第14話 コナラギカフェ、本日開店
空は、笑ってしまうほど綺麗に晴れていた。
私は出来上がったメニュー表を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
ジュエル・フルーツタルト。
朝の果樹園を、そのまま一皿に閉じ込めた、うちの一番星。
暗黒パフェ。
夜が甘さを深くする、もう一つの看板商品。
焼き菓子数種。
手に取れば、帰り道まで幸せが続く小さなご褒美。
コーヒー、紅茶、果実のジュース。
甘さを受け止めて、余韻まで連れていく飲み物たち。
多すぎない。少なすぎない。
今の私たちにできる、最高の布陣だ。
イフリーティアは黒を基調にした給仕服、デーゼは黒のベスト姿で腕を組み、タロウは赤いバンダナを首に巻いてしっぽを振っている。
私も新しいエプロンを締め直した。
扉の上には、小さな真鍮のベルが揺れている。
開店の前日、トマスさんが「店には合図があった方がいい」と、古い船具の中から見つけて磨いてくれたものだ。
試しに鳴らしてみると、澄んだ音が海風に乗って、思ったより遠くまで届いた。
「いい音じゃのう」
その時、ガランさんが目を細めて笑った。
「これなら、今日が始まるって、すぐ分かる」
私はその言葉が、妙に好きだった。
誰かがこの丘を目指して来てくれたと分かる音。
この場所に、また新しい一日が来ると告げる音。
「フランシスカ様」
イフリーティアが、窓の外を見て微笑む。
「もうお客様がいらしてますわ」
「え?」
視線を向けると、店の前にはすでに村人たちが並んでいた。
ガランさん。
マルタさん。
トマスさん。
おめかししたミシャちゃん。
その後ろには、花や籠を持った村の人たちが、みんな笑顔で立っている。
「あの……もしかして、ずっと待っててくれたの?」
「当たり前でしょう」
マルタさんが、照れたように笑う。
「今日は大事な日ですもの」
「村長として、一番乗りを逃すわけにはいかんからな」
「わたし、フルーツのタルト食べる」
ミシャちゃんが飛び跳ねた。
その顔を見た瞬間、胸がいっぱいになった。
最初に会った時のミシャちゃんからは、想像もできない笑顔だった。
私はそっとドアノブに手をかける。
扉の向こうには、私が欲しかった暮らしがある。
そして、それを一緒に喜んでくれる人たちがいる。
ベルの音が軽やかに鳴った。
私は扉を開け、みんなを迎えるために、晴れやかな声を張った。
「いらっしゃいませ。コナラギカフェへようこそ!」
真っ先に飛び込んできたミシャちゃんが、目を輝かせて言う。
「店長さん。フルーツタルト、ひとつください!」
私は思わず笑ってしまった。
「かしこまりました。ジュエル・フルーツタルトをひとつね」
そうして私は、初めての注文を胸いっぱいの嬉しさと一緒に受け取った。
私の理想のスローライフは、この日、確かに幕を開けた。
***
初日の営業が終わる頃には、用意していたタルトも焼き菓子も、きれいに売り切れていた。
私は最後の皿を下げて、ほっと大きく息を吐く。
店の中には、甘い香りと、笑い声の名残がまだ残っていた。
「……完売、ね」
そう呟くと、片付けを手伝ってくれていたガランさんが、黙って入口脇の札を手に取った。
本日のおすすめ――と書かれた看板を裏返す。
そこに現れたのは、私が半ば冗談で用意していた文字だった。
本日分、完売しました。
ガランさんは、その札をしばらく見つめていた。
やがて、肩を揺らす。
「……村長さん?」
「いや、すまん」
そう言った次の瞬間だった。
「はっはっはっはっ……!」
驚くほど大きな笑い声が、店の外まで響いた。
私は目を丸くした。
マルタさんも、トマスさんも、みんな同じ顔をしている。
たぶん、誰も聞いたことがなかった。
この人が、こんなふうに腹の底から笑う声を。
「村長さん……?」
「いや、すまん、ほんとうにすまん」
そう言いながらも、ガランさんはまだ笑っている。
白い髭を揺らしながら、目尻に涙まで浮かべて。
「わしはな」
ようやく笑いをおさめながら、ガランさんは看板を指した。
「ここ数年、何を数えてきたと思う?」
「何を……?」
「減っていく備蓄じゃ。足りぬ薪、足りぬ食料、壊れた舟、冬まであと何日あるか。そんなものばかり数えてきた」
私は黙って聞いた。
「それが今日はどうじゃ。売れた数を数えて、皿の足りる足りぬを気にして、明日はもっと客が来るかもしれんと笑っておる」
ガランさんは、もう一度だけ看板を見た。
「生きておれば、こんな札を裏返す日も来るんじゃのう」
その言葉が、胸の奥へまっすぐに入ってきた。
私は小さく微笑む。
「ガランさん、勝手に最終回みたいにしないでください。これからですよ。完売の札も、忙しいって愚痴も」
「ほっほ。なら、わしはまだまだくたばれんな」
ガランさんはそう言って、今度は穏やかに笑った。
その笑顔は、村長の顔だった。
けれど同時に、長い飢えの時間をようやく抜けた、一人の老人の顔でもあった。
私はその姿を見ながら思う。
この村は、もう『救われるだけの場所』じゃない。
ちゃんと、笑いが戻る場所になったのだと。




