表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浄福なる夜へ、闇へ  作者: 眛鳥かるな
我が偏執の名に於いて
4/4

01 le fils arachnéen

 初めて彼女と出会ったのは、去年の七月、温かい雨の降る梅雨の日だった。


 自覚するのに遅過ぎた恋心が破れたその日、私は一人で傘も差さず、知っている町の知らない公園に迷い込んで、何も考えず雨に打たれていた。


 何故そうしていたのか、きっと言葉で説明出来たのなら、行方のない喪失感を胸にしまったまま家に帰って泣くことも出来たのだろう。まるで何処にも行けないように足も動かず、何かが壊れた、胸の痛みは、雨の温かさ。血の赫。


 誰もが私と関わりを持たないよう、目の前の風景から去って行く。


 誰の声を待っていた訳でも無かったけれど、厚い雲に覆われた空が重みを増して行くだけの小さな場所で、なにしてるの。と、私に声を掛けてくれたのが彼女だった。


 私は彼女の住んでいるアパートに連れて行かれ、身体を休まされると、あの場所で何をしていたのか、改めて問われた。言いたくなかったら別にいいとも。私は迷ったけれど、少しの間口を噤むと、とつとつと、つまらない……そうとしか言いようのない、戯れのような恋の顛末を彼女に話した。自分のこと、幼馴染だった相手のこと、今までのこと。話をしている内に涙がまた流れて落ちてきたけれど、彼女は何も言わずに私の話を聞いてくれた。


 何故初対面の自分にこんな風に接してくれるのか。話し終えてから問うと、彼女はあのまま放っておいたら今夜は眠れなかったでしょ。と、優しい目で私を見つめていた。




 透るほど白い肌、左側の肩から垂らして柔らかく編まれた黒髪、長い睫毛に隈取られた黒曜石より澄んだ瞳。言い知れない美しさを含む面影。


 さざ波が立っても清らかな止水に帰る泉のように、彼女は静かにそこに居て。七月の出会いをきっかけに私たちは交流を持つようになった。同じ高校の同級生であったことは最初の出会いの時に知ったけれど、それ以外の彼女のことについては、親交を深める内に少しずつ知って行った。


 アルバイトをしていることや一人暮らしの理由、よく本を読んではいるけど物語はあまり好きじゃないという嗜好など、エトセトラ。一人暮らしの理由については母方の祖父に助けて貰っているという話だったけれど、言いにくそうにしていて、詳細は教えて貰えなかった。


 一緒に話したり、遊んだり。より親しくなってからは彼女のアパートに入り浸って、同じ時間を過ごしたりして。そうして彼女のことを知って行く最中、私は彼女のことが好きになっていた。


 何故?


 失恋の痛みに弱っていたところを優しくされた相手だったからか、私が軽薄な性質の人間だったからか、誰かを好きになり(に依存し)たがっていたからか。


 引き返せない運命だったのか。


 彼女の優しさと美しさ、声、物憂げな瞳、時折見せる夜のような微笑みが、救いようもなく私を惹きつけた。


 今でも彼女のことを好きにならなければ、私たちは普通の友達のままで居られたのだろうかと思うことがある。


 想像は出来ない。それでも……想像出来ないことを考えてしまうのは、星を見て星座を描くような仕方なさだと、私は思う。




 夏の終わりの日、私は彼女を押し倒した。雲一つない空が光輝く、風の強い日だった。大人たちが働いている平日の昼下がり、両親も、弟も居ない自宅の自室で、私は本を読んで寛いでいた彼女を組み敷いて、その唇を奪った。


 風が唸り、あらゆるものが巻き上がり、風に乗って消えて行く。そんな世界にありながら、どんなことがあっても綻ばないような彼女は、やはりその日も手元で捲れる頁だけが確かなようで。もしかすると憎らしかった。


 落ちてバラバラになった頁。初めてのキスは血の味がして。


 幻滅したよ。と、冷めた目で睨まれ。何も言い返せなかったけれど、衝動というよりは本能のような行為の感触に涵っている内に、彼女は溜め息を吐いて、諦めたように呟いた。


「いつか僕が居なくなるとして、君は笑ってくれるのかな」


 あなたとは笑顔で別れたい。反射的に答えた私に、彼女はきょとんとしてから、こんなことをしておいて。と、寂しそうに笑ったけれど、兎に角こうして私と彼女、止不河は付き合うようになった。


 しかし強引にキスをしたことは許してくれず、暫くの間キスは禁止されたのだけれど、仕方のなかったことだと思う。


 反省も、後悔さえもしていなかったから。


 ……。




 ***




 ある夜のこと、沈みながら浮上した意識が、大切な人が隣に居ないことを認めた時、ふとそんなことを思い出した。きっと真夜中の寂しさがそうさせた。


 目を凝らすと彼女は直ぐに見付かった。彼女は私を起こさないように机で本を読んでいて、私が呼ぶと、仕方ないという風に苦笑して私の隣に来てくれる。その身体を抱き寄せると、温かさと柔らかさが伝わって、それが今、彼女がここに居てくれる証だった。


 やがて私たちは再び幾度目かの夜の底へ落ちて行く。


 夜、静かなるもの。昼や光の情熱が凪いだ、立ち止まらざるを得ない、難破した船のような出来事。その底へ。


 運命が私たちを裁くまで、何度でも。

読んで下さりありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ