第5話 勇者の妹
「兄が一昨日からダンジョンに潜ったまま戻ってこないんです!どこにいるか分かりませんか」
「冒険者の中には数日ダンジョンに潜る方もいますし、申し訳ありませんがこちらでは分かりかねます」
「普段は日帰りだし、私を心配させない為に絶対に連絡なく帰らない人じゃないんです!」
キトラが首相たちと会談をした同日の夕方、ダンジョンの確保のためにギルドに戻ると、何やら青ざめた顔をしている少女が、受付の人に縋っていた。
美しい黒い髪を腰まで伸ばしている制服姿の中高生ぐらいの少女だった。
ややキツい目元の冷ややかな印象を与える少女だが、今は心労からか、やつれて青白い顔をしていた。
キトラはこの光景に似たような場面を何度も見た。
魔王との戦争で勇者と持て囃されて希望を託された彼だが、街や村で戦死した遺族に何故もっと早く来なかった、何故もっと早く倒してくれなかったなど、泣きながら勇者に憤る者たちを何度も見た。
この少女の声は不安と後悔とどうしたらいいか分からない、やり場の無い感情を吐き出す者が奏でる悲しい音色。
勇者はそういった者に問い詰められる度に心底申し訳なさそうな顔で「力不足で申し訳ありません」と謝っていた。
キトラとしては筋違いの怒りをぶつけられる勇者に何故謝るのか?と聞いたことが何度もあり、その度に彼は自分が責められてその人の心が僅かにでも楽になるなら喜んで責められるし、間に合わなかったのは事実だから。と言っていた。
それを言うなら女神様の問題になるし、そもそも邪神や魔族とかいうものをさっさと滅せない神達が悪いだろとキトラは思っていたが、そう言える人だから勇者に選ばれたのだろうと何度も思った。
だが理不尽にその彼を死なせることになったあの世界も女神様にもキトラは不満があり、元の世界に帰ったからには絶対幸せになってもらうために、キトラは命を1つ失ってまでもこの世界に来たのだ。
懐かしい記憶と忘れる訳にはいかない使命を再度確認させてくれた少女を見るとキトラは電撃に打たれような、あるいは神の啓示が降りたような衝撃を受けた。
「にゃっ、、、?」
勇者と見た目も匂いも全然違うはずの少女に目を奪われた。
勇者は魂だけで呼ばれ、身体は女神様が用意したから本来の勇者と見た目が違うのは当然なのだが、それでも彼女からは勇者の面影を感じて目を惹いて離さない。
心から求めたものを見つけたように心臓がバクバクとうるさく、身体中の血液が沸騰したように熱く苦しい。
天敵から身を隠している時のように呼吸が浅く早くなる。
本能が求めている。まるで話に聞く恋のようだとキトラはどこか冷静な頭の一部で他人事のように感じた。
ゆっくり息を吐いて大きくゆっくりと息を吸う。
酸素を身体全体に行き渡らせて歩き出した。
「やぁそこのお嬢さん。どうか詳しい話を中で聞かせてくれませんか。受付の人はキトラが来たから部屋を1つ空けてお茶持ってこいって偉い人に伝えて欲しいニャ」
「えっ猫が!?しゃっ喋った!?!?!?」
「キトラ様!?か、かしこまりました」
かつて賢者と呼ばれ、最後は道化を名乗り世捨て人となった老魔法使いの真似をして声をかけた。
突然猫に声を掛けられ少女は混乱し、受付の女性が慌てて席を立ちサブマスの葛城を連れてきて部屋を確保した。
部屋に案内された1人と1匹はサブマスを追い出して、向かい合う。
少女は何が起きているのか全く分からず、落ち着きなく、キョロキョロと目をあちこちにやりながら出された緑茶に口をつけた。
「えっと、、、その猫さんでいいのかしら?私は何故ここに呼ばれたのでしょうか?しかも2人?っきりなのでしょうか?」
色々と訳が分からない状況に、恐る恐る目の前で毛ずくろいをしている猫に問う。
「初めましてお嬢さん。私はキトラと言う猫だニャ。1人と1匹きりにして申し訳ないけど他人に聞かせられない話をするかもしれないのでご理解して欲しいニャ。決して害を加えたりしないと女神■■■■■■様に誓うニャ」
「はぁ、、、よく分からないけど分かりました」
流暢に話す猫が何やら女神様に誓ったらしいが聞き取れない。
様々なことが重なりすぎて、どこからどうしていいか分からず、何を話すべきなのか何を聞くべきなのかも分からない。
何となくお茶が良いお茶で猫らしきものが話してることだけは分かった。
「さっき受付で話が聞こえたけど探してるそのお兄さんの名前はヨシモリ・カナンかニャ?」
「兄を知ってるの!?」
ガタッと少女が勢いよく立ち上がる。
何も分からないが兄の事を知っている。
今、最も優先すべきは兄であり、話す猫もギルドの謎の対応もどうでもいい。
不安と緊張が消し飛んだ彼女の頭はモヤが晴れたようにスッキリする。
「少なくともお兄さんは無事ニャ。ただ今は事故でこのダンジョンの最下層にいるニャ」
「最下層!?」
その言葉に少女は驚き、そして一瞬遅れて言いようのない恐怖に襲われて身体を震わせる。
新宿ダンジョンの最下層への救助など出来る人間など今この世界に1人もいない。
あまりの事に目眩がして吐きそうになったが一筋の希望を見つけた。
あまりに細くか弱い希望。
蜘蛛の糸のような細くて頼りない希望。
だがこの猫は何かを知っている。それに縋りたかった。
「何故その事が分かってるの?新宿ダンジョンの最下層はまだ誰も踏み入ったことの無い未開の地よ」
「女神様が最下層に転移させたと言っていたので間違いないニャ」
「女神?どういうこと」
ふざけているのか。そう少女は思ったが目の前に人の言葉を理解して話す猫がいる以上はまずは聞いてみることにした。
疑うのは後でも出来る。
しかし話は今しか聞けないかもしれない。
今は全ての疑問を飲み込み話を聞くべきと少女は思う。
「全部話してもいいけど聞いてて楽しい話じゃないニャ。聞かなくてもヨシモリは1ヶ月以内には絶対に家に無事に送り返すニャ。救助するまでにゃーが配信?ってやつをするので進捗状況も分かるし多少は不安はマシだと思うニャ。にゃー的には聞かずに大人しくしてくれる方が嬉しいニャ。けど一方的に巻き込まれた被害者の唯一の家族で、恩人の大切な妹に何も教えないのは心苦しいニャ。だから選んで欲しいニャ」
「・・・・・・・・・・・・分かったわ。全部話して。その上で信じる信じないを決めてどうするかまた考えるわ」
少女は大きく息を吐いて覚悟を決める。
猫が配信って何?何故私たちの家族構成を知っている。
そういった疑問は全て飲み込み話を聞く。
お人好しで何かを考えているように見えてその実、後先考えず動いていた兄と違って、自分は兄を反面教師に安全マージンをしっかりしていると思っている少女は普段のそれを無視してでも得体の知れない猫から情報を求めた。
顔色はまだ青白い。しかしその瞳は不安はあれど傷つくことを覚悟した勇気あるものだった。
キトラは傷つくことを覚悟したその瞳を見て心が熱くなる。
あぁこの少女は幾度となく聞いた彼の妹なのだと。
ならば語らなければならない。怒り悲しませることになっても。
恩人である勇者が成したこと。
そして現状を。
キトラは誰も入って来れないように、盗聴されないようにかなり強い結界を張る。
この英雄譚は元の世界では誰もが知る物語だが、今から語るこれは当事者たち以外は誰も知らない猫が見た等身大の秘密の話。
彼は自分だけの宝物を大切な人の家族に聞かせて、共有してあげた。
「真の勇気とは肉体的な強さに関係なく、恐怖に立ち向かう最初の1歩のこと。そして打算なき心を言うニャ。その意味ではヨシモリ・カナンほど善意で動き、恐怖や痛みを知りながら立ち向かった勇者という名に相応しい人物はいないニャ」
キトラはかいつまんで英雄譚を語る。
出会い、後に知った使命、強大な敵を打ち出して成し遂げた偉業のことを。
そして何故、ダンジョンの最下層にいるかを。
「・・・・・・これ以上の詳しい話は後で聞かせて。つまりダンジョンが本来あった世界に魂だけ呼ばれて、戻ってくる際にトラブルに巻き込まれてダンジョン最下層に飛ばされたのね」
「そうだニャ。本当なら隠し部屋とかにひっそり飛ばしてすぐ出られるようにするはずだったけど邪神の干渉にギリギリで気づいた女神様が最下層に飛ばしたニャ」
「とりあえず分かったわ。じゃあ兄の年齢はどうなっているのかしら?」
「魂だけなので問題ないニャ。勇者の身体は封印の秘術で女神様が時を止めているから、鍵を持つにゃーが解除するまでは転移したままで歳をとることはないニャ。それに心もこちらの記憶は全て薄くして夢を見たような曖昧になるらしいニャ」
「そう。それは寂しいものね」
「仕方ないニャ。覚えていてしまうと周りの人間より精神年齢が非常に高くて浮いてしまうかもしれないし、何より精神をすり減らした生き方は老いを早めるのでヨシモリの今世に影響しないようにって配慮ニャ」
「じゃあ兄は無報酬で世界のために命をかけて戦わされたの?」
「報酬は死後渡されるニャ。神の座か、輪廻転生した際に周りの人に恵まれるなどかなりの融通が効くはずニャ。あと聞いた話だとこっちの世界で誰かを庇って死にかけた身体の治療も治してもらう事で合意したらしいニャ」
「・・・・・・そう。兄らしいこと。じゃあ1番の心配なんだけど兄は助けられるのね?」
「助けるニャ。何を犠牲にしてでも、神々を敵に回してでも助けるニャ。それが命を救われて、名を貰い、愛を教わった獣に出来る恩返しニャ」
問いかけた瞬間に空気が変わった。
猫から発せられる気配が素人でも分かるほど神々しくも肝が冷えるほど恐ろしく感じる。
生物としての位が違うと無理矢理理解させられた。
話の内容からしてただの猫ではないと分かってはいたつもりだったが、それは本当につもりだったと理解させられた。
冷たく体の中から冷えていくように感じ、息が詰まる。
少女の顔色がどんどん青ざめていくことに気づいたキトラがすまにゃいニャ。と言うと先程までの普通の猫と何ら変わりのないキトラがいた
「・・・・・・っ!?あ、兄を助けてくださいますか?」
「もちろんニャ。にゃーは世界を渡るために命を1個消費して今は全力の半分ほどしかないけどそれでもこの世界を権能なしで滅ぼせるくらいには強いニャ」
「・・・・・・・・・・・・そう。安心しました」
少女は猫の言葉が正しいのか判断出来なかったが、それでも多分本当なんだろうと信じてしまえた。
彼が語った兄の人物像が自分の知っている兄と、兄が好きなキャラクターを足したようなものであり、きっと兄ならそう振る舞うだろうと理解できる。
少なくともこの猫はただの猫では無いし、信じてみてもいい。と少女は思った。
「それはそれとしてそんな固くなる必要はないニャ。他の誰でもないヨシモリの妹ニャ。普通に猫として接してくれる方が嬉しいニャ」
「じゃあそうさせてもらうわね。私が聞くべき話はこんなものかしら?」
「最低限はこんなもんだも思うニャ」
「それじゃ帰りましょうか」
「んっ。気をつけて帰るニャ」
「何を言ってるの?貴方も私と一緒に帰るのよ?詳しいことは後で聞かせてって言ったわよね?それに貴方何かを隠してるでしょ?嘘はついてないけど全部も話してない」
「ニャッ!?」
少女はそう言うとキトラを抱き抱える。
「兄のペットなら私のペットでもあるし、まさか兄を自分勝手に連れ去って私を1人にしたのに、そのペットである貴方も私を1人にするなんて言わないよね?」
「・・・・・・にゃぁ」
何かもの言えぬ圧を感じてキトラはしぶしぶ頷く。
「ふふっ犬派だったけど猫もいいものね。私はどちらかと言えば男爵のような紳士的な猫の方が好きだけどこれはこれでいいわ」
猫を抱いた少女が頭を撫でながら呟く。
そうしてひとしきり撫でた後、「そう言えば」とキトラの顔を見た。
「兄から名前を聞いてるかもしれないけど、私の名前は河南 綾乃よ。よろしくねキトラ」
綾乃と名乗った少女はそう言って初めて微笑んだ。




