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第15章 黄金の砦の死闘

 光の扉をくぐったガルティラーマは、まぶしさに目を細めた。

 すぐに光は弾けるように分散し、眼前に景色が開けた。

 そこが、黄金の砦だった。

 砦を囲む城壁には、所々に欠け落ちた箇所が見られる。砦の上を仰ぎ見ると、澄み切った空が広がっている。

 ガルティラーマは、暑さを感じて汗を拭った。

 ギラギラとした太陽に照らされ、地面を覆う砂は熱を帯びていた。

 黄金の煉瓦は陽光を受け、これから始まる死闘に似合わぬ鮮やかな輝きを放っている。


 ガルティラーマは真正面を見やり、視線の先に敵を捉えた。

 城壁を背にして、ジュナが余裕の面持ちで待ち受けていた。

 「ごきげんよう、ガルティラーマ」

 芝居じみた言い方で、ジュナが会釈をした。

 それから彼はサングラスを取り、無造作に投げ捨てた。

 瞳の奥で、炎が妖しく湧き立っている。


 「最低だな、お前は」

 ガルティラーマが、キッと鋭い目付きで睨み付けた。

 「最低呼ばわりされるような生き方をしてきたつもりはありませんが」

 ジュナは平然と言う。

 「俺を誘い出すために、彼女を人質に取ろうとしたじゃないか」

 「あれのどこが最低なのか、理解に苦しみますね。目的を達するために最適なプランを実行することの、何が悪いのですか」

 「お前、死後の人間を幸せにする神の手下じゃないのか。それなのに、人間を不幸にするような行動を取ってもいいのか」

 「水夕さんは、まだスカーヴァティーの住人ではありませんからね。幸せであろうとなかろうと、どうでも良いのですよ」

 ジュナは冷笑した。


 「糞みたいな奴だな。分かった、もうお喋りは終わりだ。そろそろ始めよう」

 ガルティラーマは無愛想に告げた。

 「おや、そんなに早く死にたいのですか」

 「遅かれ早かれ、どうせ戦うんだ。だったら、怒りが冷める前に始めた方がいい」

 「そうですか。では早速、始めましょうか」

 ジュナは言うが早いか、土を蹴って飛翔した。

 法衣の裾がひらりとなびく。


 ガルティラーマはサッと見上げ、素早く戦闘態勢に入った。

 ジュナは左脚を真っ直ぐに伸ばし、急降下して蹴りを狙う。それをかわすため、ガルティラーマは体を左に移動させた。彼は敵が降下してきたところに、右の拳を打ち込んだ。

 だが、拳の先に、ジュナの体は無かった。

 「何?」

 ガルティラーマの眉がピクッと動く。

 彼が突き出した腕の上に、ジュナは落ち着き払った態度で直立していた。ジュナは空中で急ブレーキを掛け、跳ねるようにしてパンチをかわし、腕に乗ったのだ。

 そんな芸当が出来るとは。

 ガルティラーマは驚嘆した。

 だが、もう1つ彼が驚いていることがあった。

 ジュナが右腕に乗っているにも関わらず、まるで彼の体重を感じないのだ。


 ガルティラーマの心に隙が生じたのを、ジュナは見逃さなかった。彼は腕に乗ったまま、左足でガルティラーマの額を蹴り飛ばした。

 「むうっ」

 ガルティラーマは顔をのけぞらせ、そのまま後方へ倒れ込んだ。

 ジュナはフワリと空中を浮遊し、少し離れて着地した。

 「さすがは黄金の砦。やはりパワーが違う」

 独り言のように、ジュナが言った。

 ガルティラーマは手を付き、上半身を起こした。口に垂れてくる青紫の液体があった。額が割れ、鮮血が落ちてきたのだ。

 汗の混じった血を拭い、ガルティラーマはスクッと立ち上がった。


 「ようやく確信を持つことが出来ましたよ」

 ジュナは穏やかな笑みを浮かべ、ガルティラーマに話し掛けた。

 「何のことだ?」

 「私が貴方に勝つ確率のことですよ。ここに来たことで、ようやく100パーセントになりました」

 「そうかい、それは随分と遅かったな」

 皮肉っぽくガルティラーマが言う。

 「そうですね、確かに遅かった」

 ジュナは認めたが、それは余裕の表れだ。

 「しかし例え遅かろうと、私の脳内で100パーセントになったということは、貴方は確実に死ぬということです。私の計算は絶対ですから」

 「だったら、初めての計算間違いを起こさせてやる」


 ガルティラーマは言い終わると同時に、ジュナに向かってダッシュした。目を離さず、数メートルの距離で地面を蹴り、跳躍した。獅子の足爪が小さな砂埃を上げる。

 前傾姿勢のまま、ガルティラーマは右の拳を握って引き付けた。そのままジュナに向かって飛び込み、モーションの大きいパンチを顔面に放った。

 しかし数センチの所で、ジュナの穏やかな顔が左にずれた。

 かわされたのだ。

 ただし、それはガルティラーマも想定内だった。パンチは最初からフェイントであり、意図的に大振りで放ったのだ。

 着地しながら、ガルティラーマは伸ばした右の拳を開き、ガッとジュナの左肩を掴んだ。そうやって上半身の動きを制御し、彼は左の膝をジュナの下腹部に思い切り突き上げた。

 入った。

 そうガルティラーマは確信した。


 だが、ジュナは動きを見切っていた。

 彼は腹の前で、右手を軽く振り下ろした。

 ほとんど力の入っていない、その動きだけで、ガルティラーマの膝は簡単に弾き落とされた。強く地面に押し当てられ、ガルティラーマの足裏と膝関節に痺れが走った。

 ジュナは前髪を撫で付ける余裕を見せながら、フシュッと細く鋭い息を放出した。その動きは突風を巻き起こし、ガルティラーマの胸部を直撃した。

 強風に襲われ、ガルティラーマの右手がジュナの肩から離れた。抵抗する暇も無く、ガルティラーマは後方へ大きく吹き飛ばされた。

 「ぐわっ」

 ズガッと鈍い音を立てて壁に激突し、ガルティラーマは臀部から土に落ちた。その衝撃で、また血の線が額から鼻筋へと落ちていく。

 ガルティラーマの顔が、苦痛と悔しさに歪んだ。


 「さあ、次はどうしますか」

 ジュナは手招きをして、悠然と挑発する。

 「私の方は、まだ持っている力の半分も出していませんよ」

 「ぐうっ……」

 ガルティラーマは小さく唸り、目に入りそうな血を拭った。奥歯がギリリと鳴る。

 ジュナの言う通り、力の差があることは認めざるを得なかった。

 それも、圧倒的な差だ。

 だが、それを感じたからといって、今から戦いを止めて逃げ出すわけにはいかない。

 ガルティラーマは尻に付着した砂を払いながら、むっくりと立ち上がった。


 「どうやら、まだ戦闘意欲は衰えていないようですね。感心なことです」

 ジュナは拍手を送った。

 「では敬意を表して、今度は私から行かせていただきましょう」

 そう言ったジュナの体は、瞬きする間も無い内に、ガルティラーマの眼前に移動していた。20メートル以上あった間隔を、0.1秒で彼は詰めたのだ。

 ガルティラーマは体をビクッと緊張させながら、反射的に右の中段蹴りを放った。するとジュナはうるさい蚊でも追い払うかのように、左手を軽く振った。その動きが、ガルティラーマの足を大きく外側へ弾き飛ばした。

 「くそっ」

 バランスを崩しそうになりながらも、踏ん張るガルティラーマ。


 そこへ、ジュナが次の攻撃を仕掛けてきた。とは言っても、ただ頭を軽く叩いただけだ。それは、せいぜい母親が幼い子供を叱る時のような、力の抜けた腕のスナップだった。

 だが、見た目の動きからは考えられないような衝撃がガルティラーマを襲った。まるで巨大な鉛の塊を頭上から落とされたかのような、強烈な重圧だった。

 ガルティラーマの首がガクッと曲がり、彼は両膝を付いてその場に崩れ落ちた。頭がクラクラし、意識が飛びそうになった。すぐに体勢を立て直すことは出来なかった。

 「では、少しだけパワーをアップさせて」

 ジュナは言いながら、左の人差し指をピンと伸ばし、真っ直ぐガルティラーマの右肩へ突き出した。

 その直進運動は、ガルティラーマの肩肉をごっそりと抉り取った。


 「ぐおっ!」

 ガルティラーマが呻いた。

 傷口は醜く裂け、肉片が地面に撒かれた。骨は剥き出しになり、血管は無残に破れた。

 血の噴水が、ガルティラーマの頬へ、腕へ、太股へと青紫色を飛び散らせた。

 皮肉なことに、その強烈な痛みが、頭部への攻撃で一時的に鈍化していたガルティラーマの意識を鮮明にさせた。

 彼は激痛に顔を歪め、重く低い悲鳴を上げた。右肩を押さえ、地面に突っ伏した。吐き出した荒い息が、砂を低く舞い上がらせた。

 「この程度で参るような男ではありませんよね。お楽しみは、これからですよ」

 ジュナは歓喜に満ちた表情を浮かべ、獲物を見下ろした。

 もはや、無知な幼児でさえ被虐の惨劇が繰り広げられることを確信するほどの、一方的な展開になっていた。


 ***


 「アミターバよ」

 突然の呼び掛けに、アミターバはパッと跳ね起きた。

 彼は庭園のベンチに寝転び、ジュナの帰還を待っていた。目の前には、スカーヴァティーにしか咲かないヒャグーの花が生えている。その花は、緩やかな風に吹かれて鈴を転がすような音を奏でる。ジュナが戻るまで、アミターバは自然の音楽で耳を楽しませ、のどかな時間を過ごすつもりだった。

 それを破ったのが、呼び掛ける声だった。

 誰の声なのか、もちろんアミターバは相手を見なくても分かっていた。彼は振り返り、丁寧にお辞儀をした。

 「これはこれは、マハー様」

 マハー・ヴァイローチャナが、そこに立っていた。


 「いつ来られたのですか」

 「たった今だ」

 険しい顔で、彼は答えた。

 「いつもは事前に連絡を入れてくださるのに、今回は突然の来訪ですね。どういった趣向ですか」

 アミターバはヴァイローチャナの無礼に不快感を覚えていたが、おくびにも出さず笑顔で対応した。

 「こんな訪問がルール違反であることは承知している。それに関しては謝ろう」

 表情を崩さぬまま、ヴァイローチャナは言った。

 「いえ、滅相も無い」

 「しかしながら、お前のルール違反に比べれば、私は遥かにマシだと言えるな」

 ヴァイローチャナは厳しい口調で言った。


 「私のルール違反ですか」

 意外な指摘にアミターバは驚いたが、努めて平静を装った。

 「マハー様、いったい何のことやら、私には全く分からないのですが」

 「シラを切るつもりか」

 「いえ、そんなつもりは毛頭ございません。ただ、身に覚えが無いものですから」

 「ということは、自覚症状が無いのか。これは深刻だな。お前はヤマラージャへの敵対心が強すぎるあまり、性根が腐ってしまったのか」

 半ば呆れるように、ヴァイローチャナは首を振った。

 「どういうことでしょうか?」

 侮辱的な言葉を投げ掛けられて苛立ちを覚えつつも、すまし顔でアミターバは尋ねた。

 「私の口から言わせるのか。仕方が無い。お前は重大なルール違反を犯した。神の掟を破ったのだ。厳密に言えば、実行犯はジュナで、お前は黒幕だが」

 「ジュナのことですか」

 アミターバの顔に、陰りが差し込んだ。ようやく彼は、ヴァイローチャナの言わんとすることを察知した。

 分かっていながら、それまで知らぬフリをしていたわけではない。本当に、アミターバには神の掟を破っているという自覚症状が無かったのである。


 わずかな表情の変化だったが、ヴァイローチャナはアミターバの自覚を察知した。

 「どうやら、分かったようだな。違反は2つある。まず、人間の女性を人質としてスカーヴァティーに拉致しようとしたこと。これは畜生にも劣る行為だ」

 アミターバは無言で説明を聞く。

 「もう1つは、ガルティラーマを勝手に黄金の砦へと誘い込んだことだ。あの砦は特別な理由が無い限り、利用は禁じられている。理由がある場合でも、事前に私の許可が必要だ。まさか、知らなかったとは言わせないぞ」

 「それは……」

 アミターバは、返答に詰まった。

 「どうやら、様子見の期間は終わりのようだな」

 ヴァイローチャナは腕組みをして告げた。

 「アミターバよ、お前は明らかに、やりすぎてしまった。これ以上、お前とヤマラージャの争いを放置しておくわけにはいかない」

 「……」

 アミターバは沈黙したまま、裁定を待った。

 「死者の扱いに関するヤマラージャとの契約を復活させろ。分かったな」

 「しかし、それは」

 「問答無用だ」

 ピシャリとアミターバの言葉を遮り、ヴァイローチャナは指を突き出した。

 「これは最終決定だ。絶対に守れ、分かったな」

 「は、はい。承知しました」

 アミターバは、かしこまって頭を下げた。

 マハー・ヴァイローチャナが最終決定を下した以上、それには従わねばならない。

 それが神の掟である。


 「ただしマハー様、1つ問題が」

 アミターバが、遠慮がちに口を開く。

 「現在、ジュナがガルティラーマと戦っているのですが、どういたしましょうか」

 「勝手にやらせておけばいい」

 ヴァイローチャナは冷たく言い放った。

 「どちらが勝とうが、決定には何の影響も与えない。ガルティラーマが生き残れば、彼の処理はヤマラージャに任せればいい。ジュナが生き残れば、戻った時に私が処罰を下す。それだけのことだ」

 「了解しました」

 アミターバが、うやうやしく頭を下げた。


 ***


 俺の眼前には、暗闇があった。

 変だ。

 ここは良く晴れた荒野なのに、そんなはずがない。

 ジュナの攻撃で、視力を失ったのか。

 いや、そうではなかった。

 突っ込むように前方へ倒れ込んだため、顔が地面にへばり付いているのだ。

 裂傷だらけの口に、砂が入った。

 溢れ出す血と混じり合って、苦い味を俺に与える。

 だが、まだ味を感じられるという証拠でもある。

 そして、そうやって前向きに考えられるだけの気持ちが、まだ俺には残っている。


 「まだ戦う意思があるのなら、立ち上がるぐらいの時間は差し上げましょう。さあ、どうぞ立ってごらんなさい」

 ジュナは、地面に倒れこんだままの俺を促した。うつむいたままの俺には表情が分からないが、きっと穏やかな笑みを浮かべているのだろう。そりゃあ、これほど完膚なきまでに叩きのめせば、余裕を持つのも当然だ。

 俺の体は、もうボロボロだ。右肩は削ぎ落とされ、左腕は粉砕され、両方の太股は大きく裂けている。瀕死と表現して然るべき状態だ。

 それでも戦いは終わらない。

 降参したところで、ジュナが許すわけもない。

 ゼイゼイと苦しそうな息を吐き、俺は血まみれの肉体を必死で起こした。

 「くそったれが」

 そんな状態でも、俺は下からジュナを睨み付けた。

 まだ気持ちだけは破壊されていない。


 「いいですね、その目付き。好きですよ、そういう諦めない姿勢は」

 ジュナの涼やかな表情が見えた。

 俺はヨタヨタとおぼつかない足元ながらも、何とか立ち上がった。膝に手を付いて体を支えながら、正面を向いた。

 「さて、しかし反撃する力が残っていますかね、ガルティラーマ」

 「やってやる」

 俺は力を振り絞り、左の蹴りを放った。

 だが、脳からの指令を、肉体が正確な行動で表現してくれない。足は高く上がらず、そのスピードは緩やかだった。

 そんな貧弱な攻撃が、ジュナにダメージを与えられるはずもない。

 きっと、わざとなのだろう、ジュナは攻撃をかわさず、防御もしなかった。

 俺の遅い蹴りが、ジュナの脛に当たった。それは、ただ当たっただけだった。

 ジュナからすれば、せいぜい蝿が止まった程度のものに過ぎないのかもしれない。

 俺自身、その攻撃が無駄で無価値なものだと認識していた。


 「おやおや、可哀想に。もう力は残っていないようですね」

 ジュナは哀れみの目を向けた。

 「では、そろそろ楽にしてあげましょう」

 そう言って彼は、誇示するように右の拳を握り締めた。

 ジュナが腕を引いたところまでは分かった。だが、そこから腕が消えた。実際に消えたのではなく、著しく低下した俺の動体視力では、その動きを捉え切れなかったのだ。

 しかしジュナの腕の行方は、すぐに分かった。

 違和感を覚えて、俺は自分の腹部を見下ろした。

 そこに、ジュナの二の腕があった。拳ではなく、二の腕だ。

 彼の拳は俺の腹部を突き破り、背中まで貫通したのだ。


 俺は、ジュナの顔と自分の腹部を交互に見比べた。一方はニヤリとする顔、一方は不可思議な状態になった腹だった。

 自分の体に起きた出来事を脳内で噛み砕くまでに、少し時間が掛かった。

 考えている間に、ジュナが腕をズボッと抜き取った。それと脳が解答を出すのは、ほぼ同時だった。

 いびつな形の穴から血がドバッと噴き出し、腸がこぼれた。痛みという言葉では足りないほどの感覚が、俺を襲った。


 俺は声にならない声で絶叫し、地面をのた打ち回った。のた打ち回っても、絶望的な痛みはまるで和らぐことが無い。

 血が止まらない。痛みが止まらない。死ぬ、俺は死ぬ。絶対に死ぬ。動きが鈍くなる。体が重い。のた打ち回る元気も無くなってきた。俺は仰向けで地面に倒れ込む。目が虚ろになってきた。

 ボンヤリした視界に、どうやら仁王立ちで笑っているらしいジュナが映った。

 「では、さようなら」

 そう言ったジュナの目から、紅蓮の炎が噴射された。

 赤い揺らめきが、俺の体を一気に包み込んだ。

 熱、猛烈な熱。

 皮膚が焦げ、肉が溶けていく。ドロドロと体中が爛れていく。


 だが、もう俺は何の抵抗も出来ない。全く体が動かない。痛みや熱さを表現しようにも、もう声も出ない。それどころか、もはや痛みや熱さも感じなくなってきた。

 ああ、やはり力の差は歴然としていた。それを埋めることは出来なかった。

 もう無理だ。どれだけ気持ちが頑張ろうとしても、もはや体が言うことを聞かない。手が痺れる。足が痙攣する。死ぬ、俺は死ぬ。

 だが、死んだら契約が終わってしまう。水夕が殺されてしまう。死んではいけない。死ぬわけには行かない。だが、俺の体は明らかに死を迎えようとしている。

 どうすればいいんだ。生きたい。水夕のために、俺は生きたい。いや、生きなければいけない。死ねない。俺は死ねない。だが、意識は遠のいていく。ああ、もう思考能力も失われる。

 嗚呼、アア……。


 ***


 「何かあったのですか」

 ダクーラはヤマラージャに問い掛けた。

 緊急の呼び出しを受け、ナラカの神殿に参上したのだ。

 「つい先程、マハー・ヴァイローチャナ様から連絡があった」

 ヤマラージャは、重々しい口調で言った。

 「マハー様から?ということは、もしやアミターバ様との抗争に関することですか」

 「そうだ。マハー様が裁定を下し、スカーヴァティーとの契約が復活することになった。アミターバが掟を破ったため、マハー様の逆鱗に触れたようだ。その結果、こちらの言い分が通ったわけだ」

 「そうですか。それは、おめでとうございます」

 ダクーラは、やや大仰に言う。

 「向こうが勝手に自滅した形だな。アミターバの好戦的な性格が仇となったわけだ」

 ヤマラージャは満足そうに微笑んだ。


 「ある意味では、ガルティラーマに感謝せねばならんな。奴のおかげでジュナを引っ張り出し、それが掟破りに繋がったのだから」

 「そのガルティラーマですが、おそらく今頃はジュナと戦っているはず。その処置については、どうなっているのでしょうか」

 ダクーラが尋ねた。

 「最終決定が出たということは、その戦闘も仲裁が入って中止になるのでしょうか」

 「いや、それに関しては放置するそうだ。ジュナが戻った後で、処罰を下すらしい」

 「ということは、ガルティラーマは無意味な戦いに挑むということになりますね」

 「そうだな、無駄死にだな」

 ヤマラージャは、そっけなく言った。

 「まだ死ぬと決まったわけではありませんが」

 ダクーラが即座に告げる。

 「お前は随分とガルティラーマに執心のようだな。まあ、血筋として期待するのも分からないではないが。しかし、死んだ方が奴のためかもしれんぞ」

 ヤマラージャは、淡々と言う。

 「無事に生還したとしても、もはや我々に処刑係は不要だ。しかし任務が無くなったからといって、簡単に始末するわけにもいかんだろう。そうなると、飼い殺しの状態だ。何もせず、ただ無作為にナラカで生き続けるだけになる。奴にとっては、戦って死んだ方が幸せではないのか。もはや、幸せなど感じなくなっているかもしれんが」


 「奴のためにも一応、確認しておきたいのですが」

 ダクーラが少し間を置いてから、口を開いた。

 「何の確認だ?」

 「ガルティラーマが死んでも、原田水夕に関する契約は続行すると考えてよろしいのですよね?」

 「ああ、もちろんだ」

 ヤマラージャが即答した。

 「今さら確認するまでもない。わざわざ病気を戻す意味も無いからな。ガルティラーマをナラカに引き入れた時から、それは決まっていたことだ」

 「それを聞いて、安心しました」

 ダクーラはうなずいた。

 彼がガルティラーマに言った、「死んだら契約が終了する」というのは嘘だったのだ。

 だが、もちろんガルティラーマは、そのことを知らない。


 ***


 燃え上がる地獄の怪物を、ジュナは少し離れた場所から満足そうに眺めていた。

 ガルティラーマの全身は黒く変色し、確実に死骸へと近付いていく。ジュナの瞳から浴びせられた魔炎は勢いを失わず、メラメラと立ち昇り続ける。

 「わざわざ砦を使うまでもなかったかな」

 口元を緩め、ジュナはつぶやいた。

 その時、炎が急激にスウッと小さくなり、そして消えた。

 標的を焼き尽くし、命の終焉を確認したのだ。

 地面には、真っ黒な塊が転がっている。

 さっきまではガルティラーマという名の怪物だった存在が、そのように変貌したのだ。


 「ついに死んだか。しかし考えてみれば、奴はヤマ殿下やダクーラに利用されただけの不憫な存在なのかもしれないな」

 ジュナは哀れみの表情を浮かべ、ポツリと言った。

 「だが、ちっぽけな人間を1人救うためにナラカの怪物になったのだから、自業自得か。愚か者は馬鹿を見るということだな」


 その時。

 黒焦げの塊が、わずかに動いた。

 「んっ?」

 ジュナが首をかしげた。

 「気のせいか?それとも風で揺れたのか?」

 どちらでもなかった。

 今度は、間違えようの無い大きな動きを、黒い塊が見せた。

 むくっと起き上がったのである。


 「ば、馬鹿な。そんなことが、あろうはずがない」

 ジュナが慌てふためく。

 「確実に、死んだはずなのに」

 そう、ガルティラーマは死んだはずだ。肉を削がれ、骨を砕かれ、皮膚を溶かされ、全身を焼き尽くされて黒焦げの骸と化したはずだ。

 そして実際、目の前で動いているのは、そういった状態の塊である。

 にも関わらず、見た目は明らかに無残な死体なのに、ガルティラーマは動いているのだ。

 ポロポロと灰を撒き散らしながら、ブスブスと音を立てて煙を立ち昇らせながら、ガルティラーマはゆっくりと歩き始めた。


 「まさか、何かに覚醒でもしたのか?」

 動揺しながらも、ジュナは起きている現実を冷静に受け止め、分析を試みた。だが、そう簡単に答えは出ない。

 「ええい、ともかく死に損ないなら、しっかりと始末してやる」

 ジュナは何かを吹っ切るように叫び、塊に向かって走った。

 するとガルティラーマは、ピタッと立ち止まった。

 ジュナは勢いを付け、ガルティラーマに左の拳を放った。

 粉々になって崩れ落ちる、というのが彼の頭に描いたイメージだった。

 だが、その予想は裏切られた。

 当たった瞬間、ジュナの腕に痺れが走った。拳を弾き返され、彼は顔をしかめた。ガルティラーマの胸部は、容易に崩れそうな見た目とは違い、頑強な鋼鉄と化していたのだ。

 この戦いで、初めてジュナは痛みを覚えた。


 「どういうことだ?」

 理解を超えた現実に、ジュナは焦りの色を隠せない。

 だが、落ち着いて考えている暇は無かった。

 今度はガルティラーマが攻撃を仕掛けてきたからだ。

 ジュナは、右の拳が来るのを見極めた。わずかに首を動かし、落ち着いて回避した。

 しかし次の瞬間、ジュナの右頬をガルティラーマの肘が抉った。顔面がグニャッと変形し、ジュナは驚きで目を見開いた。相手の動きが、彼には見えなかったのだ。

 ガルティラーマは肘打ちで体を捻った勢いのまま、高速で横回転し、左の裏拳をジュナに打ち込んだ。それもまた、ジュナは避けることが出来なかった。

 こめかみに打撃を食らい、ジュナはもんどりうって倒れた。頬が大きく腫れ上がり、側頭部は窪み落ちた。


 受けた痛みと攻撃が見えなかったショックで、ジュナは軽いパニック状態に陥った。

 「なぜだ?なぜ死んだはずの男が、急に強くなるんだ?」

 ジュナはガルティラーマを見上げ、訴えるように尋ねた。

 だが、黒い塊は無言で見下ろすだけだ。

 もはや目も耳も口も原形を留めておらず、果たして見えているのか、聞こえているのか、話すことが出来るのかさえも分からない。


 ガルティラーマ本人も、なぜ自分が未だに生きているのか、良く分からなかった。

 生きているという認識さえ、確たるものではなかった。

 体中が絶望的な痛みを感じており、全身の機能は崩壊している。立ち上がる前と、その感覚は何も変わっていない。だが、実際にジュナの拳を弾き返し、目にも止まらぬスピードで攻撃した。自身の意識とは別の何かが、肉体を突き動かしているかのようだ。

 その体に、何が起きているのか。

 きっと、ロウソクが燃え尽きる寸前の炎のように、残っている力が死を前にして一気に沸き上がってきたのだろう。

 そうガルティラーマは考えることにした。

 どうせ、深く考えても無意味なのだ。

 それに考えている暇があったら、その力が燃え尽きる前に戦わねばならない。


 「おかしな怪物め。今度こそ引導を渡してやる」

 ジュナは迷いを断ち切るように首を激しく振り、立ち上がった。初めて怒りを表情に示し、その顔が醜く歪んだ。

 「これでも食らえ!」

 ジュナが瞳から炎を噴射した。

 たちまちガルティラーマの体が紅蓮に包まれる。

 黒焦げの肉がさらに焼かれ、皮膚が溶け落ちた。

 ガルティラーマの体が苦悶に揺れる。

 だが、彼は渾身の力を振り絞り、炎に包まれたまま右の蹴りを放った。疾風が火の粉を散らし、しなる右足がジュナの脇腹に命中した。

 ジュナはバランスを失い、驚愕に目を見開きながら地面に倒れ込んだ。唖然とした表情で、彼は恐るべき戦いの相手を見上げた。

 しかしガルティラーマも肉体の崩壊は着実に進んでおり、グラリと体が傾く。

 地面に手を付き、彼は体を支えた。


 やはり、もう駄目なのか。

 不可思議な力で復活しても、ジュナを倒すまでには至らないのか。


 (いや、そんなことはない)


 どこからか、声が聞こえてきた。

 それは、ガルティラーマの心の中で響いた声だった。


 (ガルティラーマよ、どうせ結局は死ぬだろう。だが、まだ戦う力が少しでも残っているならば、それを振り絞り、ジュナも道連れにしてやれ)

 重厚な声が、そんな風に強く訴え掛けてきた。


 それが果たして自分の声なのか、別の誰かの声なのか、それさえも分からない。

 しかし、その声は強く響き、肉体を突き動かす糧となる。


 叫べ、地獄の雄叫びを。

 放て、決死の魂を。


 心の声に鼓舞されて、ガルティラーマは血潮を奮い立たせる。

 眼前では、動揺しながらもジュナが再び戦闘態勢を整えている。

 ガルティラーマは顔を上げ、自分に最後の喝を入れた。


 唸れ、怒りの鉄拳よ。

 食らえ、命の一撃を。


 ガルティラーマは右の拳を握り、残された全身の力を凝縮させた。魂の咆哮と共に、全てを懸けた一撃を敵へと放った。

 ジュナはかわそうとするが、間に合わない。

 ガルティラーマの右腕は暗黒の超龍となり、激流を巻き起こしてジュナを襲った―――。


 【完】



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