第5話 隣国ローゼ共和国への旅路
王都の監視を抜けると、漆黒の馬車は音もなく街道へ降りた。
「ったく! 何よ! あのカッコつけは! 『死神と踊る方がマシだ』なんて言って。危うく笑っちゃうところだったわ!」
私は隣に座る闇の精霊王デーゼの背中をバシッ! と叩いた。
「ぐっ……。主、手加減というものを知らんのか」
「あんなキザな台詞、練習してたの?」
「ふん。場の雰囲気に合わせただけだ。それに、あの程度の威圧感を出さねば、あの愚かな人間どもは黙らなかっただろう」
デーゼは「やれやれ」と肩をすくめ、長い足を組んだ。先ほどまでの魔王のような威圧感はどこへやらだ。
「ですわね。フランシスカ様。こいつ、ノリノリで調子に乗っていましたわ」
向かいの席で、炎の精霊王イフリーティアがくすくすと笑う。
彼女は優雅に指を鳴らし、何もない空間から湯気の立つティーセットを取り出した。
「それに比べて、タロウはいい演技でしたわよ。あの登場の仕方は満点です」
「ええ。お疲れ様、タロウ」
私は足元に視線を落とす。
そこには、先ほど城壁を破壊した巨大な銀狼の姿はない。
代わりに、私の両手に収まるほどのサイズ――チワワとポメラニアンを足して二で割ったような、愛らしいモフモフの仔狼が、私のブーツに擦り寄っていた。
「クゥ〜ン(撫でてぇ〜)」
獣王タロウ(小型モード)だ。
つぶらな瞳で見上げられ、私はたまらず彼を抱き上げた。
「よしよし、いい子ね〜! 怖かったでしょう、あんな大勢の人間」
ワシャワシャと腹を撫でてやると、タロウは嬉しそうに尻尾を振って腹を見せる。ああ、至福のモフモフ感。これぞ最強の癒やしだ。
と、その時。
デーゼがソワソワと貧乏ゆすりを始めた。赤い瞳が泳いでいる。
「……おい。主よ」
「何?」
「い、いつまで待たせる気だ? 約束の『贄』を頂こうか」
「ああ、はいはい」
私が答えるより先に、イフリーティアが呆れた顔で亜空間から「それ」を取り出した。
「私が預かっていますわ。全く、闇の精霊王ともあろう者が、尊厳も何もありませんわね」
「ふん、何とでも言うがいい。あの黄金の輝きに比べれば、尊厳など何の価値もない」
デーゼは、ガラスの器を受け取った。
中に入っているのは、とろけるようなカスタードプリン。
デーゼはそれを優勝トロフィーのように掲げ、眩しそうに見上げる。
「これだ……。この美しさ。たまらん……」
眺めるのに満足すると、彼はプリンをスプーンですくい、目を閉じてゆっくりと口に運んだ。
一口食べた瞬間、スゥぅと鼻から息を吸い、恍惚の表情を浮かべている。彼はもう、プリンしか見えていない。
……チョロい。最強の精霊王がこれでいいのだろうか。
「しかし、あの王子の顔、傑作でしたわね」
イフリーティアは優雅に紅茶を啜りながら、思い出し笑いをした。
「『なぜ発動しない!?』ですって。口からシャンパンを吹き出すところでした」
「みんな、演技上手すぎよ」
「お気に召されたようで、光栄ですわ」
「フン。あんなガラクタを向けられて、バカ王子の首を飛ばすのを我慢するのが大変だったぞ」
デーゼがプリンを頬張りながら憎々しげに言う。
そう。王子の切り札『隷属の鏡』は、決して故障していたわけではない。
あれは「契約前の精霊」を強制的に縛るアイテムだ。
だが、彼らは既に私と「魂の契約」を結んでいた。より強力な「主」とのパスが繋がっている以上、あんな道具で上書きできるはずがないのだ。
もちろん、最初からそう上手くいく保証なんてなかった。
マーブル家の血が、彼らのもとへ辿り着くための鍵になったのは確かだ。
けれど、鍵を差し込めたからといって、扉が開くとは限らない。
あの三柱が最後に手を取ってくれたのは――きっと、フランシスカ・マーブルという人間を見てくれたからだ。
(ざまぁみろ、ってやつね)
私は窓の外へ流れる景色を見つめた。
遠ざかる祖国。そして、私が辿るはずだった「運命」。
五年前、十三歳で前世の記憶を取り戻してから、私は本来進学するはずだった「精霊学園」への入学を取りやめた。
ゲームのシナリオでは、そこでヒロインと出会い、彼女を虐めることで断罪イベントが発生するからだ。
私はヒロインとの接点を消した。学園には行かず、精霊王の攻略と領地経営に専念した。
だから私は、実質「悪役令嬢」としての悪事は何もしていないはずなのだ。
むしろ、一部の貴族からではあるが、私の有能さが評価され始めてもいた。
それでも、フランシスカの「血統」が深く関わる婚約破棄イベントは避けられなかった。
ゲームの強制力なのか、あの計算高い王子の欲望のせいなのか。
(本来のシナリオなら……私はここで精霊王を奪われ、失意のまま追放される)
ゲームでは、力を失ったフランシスカは隣国との国境付近にある、王国が管理する別邸に幽閉される。
だがその後、精霊を兵器利用しようとした祖国と、隣国との間で戦争が勃発。
戦火に巻き込まれたフランシスカは、暴走した精霊に食い殺されて死ぬのだ。
(学園でヒロインに断罪されて負け、傷心を癒やすために王子と結婚しようとしたら、今夜のイベントで王都を追放……)
つまり、本来のままだったら、私は二度の特大ザマァを受けるはずだったのである。
まったく、考えただけで身震いがする。
もう、あの国に私の帰る場所はない。
父も母も、もういない。マーブル家に残してきたのは、年老いた執事が一人だけだ。
彼には家族がある。私のわがままに付き合わせるわけにはいかない。
だから家を出る前に、もし私が帰らなかった時は、屋敷も残った財産も彼に譲ると伝えてある。
――今度は自分の足で、自分の居場所を作るしかない。
私はパン! と両頬を叩いて気合を入れ直した。
「さぁ。ここからが私の本当の人生よ!」
私は拳を振り上げた。
「何をされるんですか?」
イフリーティアが小首を傾げる。
私はふふん、と笑って宣言した。
「田舎に隠居して、スローライフよ!」
前世では社畜OLとして働き詰め。
今世では破滅フラグ回避のために、寝る間も惜しんで努力する日々。
もう十分だ。私は自由になりたい。
「昔からの夢だったの。海辺のカフェを開いて、のんびり暮らすのよ」
「あら。いいですわね」
イフリーティアが目を輝かせた。
「私、今まで数多く召喚されてきましたが、いつも何かを壊してばかりでした。たまには、何かを『作る』こともしたいわ。たとえば……そう、野菜とか果物を育てるとか、良いと思わない?」
「最高ね! 採れたてフルーツのタルトとか、絶対に美味しいわ」
「ふむ」
デーゼが空になったプリンの器を置き、真面目な顔で腕を組んだ。
「主よ。私は『パフェ』なるものを極めたいと思う。あれは芸術だ。追求する価値がある」
どうやら、この闇の精霊王はスイーツ道に生きることにしたらしい。
「もちろんよ! タロウはどうする?」
「ワンッ!(遊ぶ!)」
タロウが元気よく吠えた。
みんな、私と同じだ。戦いなんかより、美味しいご飯と平和な暮らしを求めていたんだ。
ちなみに、精霊王の真名や正確な姿を知る者は、宮廷と神殿の一部だけだ。
普段の三人は、人間や子犬のように気配を落としているので、一般人には「とても格の高い精霊」か「すごく強い精霊使い」程度にしか分からない。
「よし! じゃあ決定ね。目指せ、最強のスローライフ!」
馬車の窓から、淡い朝日が差し込みはじめる。
長かった夜が明けていく。
向かう先は、隣国ローゼ共和国。
精霊学園へ進学しなかった私にとって、足を踏み入れるのはこれが初めてだ。
友好国だから、私が移り住むこと自体に、立場上も法律上も大きな問題は少ない。
しかも開業資金なら心配ない。
記憶が戻ってからの5年間、ゲームのチート知識を使い、海賊の隠し財宝を手に入れておいた(私のチート知識と精霊王がいれば、海賊の仕掛けた罠もささやかな催し物のようなものだった)。
今はイフリーティアの亜空間の中だ。
カフェの開業資金は十分にある。
準備はできている。
新しい人生は、ここから始まるのだ。
***
ローゼ共和国の国境を越え、さらに半日。
私たちは大陸の最果てにあるコナラギ村へとたどり着いた。
「わぁ……! やっぱり、記憶どおりの絶景ね!」
私は思わず馬車の窓から身を乗り出した。
目の前に広がるのは、朝日を浴びてきらきらと輝くエメラルドグリーンの海。
振り返れば、なだらかな丘。その向こうには豊かな森が広がっている。
ゲームでは背景でしかなかったけれど、私は知っている。ここが世界でも有数の景観を持つ、知る人ぞ知る場所だということを。
しかも、首都から遠く離れた辺境。
ヒロインも攻略対象たちも寄りつかない、私にとっては理想の安住の地だった。
……なのに。
「あら? なんだか静かすぎませんこと?」
イフリーティアが不思議そうに呟く。
景色はこれ以上ないほど美しい。
それなのに、人の気配だけが妙に薄かった。
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