十一月十五日 金曜日 服
今日も目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
スマホの画面を確認すると、まだアラームまで十分以上ある。
二度寝するには中途半端な時間だ。
ここ数日、こんな朝が続いている。
(……やっぱり、緊張してるんだろうな)
街コンが近づいている。
それだけの理由で、人はこんなにも変わるものなのかと思う。
体を起こし、リモコンに手を伸ばしてテレビをつける。
画面が明るくなり、朝の情報番組が始まった。
天気、交通、芸能ニュース。
どれも、いつもと同じ順番で流れていく。
変わらない日常が、きちんとそこにある。
――だが、その流れは、昨日と同じように途中で変わった。
『昨日お伝えした宗教団体を巡る事件ですが――』
思わず、背筋が伸びる。
画面には、建物の外観と、慌ただしく出入りする人々の映像。
『教祖とみられる人物が、昨日に身柄を確保されました』
その一文を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、ふっと抜けた。
要するに――終わった、ということだ。
『その後、体調不良を訴え、現在は病院に搬送されているとのことです』
キャスターは感情を交えず、淡々と続きを読み上げる。
詳しいことは、まだ分からない。
だが、少なくとも、これ以上大きな騒ぎになる可能性は低そうだった。
(……これで一安心、か)
心の中で、そう呟いた。
俺に直接関係があるわけじゃない。
それでも、昨日から引っかかっていたものが、ようやく落ちた気がした。
世界は相変わらず物騒だ。
どこかで誰かが壊れ、誰かが傷ついている。
それでも――今日の俺は、昨日より少しだけ前を向けそうだった。
◇ ◆ ◇
作業着に着替え、家を出る。
自転車を漕ぎながら、自然と頭の中で今日の予定を整理する。
仕事。定時。服を買いに行く。
たったそれだけの予定なのに、今日は妙に重みがある。
昼休みには、先輩たちと他愛のない話をしながら弁当を食べた。
誰も、銀髪の俺を特別扱いしない。
最初は視線を感じた気もするが、今ではそれすらない。
人は、思っている以上にすぐ慣れるらしい。
それが、少しだけ不思議で、少しだけありがたかった。
午後の作業を終え、定時になる。
道具を片付け、作業着の汚れを払ったところで、声をかけられた。
「お、伊原」
振り返ると、信先輩が立っていた。
「これから飲みに行かねえか? ちょっと遅めだけどさ、誕生日祝い」
一瞬、心が揺れる。
誘ってくれるのは、正直嬉しい。こうやって気にかけてもらえるのは、ありがたいことだ。
だが、今日は――
「すみません。今日はちょっと用事があって」
そう答えると、信先輩は露骨に肩をすくめた。
「なんだよ。付き合い悪いなあ」
冗談めいた口調だが、どこか本音も混じっている。
一瞬迷ってから、俺は正直に言った。
「……実は、明日、街コンに行くんで。その服を買いに行こうと思って」
一瞬の沈黙の後。
「マジか!」
信先輩の顔が、ぱっと明るくなる。
「いいじゃねえか! そういうことなら全力で行ってこい!」
背中を叩かれ、豪快に笑われる。
「それで彼女でもできたら、今度こそ奢ってやるからな!」
「期待しないでくださいよ」
そう返しながら、少しだけ胸が温かくなった。
送り出されるように工場を出る。
断った後味は、思っていたよりもずっと軽かった。
◇ ◆ ◇
一度家に帰り、私服に着替える。
鏡の前に立ち、改めて自分を見る。
銀色の髪。
もう、違和感はなく、それどころか、見慣れてしまっている自分に、少し驚く。
(慣れるもんだな……)
電車に乗り、街へ向かう。
せっかくだ。今日は、よくある量販店じゃなくて、ちゃんとした服を選びたい。
駅から少し歩いたところで、目についた店があった。
ガラス張りの外観。落ち着いた照明。
(……ここにするか)
勇気を出して、扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
店員の声。
そして、一瞬の間。
視線が、俺の頭に吸い寄せられる。
そこでようやく気づいた。
(ああ、俺、銀髪なんだったな)
自分がすっかり慣れていたことに、内心で苦笑する。
「……服を探してて。清潔感のあるシャツとジャケットなんですけど」
そう切り出すと、店員はすぐに表情を整え、にこやかに頷いた。
「かしこまりました。清潔感のあるシャツとジャケットですね」
「はい。この髪に合う感じでお願いします」
迷いなく言えた自分に、少し驚く。
「承知しました」
店員は、上から下まで、いくつかの服を手際よく選んで持ってくる。
(さすが、プロだな……)
試着室で着替え、鏡を見る。
そこに映るのは、さっきまでの俺とは明らかに違う男だった。
店員に写真を撮ってもらい、画面を確認する。
(悪くない。いや――かなりいい)
値段と相談しながら、気に入った一式を購入する。
店を出たとき、少しだけ背筋が伸びていた。
◇ ◆ ◇
帰り道、牛丼屋に立ち寄る。
変わらない味が、やけに落ち着いた。
家に帰り、スマホを手に取る。
スレを開くと、例の宗教団体に関する、物騒な話題が飛び交っていた。
物騒な話をしているなと、書き込んでから、店員に撮ってもらった写真を貼る。
すぐに、褒めるレスが流れてくる。
冗談半分でも、素直に嬉しい。
気づけば、胸の奥に小さな自信が芽生えていた。
◇ ◆ ◇
313:名前:30歳の魔法使い
ありがとう
これで明日の街コン頑張ってくるわ
◇ ◆ ◇
意気込みを書き込むと、すぐに応援のレスが返ってくる。
それを眺めながら、深く息を吐いた。
(明日が、本番だ)
明日に備えるため、俺はスマホを置いた。




