第十九話 増殖する恐怖
「時限発火装置が作動!?」
日比谷公園の事件は隼人の発言を含めて、夕方までに全国に広まった。現場が警視庁の前だった事で適切な処置がとることができ、幸いにも被害はベンチ一つの全焼に留まった。
しかし政府や警察の関係者の精神的被害は尋常ではなかった。高知からの電話と東京での事件、犯人グループは全国各地に多数潜伏しているのではないか−。という憶測が駆け巡る。
知らせは安田との論争に屈してもかたくなに改正反対派を集めようとする畠山の耳にも入った。
「先生、これはもうただの事件ではなく国家に対するテロ行為なのでは?」
取り巻きが口々に叫び、彼に意見を求める。
「……っ! テロならばなおさらのこと、改正させるわけにはいかん!!」
そこへ新たなる事件が起きたとの知らせが入る。畠山はそれを聞くと、愕然とし、膝から崩れ落ちた。
「畠山先生!!」
取り巻きの必死の呼びかけも彼の耳には入らない。
「本日午後三時ごろ、埼玉県川越市の路上で、女子校生が何者かに襲われ、服をカッターのようなもので切りつけられるという事件がありました。女子校生の話によると、後ろからいきなり薬品のような物を嗅がせられたということであり、この女子校生が気絶した後に服を切りつけられたものと埼玉県警は見ております」
「……その事件に関して、新しい情報が入りました。被害者の女子校生は、畠山義輝前総理の姪にあたるということです。倒れていた彼女の隣には『抵抗勢力は許さず』との声明文が落ちており、犯人は先の誘拐事件を起こした一味の一人であるとして、警視庁が捜査の指揮を執るということです……」
「誰かに目撃されなかったか?」
ニュース画面を見ながら、隼人は政也に尋ねる。政也は無言で頷いた。
「そうか……。おや、お嬢さん。テレビが見たいならそんなところで見てないで、こっちへ来な」
浩子の存在に気づいた隼人は浩子を手で招いた。浩子はそれにしたがい、彼の隣に座る。入れ替わるようにして政也が自室へと戻った。
「もう一つ、事件の知らせが入るはずだ」
そう言うと、隼人は浩子の顔を見て笑った。
「後藤にお願いした事だよ、小声で話したからお嬢さんには聞こえなかったと思うけど……」
自分が盗み聞きしていた事を隼人は知っていたのである。その事に驚く暇は無く、浩子の視線はテレビに向けられた。
「たった今入ったばかりのニュースです。全国の小・中・高等学校の教師たちで結成されている、全国教師連合の香川県支部が置かれているビルが、先ほど何者かに放火されるという事件がありました。火元は、支部が置かれているビルのごみ置き場で、事件当時、ビルには誰もいなかった事と、近隣の住民の協力ですぐに火は消し止められたため、死者・負傷者ともにありませんでした」
「この全国教師連合は、今日の朝『少年法改正案反対署名』を提出しており、それに対する犯人グループの報復と見ております」
隼人の朝の発言が浩子の脳裏に蘇る。
「ごみ置き場はよい選択だな。怪我人も死人も出しにくい」
「……!?」
浩子が顔に浮かべた疑問に、隼人は即答した。
「死人を出さないように手を抜いておくからこそ、本気を出した俺たちを政府は恐れる。ますます少年法を改正せざるを得ないわけだ」
「犯人グループは全部で何人いるの? あなたたちだけじゃないの?」
隼人は自ら指を折って数えていく。しかし二十を越えたあたりで
「面倒だ、教えてあげない」
と意地悪そうに浩子に言った。
各テレビ局はその夜、当初の予定を全て取りやめ、今日起きた三つの事件と、次に起こりうる事件の可能性についての話題を流し続けた。事件のショックは大きく、彼らは新たなる恐怖を自分で作り上げ、全国に広める。
「テロリストは日本国内の少年法改正反対の議員や、識者の個人データを全て持っているそうだ」
「いや、国内だけじゃない。今月十六日に訪日するイギリスのベーター首相にも何か要求を突きつけているらいしぞ」
次々と作られる新たな情報、それが流れるたびに隼人の表情は明るいものとなっていく。対照的に里美はそんな隼人を見て表情を暗くしていった。その両者の隣でニュースを見ている浩子は二人の変化の違いに気が付いた。彼女はすぐにロビーを去った。また表情に出すと隼人に悟られかねない。
午後八時、総理官邸の新たな動きが直江官房長官を経て各マスコミに伝えられた。
「与野党を問わず、各党の幹部・法務委員は官邸に集結するようにと呼びかけました。また、東京在住の法律関係者数人にも、官邸に来るようにとの電話を入れました」
会見場に集まった記者たちにどよめきがはしった。
「一体官邸で何をするのですか?」
「少年法改正案の作成ですか?」
「犯人たちの要求に従うというのですか?」
次々と浴びせられる質問を直江は全て黙殺した。会見場を去る直江の背中に激しい質問と罵声の声が浴びせられた。
直江から満足な回答を得られなかった記者たちは、続いて直江の上司である総理大臣・上杉景正を発見すると同様の質問を浴びせた。
「総理、少年法は改正するのですか!?」
「犯人の要求に従うというのは、国として恥ではないのですか?」
「……」
景正は何も答えず、一人執務室へと向かう。彼は事件が起こる以前は記者の質問には明るく答える男だった。しかし、事件以後はいつもこの調子である。今日になり、その表情はかなりの疲労感と焦燥感であふれていた。
(ここまでこの人が追い込まれるとは……)
長年景正の顔を見てきたこの初老の記者は、今の彼の姿から今までに無い苦悩と悲痛な思いを感じずにはいられなかった。
警備員が押しかけ、景正を追う記者たちを阻む。両者の距離はゆっくりと広がっていった。
「総理ー!」
初老の記者は思わず大声で叫んだ。自分でもなぜだか分からない。ただ、叫ばずにはいられなかった。景正はその声を聞くと、ゆらりと力なく振り向き、彼に近づいた。
「君は……よく見る顔だが、ここの記者を何年やっておる」
「はい、官邸付きは三十年です」
「そうか……、佐藤先生のときからか……」
佐藤先生とは総理を八年間務め、この国の経済の発展と、外交面においてこの国の立場向上に大きく貢献し、「七十年代の名宰相」と呼ばれた佐藤瑛作元総理のことである。
「君は今までいろんな総理を見てきただろう……。たぶん……私は最低の総理になるかな……」
そう自嘲の笑みを浮かべると、また景正はゆらゆらと歩き始めた。記者は今度は何も言わずに見送った。記者たちと景正の距離が再びゆっくりとしかし確実に広がっていった。




