言いたいことを全部言った結果
「え………な、なぜ」
動揺のあまり、立ち上がることもできずに呟くのがやっとの第一王子。確かに今、彼女を口説き落としたはずだったのに。
「何故も何もありませんわ」
だが淑女の微笑を浮かべたまま、イザベラはハッキリと言い切った。
「今までわたくしがどれほど第三王子殿下に不当に扱われても表向き言葉だけで慰めるフリをして、その実何も解決に動いて下さらず傍観するだけだったのに、わたくしが婚約破棄されて素顔を顕にした途端にこの豹変ぶり。
ハッキリ申し上げて反吐が出ますわ。不愉快です。そもそも第一王子殿下にも婚約者がおられるではありませんか。貴方も弟君と同類でしたのね」
淑女の微笑を崩してまで、彼女は顔を歪めてみせた。これほどの嫌悪と侮蔑の感情を、第一王子は生まれて初めて直接的にぶつけられた。それも至近距離から、何の心構えもなしに。
結果、彼はフラフラと揺れたかと思うと立ち上がれぬままその場に崩れ落ちた。あまりのショックに気を失ったのだ。
「あら、今の程度で気を失われるなんて案外お心がお弱くていらしたのね。でもこんな事で気絶なさるようでは、とてもではないけれど立太子は無理ですわね」
まあ、だからこそわたくしを手に入れて伯爵家の後ろ盾を得ようとしたのでしょうけれど、と感情の乗らない声で彼女は呟いた。
実際その通りであった。第一王子はすでに薨じた先の王妃の子であり、現王妃の子である第二王子に立太子争いで一歩リードを許している。そんな彼がもし彼女と伯爵家の後ろ盾を得られれば、第二王子への強力な牽制になるはずだったのだ。
だからこそ彼は、彼女が弟の婚約者であった時から不貞と謗られない程度に距離を縮め、その実裏では愚弟を諌めることもせず放置して、なんなら密かに手まで回して、婚約破棄を言い出すよう仕向けていたのだ。
まさかそれを彼女本人に見抜かれているなど、第一王子には思いもよらなかった。それこそが彼の敗因と言えよう。
「無理、なのか」
「無理でございますわ」
第一王子の轟沈を目の当たりにして絶望に沈む王の呟きにも、彼女は律儀に言葉を返す。
「直轄領の困窮民の救済は、ぜひ議会で臨時予算をお通し下さいませ。王家の私財を投じられてもよろしいかと存じます」
王宮の奥の宝物庫に、それまで蓄えた王家の資産が山と眠っていることも彼女は知っていた。その資産を目減りさせたくないがために伯爵家の財力を当てにしていたことも。
だから尚更、王家に伯爵家の資産を渡したくなかったのだ。だというのに臣下の身では婚約を拒否することも破棄することもできずに、この10年間ずっと資金を拠出させられ、今まで苦しんできたのだ。
伯爵家の資産はあくまでも、伯爵家と親族と伯爵領の領民に使われるべきである。他に搾取されるなど、たとえ王家であっても許せるものではなかった。
「わ、第二王子との婚約はどうかしら!」
その時、それまで控えて状況を見守っていた王妃が声を上げた。
「何度も申し上げますが、無理でございます」
だがそれも、彼女は拒否した。そんな提案をされたところで、命令ではないのなら従う義務もない。
「それに、第二王子殿下には既にお妃様がおられるではありませんか」
第二王子は昨年、国を挙げての祝福の中、隣国の第一王女と婚姻を果たしている。第三王子が一目惚れした王女の姉に当たる人物だ。
既婚者である第二王子に、今さら嫁ぐ意味も意義も彼女にはない。それに王子妃となった隣国第一王女に子が産めぬと決まったわけでもないのに、側妃の打診など非常識もいいところだ。
「…………これはもう、伯爵領を挙げて独立した方がよいかも知れんな」
「な、なんですって!?」
「な、ならぬ!それだけは!」
「あら、良いお考えですわねお父様」
伯爵の怒りを込めた呟きに王妃と王が慌てて反応するが、すでに伯爵の忠誠心はほぼ下限まで落ち込んでいる。嫡女たる愛娘が同意するならそれもアリかと思い定める程には。
「たっ、頼む!伯爵領からの貿易の税収が無くなると、国全体が干上がってしまう!」
「知ったことではありませんな。そもそも、それほど我らが大事ならば、なぜ我が娘を蔑ろにしたのですか」
「そっ、それは………」
まだ幼く能力の見極めも難しかった頃に第三王子を早々と婚約者として宛てがって、その後はもはや安泰とばかりに第三王子にずっと任せきりにしていたのは国王本人である。そして彼が我侭放題に育っても、そのうち伯爵家に婿に出るのだからと放置していたのも、また国王本人であった。
「これほど斯様に愚弄されて、それでもまだ忠誠を誓ってもらえるなどと思っておいでか。何たる傲慢、何たる怠惰。もはや我らは付き合い切れませぬ」
「お父様、もう帰りましょう。これから忙しくなりますわ」
「ああ、そうだな」
一言も言い返せなくなり膝をついて項垂れる国王と王妃を尻目に、伯爵家の父娘は大広間を退出して行った。
状況を見守っていた貴族たちからも、三三五五とその場を後にする者が出始めた。彼らの響かせる足音は、あたかも王国の崩壊を告げているようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結論から言えば、王国は崩壊するまでには至らなかった。伯爵家も独立せず、他の貴族たちもみな国内に留まった。
ただそんな中で、唯一王家だけが姿を消した。王も、王妃も、第一王子も第三王子も、第三王子の母である側妃も、みな地位を奪われ王宮を追われた。
旧王家は災害から立ち直れないままの直轄領でももっとも被害の酷かった地域を領土とし、形の上だけは公爵位を得られたが財政は火の車だ。純粋な私財以外に王宮の宝物庫からの持ち出しなど認められるはずもなかった。
ついでに言えば元第三王子は婚姻させられた。相手は例の子爵家令嬢であり、当然、その親族も揃って公爵領へ転封である。
新たに王として貴族たちが支持したのは、第二王子の妃である隣国の第一王女だ。彼女を王として立てることで一時的にではあるが隣国の支援を得て、旧王家の直轄領を筆頭に災害の被害に喘いでいた地域は何とか持ち直した。
元第二王子は王配としてその地位を安堵された。女王との間に子が生まれ、その子が長じて王位を継げば、ゆくゆくは元の王家の血筋に国家の大権が戻ることもあるだろう。だがそれまでは、属国とまではいかずとも隣国の影響下に置かれることとなるだろう。
伯爵領をはじめいくつかの有力な領とその領主は、王国内で別途に藩国を立てることを許された。つまり王国は、新たに連邦王国として国体を変更したわけだ。
そして旧伯爵領の藩国を治めるのは新たに家督を継いだ女藩主イザベラである。彼女の配偶者は、藩主として立ってからもしばらくの間決まらず、独身のままであったという。
「配偶者など煩わしいだけ。わたくしはしばらくの間、“おひとり様”を堪能致しますので。お気遣いは無用に願いますわ」
彼女はそう言って、配偶者探しに費やされるべき時間と資金を藩国の運営に全て充てていたという。その姿はとても生き生きとして、吟遊詩人が詩に残すほどの美貌とともに近隣諸国にまで広く知れ渡っていたという。