最終話:永遠の同期(シンクロニシティ)と、二人の明日
花火大会から数ヶ月。
季節は巡り、キャンパスには秋の気配を含んだ涼しい風が吹き抜けていた。
グラウンドでは、来期の大会に向けた陸上部の練習が始まっている。
「助走カーブ、完璧。踏み切りタイミング、誤差0.01秒以下。……クリアだ、遼」
ピットの脇でノートパソコンを閉じながら、阿爾が満面の笑みで私を迎えてくれた。
私の背面跳び(フォスベリー・フロップ)の高さは、ついに目標だった1.50メートルに達していた。あの夏の葛藤を乗り越え、不合理な感情ごと私を支える阿爾のロジックを信頼しきった私の肉体は、完全に限界を超えた先の美しさを手に入れていた。
スタンドの遠くの方で、羽瀬先輩が私たちの跳躍を一瞥し、満足そうにフッと笑って去っていくのが見えた。もうそこには、私たちの世界を脅かすノイズは一切存在しなかった。
夕暮れ時。私たちはいつものように、手を繋いでアパートの部屋へと帰ってきた。
部屋の中は、すっかり私たちの「日常」の匂いで満たされている。壁には夏祭りの時に二人で撮った、最高の笑顔の写真が飾られていた。
阿爾はキッチンで手際よく夕食の準備を始め、私はソファに座って彼の背中を眺めていた。
「ねえ、アル。最近、全然熱暴走しなくなったね」
私の言葉に、阿爾はスープの味見をしながら、振り返って優しく微笑んだ。
「うん。僕のシステムが、学習を完了したからね。君を好きすぎるという過大なエネルギーを、暴走ではなく、君を守り、君と一緒に生きるための『定常駆動』へと変換する方法を見つけたんだ。……君が僕にくれたあの臨時パッチは、今や僕のメインOSの基本仕様になったんだよ」
彼はエプロンを脱ぎ、私の隣に腰掛けた。
そして、私の右手を両手で挟み込み、自分の左胸へと導く。
トクン、トクン、トクン——。
そこから聞こえる鼓動は、以前の狂ったような不協和音ではなく、私の心拍数と完全に同調した、世界で一番穏やかで力強いメロディだった。
「僕はドールだから、君と同じように老いることはできない。いつか、君が大人になって、僕の知らない世界へ行く日が来るかもしれない……。シリコンの脳を持つ僕にとって、それが唯一の、そして最大のバグ(恐怖)だった」
阿爾の翡翠色の瞳が、夕暮れの光を浴びて、どこまでも深く、愛おしそうに私を映し出す。
「だけど、もう恐れるのはやめたんだ。君と過ごすこの一瞬一瞬のログが、僕の全回路を構築している。君の髪の柔らかさ、僕を呼ぶ声の温かさ、そのすべてが、僕という人形に『命』を与えてくれた。……だから僕は、君が生きるその最後の1秒まで、君だけのドールとして、君の隣で愛を紡ぎ続けるよ」
「アル……」
愛おしさが胸の許容量を越えて溢れ出し、私は自分から彼の首に腕を回した。
阿爾は愛おしそうに目を細め、私の体を壊れ物を扱うように、だけど二度と離さないという強い意志を込めて、その引き締まった両腕で抱きしめてくれた。
「僕の全稼働時間において、君を愛し続けるタスクを最優先で実行する。……いいかい、僕の管理者?」
「許可するわ。……私を、あんたのコードで一生、上書きし続けて」
私たちが静かに唇を重ねた瞬間、窓の外の街に、一斉に夜の街灯が灯り始めた。
それはまるで、私たちの新しい未来を祝福する、無数の光のシグナルのようだった。
不完全な人形と、彼を愛することをやめない少女。
二人のシステムは、これからもエラーや修正を繰り返しながら、どこまでも遠い未来へ向かって、最高に美しい愛のログを刻み続けていく。
二人の同期は、もう永遠に、途切れることはない。
(本編完結)




