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番外編②『コトと川のはじまり』

番外編②『コトと川のはじまり』


――これは、シンが第二の時代から消えた後。

北へ流れた人々が、新しい川辺の暮らしへ少しずつ馴染み始めた頃の話である。



 タダは、また鮭を焼いていた。


 川辺へ移ってから、鮭はよく獲れた。


 秋になると、銀色の魚が何度も川を上がってくる。


 タダはそれを黙々と捌いて、

 黙々と焼いて、

 黙々と食う。


 たぶん毎年やっている。


 火の上で皮が弾けた。


 脂が落ちる。


 じゅ、と音がして、煙が上がる。


 コトはその匂いを嗅ぎながら、少し笑った。


「また食ってる」


 タダは答えない。


 鮭を返す。


 今日も丁寧だ。


 昔からそうだった。


 肉でも魚でも、

 タダは焼く時だけ妙に真面目だった。


 火の向こうで、ユナが笑う。


「今年ずっと鮭食ってるよね、この人」


「魚は毎日食ってもいい」


 タダがぼそっと言った。


 コトは少しだけ目を細める。


 その言い方が、少し懐かしかった。


 前にも聞いた気がする。


 ずっと昔。


 まだシンが居た頃。



 川辺の暮らしは、思ったより悪くなかった。


 戦が終わったからだ。


 本当に、終わった。


 あの後。


 シンが消えてしばらくして。


 西と南とは、急に戦わなくなった。


 最初は皆、理由が分からなかった。


 でも後から聞いた。


 タケヒコと老婆が話したのだと。


 仲介したのは、

 突然現れた変な男だったらしい。


 髪が金色で。


 やたら軽い喋り方をして。


 顔が少し猿っぽくて。


 勝手に現れて、

 勝手に飯を食って、

 勝手に話をまとめて帰った。


 タダは「あれは面倒な顔だった」と言っていた。


 ユナは「あの人ずっと笑ってて気持ち悪かった」と言っていた。


 老婆だけは、

 少しだけ嬉しそうにしていた。


 結局、西の生き残りたちは北へ入った。


 土地を分けた。


 川の上流側に新しい家が増えた。


 狩り場は少し狭くなった。


 冬の食い物も、

 前より計算して使うようになった。


 でも。


 誰も戦で死ななくなった。


 夜に火が上がらなくなった。


 見張りが減った。


 子供が夜に笑うようになった。


 それだけで、皆どこか楽そうだった。



 コトは火の前へ座った。


 鮭の脂が落ちる。


 良い匂いだ。


「平和だね」


 ユナが肩を竦める。


「まぁねぇ」


 相変わらず、元気そうだった。


 よく笑う。


 よく動く。


 川へ入るし、

 山へ行くし、

 子供と走るし、

 怒鳴る時は今でも大声だ。


 でも、不思議な事に。


 ユナは子供を作らなかった。


 作れなかったのか。


 作らなかったのか。


 コトには分からない。


 誰も聞かなかった。


 ユナも理由を言わなかった。


 ただ時々、

 小さい子供を見ている時だけ。


 少し遠い顔をする事があった。


 その時だけ、

 コトは何となく、

 シンを思い出した。



 火が爆ぜる。


 川の音が聞こえる。


 コトはぼんやり上流を見る。


 昔。


 シンと川へ行った。


 冷たい水。


 変な笑い方。


 びしょ濡れになって、

 ユナに怒られていた。


『川のはじまりが見たい』


 そう言ったのは、自分だった。


『いつか行こう』


 そう答えたのは、シンだった。 


 でも、行けなかった。


 次の日。


 シンは消えた。



 コトは立ち上がった。


「どこ行く」


 ユナが聞く。


「上流」


「魚?」


「違う」


「じゃあ何」


 コトは少しだけ笑った。


「川のはじまり」


 ユナが止まる。


 少しだけ、目が丸くなる。


 それから、小さく笑った。


「……シンみたいな事言う」


「約束したから」


 ユナは何も言わなかった。


 ただ、

 少しだけ寂しそうに笑った。



 翌朝。


 コトは一人で川を上った。


 流れに沿って歩く。


 水は冷たい。


 空気が冷たい。


 昔より、冬が長い。


 雪も多い。


 山は白い時間が増えた。


 でも川は止まらない。


 ずっと流れている。



 途中で、

 古い切り株を見つけた。


 かなり昔のものだ。


 でも何となく覚えていた。


 ここでシンが転んだ。


 ここでユナが笑った。


 ここでタダが魚を捌いていた。


 そんな気がした。



 上へ行くほど、

 川は細くなる。


 石が増える。


 流れが速くなる。


 森が静かになる。


 誰もいない。


 風の音だけがする。



 やがて。


 川は、

 本当に小さくなった。


 岩の隙間から、

 細い水が流れていた。


 雪解け水だった。


 白い山の奥から、

 少しずつ落ちてくる水。


 それが集まって、

 川になっていた。



 コトはしばらく、

 そこへ座っていた。


 川のはじまり。


 こんな小さい。


 こんな静か。


 でも、この水は止まらない。


 下へ行く。


 森を抜ける。


 人の場所へ行く。


 魚を運ぶ。


 人を運ぶ。


 いつか海まで行く。



 シンは知っていたのだろうか、とコトは思った。


 人も、こうなのだと。


 どこかから流れて。


 誰かと混ざって。


 別れて。


 また流れていく。



 風が吹いた。


 冷たい。


 でも少しだけ、

 桃みたいな甘い匂いがした気がした。


 コトは振り返った。


 誰もいない。


 雪と山と、

 細い水だけ。



 コトは少し笑った。


「見つけたよ、シン」


 川は、

 今日も流れていた。


(おわり)

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