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9月の下旬とは思えないほどの強い太陽が空から降り注いでいる。笠倉岬は用意しておいたベレー帽をちょんと頭に乗せると、先日美容院でそろえたセミロングの髪をハーフアップにし、彼女の手には大きいトランクを船員から受け取る。
「いやはや、秋とは思えない暑さですね」
岬の隣に彼女よりも背の高い日比野重三が地味なハンカチを額に当てている。それ以外は先日彼女がコーディネートした服を着ているというのに、少し準備不足だったか。
「いやはやって、それいつの言葉?」
「何か変ですか?」
「断然変。岬ちゃんとしてはそれがいいんだけど、一般的には死語じゃない」
前に来たショルダーバックを岬はお尻側に移すと、トランクから取っ手を引っ張り出す。日比野が持ちます、と言うので岬はありがとう、と返す。日比野自身の荷物は極端に少ない。着替えも、おそらくこの間買いに行った2着しかもって来ていないのだろう。一応泊まることになる部屋には洗濯機を含め家具一式揃っているというが、岬はあまり得意ではない。
船が再び動き出した後には、岬と日比野を除いて4人が残っている。若いカップルと、おそらく父とその子どもだ。
カップルは大学生くらいであろうか。コームで髪をまとめた女性は、さらに青いバラのコサージュをつけている。スクエアネックの白いチュニックは風に軽く揺れていて涼しげだ。日差しを遮るように手を額の上に持ってきていて、隣の彼氏を見上げている。
その彼氏は、シンプルな迷彩色のTシャツにハーフのジーンズを履いている。身長は岬と同じくらいだろうか、170くらいでそれほど高くはない。シャツの胸元を何度も触り、中に風を送っている姿がなんともほほえましい。それにあわせるように、胸元のネックレスがからからと揺れている。
一方の親子は、父はこの暑いなか白のワイシャツにネクタイを締めている。体格がいい、というよりもメタボの入ったお腹がやや目立っているが、それ以外は日比野より若く見える。時折めがねを動かし、腕時計で時間を確認している。
彼の周りを、小学生ほどの少年が暑さを感じさせない速さで走り回っている。ふと、岬が見ているのに気がついたのか、ぱっと表情を隠すと、父の影に隠れてしまった。照れているのかもしれない。
お互いに距離がある。岬としては、そんな距離はさっとなくしてしまいたいのだが、しばらく様子を見ることにした。
「それにしても、異様な暑さですねぇ」
「ジュウちゃん、それしかないの? 暑い暑いって言っても、涼しくなんかなんないよ。ほら、気の利いた冗談でも言ってくれれば、涼しくなるかもよ? お得意の親父ギャグなんてクールダウンに最適なんだけど」
「ギャグ、ですか」
「考えない! まあ、お堅いのは仕方ないけど、ほら、飲み会とかコンパとか、そういうのは普通にあるんでしょ?」
「ないことはないですが、あまり参加しません。得意なほうではないです、そういうの」
「結構饒舌だから、人気者になれると思うよ」
「仕事柄、そういう能力が必要です」
「うーん、それって色気ない」
「すいません」
「謝るところじゃないよ。まあ、許してしんぜよう」
波止場こそ、コンクリートを使ってしっかりと整えられているが、それ以外のところは自然の景観が残っている。いや、残っているというよりも、それ中心だ。波止場から伸びている道も、すぐ先で木々に隠れてしまっている。研究施設の「け」の字も感じさせない風景だ。すぐ先には砂浜も見えている。
その道から、女性が一人走ってくる。
ノースリーブのシャツに短いエンジ色の細いリボンを襟元にしていて、ラップスカートだろうか、かなり短いスカートをはいている。めがねも大きめなものをかけていて、走っている姿に合わせてそれが揺れている。セミロングの髪をシャギーにしていて、若そうに見える。いや、もしかしたらただ髪が痛んでいるだけかもしれない。待ち合わせの時間よりまだ早いが、おそらくモニター参加者を迎えに来たのだろう。
「すいません、おそくなりました」
波止場に着くなり、彼女は頭を下げた。
「いえいえ、まだ時間には早いです。船旅が思った以上にスムーズに進んだようでして、早く着いたんですよ」
スーツの男性が礼儀正しく答える。自然と岬たちは、その女性の近くへと寄っていった。
「それでも、私が先に着いておくべきでした」
もう一度女性は頭を下げる。
「えっと、これから施設に案内させていただく、わたくし、伊崎園子と申します。以前皆様にメールを送らせていただきましたので、もしかしたら名前だけは知られていると思いますが」
三度目、園子は頭を下げた。岬も、園子とメールを何度も交わしている。とっても、事務的な内容のメールばかりだ。その言葉遣いから、もう少し年上の女性を想像していたが、どうやら想像は外れていたようだ。岬が思っていると、もう一人の女性が声を出す。
「私は日達瑠璃。想像とちょっと違ったかしら。うん、でも、とても素敵な服だわ。それならきっとめがねはないほうが似合うと思うけど、そうね。それともイヤリングかしら」
顔を傾けながら、瑠璃が笑う。岬が思っていたことを先に言われてしまったが、園子はそれに対して反応はなかった。
「こら、瑠璃、お前はちょっとだまれ。俺がモニターだっての。俺は久住照好」
「はい、存じ上げています」
「古川順也です。それから息子の……」
順也は自分の影に隠れている息子を前に出そうとするが、彼はそれに応じようとせずに隠れている。どうやら人見知りをするようだ。岬のすぐ近くにいたので、こちらから笑いかけると、さらにうまく隠れてしまった。
「えっと、直也です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。よろしくね、直也くん」
園子が屈んで挨拶するが、それにも直也は応じない。順也が叱ろうとするが、園子がそれを制する。
「私は笠倉岬です。それからジュウちゃん」
「その呼び方はやめてください。日比野です。どうぞ、そちらで呼んでください」
「いいじゃない。ジュウちゃんなんだから」
ぶぅと岬は口を尖らせる。
「どうぞ、皆様暑い中待たせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
四度目の、今度は軽い会釈のあと続ける。
「それではまずは研究施設に案内したいと思います。こちらから歩いて、そうですね、20分ほどです。もう少し急ぐこともできますが、せっかくですので風景を楽しみつつ参りましょう。皆様荷物もあるようですし」
岬の荷物は日比野に預けてある。瑠璃と照好のペアも、二人でスーツケース一つとそれぞれが小さな鞄を持っているだけだ。それを照好が押している。順也と直也の親子は順也が肩から大きな鞄を提げており、直也はコンクリートに置いていたリュックサックを背中に担いだ。
「それでは、参りましょう」
園子は振り返ると、元来た道へと岬たちを誘導し始めた。岬たちは園子の誘導に従い歩き始める。コンクリートの波止場を過ぎると、その先は地面がむき出しの道だ。整備がされてはいるが、広くない。左右からは木の枝が伸びており、少し進むと視界も遮られるようになった。
それぞれの木や地面に咲いている花の名前でも分かれば面白いのかもしれないと思うが、岬には分からない。分かるといえば、時折視界を横切るトンボくらいだろうか。といっても、トンボの種類までは分からないが。
「ねえねえ」
岬の隣を、彼女よりも頭二つほど小さい瑠璃がいつの間に並んで歩いている。岬が何、と答えると、一度だけ瑠璃は日比野を見てから小さな声で聞く。
「彼氏?」
「そう見える?」
「うーん、どうだろう。見えないこともないけどぉ。もしかして、ちょっと怪しい関係とか?」
怪しい関係? と思い瑠璃を見ると、悪意の感じられない目がまっすぐ見返している。
「彼氏だよ。なんていうの、岬ちゃん的にぎりぎりストライクだった、みたいな」
「ぎりぎりなんだ」
瑠璃はくすりと笑う。それに合わせて、青い色の薔薇が軽く揺れる。
「そっちこそ、彼氏?」
「そう見える?」
「弟、かな。それも危ない関係の」
「うーん、それはないなぁ。彼氏だよ。お姉さん的にはちょっとボールなんだけどぉ。そこがいいの」
「ボールなのに」
岬も笑った。
「私の場合は、ボールのほうがストライクなのよ。あまりにストライクすぎると、ダメなんだなぁ。もう、本当、ダメ」
首を振りながら瑠璃は舌を出す。その様子が面白く、もう一度岬は笑った。モニターのメンバーに同じ世代の女の子がいるかどうか分からなかったが、いた上、これほどしゃべりやすい子だと分かり岬は安心した。
「瑠璃、ちゃんだっけ」
「そう。岬ちゃんって呼んでいい? それとも、私のが下かしら」
「22よ」
「あら、それなら私のが上ね。でも、瑠璃ちゃんでいいよ。うん、そのほうが嬉しいかも。岬ちゃん、大人っぽいね。OLさん?」
「まだ学生。ちょっとレポートも兼ねて、このモニターに参加してるの」
「うへぇ。私の正反対かも。モニターも照好から誘われて、だし」
「でも、ゲームみたいなものだよ」
「そうなの? 私全然知らない」
二人でまた笑う。
いつの間にか、少し前と差が開いていたが、園子が立ち止まりそこに再びメンバーが集まる。
「まだ道の半分くらいなんですが、こちらを見ていただくと海が見えます」
彼女が伸ばした手の先を見ると、きれいな砂浜と打ち寄せている波が少し離れた距離に見えている。さらに離れた場所に岬たちが乗ってきたであろう船の姿もまだ見えている。
「モニターも終日ではありませんから、あとであちらの砂浜に案内したいと思います。泳ぐこともできますが、観光施設ではないので、油断して波に飲まれないでください……て、それはまたそのときにお話しますね」
「あれが佐根川でしょうか」
順也が、その海岸から少し左手の奥に見えている川を指していった。園子は一度そちらを確認してから、そうです、と答える。
「あれが佐根川になります。古川様は専門ですから、きっとわたくしよりもよく知っていると思いますが、おそらく重要なポイントになると、私は思います。私、というのは、私個人の意見です」
佐根川? 重要なポイント? 岬はよく分からず首を捻った。隣の瑠璃を見ると、彼女も分かっていないようだが、その目は不思議と輝いている。
「あっと、これは失礼しました。まだこのことは言ってはいけないことになっていまして、どうか、忘れて下さい」
口元を押さえ、それからめがねを直しながら園子が俯く。
「おいおい、何か隠してるのか?」
「ええ、そうなんです」
「そうなんですって、結構あっけらかんだな」
「ええ、隠すといいましても、隠さなくてはならない類のものではありません。古川様が知っておられることの一部……だと思うのですが、それを使って後で簡単なレクリエーションを、と考えていまして」
「それは、面白そうですね」
立ち止まるたびに地味なハンカチで額を拭きながら日比野が息を吐く。疲れている表情をしているが、岬は、あれが演技だと知っている。
「レクリエーションか。なるほど、それは私としてもありがたい。直也も楽しめそうだが、ちょっと難しいかな」
ぽんと順也は直也お頭を叩く。あれは演技だろうか? 残念ながらそれは分からない。
「はい、そうなんです。ですから、もう少しだけ佐根川については、保留でお願いします。さあ、それではあと半分ほどです。道も平坦ですし、皆さん大丈夫ですか? 秋とはいえこの暑さです。必要ならもう少し休みますが?」
誰も答えないので岬が声をあげる。
「大丈夫です」
岬の声に頷いてから、園子は再び歩き出した。




