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第18話 その頃、祖国では

 屈辱だ。

 この私、第一王子レオンが、あのような醜態を晒すなど。


 あの日――忌まわしき婚約破棄パーティーの後、私の権威は完全に失墜した。


「この愚か者めが!」


 外交から戻った父である国王は、パーティーで起こった事件を知るなり激昂した。


「国宝である『隷属の鏡』を弄び、国一番の精霊使いの血を引くフランシスカ嬢を自ら手放すとは何事か! もし彼女が他国につけば、この国がどうなるか分かっておるのか!」


 分かっている。

 分かっているからこそ、私の行動は必要だったのだ。


 父は分かっていない。

 国の趨勢を左右するような戦略級の力が、次期王である私以外の手にあることの危険性を。


 力は、王のもとに集約されなければならない。

 国家級の戦力が、王家の管理から外れて存在すること自体が、王国にとって最大の不安要素なのだ。


 ならば、フランシスカが精霊王を召喚し、契約を結ぶ前に先んじて、『隷属の鏡』で精霊王を王家の支配下に置く。

 あれは最善だった。いや、唯一の正解だった。


 だが、そんな私の心情も、判断の正しさも、誰も理解しようとはしない。


 マーブル家は、はるか昔から精霊に愛される稀有な血族だ。

 始祖は、原初の精霊との盟約により、あらゆる精霊が召喚できたという伝説まである。

 フランシスカの父であるマーブル男爵もまた、大地の精霊王と契約していた。

 地図すら変えるほどの力を持つ存在だったという。


 それほどの力を手にしながら、男爵は私欲に走らず、質素を好み、報酬のほとんどを領民のために使ったそうだ。


 そう。

 それこそが問題なのだ。


 正義感で動く人間ほど厄介なものはない。

 その手の人間は、王に忠誠を誓っているようでいて、最後に従うのは己の良心だ。

 王命より、自分の信じる正しさを優先する。


 王にとって必要なのは、高潔な臣下ではない。

 制御できる臣下だ。


 男爵家がフランシスカ一人になった時、私は安堵した。

 血統こそ価値があるが、本人は若く、後ろ盾も薄い。十分に扱えると思ったからだ。


 だが、ある時から違和感が生まれた。

 あの女は、ただ怯えて強がるだけの娘ではなくなっていた。

 水面下で何か動いている気配もあった。


 だから私は一層甘い言葉を吐き、懐柔し、手元に繋ぎ止めようとした。


 ――だが違った。

 あの女は、既に先回りして炎・獣・闇の精霊王と契約を結んでいたのだ。


 あり得ない。

 だが、偶然で片づけるには、手際がよすぎる。

 まるで、あの日に何が起こるか知っていたかのように。


 そうして、私の計画は潰されたのだ。


 廊下を歩けば、貴族たちが扇子で口元を隠し、私に聞こえるように囁き合う。


「よく堂々と顔を出せるものね」

「およしなさい。精霊に完全に見放された、哀れな方ですのよ」


 クスクスという嘲笑が、私のプライドを針のように刺す。

 全ては、あの女のせいだ。


     ***


「フランシスカ……」


 私は執務室の窓辺に立ち、夜の庭園を見下ろした。


 三体の精霊王が、あの女の元に集った光景。

 王家の切り札である『隷属の鏡』が、何の役にも立たなかった瞬間。

 私を見下ろした、あの冷たい瞳。


 忘れるものか。


 あの女は私を出し抜いた。

 しかも今は、ローゼ共和国の辺境の村で、のうのうと平穏な暮らしを送っているという。


 何を考えているのだ、あの女は。

 望めば世界を統べるだけの力があるというのに、どこぞの田舎の村で店主ごっことは。


 笑わせるな。

 その力は、お前個人の幸福のためにあるのではない。

 あの力が個人の幸福だけに使われるなど、国家への背信以外の何者でもない。


「殿下」


 低く控えめな声に、私は顔を上げた。

 跪いていたのは、先日送り出した隠密の一人だった。


「報告しろ」

「捕縛、あるいは秘密裏の連れ戻しは困難と判断いたしました」


 私は眉を寄せる。


「理由は」

「あの三体の精霊王が、常時ほぼ彼女の周囲におります。加えて村人たちの信頼も厚く、外部の人間が不用意に接触すればすぐに目立ちます」

「たかが寒村ごときが」


 想像はしていた。

 たった一体で国一つを滅ぼせる精霊王が、ご丁寧に三体もいるのだ。

 我が国最高の暗殺部隊を送ろうが、フランシスカに傷一つ付けられないだろう。


「村の様子は」

「飢えに喘いでいた村へ食料と燃料を回し、果樹園と店で仕事まで生んでおります。近隣から客も流れ込んでおり、村人たちは強くフランシスカを支持しています。あの村における影響力は、もはや一領主に等しいかと」


 私は小さく目を細めた。


 なるほど。

 あの女は、ただ逃げただけではない。

 新しい地盤を作ったのだ。


 しかも、精霊王の力を戦ではなく生活の再建に使い、村人たちの支持まで得ている。


 厄介だ。極めて厄介だ。


 戦で国を奪うより、暮らしを救われた民の方が離れない。

 このまま放置すれば、やがてあの女は王家よりも『善なる力』として見られ始めるだろう。


 それは国家にとって害だ。

 ……いや、私にとって害だ。


「捕獲は無しだ。だが、いつでも動けるように、引き続きフランシスカとコナラギ村について情報収集をしておけ。村人、出入りする商人、街道の流れ、全てだ」

「は」


 気配が消えた。


「……やはり、武力では分が悪いか」


 だが、別に構わぬ。

 最初の手が潰れたなら、二つ目を使うだけだ。


 ――そろそろ、文官どもに集めさせていた法の山も揃った頃合いか。


 私は、王家の書庫へと向かった。


     ***


 埃っぽい古文書の匂いは嫌いではない。

 長い年月の中で積み重なった『正しさ』の匂いだからだ。


 王家の書庫には、すでに数冊の古書が積まれていた。

 文官たちが数日かけて集めさせたものだ。


「殿下」


 主席文官が一礼する。


「ご命令どおり、王家書庫の保管分に加え、ローゼ大聖堂より副本を取り寄せました」


 精霊契約、越境管理、国家級精霊の所在責任。

 そうした類の古い国際条例や契約関係の写本は、王家の書庫より、むしろ大聖堂の方に揃っていることがある。


「見せろ」

「こちらが精霊戦争終結時の講和条約、その注釈書、越境契約管理の補遺。そして、こちらが大聖堂側に保管されていた精霊契約原簿と、国家級精霊に関する旧国際条例です」


 私は本を受け取り、素早く頁をめくった。


 所在。管理責任。登録義務。越境時の届け出。

 第三国における私的戦力化の禁止。

 精霊契約に関する聖職側の確認権限。

 国家間の紛争を避けるための、古いが今なお生きている条文の数々。


「大聖堂は何と?」

「照会理由を確認したがっておりましたが、王家の調査であるとだけ」

「それでいい」


 どうせ向こうでも、聖職者や聖女の耳に少しは入っただろう。

 だが、それで何が変わる。

 問い合わせを知られたところで、法そのものが消えるわけではない。


 私はさらに頁をめくり――そして、見つけた。


「……ほう」


 文官が息を呑む。

 私はゆっくりと、その一文を読み上げた。


「国家級精霊、つまり精霊王、およびそれに準ずる戦略級存在については、保有国または契約主体の所属国家が、その所在および管理責任を明示すること。未登録の越境保有、及び第三国における私的戦力化は、秩序攪乱行為と見なす――」


 口元が吊り上がるのを抑えられなかった。


 やはりあった。

 武力で勝てぬなら、法で縛ればいい。


 あの女が、三体の精霊王を個人的に抱えたまま他国へ渡り、生活基盤まで築いている。

 その行為そのものを、違法だと定義してしまえばいいのだ。


 フランシスカは強い。

 だが、国家ではない。


 どれだけ村人に慕われようと、どれだけ精霊王に愛されようと、国と国のあいだに横たわる『正しさ』までは、一個人ではねじ伏せられない。


「フランシスカよ」


 私は文書を手に取り、小さく笑った。


「お前が最強の個の武力を手にしたというのなら、私も最強の力を使わせてもらおう」


 紙束を閉じる。


「国家という力だ」


 文官が、ごくりと喉を鳴らした。


「殿下、では……」

「準備しろ。条約解釈に強い者を選べ。精霊使いも数名つけろ。こちらは攻め込むのではない。秩序維持の名目で、違法状態の是正を求めに行くだけだ」

「はっ」


 もちろん、これは父王の正式な勅命ではない。

 あれほど叱責された直後に、表立って許可など下りるはずがない。


 だが、王子権限の範囲で『条約確認のための臨時査察』と解釈すれば、必要最小限の人員は動かせる。

 書類の体裁さえ整えてしまえば、現場ではそれが既成事実になる。


「それから」


 私は、先ほどの報告書を思い出す。


「例の村には、定期的に出入りする商人がいると言ったな」

「デニースという男です」

「ならば、そちらも押さえろ。物の流れを止めれば、村は揺らぐ」

「かしこまりました」


 文官が下がったあと、私は一人、書庫の窓から空を見上げた。


 剣ではなく、言葉で。

 暴力ではなく、大義で。

 それであの女を跪かせることができるのなら、これほど美しい勝ち方はない。


 しかも、報告によれば、数日後にあの村では収穫祭を開くらしい。

 果樹園の実りを祝い、村人と客を集め、笑って過ごす日。

 なるほど。実に都合がいい。


 幸福の只中にいる時ほど、人は脆い。


「その日がいい」


 誰にともなく呟く。


「幸福の真ん中で、膝を折らせてやる」


     ***


 数日後。

 私は護衛と文官、王国を代表する精霊使いを伴い、城を出た。

 兵を率いて侵攻する必要はない。今回は剣ではなく、大義で圧迫するのだから。


 フランシスカは情を捨てきれぬ女だ。

 村を巻き込み、友好国との摩擦を招く可能性を示せば、必ず迷う。

 そして、迷った時点で勝負はこちらのものになる。


「待っていろ、フランシスカ」


 揺れる馬車の中で、私は低く嗤った。


「次にお前が私を見る時は、選ばされる時だ」


 力は王へ。

 秩序は国家へ。

 そして国家は、私の手の中にある。


 そうだ。

 今度こそ、取り戻してやる。


 精霊王たちも。

 あの女の誇りも。

 あの村が手に入れた、ささやかな幸福ごと。

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