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「被験者を部屋に案内したすぐあとに、私はあいつの部屋に行きました。あいつが、私の祐次の妻だなんて、有り得ないことだもの、許せなかった。だから、私は何のためらいもなかった。問題が起きたって言ったら、あいつは何のためらいもなく扉を開けたわ。それはそうでしょう? まさか殺されるなんて予想しているはずなんてないんですから。私はことを終えると、すぐにモニタールームに戻りました。誰も不審に感じる人なんていませんでした。時間的にも、わずか1、2分普通に作業するより余分にかかっただけですから。
「ええ、でも、そんなこと許されないだなんて、当然です。だって、祐次のあの悲壮な姿を見てしまったんだから、私はなんてことをしてしまったんだろう、て。最初から私とあの人が結ばれるなんて、有り得ないことだった、ええ、ええ、そうよ、そんなことあるはずがない、全部私の夢、妄想だったってこと、ね、お笑いだわ。だけど、もうどうでもいい。私は、私を許すことが出来ない。
「だから、私は……いいえ、これが最後の言葉だもの、余計なものはいらない。ただ、去るだけ」
伊崎園子の部屋に残されたパソコンから上の文章が見つかったのは、18時過ぎだ。保存されたのは朝の5時半ごろ。なるほど、最後6時ごろに出て行った男性が、まるで彼女だったといわんばかりの文章だ。そして、最初の犯行も彼女が行った、と。遺書のつもりだろうか。
犯行時刻も微妙にずれているし、こんなものが通じると思っているのだろうか。それにこれでは、肝心の凶器の流れをどこにも記していない。まさに、フェイクだ。それともこれを信じた振りをするのが賢明だろうか。
それに、ここにいるのはプログラムの天才ばかりだ。保存時間の変更くらいどうということもないだろうし、伊崎園子のパソコンに遠隔で入ることも、そしてそのトレースを消すくらいのことも、どうということもないだろう。
だとしたら、これを残すことに何の意味があるのか。
「警部、例の部屋に入る準備が整いました」
捜査本部で頭を抱えていた権藤は、それを聞いて立ち上がる。例の部屋というのは、先ほどの報告書にあった、ここから出て南側にある図面上不自然な空間にある部屋のことだ。聞き取り調査をすると、案外すぐに彼らはそれを認めた。ただ、今は千堂主任の部屋からしかいけない、という。安全性の問題から、すぐに入ることが許されなかった。千堂主任の部屋からしかそのコントロールが出来ないようになっているのだが、他の人はその部屋の安全性をどう確立しているのか知っている人がおらず、これだけの時間を要したわけだ。要は、千堂主任にやってもらうしかないわけで、彼にとっては、今はそれどころではない状態だ。
1Kのアパートを模した間取りの奥に、しっかりとしたつくりの部屋があり、その左手にある扉の前に千堂主任は座っていた。壁面にはいくつかのモニターがあり、キーボードも多く壁から直接伸びている。
「いやいや、すいませんね、こんなときに、ここを見せていただきたいなんて申し出てしまって」
「いえ、これで調査が進むのでしたら、当然のことです」
「なんでも、旧式のシステムだとかなんとか、あ、いえいえ、私にはよく分からんことですが、私なんかからすると、充分に未来的なものに思えるんですが」
「システム自体は、前世紀的なものです。大型のアミューズメントパークにはもう存在して言いますが、一人用となると、規模が大きすぎるし、費用対効果が得られない、その程度のものです」
「何度も聞かれていると思いますが、その部屋から、外には出られないのですね」
「説明は難しいですが、機械的に宙に浮いた状態の部屋で、部屋と周りとの間には球状の空間が確かに空いています。ですが、それは空間というだけで、外までは通じていない」
「それでは、部屋に入っても大丈夫ですかな」
「一人用ですから、多くの人は入れません。それとも、一度経験してみるといいかもしれません。多くの体験用のプログラムが入っていますが、オーソドックスには、宇宙旅行がいいでしょう」
千堂主任がそう言うと、そこにあった扉が横にスライドして開く。数メートルほどの廊下があり、その先に5メートル四方ほどの部屋があった。そして中央に頑丈そうな椅子、その手前にいくつかのレバーと、ボタンがある。
「どうぞ椅子に座ってください。戦闘型宇宙船のコックピットだと思っていただければいいと思います」
部屋に千堂主任の声が響く。セントウガタウチュウセンとは、そもそもなんなのかよく分からないが、とにかく権藤はその椅子に座った。
「シートベルトを締めて……上から下ろして、サイズをあわせて、左右にはめるところがあります。こちらから、部屋を切り離しますので」
権藤は指示通りにベルトを締める。その横で機械が動く音が響き、入ってきた扉が閉まる。
「こちらからそちらの姿は見えていますので安心して下さい。ベルトのサイズは大丈夫ですが、想像以上に揺れますので……ジェットコースターの一回転レベルの揺れがありますので、覚悟を決めてください。時間は、5分ほどです。それでは電気を消します」
ジェットコースターと聞き、権藤は体を身構える。得意ではない、むしろ苦手な分野だ。が、それをいまさら言ってもどうしようもない。電気が消えると、自分の手さえ見えないほどだ。
やがて、正面から光が差す。
空港のような映像だ。
次の瞬間、体が後ろへとひっぱられる。それとともに、映像が前進する。
飛行。
加速度が増し、それに伴い、体が重さを感じる。
そのまま宇宙空間へ。
四方だけではない、全ての方角が宇宙だ。上を向いても、下を向いても、違和感はどこにもない。椅子に座っているはずなのに、それさえまるで存在していないかのようだ。
前方の右下にウインドウが開き、何者かの顔が映し出される。
「さて、君に与えられた任務だが……」
そこから先は、権藤にはうまく説明ができない。動きが激しすぎて、意識を保つことが難しいと感じるほどだ。迎撃せよという命令を聞いた気もするが、権藤にはほとんど何もできなかった。
ゲームオーバーという文字が流れるのに、何時間も掛かったようなきがしたが、後で聞くと3分も経っていないという。
元の部屋に戻ってきても、足がふらふらしていて、まともに立っていられないほどだ。
「なるほど、安全性の問題があるというのは、分かった気がしますが、システムとしてほぼ完成しているのではないですか?」
「前世紀的です。システム的に古すぎていますし、先んじていません。それに、ソフトの開発は容易ですが、ハードが大きすぎる。現行のプロジェクトに移行して、ハード面の改善を施しています」
「まあいいですわ。ちょっと、すいませんが、ここで、休ませていただきます」
権藤はお腹を抑える。まだ、気持ちが悪い……




