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レテ川に記憶の欠片を沈めて  作者: なつ
第三章 その凶器は殺人者に用いられた
21/56

 7

 日比野重三と笠倉岬は部屋に戻った。ほぼ強制的に伊崎園子に案内されてのことだ。あの後、すぐにモニターは中止され、北原朋彦医師が階下に駆け下りていった。変わりに園子が上がってきて、日比野らと、久住照好、日達瑠璃も一緒に一度部屋へ、ということだった。瑠璃の青い顔も園子は心配そうに見えたが、本人が大丈夫と宣言した。園子が、明日は9時に応接室に迎えに来るといい、去っていった。落ち着いてから岬が口を尖らす。

「もう、どういうことだろうね、これ?」

「ちょっと度の過ぎたいたずらでしたね。自分なら、びっくりして漏らしたかも」

「またまたぁ。岬ちゃん的には、むしろ望むところだったりするけど。さっと交わしてドーンと打ち込んであげたのに」

「それは頼もしいですね」

 頬を膨らませながら、岬はもぅと唸る。何か気に障ったのだろうか。

「お風呂どうする? 先に入る? 何なら、一緒に」

「いやいや、それはいけません。どうぞ先に入って下さい。ちょっと一服したい」

「つまらないなぁ。それじゃあ私、先に入ってるから。ここ、禁煙じゃない?」

「さあ。ですが、応接室のテーブルには灰皿が置いてありました。そこで吸ってきます」

 それから二言、三言言葉を交わしてから、日比野は部屋を出た。そのまま応接室に移動し、テーブルの隣にあったソファーに腰を下ろす。

 煙草に火をつけて、大きく吸い込む。

 普段なら、何をやっている時間だろうか。無理を言ってこのモニターに参加させてもらったわけだが、今のところ問題は起きていない。スーサイダー・バーサスというサイトに、岬自身が書き込んでいたわけではないが、夏休み前にあった二つの事件に、彼女は関係していた。片方は、わずかに肩が触れるほどであったが、片方は途中まで容疑者として、彼女の名前があった。その後の交友関係まで考えなくてはならないような職場ではない。けれど、なぜか気になる存在であった。

「こんばんは。隣、よろしいですか?」

 考え事をしているところ、背後から話しかけられ、驚いて顔をあげると瑠璃がグラスに薄い水色の液体を入れて立っている。日比野は一度立ち上がり、どうぞと彼女にソファーを譲る。

「あら、二人充分座れると思いますよ。心配性ね」

 瑠璃はグラスをテーブルに置くと、日比野と対面に座る。日比野は煙草を灰皿に押し付け火を消した。

「ここで出来る相談ですか?」

 日比野の問いに彼女は答えない。代わりに少し考えてから逆に日比野に質問をする。

「岬さんは恋人ですか?」

「……そう見えますか?」

「ええ、見えます。そうねぇ、お姉さん的には、ちょっと危ない関係に見えるかしら。どう?」

「どうと言われましても。むしろ清い関係です。彼女のようなこれから開花すべき才能に、私のような、これから去るべきものが関わってよいはずがない」

「何ですかそれ、おかしな考えですね」

「まあ、たいした意味はありません」

 会話の最中、瑠璃の視線は時々宙を泳ぎ、落ち着きが感じられない。夕食のときに一瞬感じた違和感とは別のものだ。隠し事をしているのではない。隠したくないけれど、どう話せば分からない、そのような様子だ。こういう場合、あせって聞き出そうとするとおおよそ失敗に終わることを、日比野は経験から知っている。モニターの期間はまだ長い。

「明日どのようなプログラムが組まれているのかまだ分かりませんが、おそらく明日もここで煙草を吸っていると思います」

「あら、浮気のお誘いですか?」

「一服するだけですよ。まだ時間はあります。気が向いたら顔を見せてください」

 日比野は立ち上がり、応接室を出ようとする。

「ありがとうございます」

 後ろから瑠璃の小さな声が聞こえた。


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