第4話 雨の真実
それから、滝矢と璃麻はタクシーであの家にたどり着いた。
降り始めた雨はしずしずと傘を濡らし、二人の長い影にも降り注いだ。
タクシーから降りて家の門をくぐろうとする璃麻を制して門の脇、小さな小道に入る。
隣の家の敷地である。
しかし滝矢は動揺しない。
果たして、そこには石段の上に、小柄な女性が座っていた。
「こんにちは。何を、いえ、誰を待っているのですか?片桐さん」
滝矢の優しい問いかけに、小柄な女性――老婦人は目を見開いて滝矢を見る。聞き込みをしたときの隣人の女性だ。
「気づいて、いたんですね」
にっこりと笑うと璃麻の方へ体を向けると、
「この方が今回の騒動の正体だよ」と言った。
え?と詳細が呑み込めず固まる璃麻。
「ありがとう。片桐さん、あなたはあの家に住んでいたのですね。名残惜しくて灯を照らしていたのですか」
片桐と呼ばれた女性は小さくうつむく。
「え、ど、どいうことですか。あの事件は片付いたじゃないですか。灯は雨の反射だって……」
滝矢は小さく笑う。
「いいえ、まさか。ウソも方便ですよ。妙に新しいライトだったでしょ?これですよ」
滝矢はスマートフォンを操作して璃麻によこす。
「Bluetoothライト……」
あのアンティーク調のライトだ。有効範囲10~25メートル。
「そう。遠隔点灯できるライト。操作の有効範囲にある家が、こちらの片桐さんのご自宅だけだったから簡単だった」
女性は静かに笑う。
「なんだ、ばれていたんですね。じゃあ、あの家のことも?」
「はい。売春宿ですね。坂崎さんのところでお聞きしました。」
璃麻が目を見開く。「さ、さかざきさんって?」と聞くと「地元の印刷屋さん」と滝矢はこともなく答える。
女性はそんな二人のやりとりを見つめると、ふふ、と1つ笑う。
「そう、昔は連れ込み宿、と、私共、呼んでおりました」
「つ、つれ……」璃麻が呻くように言う。
「うん。だから窓が少なかったんだね。水場の位置も、規定通りに作ると穢れが蓄積するので、作れなかったんだ。どれも『そういう場所』の特徴だね」
こともなげに言う滝矢に「知らなかった……」と璃麻がつぶやく。
「あの玄関は、手入れが入ったときに逃げるためのものですね?」
「その通りです。最後に使われたのはもう45年も前になりますね」
女性は懐かしむような声で、柵の向う側の家を見つめていった。その目は、今ではない、ここではない、どこか遠くを見ているようだ。
「あなたもそこから逃げましたか」
「いえ。おいていかれました。実のところ、母を待っているのです」
「お母さま。あぁ、なるほど、しかし」
「はい、もう45年も前のことです。分かっています。でもどうしてもあきらめる気になれないのです」
「雨の日だったのですか」
「ええ、ええ。何もかも見てきたようにご存じで。雨の日でした。いつか迎えにくる、と。その言葉を残して母も、みんなも、消えました」
なるほど、とつぶやくと滝矢はポケットを探ると、方位盤を取り出した。
「あの家を調査したのですが、本棚をどかそうとしたら、精霊に邪魔されました。
あなた方が大切に出口を隠していたのを見ていたのでしょう。精霊には人の機微は分からないですが、学習するのです」
方位盤をくるくるともてあそびながら滝矢は言う。
「お若い探偵さん。もしかすると、お調べになったかもしれませんが。どこかの地域に2つの玄関の伝承があるということ知りまして。いても経ってもいられなくなったのです。いつか、あの出ていった玄関から、母が帰ってくるのではないか、と」
「それで時々、玄関を変えて、灯をともして待っていたのですか」
滝矢の問いにうなずく老婦人。
滝矢は「精霊からの伝言です」と言うと、そっと方位盤の針を回す。
淡い光が霧雨の中を老婦人の方へ走っていく。
彼女は驚いて目を覆ったが、やがてゆっくりと目を開いた。
5分ほどもそうしていただろうか。
「母が、見えました。ときどき、来てくれていたんですね」
滝矢は何も言わない。
「光の向こうへ歩いていく姿も。ああ……なんの憂いもなく……」
老婦人の瞳に涙が宿った。霧雨のような雨はしっとりした空気を含んで優しく彼女の頬を撫でていく。
璃麻はぼんやりとそれを見つめていたが、やがて口を開く。
「滝矢さんにお願いしてよかったです」
滝矢は方位盤の針をただ見つめていた。
「方位盤はただの道具。心を測ることはできないんだ。心を救うのはやっぱり誰かの心だと思うよ」
「さて」と滝矢の一言で2人は別れを告げ、あわただしく帰路についた。
「一応確認ですが、警察とかは……」
「必要ある?大したことしたわけでもないし。大体あの家がやばいことやってた家だった、って知って得する人、いないしね。家の価値下がるし」
なるほど、と璃麻が唸る。
「それにしても、滝矢さん何もかもわかってたんですね、さすがですね。精霊の映像のことも」
「いや?僕には見えてないよ」
僕には、精霊は見えない。
え?と璃麻が聞き返すより早く滝矢は「さ、いこう。なんかお腹すいたよ」と言って駅の方に歩き出した。
多分聞き間違いだろう。
精霊が見えない方位士なんていないしね。
そう思いながら、滝矢の後を小走りでついていった。
雨はすっかりあがって、ぬくい風がやさしく体を通り抜けていった。
そんな雨の日の出来事から数日後。
「えっ。女の子だったの?! し……しかも学生?!」
狭い事務室に響き渡る声で滝矢が叫んだ。
学生証を見せた璃麻の方がびっくりして後ずさった。
「聞いてない!」
「そうです?まあどうでもいいじゃないですか。受けるって言ったさっきの依頼、反故にするなんてしないですよね?」
じりじりと詰められて滝矢は冷や汗をかいた。
そんな滝矢の心境以外は、今日も平和な一日だった。




