第62話 イレギュラー発生
俺が見つめる先、森の奥には一見何もないように見える。
しかしすでに事は起こり始めていて、樹里たちにも直に異変が感じられるようになるだろう。
「アウウウウウウゥゥゥンッッッ!!」
「え? なに今の声」
突然聞こえてきた動物の鳴き声……犬の遠吠えのような声に、辺りをキョロキョロ見回す樹里。
「ほれ、お前達、準備しとけよ。あっちから来るぞ」
足音はそれほど大きくはないのだが、体が大きいせいか移動する度にどうしても音が出てしまう。
それほどの大きさの何かが俺達の方へ接近してきていた。
「先ほどの鳴き声からして、狼でしょうか?」
「それならすぐに判明するさ。こちらに向かって一直線だからな」
俺が言い終わるとすぐに、接近していた奴が姿を現わした。
そしてもう一度、今度は遠吠えではなく獲物を見つけた喜びを表現するかのように、低めの鳴き声を上げる。
「な、な、な…………」
おうおう、根本の奴は今の鳴き声ですっかり硬直してるぞ。
樹里と沙織は……、
「ちょっとアイツでかすぎない!?」
「見た目からしてイヌ科の動物に近いようですけど、あれほどの大きさのものは見た事ありませんね」
うむ、樹里は少しビビってる感はあるけど、沙織は動じた様子はないな。
これは身体が強化されているからとかじゃなくて、多分元々の資質なんだろうな。
俺達の前に姿を現わしたのは、沙織の言うように大きな狼のような何かだ。
大きさは……顔の位置が俺らより高い位置にあるぞ。
昔サファリパークで見たライオンよりもよっぽどでかい。
恐らくはその大きさと魔力を微かに感じる事から、何らかの魔物の一種なんだろう。
間違いなく、このような魔物がこの森に出るなどとは教官から聞いていない。
「樹里、いけるか?」
「うっ……。さ、流石にアレ相手に剣は無理かも」
「そこは後ろから魔法を撃つだけでいいぞ。沙織は?」
「問題ありません」
「そうか。そんなら、俺がサポートとして控えてるから、沙織前衛の樹里が後衛で行くぞ」
「分かったわ!」
「はい、分かりました」
あのような魔物相手に、良い返事だな。
ちなみに俺らがこうして話してる間、狼の魔物は何やら地面に顔を擦り付けている。
あの場所は確か……、ああ、そういう事ね。
まあとりあえず俺はさっきから固まったまんまの根本を、後ろの邪魔にならない所に移動させるか。
「って訳で、根本。行くぞ?」
「え、あっ……はぁぁ? ちょっ、えええぇぇぇぇぇ!?」
俺は魔物の方を向いたまま、根本の左腕を持つと後方へと放り投げる。
なんとも愉快なリアクションをしながら吹っ飛んでいく根本。
ああ、ちゃんと力を絶妙にコントロールしてやったから、数メートル後方でふわりと着地出来てるはずだ。
掴んでいた腕は少し傷んでるかもしれないが。
こうしてる間にも俺は魔物から目を離していなかったのだが、魔物はしばらく地面に顔を擦り付ける事を繰り返していた。
「あれ、何してんのかしら」
樹里も沙織も、根本が素っ頓狂な声を上げても全く気にせず前方を注視し続けている。
「……さあな。あの魔物の習性かなんかだろ」
あのまま熱心に顔を擦り付けていれば、逃げ出す機会もあったかもしれない。
だが、魔物はそれなりに賢いのか、それとも野生本能なのか。
隙がありそうに見えながらも、いつでも一足飛びに襲い掛かってこれるような態勢を維持している。
しかしそれもようやく気が済んだようで、徐に顔を上げた魔物は、ジリジリとこちらに迫り始める。
「一色、来るわよっ!」
「ってお前も魔法の準備を始めんかい」
「してるわよッ! 今は体内の魔力を練っていたのよ。アイツはちょっと強そうだしね」
ふむ? 体内の魔力を?
俺は少し離れた場所に立っている樹里を見てみる。
すると、確かにいつもの樹里より体内の魔力量が多いのが分かった。
「あとは、どの魔法にするか……だけど」
ううん、この状態だと森林火災だの何だの言ってられんのじゃないか?
「構わん。得意な炎系の魔法をぶち込んでやれ!」
「うん、そうこなくっちゃね! 一色ッ! あたしが魔法を放ったらすぐに後ろに下がって!」
「分かりまし――」
沙織が最後までいい終える前に、襲るべき速さで狼の魔物が沙織に襲い掛かる。
しかしその攻撃を見事に躱した沙織は、槍の届く中距離のレンジから、ねじりこむ様にして槍を前に突き出す。
「ギャアウッ!」
相手の首元に噛みついて無力化しようとしていたのに、気づけば自身の腹に何かを突きさされてしまった魔物は、驚きと痛みの声を上げる。
そしてそれを成した相手を見据え、まずはこいつがターゲットだと判断をつける。
それからの沙織の動きは見事なもので、巨体の割に俊敏な動きを見せる狼の魔物を、見事一人で抑えきっていた。
俺が手を出す必要もないほどだ。
ただし、一度だけ俺が動く事態に発展した。
この魔物はどうやら、背後にいる根本を沙織が庇っているという事に、途中で気づいたらしい。
それからは、根本に襲い掛かるように見せかけるフェイントを、時折織り交ぜてくるようになった。
しかしそれが一度だけフェイントではなく、本当に根本に襲い掛かった事があったのだ。
沙織の援護も間に合わないと判断した俺は、魔物の横っ腹に飛び蹴りをくらわして事なきを得たが、下手したら根本の奴がお陀仏してたかもしれん。
「大地さん、お見事ッ!」
緊迫した戦闘の最中、俺のサポートに対して声を上げる沙織。
一方、もう一人の戦闘要員も手をこまねいている訳ではなかった。
「ギ、エスタス、ミア、マギアポテンコ。デンサ、プリッグポテンコン、カジ、ダヌグランドンポテンコン、オル、ラ、セキューヴプリンシポウ」
樹里の奴は、なんかいつもより長い呪文の詠唱をしていた。
詠唱するにしたがって、体内で練っていた魔力がより密集していくのが感じられる。
「そろそろ、行くわよ! コロノ、デ、フラモ。ポストトゥラド、パルセクツ、ミアジンマラミコージン!」
最後に強く言葉を切った樹里の魔法発動を受け、沙織はフェイントまで繰り出しながら一気に後方の……俺の近くの所まで下がってきた。
その瞬間。
魔物がいた場所からは、炎の柱が立ち上がった。
直径二、三メートルはありそうな炎の柱は、まるで爆弾を設置してその爆弾を蹴ったり殴ったりしながら対戦するゲームのように、火柱となって魔物へと襲いかかる。
しかし、何らかの兆候を感じていたのか、それとも野生の勘なのか。
魔物は間一髪のところでその炎の柱を躱す事に成功する。
「まだまだよ!」
だが樹里の魔法はまだまだ続くようで、避けた先にも再び火柱が立ち上がる。
これにはさすがの魔物も横っ腹部分をかすめてしまい、ダメージを負ってしまう。
それでも、それ以上深手を負わないように、咄嗟にその場所からも飛びずさる。
「甘いわっ!」
そんな魔物に更に追い打ちをかけるように、炎の柱が三度立ち上がる。
今度はまともに体の芯で受けてしまい、紅蓮の炎に包まれる魔物。
「これで……トドメよっ!」
更にそこに、外した一本目と二本目の火柱が、階段を下りてくるバネ状のおもちゃのように上空でUターンをしたかと思うと、絶賛グリル中の魔物の元へと合流を果たし、三本分の火柱に包まれた。
「おおう、グーーーレイトォォ!」
トニーも思わず絶賛するような、派手で威力のありそうな魔法攻撃によって、完全に狼の魔物は息の根を止められた。
後に残されたのは、ゴブリンなんかのものより一回りも二回りも大きい魔石と、燃え盛る炎だけだ。
「どうよッ!? あたしの魔法の威力はッッ!!」
「あー、それは分かったからまずは火消しを頼む」
「うっ……、そうだった」
「俺はこんな時になんだが、ちょいと用を足してくる」
「え、ちょっと、突然なによ?」
「仕方ねーだろ! 生理的現象なんだからよ」
「わ、分かったわ。さっさと済ませてきてよ!」
「あー、沙織はあっちで呆けてる根本のフォローを頼む」
「根本さん……。すっかり腰を抜かしてるようですね」
「ああ。チビってたとしても、触れてやらずにそっとしといてくれ」
「…………」
俺の小粋な冗談に沙織は眉を顰め、そのまま根本の方へと向かう。
さあて、俺の方も用を済ましてこないとな。




