十一月二十陸日 火曜日 胎動
目を覚ましたとき、最初に感じたのは――体の奥に残る、妙な熱だった。
それは寝汗のせいとも、布団の温もりとも違う。
もっと内側、骨の奥にまで染み込んだような感覚。
意識がはっきりしてくるにつれ、昨夜のことが、断片的に思い出されていく。
夕食のあと、灯さんに導かれるようにシャワーへ向かい、そこで終わるはずだった時間が、そのまま終わらなかったこと。
言葉を交わすたびに距離が縮まり、気づけば何度も――確かめ合うように、同じ時間を繰り返し、そのまま眠りに落ちた。
隣を見ると灯さんが、少し乱れたまま、静かな寝息を立てている。
長い髪が枕に広がり、肩口からのぞく肌に、昨夜の名残がそのまま残っているようだった。
(……俺、本当に大丈夫なのか)
体力的な意味でも、精神的な意味でも。
起き上がろうと身じろぎした瞬間、灯さんが小さく動いた。
「……おはようございます、啓人さん」
まだ眠気を含んだ声だが、はっきりと俺の名前を呼ぶ。
「おはようございます……」
返事をしただけなのに、昨日までとは違う距離感を、はっきりと自覚してしまう。
そのまま一緒にシャワーへ向かう。
白い湯気が視界を覆い、肩に落ちるお湯の感触が、思考を鈍らせていく。
(……また、だ)
自分でも不思議になるくらい、灯さんとの距離が自然に縮まっていく。
触れ合うことに、もう躊躇がない。
どうしてこんなに、抑えが利かないのか。今まで俺なら、間違いなく疲労が先に来ていたはずなのに。
今は違う。体が、気持ちが、次を求めてしまう。
(俺の体、どうなってるんだ……)
問いは浮かぶが、答えは出ないまま、また交わる時間が流れていく。
◇ ◆ ◇
二人で部屋に戻ると、すでに食事が運ばれてきていた。
湯気の立つ味噌汁と、焼き魚。白いご飯。
あまりにも普通な朝食が、逆に現実感を呼び戻す。
「……朝から、あれだけしておいてなんですが」
箸を持ちながら、ふと口にした。
「仕事は、いいんですか?」
灯さんは、少しも驚かず、何でもないことのように言った。
「これが仕事ですよ」
「……え?」
「日常を、思うがままに過ごすこと。その中で、自分が何を感じ、何に引っかかるのかを知る。それが、今の啓人さんの仕事です」
言われてみれば、昨日から具体的な業務指示らしいものは一切ない。
マニュアルも、スケジュールもないが、不安はなかった。
「物語は、机の前でひねり出すものではありませんから」
そう言って、灯さんはレコーダーを操作する。
画面に映し出されたのは、アニメ、ドラマ、映画。
誰もが知っている有名作品もあれば、深夜帯や配信限定の、あまり知られていないタイトルもある。
「まさか……ここにあるのって」
「えぇ、終円会が制作に関わっている作品です」
「……これも? これも?」
思わず声が漏れる。
そして、その中に――俺の人生を変えるきっかけになった作品があった。
「……このアニメ……」
現在放映中の、漫画原作の作品。安価で行動を決めた結果、モブだった高校生が、少しずつ高校生活を変えていく話。
「俺が……灯さんと会うきっかけになったやつです」
言葉にすると、胸の奥が少し熱くなる。
俺は、少しだけ言葉に詰まりながら、正直に打ち明けた。
「俺も……この主人公みたいに、安価をきっかけに変わろうとしたんです」
灯さんは、少しだけ目を細めた。
「そうですか」
そのまま、にやりと笑う。
「やっぱり、作ってよかったです」
「……え?」
「だって、啓人さんと出会えたんですから」
そう言って、口づけられる。アニメの音声とは違う温度の声が、部屋に溶けていく。
映像は流れ続けているのに、意識は別のところへ引き寄せられていった。
◇ ◆ ◇
昼食のあと、今度は小説を手渡された。
読み進めるほどに、共通点が浮かび上がってくる。
「さっきのアニメやドラマとかもですけど……どれも、変わりたいとか、選ばれたとか……終円会が関わっている物語って、全部『変化』が主軸なんですね」
ぽつりと言うと、灯さんは、満足そうに微笑んだ。
「呑み込みが早くて助かります。思ったより早く次のステージに行けそうですね」
頭を撫でられる。子ども扱いされているはずなのに、嫌な気はしない。
むしろ――認められているようで、胸の奥がざわつく。
「これはご褒美が必要ですね」
そのまま、また距離が縮まる。
(……これも、仕事の一環なのかな?)
そんな疑問が浮かぶが、すぐに霧散した。
◇ ◆ ◇
夕方、シャワーを浴びてから部屋に戻ると、灯さんはすでに席についていた。
飲み物に、何か粉状のものを入れているのが目に入る。
「それ、何ですか?」
思わず警戒して聞くと、灯さんは、舌を出して笑った。
「これですか? ……少しだけ、正直になれる栄養剤です」
「正直?」
「ええ。私も飲んでますよ。慣れると、元気になります」
思い当たることがあり、問い返す。
「……もしかして、最近俺が異常に元気なのは」
「……ばれちゃいました」
悪びれもせず言われて、思わず苦笑する。
「これは……お仕置きが必要だな」
「ふふ、そうですね」
夕食を取り、会話を交わし、また時間が溶けていく。ここでは、時計もスマホも意味を持たない。
変わりたいと思った自分が、ここにいる。選ばれたのではなく、自分で選んだ場所。
その選択を、今は信じてみようと思えた。
その夜も、静かに、深く――俺は、灯さんと同じ時間の中へ沈んでいった。




