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安価で俺の人生変わった件について。  作者: ドラドラ
安価で俺の人生変えたかっただけだった

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22/22

十一月十四日 木曜日 カレー

 目覚ましが鳴る前に、自然と目が覚めた。

 カーテン越しの朝の光は、昨日よりも少しだけ強く感じる。


 世界が、ほんのわずかに明るく見える。

 それだけのことなのに、胸の奥がざわつく。


 布団の中で、しばらく動けずにいた。

 天井の染みを目でなぞりながら、くだらないことを考える。


 髪の色を変えただけなのに、朝の空気が違って感じられる。


 不思議なものだな、と、他人事のように思う。


 体を起こし、キッチンへ向かう。

 フライパンを火にかけ、卵を割ると、ジュウと油の弾く音が、やけに大きく響いた。


 テレビをつけると、朝の情報番組が流れ始める。

 天気予報、交通情報、芸能ニュース。

 どれも、いつも通りだ。


 アナウンサーの声も、スタジオの雰囲気も、昨日と変わらない。

 変わらない日常が、画面の中にきちんと存在している。


 ――その流れが、不意に途切れた。


『先日起きた首相殺害事件について、新たな情報が入りました』


 思わず、手が止まった。


 画面には、見慣れたスタジオではなく、資料映像と重苦しいテロップ。

 キャスターの声も、どこか抑えられている。


『捜査関係者によりますと、事件の背景には、特定の宗教団体が関与していた可能性が――』


 宗教団体という単語を聞いた瞬間、胸の奥がひやりとする。


 フライパンの中で、卵が焼けすぎる音がしたので、慌てて火を止める。


 ニュースでは、団体の名前や詳細には触れず、慎重な言葉が並んでいる。

 それでも、画面から伝わってくるのは、ただの偶発事件ではないという空気だった。


(物騒だな……)


 正直な感想は、それだけだ。


 俺の生活とは、あまりにもかけ離れている。

 テレビの向こう側の出来事。

 そう割り切ろうとするのに、宗教団体という言葉だけが、妙に引っかかる。


 昨日まで、街コンだの、服装だの、カレーだのと、くだらないことで頭をいっぱいにしていた自分がいる。

 その一方で、同じ世界のどこかでは、人が殺され、その裏に思想や信仰が絡んでいる。


 その現実は、同時に存在している。


 焼けた卵を皿に移し、トーストと一緒に口に運ぶ。

 味は、いつもと変わらない。


 だからこそ、少しだけ安心した。


 世界がどうあれ、俺の朝食は俺の朝食だ。

 その事実が、今はありがたかった。


 ◇   ◆   ◇


 作業着に着替え、家を出る。

 自転車に跨り、いつもの道を走る。


 工場に着けば、そこには昨日と同じ景色が広がっていた。


 仕事は、変わらない。

 図面を確認し、溶接機をセットし、溶接する。

 音と光と熱の中で、時間が淡々と流れていく。


 集中している間は、余計なことを考えずに済む。

 銀髪のことも、街コンのことも、朝のニュースのことも、すべて頭の外に追いやられる。


 昼休みを挟み、午後も同じ作業を繰り返す。


 身体が覚えている動き。考えなくても、手が勝手に動く。


 そして、定時になると、道具を片付け、作業着の汚れを軽く払う。

 ここまでは、いつも通りだ。


 ――だが、今日の俺は、ここからが違う。


 ◇   ◆   ◇


 工場を出て、自転車に乗る。

 ペダルを踏み出す方向が、いつもと違う。


 アパートまで遠回りとなる、スーパーへ行くための道だ。


(……久しぶりだな)


 一人暮らしを始めたばかりの頃、俺はちゃんと自炊をしていた。

 週末になると、スーパーに行き、一週間分の食材をまとめて買う。

 肉、野菜、調味料など、安いものを選び、冷蔵庫に詰め込んでいた。


 それが、いつの間にか、残業が増え、帰りが遅くなり、包丁を握る気力もなくなる。

 気付けば、コンビニ弁当が当たり前になっていた。


 忙しさが落ち着いた今でも、その習慣は残ったままだ。

 楽だから。考えなくていいから。


 スーパーは、いつの間にか「面倒な場所」になっていた。


 だからこそ、今日の選択は、ほんの少しだけ特別だった。


 ◇   ◆   ◇


 自動ドアが開き、店内に入る。


 冷気と、食べ物の匂いが混じった空気。懐かしい感覚に、思わず足が止まる。


 野菜売り場。精肉コーナー。惣菜コーナー。


(こんなに、いろいろあったっけ)


 周囲を見回しながら、内心で驚く。


 コンビニとは、情報量が違う。弁当一つ取っても、種類が多い。値札を見ると、思わず二度見する。


(安……)


 コンビニで慣れてしまった感覚が、ここでは通用しない。


 ニンジンを手に取る。三本入りで、驚くほど安い。


(ニンジン、ニンジン、ブロッコリー……)


 昨日のスレの流れを思い出し、口元が緩む。


 ブロッコリーもカゴに入れる。カレールーは、少しだけ奮発したもの。ビールはこれを機にまとめ買い。ついでに、アイス。


 カゴの中を見て、少しだけ笑う。


(ちゃんと、生活してるみたいじゃないか)


 たったそれだけの買い物なのに、なぜか満足感があった。


 レジを済ませ、袋を提げて店を出る。


(また、来よう)


 本気で、そう思った。


 ◇   ◆   ◇


 帰宅すると、すぐにキッチンに立つ。


 包丁を持つのは、久しぶりだ。ニンジンを切りながら、少し不格好になるのも仕方ない。


 鍋に油を引き、野菜を炒め、水を入れ煮る。


 ぐつぐつと煮える音が、部屋に広がり、妙に落ち着いた。


 火を止め、ルーを入れ、溶かす。

 再び温めると、部屋に広がる、カレーの匂い。


 完成。


 皿によそって、改めて見る。


(……ニンジン多いな)


 思わず、笑ってしまった。


 写真を撮り、スマホを操作すると、すぐにレスが流れ始める。


 雑なツッコミ。うまそうという反応。


 その流れを眺めながら、カレーを口に運ぶ。


 味は、普通だ。

 でも、それがいい。


 食べ終わった後、明日服を買って帰ると書き込むと、スマホを置き、後片付けを始める。鍋を洗い、皿を洗い、シンクを拭く。


 その間、頭の中は静かだった。


 街コン。服。宗教団体。


 全部、まだ遠い。


 でも、確実に、日常の中に入り込んできている。


 銀色の髪のまま、俺は蛇口を閉めた。


 明日は、服を買いに行く。


 それだけの予定が、今は少しだけ心強かった。

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