第九話 昼寝と遭遇
それは、暖かな木漏れ日を全身に浴びながら、心地良いそよ風が肌を撫でる感
触を堪能していた。
実に様々な種類の魔物達が入り混じる、混沌の坩堝――死神の森。由来となっ
た死神はもういないが――死神の森。
その中間部――外から森に入ってすぐの浅い地域と、強大な魔物達が数多く生
息する中心部と呼ばれる地域に挟まれた地域――そんな中心部程ではないものの、
それなりに厄介な魔物達が闊歩する危険地帯の中において、なんとも穏やかな昼
下がりの午後を満喫する、とある魔物の姿があった。
ぺたんと垂れ下がった長い耳。ふわふわもこもことしていそうな白の体毛。丸
々とした、恰幅の良い体形……そう――アルルこと、アルブスクルスである。
アルルは現在、中間部に当たる地域のとある一画――草花が生い茂り、天然の
絨毯の様になっている草はらで、仰向けになって昼寝をしていた。
手足をダランと投げ出し、スースーと寝息を立てるその姿からは、警戒心の欠
片も感じられない。正に王者の寝相である。
目覚ましのアラームに怯える必要の無い安眠の、なんと幸福な事か。
もはやこの近辺で、自らアルルに襲いかかる豪胆な魔物は存在しない。それを
自覚しているが故の余裕だ。
魔物というものは内包する魔力が多い種族ほど、マナが濃い場所に住み着くの
を好む傾向が強く、この死神の森は中心部に近づけば近づくほどマナが濃くなっ
ていくという特徴があった。
この森で、中心部に行くほど強い魔物が出没するようになるのは、そういった
理由である。
中心部には、なまじそれなりの強さを持つが故に、眠っている時ならば奴に勝
てるのではないか? などと考え、就寝中のアルルに襲いかかってくる脳筋魔物
が、未だに何種類か存在する。
しかし、この中間部には、そんな無謀な賭けに出る魔物は最早いない。
最近ようやくその事に気付いたアルルは、近頃はもっぱら眠る場所にこの辺り
や、森の端に近い地域を選ぶようになっていた。
そんなアルルに、静かに接近する小さな影が一つ。
細く長い、針の様な口吻を持った混虫――〝蚊〟だ。
そう、この世界にも蚊は存在する。厳密に言えば、呼び名が同じというだけで、
地球の蚊とは非常によく似て非なるものなのだが、姿形も生態も、地球のそれと
殆ど同じ生物だ。
余談だが、この世界には蚊だけに留まらず、地球に存在する生物と呼び名や姿
形が同じ、或いは、極めてよく似ている生物が結構な種類存在する。実に摩訶不
思議である。
蚊は観察するかの様に、アルルの周りを静かに飛び回っている。食事に最適の
ポイントを見つける為だ。襲いかかる魔物はいないが、襲いかかる生物がいない
とは言っていない。
アルルはほぼ全身が豊かな体毛で覆われている為、蚊にとっては正直、吸血し
易い相手ではない。しかし、彼女は現在産卵を間近に控え、少しでも栄養を補充
しておきたい時期であり、辺りに他の適当な獲物も見つからない以上、妥協せざ
るを得なかった。
ちなみにこの蚊だが、この世界では魔物でもなんでもない、単なる昆虫として
扱われる種類だ。
この世界における、魔物とそうでない生物の境界は至って単純であり、体内に
取り込んだマナを魔力に変換できるか否か――これだけである。
それができる生物を魔物と呼び、できない生物は〝普通の動物〟や〝普通の昆
虫〟などと呼ばれる。
ただしこの定義は、種族ごとでその内容に多少の差異が在る。例えば人族の間
では、取り込んだマナを魔力に変える事ができる、人族以外の生物を魔物と呼ぶ
のが通例となっている。
閑話休題。
手や足には比較的体毛が少ない為、血が吸い易そうではあるが、手足というの
は寝ている間でも割とよく動く部分なので、余り安全とは言えない事を、この蚊
はこれまでの経験から知っていた。
暫しアルルの周りを飛び回り、鼻の頭の辺りが吸い易そうだなと判断した蚊は、
ゆっくりとアルルの鼻先に近づき、そこに取り付く。
そして、その針の様な口をアルルの皮膚に突き刺さんとした――その時。
パチッ。
アルルの鼻先にほんの小さな青白い火花が生じ、蚊を焼き払った。
鋭い物を他者に突き立てんとする際に蚊が発っした、毛程とも言える有るか無
しかの微かな害意を察知し、アルルが無意識の内に【雷帝】を極々低出力で発動
させたのだ。
数十日間に及ぶ戦い漬けの生活はそれなりの成果を発揮しつつあり、アルルは
素の危機察知能力を高めると共に、その身に備わった数々のスキルを徐々に使い
こなし始めていた。
ちなみに【危険予知】は発動していない。このスキルはある程度のダメージが
発生するような危険でなければ、その効果を発揮しないのだ。
ふと、心地良いまどろみの中にあったアルルの意識が急速に浮上する。アルル
の優れた聴覚が、近づいてくる複数の足音を捉えたからだ。
目を閉じ、寝転がったまま、耳に意識を集中する。
おそらく、二足歩行する人型の生き物が出す足音。大きさも、せいぜい人間と
同じくらいといった所だろう。
正確な数は分からないが、それほど多くはない。四、五体程だと思われる。
足音と一緒に、カチャッカチャッという金属音も同時に聞こえてきた。どうや
ら、この足音を立てている者達は金属製の鎧や、武器を身に付けている様だ。
ゴブリンかオーク辺りだろうか? と、アルルは足音の主に当たりを付ける。
アルルは森を数十日徘徊している間に、他種族が使っていた物を奪ったり、死
体が身に付けていた物を剥ぎ取ったのであろう、金属製の鎧や武器を装備したゴ
ブリンやオークなどを何度か見かけていたからだ。
ちなみにアルルが、ゴブリンやオーク達が自ら金属製の武具を造り出している
のではなく、他種族から奪ったり、落ちていた物を拾っているのだろうと考えた
理由は、彼らの身に付けていた武具の状態にあった。
アルルが見かけた、そういったゴブリンやオーク達の所持していた武具は、ど
れも手入れがされている様子が全く無く、錆び放題の刃こぼれし放題、鎧に至っ
ては、その殆どがサイズの合っていない物を無理矢理装備しているという有様だ
った。
この森のゴブリンやオーク全てがそうなのかは分からないが、おそらくはその
多くが、鍛造などの金属を加工する技術を持っておらず、手入れの仕方なども知
らないのだろうな、とアルルは睨んでいる。
だからこそ、他種族を襲って身に付けている装備を奪ったり、偶々見つけた死
体から剥ぎ取ったりして、それを使っているのだろう。
今回もそういった手合いだろうか? と予想したアルルだったが、程なくして
それは間違いだったと知る事になる。
近づいてきた者達が、アルルの【魔力感知】の感知範囲内に入ってきたのだ。
謎の集団は、アルルから少々離れた場所で止まり、小さな声でなにやら話始め
る。おそらく、あちらもアルルの存在に気付き、様子を窺っているのだろう。
当人達は静かに話してつもりなのかもしれないが、アルルの異常な聴覚を持っ
てすれば、その会話内容を聞き取るのは容易かった。
「見た事の無い魔物だな……」
「どうする?」
「中々高く売れそうな、いい毛皮してやがる。ついでに狩っていこうぜ」
「全く知らん魔物だぞ? 放って置いた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫、大丈夫。確かに腕力はありそうだが、動きはどう見ても鈍そうだ」
感じ取った魔力と、聞こえてきた会話の内容を聞いたアルルは(あれ? こい
つら、ゴブリンでもオークでもないな)と、心の中で確信する。
アルルはこの森で様々な魔物の魔力を感知している内に、一口に魔力と言って
も、微妙に魔力の毛色と言うか、質と言うか――そういったものが、各魔物ごと
に違っている、という事にだいぶ前から気付いていた。
そして最近では、魔力の質を憶えた魔物が相手ならば、直接その姿を見ずとも
魔力を感じ取るだけで、それがどの魔物なのかが分かるようになってきていた。
アルルがたった今感知した五つの魔力の質は全て、ゴブリンのそれでも、オー
クのそれでもない。というより、アルルがこの世界に転生してから、一度たりと
も感じた事の無い質の魔力だったのだ。
加えて、先の会話の中に「中々高く売れそうな、いい毛皮してやがる」という
台詞があった事を、アルルは聞き逃していなかった。
(もしかして……〝人間〟か?)




