等という物は存在していない。初級も中級も上級もない。『限りなくリアルに近いスキル』というのは、限りなく自由に近いスキルのことだ。決められた枠内ならどんな改造も出来るスキルのことだ。戦士系にでも話を聞いて常識を叩き込まれてこい」
吐き捨てるように言い、【導師】は杖を拾い上げてその場を去ろうとした。
「GMの癖に……どうせ運営から魔術の力を貰ってるんだろう!」
その言葉さえなければ。
立ち止まった背中に勝ち誇ったように青年は言葉の刃を投げつける。
「何がGMだ! 貴様の場合は単に力を見せびらかしたいだけだろう! 他人が自分に追いつくのが嫌なんだろう!」
反論は不気味なほど静かな声で、けれどはっきりと紡がれた。
「…………言いたいことはそれだけか?」
「……何?」
「言いたいことはそれだけか、と聞いているんだ」
相変わらず【導師】は青年に背を向けたまま。
「言いたいことがそれだけなら……」
右手を上げて、
「……殺されとけ」
振り下ろした。
そしてそのまま時計塔内部へと歩み去る。背後に四元素で出来た四本の槍で串刺しにされた青年を置き去りにして。
「もう、辞めようかな……」
溜息と共に吐き出された言葉は、扉の閉まる音で掻き消された。
数日後、【導師】の引退宣言がなされ、その姿がAFOで見られることは終ぞ無かった。
それが、一年前の出来事である。




